ヤンキー、悪役令嬢になる

山口三

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16周囲のささやき

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 翌日はジュリエットが表(二人の意思がひとつの体に居る時は表側と裏側と呼ぶことにした)であたしが裏に引っ込んでいる事に決め、アカデミーに向かった。

 ゴードンとリンの婚約発表は小説とは違って早く行われた。だがそれに対する周囲の学生の反応は小説と変わらなかった。男女問わずあちこちでジュリエットの陰口が叩かれていた。


「私はこうなるって思っていたのよ。ジュリエット様は正式に婚約者に指名された訳でもないのにお高くとまってましたわよね。確かに公爵家は私達よりずっと身分が高いですわ、だからってねぇ・・」

「ジュリエット様はライオネル様の婚約者に指名されたんでしょう? ライオネル様もお気の毒よね。ゴードン様がいらなくなったお下がりを押し付けられた様なものですもの」

「俺も兄のお下がりの嫁なんて嫌だなぁ。それにジュリエット様は美人だけど可愛げがないね。いつも仮面みたいに表情がないし」

「俺だったらさ、一応嫁に貰うよ。公爵家の持参金ってうまそうじゃないか。あとは愛人でも何でも作ればいいんだからさ」

 何よみんな! ジュリエットがあんた達に一体何をしたって言うのよ! みんな勝手に言いたい事を言って。なんて醜いんだろう!

『ジュリエット、大丈夫? あたしが表になろうか?』
『ありがとう和華。でもこれはわたくしが蒔いた種ですわ。意図した事でないとはいえ、こんなにも周囲に不快な印象を与えていたのですから』

『そんな! あんたは何も悪い事してないじゃない。品位と威なんとかを保とうとしてただけなんでしょ?』
『フフ、和華。威厳ですわ。それにわたくしがリンに嫌がらせをしたのは事実です、あなたもご存じでしょう?』
『それは・・』

 そこへミナがひとりでやって来た。

「おはようございます、ジュリエット様」ミナの表面上はいつもと変わらない。

「おはよう、ミナ。今日はアノンとロザリンは一緒ではないのね?」

 このジュリエットの質問にミナは大いに狼狽した。

「それが‥はい。今日は一緒ではないのです」

 そう答えたミナと二人で教室に入ると今までガヤガヤとしていた室内がふっと静まり返った。きっとジュリエットの噂話をしていたんだわ。

 ジュリエットの胃の辺りがキュウッと縮まった感触があたしにも伝わってきた。ジュリエットはどんなに辛い思いをしているだろう。それでも毅然とした態度を崩さずに彼女は席に着いた。

 あたしだったらブチ切れて大声で喚いていたに違いないわ。

 午前の授業はなんとか無事に終了した。これから食堂に向かうんだけど大丈夫かな。朝みたいにまたみんなの好奇の視線に晒されるに決まってる。

 だが今度もジュリエットは果敢に食堂に向かった。

 食堂では奥の1つのテーブルに人だかりが出来ているのが見えた。そう、みんなリンを取り囲んでいるのだ。代わる代わるリンに祝福の言葉を掛けている。

 ここからはリンの表情は良く見えないが聞こえてくるのは楽しそうな笑い声だった。

「あらミナ、こんな所で食事していたのね。こっちで私達と頂きましょうよ」

 ロザリンはミナと一緒にテーブルにつくジュリエットに目もくれず、ミナの肩を叩いた。

「向こうにアノンもいるのよ。リン様のテーブルの隣なの! ね、行きましょう。ここに居るとあなたまで何か言われるわよ」

 つい昨日まではリンに「身の程知らず」なんて言ってたくせに、あっさり手のひらを返しちゃってまあ。

 ミナは困っている。するとこの様子に気づいたアノンがやって来た。

「ミナ、ねえ相談したい事があるの。あちらのテーブルで聞いて下さらない?」

 こう言われてはミナも断れない。席から立ち上がり食べかけのトレーを持ち上げた。

「申し訳ありませんジュリエット様、アノンの話を聞いて参ります」

 ひとりテーブルに残されたジュリエットを見て、周囲の生徒たちはクスクスと笑い声をあげた。

 もう限界だったのだろう。ジュリエットの食事をする手が止まった。下を向いたまま立ち上がったジュリエットはまだ残っている食事のトレーを下げ、そのまま食堂を出て外に向かって走り出した。

『ジュリエット・・』ああ、どうしよう。もうなんて声を掛けたらいいか、あたしには分かんないわ。

 ジュリエットの足は中庭に向けて走っていた。あの場所から離れられるならどこでもいいと思っているみたい。視界がぼやけて歪んできた。きっと泣いているのね・・。

 中庭にあるひと際大きな樹の下にジュリエットは屈みこんで座った。

『ジュリエット、ねぇ大丈夫?』
「わたくしは‥わたくしは大丈夫ですわ。大丈夫・・」

「大丈夫には見えないぜ」

 その声にジュリエットが顔を上げると、片膝をついてジュリエットを覗き込むライオネルが居た。

「ラ、ライオネル様」ジュリエットは慌てて顔を両手で覆い、涙を見せまいとした。

 そのままライオネルはジュリエットの横に腰を下ろした。そして何も言わず黙ったままで前を見ている。
 たっぷり5分は沈黙がその場を支配した。とうとうライオネルが口を開いた。

