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6 初めてのダンスレッスンとジェリコの呟き
しおりを挟む「ランディスさん、よろしくお願いします」
「こちらこそ、クリコット令嬢」
はにかんで微笑む口元からバリトンの声が響く。ゲーム上であてられていた声と似ている。私はこのレニーの声も好きだった。うっとりとレニーに見とれてしまい音楽が始まったのに私は気づかなかった。
「お手をどうぞ、音楽が始まりましたよ」
「あっ、失礼しました」
はぁ、嫌だわ。うっかり見とれてしまって。涎なんか垂れてなかったでしょうね。思わず手で口元を確認してしまう。
ジェリコルートではレニーの登場は少ない。でもストーリー上はレニーも聖女に好意を持っている。私はその聖女に嫌がらせをする悪役ジーナだから、レニーに嫌われていたらどうしようかと心配していたが、杞憂だったみたい。
レニーは男兄弟ばかりで女性に対して免疫がついていない。ダンスも下手ではないがぎこちなかった。ここは私が緊張をほぐして差し上げないと!
「先日のチーズケーキはいかがでしたか? チーズがお好きと聞いてましたので…」
「チーズケーキ……ああ! アロイスが持ってきてくれた!」
もう『アロイス』と名前で呼び合う仲になったのね。いい調子ね、アロイス!
「あれはクリコット令嬢が用意された物だったんですね」
「ええ、実は私の手作りなんです。家の庭で採れたレモンを使ってみたんですよ。あ、同級生なのでため口で結構ですわ」
バートレットベーカリーで試食させてもらったチーズケーキ。私はあれの作り方をバートレットさんに教わった。食費節減の為に庭には菜園を作り、元々あった果樹は大いに役立っている。そしてレニーがチーズが好きな事はゲームの人物紹介で得た知識だ。
「ああ、そうします。俺はどうも堅苦しいのは苦手で。それにしてもあれはとても美味しかったよ。甘いものは苦手だけど、あれなら何個でもいけそうだ」
「良かったわ、お気に召して。それに私も堅苦しいのは好きじゃないわ」
そう言って笑うとレニーも笑顔を見せてくれた。
チーズケーキ作戦は上々。胃袋を掴むのは鉄板よね。さて、アロイスの方はどうかしら。クレアとアロイスは3組ほど隔てた向こうで踊っていた。
アロイスの口元が引きつっている。憧れの聖女様とのダンスに緊張しているのがはた目にもよく分かるわ。でも私の予想を裏切って、アロイスはダンスが上手だった。騎士科専攻ではないから運動神経に自信がないのかと思っていたけど、踊っている様子を見る限りそんな事も無さそうだ。
でも視線をレニーに戻すと、レニーもアロイスとクレアを見ていた。
「クレア様はダンスにはあまり自信がないとおっしゃっていたけど、ああして踊るお姿は優美だね。聖女様だし女神の様にも見える……」
レニーの表情はきっと、さっき私がレニーに見とれていた顔と同じだろう。
はああ、レニーのハートを射止めるのはまだまだ時間がかかりそうだわ。
「あああ~切ないわぁ。ダンスの間中ずっとレニーはクレアを見てたのよ!」
「ずっとじゃないだろ。いくら運動神経がいいレニーでも、集中してないとヘマするんじゃないか」
「それでアロイスの方こそ、クレアとどんな話をしたのよ?」
レニーとパートナーを組んで初めてのレッスン後、私とアロイスは秘密の相談場所である旧校舎の中で報告会をしていた。
「大した事は話してない。ラスブルグには慣れたかとか、困っている事はないかとか、そんな感じだ」
「へえ~、困ってる事を聞くなんて紳士的で好感度アップなんじゃない?」
「お前の方こそ、レニーがチーズケーキならいけるってよく知ってたな」
これはゲーム情報だもの私が知ってて当然だけど、それは内緒ね。
「知は力なりって言うでしょ。でも聖女様の好みはちょっと不明な点が多いわね。どんな食べ物が好きか聞いた時も『好き嫌いはしません。何でも頂きます』って言われちゃったし」
クレアに何か質問すると、いかにも聖女様らしい模範的な答えが返ってくる。誰に対しても平等に接するし、クレアを攻略するのも結構骨が折れるかもしれないわ。
それに私、ジーナがいるって事は、多分この世界は基本的にジェリコルートのはず。それを無理やり失敗させてアロイスエンドにしようとしてるんだから難易度は激高よ。
そうだレッスンの時だって、ジェリコは随分クレアを気にしている様子だったもの……。
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ジーナはあまりにも平凡でつまらない女だ。婚約者として紹介された時、俺がいくら第二王子だからって、適当に決めたんじゃないかとさえ思ったくらいだった。
六歳で婚約が決まった時、ジーナも同じ年だと紹介された。会った感想はずばり平凡、可もなく不可もない外見。緊張のせいもあるだろうが、会話もいまいち弾まなかった。定期的に顔を合わせる機会はあったが、平凡でつまらないという印象が変わることはなかった。
だがアカデミーに上がる頃からやけに外見を気にし出し、王子の婚約者にふさわしい身なりをと品位保持費の値上げを要求するようになった。それが足りない時はドレスや宝飾品をねだり、それをアカデミーで自慢して歩いているようだった。
俺自身は派手な女は嫌いじゃない。金は国から出ている物だから俺にはどうって事もない。ジーナはさほど頭の切れるタイプじゃないから、俺が女遊びしても適当な言い訳でごまかせる。この先、結婚した後で俺の行動をとやかく言わなければジーナでも構わないと考えていた。
だが先王妃の息子、俺の腹違いの兄が重い病にかかり城の離宮に隔離されて以来、もうずっとそのままだ。俺は兄上を嫌ってはいない。むしろ慕っていると言っていい。だがこれは俺にはチャンスだ。
兄上が不在状態の今、必然的に俺に注目が集まる。兄がだめなら俺が王太子となるはずだ。自然と周囲もそういう態度で俺に接するようになった。俺も表向きには、品行方正な王太子にふさわしい態度を維持し続けた。国王になれば好き放題、贅沢をして暮らせる。政治は家臣に任せておけばいいんだ。俺はハーレムを作って面白おかしく生きてやる。
兄上が十八歳の成人を過ぎても病状が改善していない事を受けて、俺はそろそろ王太子に指名されると期待していた。だが父上は一向にその素振りを見せない。焦った母上は何とかしろと俺をせっつくし、俺もいささか不安になってきた。
その矢先、隣国シュタイアータ皇国から聖女クレアがアカデミーに留学してきたのだ。シュタイアータはラスブルグより北に位置し、広い国土と鉱山資源を多く有する国だ。だが、人が住むには厳しい気象条件の土地が多く人口はラスブルグより少ない。国民のほとんどが敬虔なコリウス教信者で争いを好まない温厚な人々だ。そして過去、ラスブルグはそれにつけ込み、資源を狙ってよく戦争をしかけていた。今でこそ和平条約を結び交易も行われているが、過去に遺恨を持つ者も少なくない。
そんなシュタイアータの聖女とラスブルグの王子が婚姻、しかも婚約を破棄してまでクレアを選んだというドラマ付きとなれば、シュタイアータの国民のラスブルグへの好感度は大きく上昇するはずだ。俺は国に多大な貢献をする事になる。父上も今度こそ俺を王太子に指名するだろう。
アカデミーで俺は王子にふさわしい紳士的な態度でクレアに近づいた。クレアは聖女らしい清らかな美しさを持った人だった。いくら類まれなる神聖力を持つ聖女様でも、見た目の造作があまりにもひどかったらどうしようかと思っていたが全くの杞憂だった。数々の女を口説き落としてきた俺でも、あのエメラルドの瞳を見ると初恋の様に胸が高鳴った。
クレアも俺の事はまんざらじゃないはずだ。降臨祭でのエスコートも承諾してくれた。その上でジーナと婚約破棄する事にも成功した。あとはクレアとの親交を深め求婚するだけなのだが、どうも最近クレアにたかる虫が増えた気がする。
レニー・ランディスが聖女に憧憬を抱いているのは分かっていたが、あの陰険なアロイス・スタークまでもがクレアにちょっかいをかけているのが気に食わない。あいつは編入生の上にクラスに溶け込もうとしなかった。孤立しているあいつを気にかけてやった俺にも避けるような態度を取る。ま、あんな顔半分を前髪で隠しているような得体の知れない奴にクレアが惹かれるとは思えないが。
なにせ俺はジェリコ・コーディー・サーペンテイン、この国の王子だ。財力も権力も人望もある。おまけにこのルックスだ、俺にかなう奴はいない!
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