世界でひとつ、君の歌声〜命を諦めた彼と、夢を賭けた私の再生譚〜

山口三

文字の大きさ
26 / 36

26 ニュース

しおりを挟む

 それを知ったのは、ニュースでだった。

 朝、テレビをつけっぱなしにしたままストレッチをしていた舞子は、キャスターの声にふと動きを止めた。画面には、見覚えのないアパートの外観と、赤いテロップ。

 ――都内で発生した事故。

 詳細は語られなかった。身元、動機、背景。どれも「現在調査中」という言葉でまとめられていた。

 けれど、名前だけははっきりと耳に残った。

 舞子は、ゆっくりと呼吸を整えた。

 涙は出なかった。恐怖も、怒りも、遅れてやってくる気配すらない。ただ、何かがすとんと抜け落ちたような感覚だけが残っていた。

 でも、お母さん……あの人のところへ行ってみるべきだろうか? ニュースではお母さんがどういう状況なのか、何も分からなかった。

 何も行動しないのは、薄情だろうか? いや、私を戸籍から抜いて縁を切ったのは向こうの方だ。私たちはもう家族じゃない。

 リビングのテーブルには、英語の台本と、オーディション用の楽譜が広げられている。

 ブロードウェイ。この先の人生を左右するかもしれない、大きな舞台。

 指でページをなぞっても、文字が頭に入ってこなかった。

 音を取ろうとキーボードの鍵盤に触れても、指先がどこか他人のもののように動かない。

(集中しなきゃ)

 そう思うたびに、意識は逆に散っていった。

 怜からの連絡は、当然ない。

 山崎の姿も、あれから見ていない。

 理由を考えようとすると、頭の中で何かが拒絶するように霧がかかる。

 舞子は楽譜を閉じ、両手で顔を覆った……。



 その日の昼前、スターフォックスの事務所でも、同じニュースが流れていた。

 モニターに映る速報テロップを、沢本は立ったまま見つめていた。
 舞子の養父母の名前が読み上げられた瞬間、無意識に歯を食いしばっている自分に気づく。

(なんてこった……)

 舞子には、まだ何も言っていない。言うべきか、言わざるべきか、その判断すらついていなかった。

 そこへ、受付から内線が入る。

「沢本さん、警察の方が……上田さんにお話があるそうです」

 沢本は一瞬だけ目を閉じ、それから静かに頷いた。

「通して。僕も同席する」

 応接室に現れた刑事は真鍋と名乗った。四十代半ばほどの男。柔らかい口調で名刺を差し出し、形式的な挨拶を済ませる。

「突然お時間をいただいて、すみません。あくまで確認のためです」

 舞子は背筋を伸ばし、小さく頭を下げた。

 借金の話が出たのは、そのあとだった。

「養父母の方が、過去に金銭的なトラブルを抱えていたことはご存じでしたか」

「……はい。でも、もう返しています」

 舞子ははっきりと言った。

「全部、私が。契約書も残っています」

 刑事は手帳に目を落とし、軽く頷く。

「ええ、こちらでも確認しています。ですから、上田さんを疑っているわけではありません」

 その言葉に、沢本がわずかに息を吐いた。

「ただ、周辺状況として、念のためお話を伺っているだけです」

 刑事は続けて、容疑者の人相を簡単に説明した。年齢、体格、目つき。

 舞子の胸の奥が、かすかにざわつく。

(……似てる)

 ありえない、理性はそう言っていた。それでも、脳裏に浮かんだのは、山崎の横顔だった。

 低い声。煙草の匂い。「無理してないか」と、あの夜に言われた言葉。

 舞子は首を横に振った。

「心当たりは、ありません」

 刑事はそれ以上踏み込まず、話題を切り替えるように言った。

「それと……これは捜査上の補足ですが、戸籍から籍を抜かれたのには、何か理由が? 悦子さんは、上田さんのお母様の妹にあたりますよね?」

 何気ない調子だった。

 舞子は、一瞬言葉を失った。

「……え?」

 刑事は、しまったという顔をするでもなく、淡々と続ける。

「戸籍上の記録です。ですから、完全な他人というわけではなく――」

 舞子の耳には、その先がほとんど入ってこなかった。

(母の……妹?)

 血のつながり。それは、舞子がこれまで想像してこなかった関係だった。

 自分は、捨てられたのだと思っていた。望まれず、置き去りにされたのだと。

 けれど――違ったのかもしれない。

 事故、死別……。どうしようもなく、ひとりになっただけだったのかもしれない。

 胸の奥が、じんわりと揺れる。安心と呼ぶには、まだはっきりとした形はなかったが。

「……そう、なんですね」

 舞子は、静かにそう答え、肝心な質問に答えていなかったと気付き、付け足した。

「戸籍は、母が……養母が抜いたんだと思います。たぶん、借金のことで。借金の名義を私にしてましたから」

「なるほど」刑事は短く返した。

(毒親か、死んだ人間のことを悪く言いたくはないが、上田夫婦の評判とも一致するな)

 刑事は一礼し、必要な確認は以上です、と言って席を立った。

 応接室に残った沈黙の中で、沢本が舞子の横顔を見る。舞子は、泣いていなかった。けれど、その表情は、どこか遠くを見ているようだった。

「悦子さんの入院している病院へ、行ってみる?」

 沢本は何気ない調子で舞子に尋ねた。まるで「コンビニへ行ってみる? とでも言うように。

 少しの沈黙。

「いえ、これで終わった、って思うようにします。もう二人が私を悩ますこともないんだと考えると、私、結構すっきりしてます」

 舞子は沢本に笑顔を向けた。強がりではない、憑き物が落ちたような晴れやかな笑顔だ、と沢本はほっとした。

「あ、そうだ。戸籍とか調べたいんですけど、自分が動くのはやっぱりやめておいたほうがいいでしょうか?」

「ああ……そうだね、委任状を作ろう。僕が役所へ行くよ。マスコミが嗅ぎつけたら、またある事ない事書かれるだろうから」

 本当の両親……悦子と研次が養父母だと知ったとき、実の親のことを考えなかったわけではない。でも日々に忙殺されて、すっかり頭の隅に追いやられていたのだ。

 入院中の悦子の意識が戻り次第、聞くのが一番早いだろう。でももうあの人とは関わりたくない。

 舞子は沢本が用意した紙面に向かってペンをとった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

とっていただく責任などありません

まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、 団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。 この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!? ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。 責任を取らなければとセルフイスから、 追いかけられる羽目に。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

英雄の番が名乗るまで

長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。 大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。 ※小説家になろうにも投稿

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

お兄様「ねえ、イケナイ事をしよっか♡」

小野
恋愛
父が再婚して新しく出来たお兄様と『イケナイ事』をする義妹の話。

「本当に僕の子供なのか検査して調べたい」子供と顔が似てないと責められ離婚と多額の慰謝料を請求された。

佐藤 美奈
恋愛
ソフィア伯爵令嬢は、公爵位を継いだ恋人で幼馴染のジャックと結婚して公爵夫人になった。何一つ不自由のない環境で誰もが羨むような生活をして、二人の子供に恵まれて幸福の絶頂期でもあった。 「長男は僕に似てるけど、次男の顔は全く似てないから病院で検査したい」 ある日、ジャックからそう言われてソフィアは、時間が止まったような気持ちで精神的な打撃を受けた。すぐに返す言葉が出てこなかった。この出来事がきっかけで仲睦まじい夫婦にひびが入り崩れ出していく。

【完結/番外追加】サリシャの光 〜憧れの先へ〜

ねるねわかば
恋愛
彼女は進む。過去に囚われた者たちを残して── 大商会の娘サーシャ。 子どもの頃から家業に関わる彼女は、従妹のメリンダと共に商会の看板娘として注目を集めていた。 華々しい活躍の裏で、着実に努力を重ねて夢へと向かうサーシャ。しかし時には心ないことを言う者もいた。 そんな彼女が初めて抱いた淡い恋。 けれどその想いは、メリンダの涙と少年の軽率な一言であっさり踏みにじられてしまう。 サーシャはメリンダたちとは距離をおき、商会の仕事からも離れる。 新たな場所で任される仕事、そして新たな出会い。どこにあっても、彼女が夢を諦めることはない。 一方、光に囚われた者たちは後悔と執着を募らせていき── 夢を諦めない少女が、もがきながら光を紡いでいく軌跡。 ※前作「ルースの祈り」と同じ世界観で登場人物も一部かぶりますが、単体でお読みいただけます。 ※作中の仕事や制作物、小物の知識などは全てフィクションです。史実や事実に基づいていないことをご理解ください。

混血の私が純血主義の竜人王子の番なわけない

三国つかさ
恋愛
竜人たちが通う学園で、竜人の王子であるレクスをひと目見た瞬間から恋に落ちてしまった混血の少女エステル。好き過ぎて狂ってしまいそうだけど、分不相応なので必死に隠すことにした。一方のレクスは涼しい顔をしているが、純血なので実は番に対する感情は混血のエステルより何倍も深いのだった。

処理中です...