「なあ、前に乗馬を教えるって言っただろ?」
「そうでしたわね」

「今から教えてやるよ」
「今から? 午後の授業はどうするのです?」

「そんなものサボるに決まってるだろ。俺しょっちゅうサボってるぜ」
「まあ! そんな事では卒業できないのではないですか?」
「大丈夫だって、なんせ俺はこの国の王子様なんだからさ」ライオネルはパチッとウインクしてみせた。

 ジュリエットはくすっと笑った。それを見てライオネルは立ち上がり手を差し出した。「さ、行こうぜ!」

 ライオネルがジュリエットの手を引いてやって来たのはアカデミーの厩舎だった。

「ここでちょっと馬を拝借だ」
 
 ライオネルはずかずかと中へ入って行く。
 
「でも厩番がおりませんわ。鞍はどうしますの?」
「自分でやるさ」

「ご自分で?」ジュリエットは驚いたようだ。あたしはジュリエットが驚いた事に驚いたが、彼は王子だ、馬の用意などは全部使用人の仕事なのだろう。

 使用人がやる事を自力で出来る王子の方が変わっているという事か。

 ライオネルは慣れた手つきで馬に鞍をかけ準備をした。そしてジュリエットを乗せ、手綱を持たせた。

「た、高いですわね。わ、わたくし一人では無理ですわ。馬に乗るのもこれが初めてなんですから」
 
 いつも堂々としているジュリエットが少し怯えているようだ。

 ジュリエットにも苦手な事はあるのねぇ。勉強も出来てスマホもあっという間に使いこなせて、なんでもスラスラ出来るから乗馬なんて軽い物かと思っていたけど。

『わたくしは高い所が苦手ですの。馬の背は思ったより高いのですもの』

 あたしの考えを読んだかのようにジュリエットは話しかけてきた。あたしが返事をする前にライオネルがジュリエットの後ろに乗ってきた。

「大丈夫。俺が後ろについててやるから」
 
 ライオネルは今まで聞いたことも無いような優しい声でジュリエットに微笑みかけた。そしてゆっくりと馬を歩かせ始めた。そのままアカデミーの敷地を抜け郊外に向けて馬を誘導する。

 少しずつスピードが上がってきた。

「な、大丈夫だろ? こっちがビクビクすると馬にもその気持ちが伝わってしまうんだ。だからリラックスして」
「そ、そうですのね」

「子供の頃に一緒に乗馬をやっておけば良かったな。あの頃なら怖い物なんてなかっただろう?」
「そんな事はありませんわ。今でもクモが怖いのです。子供の頃、ライオネル様が大きなクモを私の肩に乗せてからですわ」

「あっ・・ああそうだったな。悪い事をしたよ」下を向いてぼそぼそと呟いたライオネルの声は消え入りそうだった。

 ジュリエットの目を通して見る風景は郊外ののどかな田園風景に変わった。遠くで農作業をしている人影がチラホラ見えるだけで周囲に人はいないようだ。

「ジュリエット」

 馬が止まった。流れる景色が動きを止め、ずっと前を見ていたジュリエットが、声を掛けられてライオネルの方へ振り向いた。ライオネルはいつになく真剣な眼差しをジュリエットに向けている。

「ゴードンとリンの事で色々言われてると思うが、気にするな。あんなのはただのやっかみだ」
「ライオネル様の耳にも入っていますのね。当たり前ですわね、あれだけアカデミー中で囁かれているのですから」

 ジュリエットは大きく深呼吸した。

「それに自らが蒔いた種でもありますわね。わたくしは・・わたくしはリンに嫉妬していましたから」

 プライドの高いジュリエットが、素直に自分の醜い嫉妬心を認めた事に驚いた。それはライオネルも同じだったようで、一瞬彼は瞠目どうもくした。

「君は‥どこまでも自分に厳しいんだな」
「そうでしょうか?」

 手綱を離したライオネルの手が伸び、ジュリエットの髪に触れた。指は髪を撫で、そのままライオネルはじっとジュリエットの深い青い瞳を見つめている。

「・・ジュリエット、俺との婚約の話は聞いただろう? アカデミーではゴードンのお下がりなんて陰口を言う奴がいるが、俺は・・」

 その時だった。

 突然視界が暗くなったと思ったら、いきなりあたしが表に引きずり出された。再び目の前が明るくなると高い馬の背から見下ろす世界が広がった。

 焦ったあたしは思わず鞍からずり落ちそうになった。

「ひゃあっ」
「危ない!」

 ライオネルの腕がしっかりとあたしの(ジュリエットの)体を支えてくれたお陰であたしは落馬せずに済んだ。ドレスで横向きに馬に乗るなんて危なすぎる。

「大丈夫か? 初めての乗馬で疲れたんだろう。降りて少し休憩しよう」

 近くを流れていた川のほとりで馬に水を飲ませながらあたしたちは休憩した。

 ジュリエットに話しかけたが返事がない。まさかまたあたしの世界に戻ってしまった?

「ジュリエット大丈夫か? さっきからぼうっとしているが」

「あっ、あー疲れただけよ‥ですわ。そろそろアカデミーに戻りませんか? 馬も早く返さないと盗まれたと思われて大事おおごとになったらまずいし」

 おっと、やばいやばい。ジュリエットの事が気になってライオネルとの会話がおろそかになってたわ。

「まずい・・そうだな、まずいな。そろそろ戻るか」


 その後ライオネルはジュリエットを馬車に乗せ屋敷に送り返し、自分だけアカデミーに戻った。あたしも正直アカデミーには戻りたくなかったし、そうしてくれて助かった。

 屋敷に帰って来てからもジュリエットに話しかけたがやはり返事は来なかった。


 
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