40 / 42
40穏やかな気持ち
しおりを挟む病院の駐車場に停めた車の中で、康兄ぃが待っていた。
「どうだった、信じて貰えたか?」
「多分・・半信半疑だとは言ってたけど、小説の続きを読みたいって言ってくれたし」
「この後は大学に二人を送って行けばいいんだな?」エンジンをかけた康兄ぃが、後部座席に座る藤本先輩を振り返った。
「うん、サークルの稽古があるから。悪いね、送り迎えしてもらって」
昨日一晩寝て、流れ込んで来たジュリエットの記憶はなかなかハードな内容だった。学園祭に向けて毎日のように演劇の稽古を長時間こなしていたのだ。あたしが自分の体に居れば、ジュリエットは舞台をあたしに任せるだろう。今まではジュリエットが上手くやってくれていたけど、あたしもちゃんと台詞を覚えて頑張らないと・・。
車が走り出して5分位経った時だった。また周囲の物音が遠ざかって行くような感覚に陥った。視界もぼんやりしてきた。
『あっ、これはまた向こうに行っちゃうのかも』
『ああ、わたくしも感じますわ。景色が歪んで見えます・・和華、向こうに行ったらライオネル様との婚約を進めて下さい。わたくしの気持ちなど・・・・』
そこでジュリエットの声は途絶えてしまった。
_____________
「ジュリエット、気が付いたか!」
「ライオネル様・・ここは・・」
「ここはアカデミーの保健室だ。突然倒れたから心配したぞ。どうだ具合は?」
「そうですか、和華も突然、自分の世界に戻されていたんですね」
わたくしは保健室の硬いベッドから起き上がった。突然倒れたと教えられたが、特に体に異常は感じられない。ぐっすり眠った後のように、気分もいい。
「ん? 和華って言ったか? まさか本物のジュリエットか?!」
「そうですわ。中身もジュリエットですわ」
本物かと聞かれると、器はいつも本物で、中身だけが和華と入れ替わっていたのだ、と否定したくなってしまう。が、そんな暇を与えずライオネル様は突然、わたくしを強く抱きしめた。
「良かった、やっと戻って来たんだな。戻ってこれたんだな!」
「ラ、ライオネル様・・あ、あの・・」
ライオネル様の腕は力強く、その胸はとても広い。そんな事を意識した途端、顔が火を噴きそうに熱くなった。
「あっ、すまない、つい・・」
ライオネル様はすぐ私を離して謝罪した。わたくしは突然の事に驚いて、なんと返していいか分からない。でも『つい』とはなんですの? 驚きと恥ずかしさで、わたくしは腹が立って来た。
「つい‥つい、とはなんですの?」
「えっ、つい、か? ええと‥君が、本物のジュリエットが戻って来たと分かったら、嬉しさのあまりに、つい‥という『つい』だな」
ライオネル様はいつもの自信満々な様子でも、人をからかう様な態度でもなく、明後日の方向を見ながら、恥ずかしそうに手で口元を覆っている。こんなライオネル様を見るのは初めてだわ・・。
そういえば、和華が随分大人しいですわね。さっきからずっと黙ったままだわ。
『和華、もしかして笑いを堪えていらっしゃるの? 和華?』
「おかしいですわ。和華がおりませんの」
「ん? さっきまではいた、という意味か?」
そう言われてみると、目覚めてから一度も和華の気配を感じなかった。もしや、わたくしだけが戻ってきたのかしら。
「あちらの世界では和華と一緒でした。でも和華は向こうに残った様ですわ」
わたくしが自分の世界に戻ってから1週間が経った。だが和華は戻らないままだった。
この1週間の間に、留守にしていた期間の記憶を夢ですべて見ることが出来た。なので和華が進めていた薬草園の事業をすんなり理解した。
ゴードン様が自ら議会に薬草園の草案を提出してくれたので、可決がとても早かったようだ。わたくしも和華の体の中にいたおかげで、向こうの世界の様々な知識を得られた。ハウス栽培の知識も専門家ほどではないにしろ持っている。この薬草園を手始めとして、得られた知識を生かし、この国を少しでもいい方向に導く助けとなればと思う。
アカデミーに通う傍ら、薬草園の事業に参加し、たまの余暇にわたくしはライオネル様に弓の教授をお願いした。
今日はアカデミーではなく、王宮の広大な敷地の中にあるライオネル様のプライベートなお庭で弓を教えてもらうことになっている。
ライオネル様の自室のフランス窓から外に出ると、陽光に照らされ青々と茂る灌木の向こうに、緩やかな流れの小川が見える。あちこちに野草の小花が咲き乱れ、蜜を求めて蝶が舞っていた。王宮内とは思えないような自然美がそこら中に溢れている。
「こちらにお招きいただくのは初めてですわ」
「そうだったか。子供のころは遊ぶ場所なんてどこでも良かったしな」
