世界でひとつ、君の歌声〜命を諦めた彼と、夢を賭けた私の再生譚〜

山口三

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18 牽制と再会

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 マイフェアレディの公演が近づき、稽古は毎日行われていた。松島も舞子と同じように、稽古場にも詰めかけるマスコミの取材にさらされていた。モデル上がりの無名な新人俳優が、今や時の人だ。

(俺にとってはいい宣伝になった)と松島はほくそ笑んだ。

 フレディの役の注目度は低かったが、このゴシップのお陰で俺と舞子のパートは大いに注目を集めるはずだ。おまけに動画がバズったお陰で臨時収入も得られたしな。あとはこっそり自分と舞子は付き合ってると陰で噂を流して……舞子には食事でも誘った時に「あの時の事は後悔している、舞台で一緒に仕事して、改めて君を好きになった」とかなんとか言えば、簡単に落ちるだろう。

 舞子と付き合っていれば、この舞台が終わったあとも何かと話題に上るだろうし、今後の仕事の伝手にできる。

 松島はどこまでも舞子を利用する算段だ。

 台本を手にしてはいたが、頭で違う事を考えていた松島は、稽古場がにわかに騒がしくなったのにやっと気が付いた。

「うわ~本物だ、やっば、光ってる、神々しいわ。画面越しと生で見るのとはぜんぜん違う」
「なんだろ、上田さんに用事とか?」

 村井監督と言葉を交わしているのはRAYだった。テーパードフィットのデニムパンツに白いパーカー、白のニット帽のラフなスタイルだが、その立ち姿には凡人の普段着とは違うオーラが漂っている。

 少しして村井はようやくオーディエンスに目を向けた。そろそろみんなの好奇心を満たしてやるか。

「今日はね~特別ゲストだよ。みんなもご存じのRAYさんが遊びに来てくれたよ~~」

 わああっと歓声と拍手が上がる。RAYは帽子を脱いで軽く会釈した。

「今日はせっかくだからこの舞台に因んだ曲を歌おうと思います」

 RAYは舞子を手招きして何か囁いた。舞子も笑顔で頷く。そして村井に合図すると音楽が流れ出した。それはフレディが歌う『君の住む街角』だ。

 これは本来フレディの独唱だが、舞子も一緒に歌った。稽古場は舞台のヒギンズ邸と化し、本番さながらの歌声は稽古場にいた全員を魅了した。

 RAYが来ていることを聞きつけた他のスタッフや出演者たちが、その場に駆け付けていた。歌が終わると全員の温かい拍手が送られる。

「いやぁ、即興で合わせたとは思えない息の合い方だ。流石、ユニットを組んでるだけあるね」

 村井も拍手しながら、感心している。

「ええ~即興なの?」
「さらっと歌えちゃうRAYってやっぱ本当に上手いんだねぇ」
「上田さんとRAYもお似合いだわぁ」

「なんか……フレディの比較対象が」そう言ったスタッフの女の子の視線は松島に向いている。松島が苦々しい顔で振り向くと、その子はさっと目を逸らした。

 な、なんなんだよ! なんで突然やってきてみんなの目の前で俺の歌を披露するんだ! みんながひそひそと叩いている陰口が聞こえる。俺とあいつを比べて俺を笑っている。

 RAYは怒りと屈辱に震えている松島に近づいてきて言った。

「うちの舞子をよろしくお願いしますね。舞台の成功を願ってますよ」

 RAYの差し出した手に仕方なく応じる松島。だがRAYの右手には恐ろしい力がこもっていた。RAYは握手しながら松島に囁く。

「舞ちゃんの足を引っ張らないでくれよ」

 RAYは沢山の差し入れを置いて帰って行った。その後ろ姿を見送りながら、村井は呟いた。

「けん制だな、ありゃ」
 

 舞子の舞台「マイ・フェア・レディ」は大好評のうちに千秋楽を迎えた。

 『基本的な歌唱力が高い上に、安定した演技の実力がある。また上田のイライザにはこれ以上ないキュートな魅力に溢れており、全てにおいて引き込まれる。二幕の舞台が短すぎてもっと見ていたいと思わされる』と、辛口の批評家からも最大級の賛辞が贈られた。

 対する松島は散々だった。歌もさることながら、演技も芝居などとはとても呼べず、このモデル出身のタレントを起用した意味が分からないと酷評されてしまった。

 松島の目論見は崩れ去り、今後の仕事は激減していくことになる。舞子と付き合っているという噂を流そうとしたが、うまくいくはずもなかった。

 


 この舞台をきっかけに舞子にはミュージカルのオファーが殺到した。沢山のオファーの中からスケジュールに合う、好きな脚本を選べる立場に舞子はなった。RAYとのユニット活動で新曲を出す頻度は下がったが、止めることもなかった。
 
