3 / 36
3 生活の立て直し
しおりを挟む大学に休学届を出したその足で、舞子はすぐ大家のもとを訪れた。事情を話すと今の部屋の解約はすんなり受け入れてくれた上で、別の物件を紹介してくれた。
今のアパートより更に古い建物の一階にある貸店舗。昔はスナックだったらしいが、もう何年も借り手がいないため格安で貸してくれる。お風呂はないがキッチン設備はある。店の備品も使っていいし、ソファをつなげればベッドになる。冷蔵庫も買わずに済む。家賃が安いのが何よりありがたい。
昼から夕方まではラーメン屋のバイトが見つかった。時間によってはまかないも出るという。これで食費が大幅に削減できる。夜は二十四時間営業のコンビニに雇ってもらえた。深夜は時給が高いからかなりいい稼ぎになる。
新しく部屋を借りる為に取った戸籍謄本を見て、舞子は愕然とした。自分は養子だったのだ。両親だと思っていた二人は、舞子の名で多額の借金を作り、籍を抜いた上で捨てたのだ。
しかし借金完済までずっとアルバイトの掛け持ちでやって行くのは不安が残る。一年や二年で完済できるような金額ではないからだ。舞子はまだ在籍している芸能事務所へ赴いた。
本名、芸名共に上田舞子、四歳の頃からモデルとして活躍し、五歳で映画デビュー。見た目も可愛らしく演技力も高い舞子はあっという間に引っ張りだことなり、朝の連続ドラマで主人公の幼少期を演じ、小さな国民的アイドルとまで言われるようになった。CMにも数えきれないほど出演し、年間本数のトップに立ったこともある。
でも小学校へ上がるとクラスメイトからいじめられるようになってしまった舞子は、芸能界を辞めたいと両親に懇願した。それが八歳の時。たった四年でも莫大な金額を手にした両親はすぐ復帰させるつもりで引退を了承した。
実際には芸能事務所には籍を置いたままで、高校に入った辺りから端役やエキストラ程度の仕事はたまにやっていた。でも本格的に復帰することを頑なに拒んだため、金にならないと判断された舞子は捨てられたのだろう。
七階建てのビルのエレベーターで事務所に向かう。扉が閉まる寸前に入って来たスーツの男が、五階のボタンが既に押してあるのを見て舞子のほうを振り返った。
「あれ、舞ちゃん?」
「おはようございます、沢本さん」
「久しぶりだね~、元気だった?」
沢本は舞子が所属する星川エージェンシーのマネージャーだ。「母親に知られないように別口座を」と進言してくれたのも沢本だった。その頃、沢本は大卒で入社したばかりだったが、何かと舞子を気遣って心配してくれていた一人だった。
「星川社長に相談があって来たんです。もし時間があれば沢本さんにも一緒に話を聞いて欲しいんですけど」
「俺? うん、いいよ。今日はもう外に出ないから、時間あるよ」
沢本は三十代前半だがいつも若く見られる。この業界のマネージャーが若く見られるのはあまり有利なことではないが、沢本はその明るい茶色の地毛と同じくらい、いつも明るく周囲を楽しませてくれるムードメーカーだった。愛嬌のある顔立ちで口も達者な事から、入社した時はお笑い芸人にならないかと社長に説得されかかった過去がある。
沢本と一緒に社長に面会した舞子は、ここ何日かで起きた家庭の事情を話した。
「ふう~ん、そりゃ災難だったねぇ」
星川社長の反応は薄かった。舞子の隣で沢本は驚きのあまり絶句しているのとは対照的だ。
「女優として復帰したいの? でもねぇ一線から退いて大分経つでしょう。どうだろうねぇ」
星川の中で舞子の位置づけはもう最低ランクだった。天才子役としてまだまだ稼げるさ中に突然、引退したいと言い出した舞子を星川は良く思っていなかった。いじめの事情を聞かされていなかった星川は、子供の我がままで引退するのだと思っていたのだ。俳優を続けたくても才能や運がない者は諦めて去るしかない。舞子には才能があった。それに恵まれているだけでも素晴らしい事なのに、なんて贅沢で勿体無い話だ……。
それに今、目の前に座っている二十歳の若者からは魅力が全く感じられない。子役の時の輝きはすっかり失せてしまっている。この子にマネージャーを付けて仕事を世話してやる価値が果たしてあるだろうか? 同世代でもっと見た目のいい子は掃いて捨てるほどいるのに。
「端役からでいいんです、仕事を貰えないでしょうか?」
舞子は食い下がる。沢本も身を乗り出して、返事を渋る星川に迫った。
「僕からもお願いします。舞ちゃんには才能があります、多少のブランクはカバー出来ると思います!」
「じゃあちょっとさ、オーディションを幾つか受けてみてよ。それで行けそうだったらマネ付けて後押しするから」
「じゃあ僕がバックアップします!」
沢本が力強く名乗りを上げた。でも星川の表情は渋いままだ。
「沢本君は『シェーナ』で手一杯でしょ? あの子は今が売り時なんだから手を抜かれちゃ困るよ」
「手を抜いたりなんかしませんよ、この冬の武道館ライブだって絶対成功しますから見ててください」
社長室から出て、舞子と軽く打ち合わせする為に沢本は自分のデスクの横に椅子を持ってきて向かい合わせに座った。事務所は昔とさほど変わらない、雑然としているが活気がある。
「沢本さん、シェーナの担当なんですね。忙しそうですけど、ご迷惑じゃなかったですか?」
「大丈夫、大丈夫。シェーナは去年歌ったアニソンが大当たりして売れっ子になったんだけど、今は武道館ライブに向けて新しいアルバムの制作中だから、僕の出番はあんまり無いんだ」