そうですわね。その子供の頃でさえわたくしは、妃教育で遊ぶ時間も取れなくなっていましたけれど。
「素敵なプライベートガーデンですね。整形された人工的な王宮の庭園とは対照的で、まるで人の手が入っていないかの様な、自然の風景がとても美しいですわ」
わたくしとライオネル様は並んで、小川のほとりをゆっくりと歩き出した。前方に見える大きな木の幹に弓の的が括り付けられている。
「お気に召したようで何よりだ」
「ライオネル様らしいお庭と感じました。いい意味で、ですわ」
「そうだな、俺は形式に囚われず、ありのままの姿が何よりも美しいと思っているからな」
ライオネル様はふと足を止めて、わたくしの方へ向き直った。
「だからジュリエットは今のままでいい。俺のそばに居て好きな事をして笑っていればいい。ゴードンの事を忘れられなくてもいいんだ。ただ俺のそばに居てくれたら・・」
この世界に戻ってきた日も、ライオネル様は見たことのない表情をわたくしに向けていた。今日もそうだわ。まるで自信がなくてなくて、切ない瞳をした子犬のような・・。
「わたくしの‥ゴードン様への気持ちを知っておいででしたのね」
「ああ。俺はずっと、ずっと君を見ていたから。ゴードンを見つめる君を」
「ライオネル様、今のわたくしは振り返る事が可能です。振り返り、わたくしを見つめる瞳を見つめ返す事が出来るのです。ですからどうかわたくしの手を取り、乞うて下さい」
「ジュリエット、俺は君が好きだ。俺と結婚して欲しい」
ライオネル様の力強い手がわたくしの両手を包み込んだ。心の中が暖かい気持ちで満たされる。まるで手からライオネル様の感情が流れてくるように・・。
「はい、わたくしもライオネル様のお傍に居たいと思っています、心から」
喜びにはち切れそうな笑顔のライオネル様は、わたくしを抱き寄せようとした手をサッと引っ込めた。
「あっ、あぶねー。つい嬉しくて、またいきなり抱きしめそうになった」
「ライオネル様ったら! ここはしてもいい所ですわ」
「ありがとう、ジュリエット」
そう言ってライオネル様はわたくしを優しく抱きしめた。目を閉じると小川のせせらぎが聞こえてくる。こんなに穏やかな気持ちになったのは生まれて初めてかもしれない。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。
猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。
復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。
やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、
勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。
過去の恋、未来の恋、そして政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。
魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に行動する勇者パーティは、
四人の魔将との邂逅、そして試練を迎え――。
輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私が、
魔王討伐の旅路の中で、“本当の自分”を見つけていく――。
そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。
※「小説家になろう」にも掲載。(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
ヒロインしか愛さないはずの公爵様が、なぜか悪女の私を手放さない
魚谷
恋愛
伯爵令嬢イザベラは多くの男性と浮名を流す悪女。
そんな彼女に公爵家当主のジークベルトとの縁談が持ち上がった。
ジークベルトと対面した瞬間、前世の記憶がよみがえり、この世界が乙女ゲームであることを自覚する。
イザベラは、主要攻略キャラのジークベルトの裏の顔を知ってしまったがために、冒頭で殺されてしまうモブキャラ。
ゲーム知識を頼りに、どうにか冒頭死を回避したイザベラは最弱魔法と言われる付与魔法と前世の知識を頼りに便利グッズを発明し、離婚にそなえて資金を確保する。
いよいよジークベルトが、乙女ゲームのヒロインと出会う。
離婚を切り出されることを待っていたイザベラだったが、ジークベルトは平然としていて。
「どうして俺がお前以外の女を愛さなければならないんだ?」
予想外の溺愛が始まってしまう!
