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24 血のつながり
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山崎は幼い頃に両親を亡くしていた。
父親は顔も覚えていないほど、幼い頃に。母親は山崎が十五歳のとき、まだやっと三歳になったばかりの妹を残して。
妹は親類筋に引き取られたと聞く。もう二度と会うことはないだろうと、山崎は思っていた。あの日までは。
「お前、歌がうまいんだって?」
そう言って歌を聞いた、あの日だ。それは予感めいたものだったのかもしれない。ふと懐かしい曲が頭に浮かんだのだ。
歌い終えたあと、誰よりも早く拍手をしたのはスタッフだった。むさくるしい事務所の男たち。
山崎は拍手をしなかった。
いや、できなかった。
その声を、知っていたからだ。
声質はそっくりだ。
フレーズの入りで一拍、ほんのわずかに呼吸が遅れる癖。
高音に行く前、無意識に肩が上がるところまで。
——昔、何度も聞いた。
昼、散歩道で。夜は電気を消した部屋で。
「……嘘だろ」
母は、いつもこの曲を歌っていた。母と子でこんなにも似るものなのか。
調べるのに時間はかからなかった。戸籍、経歴、母親の名前。
山崎は書類を机に伏せ、しばらく動かなかった。
妹だった。
元気で、生きていた。
それだけで、十分だった。
近くにいる必要はなかった。だが、何かあったとき、手を伸ばせる距離にはいたかった。だから、佐々木に部屋を与えた。偶然を装う口実も、全部用意した。
名乗るつもりはなかった。
——兄だと知られたら、舞子は自由じゃなくなる。
だが、舞子への脅威は俺の身元だけではなかった。舞子を育てた養父母がクズだったのだ。
ああいう奴らは繰り返す。舞子がズタズタになるまで、利用し尽くそうとするだろう。黙って見ているわけにはいかない。
連絡先を辿るのは、簡単だった。
悦子と研次は、相変わらずだった。住む場所を転々とし、金が尽きるたびに誰かに寄りかかる。
山崎は、舞子の名前を出さずに、二人を呼び出した。
指定したのは、昼と夜の境目が曖昧な、場末の喫茶店だった。
「久しぶりだな」山崎は腰を下ろし、淡々と言った。
「あの子に近付くな」
一瞬、店内の空気が止まった。だが先に笑ったのは、悦子だった。
「やっぱり、そうだったのね」
その声は、確信に満ちていた。
「似てると思ったのよ。私と会ったことがあるの、覚えてないでしょ」
山崎の指先が、わずかに動いた。
「知られたくないんでしょう?」
悦子は、カップを置き、身を乗り出した。
「あの子に、兄がいるってこと。それも――こんな兄が」
研次が、にやりと笑った。
「黙っててほしかったら、分かるよな」
山崎は、しばらく二人を見ていた。
その視線には、怒りも驚きもなかった。あったのは、確信だけだった。接触したのは失敗だった。
山崎は、テーブルの上に置かれた二つのカップを見下ろした。
片方は、まだ湯気が立っている。片方は、もう冷めきっていた。
どちらも、誰の手も伸びていない。
「金の話なら、今日はしない」
低く言うと、研次が舌打ちした。「強気だな。立場、分かってんのか」
山崎は視線を上げなかった。
どうする? 一度でも払えば終わらないだろう。
だが断れば?
悦子の目には、もう計算しかなかった。 “次”を考えている目だ。
山崎は、静かに立ち上がった。「……分かった」
その一言に、二人の顔が緩む。だが次の瞬間、山崎は踵を返した。
「今日は、ここまでだ」
「は?」
「忠告だ。二度目はない」
扉に手を掛けたところで、悦子が笑った。
「逃げられると思ってるの?」
山崎は振り返らなかった。
外に出ると、夕方の光がやけに眩しかった。
——ここから先は、戻れない。
それだけは、はっきり分かっていた。
父親は顔も覚えていないほど、幼い頃に。母親は山崎が十五歳のとき、まだやっと三歳になったばかりの妹を残して。
妹は親類筋に引き取られたと聞く。もう二度と会うことはないだろうと、山崎は思っていた。あの日までは。
「お前、歌がうまいんだって?」
そう言って歌を聞いた、あの日だ。それは予感めいたものだったのかもしれない。ふと懐かしい曲が頭に浮かんだのだ。
歌い終えたあと、誰よりも早く拍手をしたのはスタッフだった。むさくるしい事務所の男たち。
山崎は拍手をしなかった。
いや、できなかった。
その声を、知っていたからだ。
声質はそっくりだ。
フレーズの入りで一拍、ほんのわずかに呼吸が遅れる癖。
高音に行く前、無意識に肩が上がるところまで。
——昔、何度も聞いた。
昼、散歩道で。夜は電気を消した部屋で。
「……嘘だろ」
母は、いつもこの曲を歌っていた。母と子でこんなにも似るものなのか。
調べるのに時間はかからなかった。戸籍、経歴、母親の名前。
山崎は書類を机に伏せ、しばらく動かなかった。
妹だった。
元気で、生きていた。
それだけで、十分だった。
近くにいる必要はなかった。だが、何かあったとき、手を伸ばせる距離にはいたかった。だから、佐々木に部屋を与えた。偶然を装う口実も、全部用意した。
名乗るつもりはなかった。
——兄だと知られたら、舞子は自由じゃなくなる。
だが、舞子への脅威は俺の身元だけではなかった。舞子を育てた養父母がクズだったのだ。
ああいう奴らは繰り返す。舞子がズタズタになるまで、利用し尽くそうとするだろう。黙って見ているわけにはいかない。
連絡先を辿るのは、簡単だった。
悦子と研次は、相変わらずだった。住む場所を転々とし、金が尽きるたびに誰かに寄りかかる。
山崎は、舞子の名前を出さずに、二人を呼び出した。
指定したのは、昼と夜の境目が曖昧な、場末の喫茶店だった。
「久しぶりだな」山崎は腰を下ろし、淡々と言った。
「あの子に近付くな」
一瞬、店内の空気が止まった。だが先に笑ったのは、悦子だった。
「やっぱり、そうだったのね」
その声は、確信に満ちていた。
「似てると思ったのよ。私と会ったことがあるの、覚えてないでしょ」
山崎の指先が、わずかに動いた。
「知られたくないんでしょう?」
悦子は、カップを置き、身を乗り出した。
「あの子に、兄がいるってこと。それも――こんな兄が」
研次が、にやりと笑った。
「黙っててほしかったら、分かるよな」
山崎は、しばらく二人を見ていた。
その視線には、怒りも驚きもなかった。あったのは、確信だけだった。接触したのは失敗だった。
山崎は、テーブルの上に置かれた二つのカップを見下ろした。
片方は、まだ湯気が立っている。片方は、もう冷めきっていた。
どちらも、誰の手も伸びていない。
「金の話なら、今日はしない」
低く言うと、研次が舌打ちした。「強気だな。立場、分かってんのか」
山崎は視線を上げなかった。
どうする? 一度でも払えば終わらないだろう。
だが断れば?
悦子の目には、もう計算しかなかった。 “次”を考えている目だ。
山崎は、静かに立ち上がった。「……分かった」
その一言に、二人の顔が緩む。だが次の瞬間、山崎は踵を返した。
「今日は、ここまでだ」
「は?」
「忠告だ。二度目はない」
扉に手を掛けたところで、悦子が笑った。
「逃げられると思ってるの?」
山崎は振り返らなかった。
外に出ると、夕方の光がやけに眩しかった。
——ここから先は、戻れない。
それだけは、はっきり分かっていた。
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