目尻がクシャッとなる沢本の笑顔は、昔から変わらないと舞子は思った。頼れる人が皆無な中、早めに事務所を訪れて本当に良かったと、この笑顔を見てしみじみと感じる。
よし、まず明日からはバイトに励もう。舞子はその夜、新たな気持ちを抱いてベッド代わりのソファで眠りについた。
数日後、ラーメン屋で昼のまかないを食べている時、舞子はふと大事なことを思い出した。二十六日になれば、あの山崎という人が返済を受け取りに来るのだ。新しい住所を知らせておかなければならない。
「もしもし、上田舞子ですけど……そうです。あの、引っ越したので連絡しました」
名刺を片手に山崎に連絡を入れる。学生同士の気軽な連絡先交換とは違うんだな、と名刺を見つめた。
スマホから能天気なテノールが飛び出した。
「やあ舞ちゃん! 感心だねえ、ちゃんと連絡をくれるなんて。どう? 色々順調かな?」
「はい……バイトが決まって、今は昼休みなのでまた仕事に戻ります。では」
舞子が高額の借金を背負う事になったのは、別に山崎のせいではない。でもどうしてもつっけんどんな態度になってしまう。こちらの窮状を楽しむような軽いノリも好きになれなかった。
最初の支払いは自分の預金から捻出した。始めたばかりのバイトの給料では全く足りなかったからだ。
幾つかオーディションを受けたが、まだメインの役は取れなかった。それでも舞子は、こんなものだと自分に言い聞かせた。ときどき沢本がエキストラの仕事を紹介してくれた。報酬は少ないが、チャンスに繋がることだってある。
諦めずにオーディションを受け続ければ、そのうちにきっと……。
その考えが、舞子を支えていた。しかし彼女はまだ知らない。自分が“役者として致命的な欠落”を抱えていることを。
0
あなたにおすすめの小説
とっていただく責任などありません
まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、
団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。
この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!?
ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。
責任を取らなければとセルフイスから、
追いかけられる羽目に。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
英雄の番が名乗るまで
長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。
大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。
※小説家になろうにも投稿
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
「本当に僕の子供なのか検査して調べたい」子供と顔が似てないと責められ離婚と多額の慰謝料を請求された。
佐藤 美奈
恋愛
ソフィア伯爵令嬢は、公爵位を継いだ恋人で幼馴染のジャックと結婚して公爵夫人になった。何一つ不自由のない環境で誰もが羨むような生活をして、二人の子供に恵まれて幸福の絶頂期でもあった。
「長男は僕に似てるけど、次男の顔は全く似てないから病院で検査したい」
ある日、ジャックからそう言われてソフィアは、時間が止まったような気持ちで精神的な打撃を受けた。すぐに返す言葉が出てこなかった。この出来事がきっかけで仲睦まじい夫婦にひびが入り崩れ出していく。
【完結/番外追加】サリシャの光 〜憧れの先へ〜
ねるねわかば
恋愛
彼女は進む。過去に囚われた者たちを残して──
大商会の娘サーシャ。
子どもの頃から家業に関わる彼女は、従妹のメリンダと共に商会の看板娘として注目を集めていた。
華々しい活躍の裏で、着実に努力を重ねて夢へと向かうサーシャ。しかし時には心ないことを言う者もいた。
そんな彼女が初めて抱いた淡い恋。
けれどその想いは、メリンダの涙と少年の軽率な一言であっさり踏みにじられてしまう。
サーシャはメリンダたちとは距離をおき、商会の仕事からも離れる。
新たな場所で任される仕事、そして新たな出会い。どこにあっても、彼女が夢を諦めることはない。
一方、光に囚われた者たちは後悔と執着を募らせていき──
夢を諦めない少女が、もがきながら光を紡いでいく軌跡。
※前作「ルースの祈り」と同じ世界観で登場人物も一部かぶりますが、単体でお読みいただけます。
※作中の仕事や制作物、小物の知識などは全てフィクションです。史実や事実に基づいていないことをご理解ください。
混血の私が純血主義の竜人王子の番なわけない
三国つかさ
恋愛
竜人たちが通う学園で、竜人の王子であるレクスをひと目見た瞬間から恋に落ちてしまった混血の少女エステル。好き過ぎて狂ってしまいそうだけど、分不相応なので必死に隠すことにした。一方のレクスは涼しい顔をしているが、純血なので実は番に対する感情は混血のエステルより何倍も深いのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる