世界でひとつ、君の歌声〜命を諦めた彼と、夢を賭けた私の再生譚〜

山口三

文字の大きさ
21 / 36

21 額の温度

しおりを挟む

 怜が舞子に気持ちを打ち明けて間もなく、週刊誌に記事が出てしまい、そのせいで事務所から二人きりで会うことを制限されてしまっていた。お互いソロの仕事が重なっていたから、タイミング的には良かったと言えるかもしれないが。

 怜は次のアルバム制作に向けて、曲作りに専念できるよう仕事を少し減らしていた。舞子は新しいミュージカルの稽古に入っていたが、思わぬ壁が立ちはだかる。それはダンスだった。

 「マイフェアレディ」の公演にもダンスシーンはあったが、高度な技術は必要としなかった。だから舞子にも難なくこなすことができた。

 ところが今度のミュージカルには激しいダンスシーンが盛りだくさんで、舞子はかなり苦戦していた。

 今日もひとり稽古場に残り、ダンスの練習をしていた舞子に、怜から電話が入った。

『舞ちゃん、今どこ?』
「稽古場だよ。あっ、ごめんなさい。すっかり忘れてて……」

『遅いからそうじゃないかと思ってたんだぁ。どう、すぐ来られそう?』
「えーと、今から着替えてタクシー捕まえて……三十分くらいで行けると思う」
『じゃあ待ってるね』

 ところが道路が混んでいて、舞子が着いたのは電話から一時間近く経ったあとだった。以前に来たことのある、個室の焼き肉屋だ。

「ご、ごめんなさい。道が混んでて」
「うん、大丈夫、先に少し食べてたし。ね、こっちへおいでよ、隣に座って」

 怜は、当然のように向かい側に座った舞子を手招きした。邪気のないにこやかな笑顔を無視できず、舞子は少し間を空けて隣に座った。

「ええ~どうしてその距離感なの?!」

 もじもじしている舞子に、怜は自分からすり寄っていった。キスしようと顔を近づけたが、舞子が下を向いてしまう。

「どうしたの?」
「私、急いで来たからシャワー浴びてないの。きっと汗臭いと思う……」

「なあんだ。ぜんぜん大丈夫だよ、臭くないのに」

 舞子は年頃の女の子だ、しかも二十三歳で男性と付き合ったことはおろか、恋愛すら初めてで戸惑うことも多かった。ダンスの練習で汗だくになった舞子が、好きな人にくっついて座れるわけがない。

「俺、嫌われちゃったかと思ったよ~」

 怜は大丈夫なのにな、と少し不満げである。舞子は慌てて手を振った。

「そ、そんなこと! わ、私は怜さんがす、好きですから」

「ホントに?! やった、俺たち相思相愛なんだ。良かった、安心したよ。この間も、俺がちょっと強引だったんじゃないかって不安だったんだ」

「うん、相思相愛かも……」

「さっきちょっと敬語に戻ったね」

「え?」

 意識していなかったことを指摘されて、思わず舞子は顔を上げた。

「隙あり!」

 怜は舞子の唇を素早く奪い、にやりと笑う。

「俺も好きだよ」

 恥ずかしさと驚き、そして怜の無邪気な笑顔に魅了された舞子は、顔から湯気が出そうな感覚を覚えつつ、やけくそ気味に箸を手に取った。

「お、お腹すきました! 食べましょう」

 美味しそうに焼肉を頬張る舞子を、怜は楽しげに眺めていたが、ふと疑問が頭をよぎった。

「そういえば今まで稽古してたの? この時間まで?」

「あっ、うん……ダンスで苦戦してるの、すっごく難しい。私ってリズム感がないのかなぁ」

「じゃあさ、今度俺がダンスを見てあげるよ。自宅の地下スタジオに籠ってると鬱々としてくるから、ちょっと気分を変えたいと思ってたところだから」

(ひとりで黙々と練習するより、客観的に見てもらった方がいいかもしれない。特に怜さんはアイドルグループにいて、ダンスも上手かったと聞くし)

 それを口実に二人で会える。その嬉しさもあって、帰宅する舞子の足取りは軽やかだった。

 翌日、舞子のオフの日に貸しスタジオを借りて、彼女のダンスを見てもらうことになった。タブレットで見本のダンスを流す。それから舞子は自分のダンスを披露した。

「あ~これは確かに難しいね。舞ちゃんはリズム感はあると思うよ。なんていうのかな、筋力が足りてないのかな。動きが追いついてない所があるね」

 怜はタブレットを見ながら同じ動きを再現してみせる。何度かやっているうちにほぼ完璧に踊れるようになっていた。

「うわ~さすがアイドルやってただけある。もうこんなに踊れちゃうんだ」

 踊っている怜を舞子は初めて見た。軽やかで生き生きしててすごくカッコいい! 足を怪我したことがあるなんて思えないくらい……そうだ、確かそれが原因でアイドルをやめたんじゃ……。

 舞子がそう思った時だった、怜の顔が苦痛に歪んだと思うと、その場に倒れこんでしまった。

「うっ、くぅっ」
「怜さん、大丈夫!? 怜さん!」

 激しい運動は無理だと言われていた。でもこうして踊ってみると体は以前と同じように動く。しばらく踊っていなかったとは思えないくらい、軽くステップを踏むことが出来た。医者の言うことなんて当てにならない━━怜すらそう思っていた。

 だが杭を打ち込まれたような激痛が頭部を襲った。体を動かすことすらままならない。痛みで力が入らず、手足が震える。

「ごめんなさい、私がダンスを見てくれなんて言ったから」

 驚いて駆け寄った舞子は動揺して何度も謝る。違う、舞ちゃんが悪いんじゃない。これは……違うんだ。

「ま、舞ちゃんのせいじゃない、から」

「でも、でも。どうしよう、どうしよう……あ、そうだ! 救急車!」

「待って、大丈夫だから」
「でも、もし筋とかが切れてたら……」

 舞子は、怜が足のケガのせいで転倒したと勘違いしている。頭の近くで響く舞子の声が、怜には堪え難かった。

「大丈夫だって言ってるだろ! 少し静かにしてくれっ」

 怜の荒らげた声に、舞子の肩がビクッと反応した。「ご、ごめんなさい」

 舞子はバッグからタオルを取り出し、水で濡らして来て怜の足に当てようとしたが、怜はそれを頭に当てて目を閉じた。

 しばらく冷やしていると痛みが僅かに引いてきて、どうにか立ち上がれるようになった。

 怜は、タクシーを呼んで一人で帰ってしまった。

 久しぶりに会えたのに、こんな事になって……怜さんすごく怒ってた。痛めた足が悪化したらどうしよう、ちゃんと病院に行ってくれたらいいんだけど。NINEで謝っておこう。

 その日は怜からの返事はなかった。四、五日してやっときたNINEには病院に行ったが異常は無かった、心配しないでほしいと事務的に書かれていた。

 だが連絡が来たのはそれが最後だった。

 舞子も怜に言われたことを参考に、筋力作りのためにジムに通い始めた。舞台の稽古、トレーニング、M-Yとしての活動や諸々で、怜と連絡を取っていないと気づいたのは、あれから三週間も経ってからだった。


「今回のミュージカルも相当な評判だよ、ダンス、歌、演技。上田舞子に欠点はないのか? って書かれてたよ」

 ようやく千秋楽を迎えた今日、達成感と安堵が舞子を満たしていた。(沢本さんはまるで自分のことのように喜んでくれる)沢本の態度は自分に自信を与えてくれる頼もしいものだった。でも怜のことが気掛かりで素直に喜べない。

 ところがタイミングよく怜からNINEが入った。『千秋楽お疲れ様、近いうちに会える?』

 怜が指定してきたのは意外な場所だった。それは舞子が以前住んでいたスナックの空き店舗の近く、稲荷神社のある丘だった。

「こんな朝早くにごめんね」

「大丈夫だよ、舞台が終わってやっと終日休みが取れたから」

 なぜこんな場所を選んだのだろう。私がここの近くに住んでいたことは話してないと思うけど━━怜の態度は以前と変わってないように感じたが、顔色が悪い。なんとなく不吉な予感が拭えない。

「俺たちがはじめて会ったのはここなんだよ。俺、舞ちゃんに蹴飛ばされたんだから」

「えっ、ここ? 蹴飛ばされ……えっ、お稲荷様??」

「はは、思い出した?」

「私、ずっとあれはお稲荷様だって信じてた。やだ、なんでもっと早くに言ってくれなかったの」

「だって、からかっただけなのに本当に信じるからさ、面白くて」

 怜の態度が急に変わり、言葉に少し意地の悪さが滲んで聞こえる。

「え……」

「だけどもうつまらなくなっちゃって、飽きたって言うのかな。だからここまでにしよう。今まで楽しかったよ、ありがとね」

 何が起きているのか分からない。呆然と立ち尽くす舞子の額に、怜は軽くキスして、そのまま背を向けた。

 砂利を踏む音が聞こえ、怜が去っていく気配がする。だが舞子は振り返ることが出来ずに、無意識に震える手が額に触れた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

とっていただく責任などありません

まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、 団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。 この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!? ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。 責任を取らなければとセルフイスから、 追いかけられる羽目に。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

英雄の番が名乗るまで

長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。 大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。 ※小説家になろうにも投稿

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

お兄様「ねえ、イケナイ事をしよっか♡」

小野
恋愛
父が再婚して新しく出来たお兄様と『イケナイ事』をする義妹の話。

「本当に僕の子供なのか検査して調べたい」子供と顔が似てないと責められ離婚と多額の慰謝料を請求された。

佐藤 美奈
恋愛
ソフィア伯爵令嬢は、公爵位を継いだ恋人で幼馴染のジャックと結婚して公爵夫人になった。何一つ不自由のない環境で誰もが羨むような生活をして、二人の子供に恵まれて幸福の絶頂期でもあった。 「長男は僕に似てるけど、次男の顔は全く似てないから病院で検査したい」 ある日、ジャックからそう言われてソフィアは、時間が止まったような気持ちで精神的な打撃を受けた。すぐに返す言葉が出てこなかった。この出来事がきっかけで仲睦まじい夫婦にひびが入り崩れ出していく。

【完結/番外追加】サリシャの光 〜憧れの先へ〜

ねるねわかば
恋愛
彼女は進む。過去に囚われた者たちを残して── 大商会の娘サーシャ。 子どもの頃から家業に関わる彼女は、従妹のメリンダと共に商会の看板娘として注目を集めていた。 華々しい活躍の裏で、着実に努力を重ねて夢へと向かうサーシャ。しかし時には心ないことを言う者もいた。 そんな彼女が初めて抱いた淡い恋。 けれどその想いは、メリンダの涙と少年の軽率な一言であっさり踏みにじられてしまう。 サーシャはメリンダたちとは距離をおき、商会の仕事からも離れる。 新たな場所で任される仕事、そして新たな出会い。どこにあっても、彼女が夢を諦めることはない。 一方、光に囚われた者たちは後悔と執着を募らせていき── 夢を諦めない少女が、もがきながら光を紡いでいく軌跡。 ※前作「ルースの祈り」と同じ世界観で登場人物も一部かぶりますが、単体でお読みいただけます。 ※作中の仕事や制作物、小物の知識などは全てフィクションです。史実や事実に基づいていないことをご理解ください。

混血の私が純血主義の竜人王子の番なわけない

三国つかさ
恋愛
竜人たちが通う学園で、竜人の王子であるレクスをひと目見た瞬間から恋に落ちてしまった混血の少女エステル。好き過ぎて狂ってしまいそうだけど、分不相応なので必死に隠すことにした。一方のレクスは涼しい顔をしているが、純血なので実は番に対する感情は混血のエステルより何倍も深いのだった。

処理中です...