(世界の平和のためにも)ヒロインに惚れてください、公爵様!!
【完結】 異世界に転生したと思ったら公爵令息の4番目の婚約者にされてしまいました。……はあ?
はくら(仮名)
恋愛
ある日、リーゼロッテは前世の記憶と女神によって転生させられたことを思い出す。当初は困惑していた彼女だったが、とにかく普段通りの生活と学園への登校のために外に出ると、その通学路の途中で貴族のヴォクス家の令息に見初められてしまい婚約させられてしまう。そしてヴォクス家に連れられていってしまった彼女が聞かされたのは、自分が4番目の婚約者であるという事実だった。
※本作は別ペンネームで『小説家になろう』にも掲載しています。
英雄の可愛い幼馴染は、彼の真っ黒な本性を知らない
百門一新
恋愛
男の子の恰好で走り回る元気な平民の少女、ティーゼには、見目麗しい完璧な幼馴染がいる。彼は幼少の頃、ティーゼが女の子だと知らず、怪我をしてしまった事で責任を感じている優しすぎる少し年上の幼馴染だ――と、ティーゼ自身はずっと思っていた。
幼馴染が半魔族の王を倒して、英雄として戻って来た。彼が旅に出て戻って来た目的も知らぬまま、ティーゼは心配症な幼馴染離れをしようと考えていたのだが、……ついでとばかりに引き受けた仕事の先で、彼女は、恋に悩む優しい魔王と、ちっとも優しくないその宰相に巻き込まれました。
※「小説家になろう」「ベリーズカフェ」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。
子供にしかモテない私が異世界転移したら、子連れイケメンに囲まれて逆ハーレム始まりました
もちもちのごはん
恋愛
地味で恋愛経験ゼロの29歳OL・春野こはるは、なぜか子供にだけ異常に懐かれる特異体質。ある日突然異世界に転移した彼女は、育児に手を焼くイケメンシングルファザーたちと出会う。泣き虫姫や暴れん坊、野生児たちに「おねえしゃん大好き!!」とモテモテなこはるに、彼らのパパたちも次第に惹かれはじめて……!? 逆ハーレム? ざまぁ? そんなの知らない!私はただ、子供たちと平和に暮らしたいだけなのに――!
辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました
腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。
しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。
【完結】家族に愛されなかった辺境伯の娘は、敵国の堅物公爵閣下に攫われ真実の愛を知る
水月音子
恋愛
辺境を守るティフマ城の城主の娘であるマリアーナは、戦の代償として隣国の敵将アルベルトにその身を差し出した。
婚約者である第四王子と、父親である城主が犯した国境侵犯という罪を、自分の命でもって償うためだ。
だが――
「マリアーナ嬢を我が国に迎え入れ、現国王の甥である私、アルベルト・ルーベンソンの妻とする」
そう宣言されてマリアーナは隣国へと攫われる。
しかし、ルーベンソン公爵邸にて差し出された婚約契約書にある一文に疑念を覚える。
『婚約期間中あるいは婚姻後、子をもうけた場合、性別を問わず健康な子であれば、婚約もしくは結婚の継続の自由を委ねる』
さらには家庭教師から“精霊姫”の話を聞き、アルベルトの側近であるフランからも詳細を聞き出すと、自分の置かれた状況を理解する。
かつて自国が攫った“精霊姫”の血を継ぐマリアーナ。
そのマリアーナが子供を産めば、自分はもうこの国にとって必要ない存在のだ、と。
そうであれば、早く子を産んで身を引こう――。
そんなマリアーナの思いに気づかないアルベルトは、「婚約中に子を産み、自国へ戻りたい。結婚して公爵様の経歴に傷をつける必要はない」との彼女の言葉に激昂する。
アルベルトはアルベルトで、マリアーナの知らないところで実はずっと昔から、彼女を妻にすると決めていた。
ふたりは互いの立場からすれ違いつつも、少しずつ心を通わせていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる