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口裏合わせ
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受付の若い女は怪訝な表情を隠せなかった。
目の前に立つ(多分)女性はどう見ても社長が直に面談しそうな相手ではない。
スポーツ刈りにヨレヨレの地味なパーカーを着て作業ズボンの様なダボダボのパンツを履いている。何かの作業員かと思ったが、今日はそういう予定は入っていない。
だが約束がしてあるというのに連絡しない訳にもいかず、社長室の秘書に確認を入れた。
返事は社長室へ直に来てもらうように、だった。
「石井様ですね、右側のエレベーターで最上階までお上がり下さい」
エレベーターに乗り込む沙耶の後姿を受付嬢二人は見送った。
A「今の人、女性よね?」
B「声が・・ね。何かの作業員かしらね」
A「そういう人に直接会ったりしないでしょ? 社長は」
B「大抵は池田さんが采配してるものね」
受付嬢達のそんな噂話など知らない沙耶は最上階に着いた。廊下の奥から涼が手を振って近付いて来た。「石井さぁん、こっちだよ~」
涼の案内で社長室に入った沙耶は軽い驚きに見舞われた。社長だと聞いていたからそれなりに立派な社屋や社長室を想像していたが、実際のそれは沙耶の想像をはるかに超えていた。
地上40階建ての最上階、社長室の壁は一部が全面ガラスになっておりそこからの眺めは素晴らしいものだった。日本では十分摩天楼と言えるだろう。
社長室の応接間に通された沙耶は落ち着かない気分でソファに座っていた。すぐお茶を持って涼が戻ってきた。
「社長は・・馨君はすぐ来るから待っててね。急な用事が入ってリモート中なんだ。飲み物は・・コーヒーの方が良かったかな?」
「いえ、お茶がいいです。ありがとうございます」
涼が出て行くと10分もしない内にかおるが入って来た。
「待たせてすまないな。では・・これからの事について少し話を詰めて行こう。口裏を合わせないといけない部分もあるしな」
口裏なんて、なんだか陰謀めいていてちょっと楽しいかも。沙耶は少しだけ緊張がほぐれてきた。
「俺の家は世田谷なんだが、そこで俺の父と妹に会って貰いたい。その時に馴れ初めや何かを色々聞かれると思うので口裏を合わせておきたいんだ」
「馴れ初めですか・・どうしましょう?」
「あまり嘘で固めると逆にボロが出やすいからな、ここはほぼ真実で通そうと思う」
本当の事を言ってしまうのかしら? 契約結婚だって・・そう思いながら沙耶は尋ねた。
「ラスベガスで出会って、契約したと言ってしまっていいんでしょうか?」
「契約したというのはまずい。それで君と最初に出会ったのは1年前のラスベガスで、そして今年またラスベガスで偶然にも再会して意気投合して結婚した。という事にしてもらいたいんだ」
「私が事故に合いそうになって助けて貰ったのが1年前で、今年また偶然に再会して結婚した。私は1度しかラスベガスに行った事がないので、そこが嘘になるわけですね?」
「そうなるな。呑み込みが早くて助かる」
馨はお茶を飲んでひと息ついた。そしてチラッと足の上で組んだ自分の手を見てからまた口を開いた。
「父が他界したら我々の契約は解消になる。俺はそれなりに顔と名前が世間に知られているから、その配偶者になると君も注目されるだろう。世間的には君はバツイチだ。君が本当に好きな相手と結婚するときの障害になるかもしれない。もちろん先にも話したように十分な金額を保証はするが、その辺りは納得してもらえるのだろうか?」
本当に好きな人と結婚か・・沙耶は改めて思い返すと、今まで好きになった人なんていなかった事に気づいた。
高野家の雑務や景子の身の周りの世話、お使いで必死だったもの。人を好きになる時間も余裕もなかったわ。
「私がいつかまた結婚する時に、一度目は契約結婚だったと打ち明けてもいいんでしょうか?」
「二人だけの話にしてくれるなら、それは構わない」
「でしたら大丈夫です」
「その話と少し関連するが、君の存在を広く世間に知られない様にするために披露宴などは行わないつもりなんだが」
「それも大丈夫です」
(うふふ、秘密の花嫁ね)
沙耶の表情が大きな眼鏡越しにも段々と楽しそうになってきているのが、馨にもはっきり見て取れた。
(楽しくなるような内容の話ではないと思うんだがな。変わった人だ)
「何か質問や要望はあるか?」
「私はこのまま仕事を続けてもいいんでしょうか?」
「マネージャーの仕事か。君が好きでやっているなら続けてくれて構わない。こちら側からは妻として公の場に同伴してもらう事が出てくるかもしれないが。他には?」
「あの・・そのぅ・・」
急に沙耶はモジモジし出した。空になった茶碗のふちを指で何度もなぞっている。
「どうした?」
「あのぅ・・高野の家族に結婚するって話をしたんです。でもみんな、私が騙されていると思ってるんです」
「ああ、あまりにも突然過ぎたか」
「それもありますけど、私みたいな孤児を好きになる男がいるわけないと。それで、どうせ捨てられてすぐ戻ってくるんだから子供は作るなと・・」
馨はハッとした。(それで言い渋っていたのか)
「心配しなくていい。あくまで夫婦の振りをするだけだ。その・・そういった行為を求める事はない」
(それにしてもいくら養女とはいえ、好きになる男がいる訳ないと面と向かって言うとは随分だな)
ちょうど話がひと段落ついた所で涼がノックして入って来た。
目の前に立つ(多分)女性はどう見ても社長が直に面談しそうな相手ではない。
スポーツ刈りにヨレヨレの地味なパーカーを着て作業ズボンの様なダボダボのパンツを履いている。何かの作業員かと思ったが、今日はそういう予定は入っていない。
だが約束がしてあるというのに連絡しない訳にもいかず、社長室の秘書に確認を入れた。
返事は社長室へ直に来てもらうように、だった。
「石井様ですね、右側のエレベーターで最上階までお上がり下さい」
エレベーターに乗り込む沙耶の後姿を受付嬢二人は見送った。
A「今の人、女性よね?」
B「声が・・ね。何かの作業員かしらね」
A「そういう人に直接会ったりしないでしょ? 社長は」
B「大抵は池田さんが采配してるものね」
受付嬢達のそんな噂話など知らない沙耶は最上階に着いた。廊下の奥から涼が手を振って近付いて来た。「石井さぁん、こっちだよ~」
涼の案内で社長室に入った沙耶は軽い驚きに見舞われた。社長だと聞いていたからそれなりに立派な社屋や社長室を想像していたが、実際のそれは沙耶の想像をはるかに超えていた。
地上40階建ての最上階、社長室の壁は一部が全面ガラスになっておりそこからの眺めは素晴らしいものだった。日本では十分摩天楼と言えるだろう。
社長室の応接間に通された沙耶は落ち着かない気分でソファに座っていた。すぐお茶を持って涼が戻ってきた。
「社長は・・馨君はすぐ来るから待っててね。急な用事が入ってリモート中なんだ。飲み物は・・コーヒーの方が良かったかな?」
「いえ、お茶がいいです。ありがとうございます」
涼が出て行くと10分もしない内にかおるが入って来た。
「待たせてすまないな。では・・これからの事について少し話を詰めて行こう。口裏を合わせないといけない部分もあるしな」
口裏なんて、なんだか陰謀めいていてちょっと楽しいかも。沙耶は少しだけ緊張がほぐれてきた。
「俺の家は世田谷なんだが、そこで俺の父と妹に会って貰いたい。その時に馴れ初めや何かを色々聞かれると思うので口裏を合わせておきたいんだ」
「馴れ初めですか・・どうしましょう?」
「あまり嘘で固めると逆にボロが出やすいからな、ここはほぼ真実で通そうと思う」
本当の事を言ってしまうのかしら? 契約結婚だって・・そう思いながら沙耶は尋ねた。
「ラスベガスで出会って、契約したと言ってしまっていいんでしょうか?」
「契約したというのはまずい。それで君と最初に出会ったのは1年前のラスベガスで、そして今年またラスベガスで偶然にも再会して意気投合して結婚した。という事にしてもらいたいんだ」
「私が事故に合いそうになって助けて貰ったのが1年前で、今年また偶然に再会して結婚した。私は1度しかラスベガスに行った事がないので、そこが嘘になるわけですね?」
「そうなるな。呑み込みが早くて助かる」
馨はお茶を飲んでひと息ついた。そしてチラッと足の上で組んだ自分の手を見てからまた口を開いた。
「父が他界したら我々の契約は解消になる。俺はそれなりに顔と名前が世間に知られているから、その配偶者になると君も注目されるだろう。世間的には君はバツイチだ。君が本当に好きな相手と結婚するときの障害になるかもしれない。もちろん先にも話したように十分な金額を保証はするが、その辺りは納得してもらえるのだろうか?」
本当に好きな人と結婚か・・沙耶は改めて思い返すと、今まで好きになった人なんていなかった事に気づいた。
高野家の雑務や景子の身の周りの世話、お使いで必死だったもの。人を好きになる時間も余裕もなかったわ。
「私がいつかまた結婚する時に、一度目は契約結婚だったと打ち明けてもいいんでしょうか?」
「二人だけの話にしてくれるなら、それは構わない」
「でしたら大丈夫です」
「その話と少し関連するが、君の存在を広く世間に知られない様にするために披露宴などは行わないつもりなんだが」
「それも大丈夫です」
(うふふ、秘密の花嫁ね)
沙耶の表情が大きな眼鏡越しにも段々と楽しそうになってきているのが、馨にもはっきり見て取れた。
(楽しくなるような内容の話ではないと思うんだがな。変わった人だ)
「何か質問や要望はあるか?」
「私はこのまま仕事を続けてもいいんでしょうか?」
「マネージャーの仕事か。君が好きでやっているなら続けてくれて構わない。こちら側からは妻として公の場に同伴してもらう事が出てくるかもしれないが。他には?」
「あの・・そのぅ・・」
急に沙耶はモジモジし出した。空になった茶碗のふちを指で何度もなぞっている。
「どうした?」
「あのぅ・・高野の家族に結婚するって話をしたんです。でもみんな、私が騙されていると思ってるんです」
「ああ、あまりにも突然過ぎたか」
「それもありますけど、私みたいな孤児を好きになる男がいるわけないと。それで、どうせ捨てられてすぐ戻ってくるんだから子供は作るなと・・」
馨はハッとした。(それで言い渋っていたのか)
「心配しなくていい。あくまで夫婦の振りをするだけだ。その・・そういった行為を求める事はない」
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