 舞子はたまたま自宅近くでの仕事を終え、一人でマンションに帰宅した。松島の件はある時から動画がネット上から削除され、舞台も終わった今、マスコミがマンション前で待ち伏せることもなくなった。だから「舞子、久しぶりね」と声を掛けられた時、舞子は驚いて飛び上がりそうになった。

「ど、どなたですか?」

 マンション前の灌木の茂みから出て来たのは、舞子の育ての親の悦子だった。昔と変わらず、キツイ化粧に明るく染めた髪、服装も原色使いの派手なセットアップだ。「どなたなんて、他人行儀な。お母さんでしょ」

「どうしてここに……」

「舞子ったら、ほんとにどうしちゃったの。母親が娘に会いに来るのは当然でしょ」

 その母親が娘に借金を背負わせて、行方をくらますのは当然の事なの? 舞子は喉元まで出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。

「ここではなんだから、部屋に入れてちょうだいよ。あんただって人目に付くのは嫌でしょ」

「お母さんと一緒にいるのを人に見られても、私は全然平気かな。だって母親なんだから立ち話くらい当然するよね」

 舞子にやり返されて、悦子はカッとなった。(昔はおどおどして、私に楯突くことなんて一度もなかったのに。芸能界に復帰して売れ出したからって生意気になって)

 育ててやった恩も忘れて、という非難を今度は悦子が飲み込む番だった。

「でもねぇ、小雨も降って来たし……」

「エントランスに入ろう。来客用のソファがあるから、用件はそこで聞くね」

 舞子が沢本と相談してやっと決まったこのマンションは、閑静な住宅街にあった。著名人が多く住んでいるような界隈でもなく、タワーマンションが立ち並ぶ場所でもない。マンション自体もいたって普通の建物だ。管理人も通いで昼間だけ来ている。

 エントランスの左奥に備えられた簡単な応接セットまで来ると、悦子は退屈そうに辺りを見回した。

「思ったより普通ねえ。もっと立派なところに住んでると思ったのに」

「どうして来たの?」母親の感想は無視して舞子が尋ねた。内心では分かり切っていることだったが、もしかしたら、もしかしたらただ単に私に会いに来てくれたのかもしれない。

「そんなの、舞子に会いたかったからに決まってるじゃない」気味の悪い猫なで声を出しながら悦子は笑う。

 違う、きっと嘘だ。そう思いながらも、母親の笑顔を信じたい自分がいるのを舞子は意識していた。(でも気を強く持たなきゃ……)

「じゃあもういいね、私、明日は早いからもう部屋に帰らないと」

「まっ、今来たばかりじゃないの。そうだ! 夕飯は? 久しぶりにお母さんが作ってあげようか」

 執拗に食い下がる悦子に、不信感が募った舞子は強く首を横に振った。

「いらない。じゃあね、お母さん」

 舞子はエレベーターまで駆けた。後ろで悦子が自分の名前を呼ぶ声をかき消すように上りのボタンを何度も押す。

 追ってきてはいない。扉の開いたエレベーターに飛び込んだ舞子は、そのままエントランスの方を見ないように六階のボタンを押した。

 ほんの数分の再会だった。特に何かがあったわけではない、沢本に報告するほどのことではないと舞子は判断した。


 だが数日後、また悦子はやって来た。

「舞子~今日はお弁当を作って来たわよ」

「お母さん……」

 お茶を淹れてあげるから一緒にお弁当を食べよう、という悦子をなんとか諦めさせて部屋に戻る。母親とのやりとりは仕事より疲れるかもしれない、と舞子はため息をついた。

 借金を背負ってからは今まで以上に物を大切にするようになっていた。手渡されたお弁当を捨てる気にはなれず、そっとフタを開けてみる。見た目には美味しそうなお弁当だ。

 コロッケや唐揚げは冷凍食品の味がした。ごはんは多分、パックごはんを温めたもの。だが卵焼きだけは手作りだ。子供の頃から慣れ親しんだ味。舞子の胸に熱いものが込み上げてきた。と、怜からNINEが入った。

『舞ちゃんお疲れ様。夕飯まだだったら一緒にどう?』

『残念、ちょうどお弁当を食べ終わったところでした』

『そっか~でも明日は歌番組の仕事で一緒だね、舞ちゃんに会えるのが楽しみだよ』

 つい三日前に会ったばかりなのに。そう思いながらも怜の言葉に口元が緩む舞子だった。


 それからも悦子はお弁当攻勢を仕掛けてきた。舞子の帰宅が遅かった日は、宅配ボックスに入れられていることもあった。そんなある日、悦子は重そうなスーパーの買い物袋を下げて舞子を待ち構えていた。

「お母さん、もうお弁当なら……」

「違うのよ、今日は温かいものを食べさせてあげようと思って買い物してきたの。カレーの材料よ!」

 たいそうな戦利品を掲げるように、悦子はじゃがいもやらが入った袋を持ち上げた。

 とうとう舞子は根負けした。仕方ない、とため息交じりに悦子を部屋へ招じ入れる。

「今回だけだからね」







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