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27 ディナーのお誘い
しおりを挟む「ああ、コーマック令嬢の言っていた事は本当だったんだね」
きょろきょろと物珍しそうにしながら、バートレットベーカリーに入って来たのはクリストファーだった。
当たり前だけど、大公家の子息が庶民の利用するパン屋になんか来たことがある訳ないわね。それにしてもキャシー・コーマックったらおしゃべりなんだから!
「何か御用? こんな所までやって来るなんて」
「もちろんジーナに会いに来たに決まってるじゃないですか」
クリストファーはパンに顔を近づけながら、おいしそうだ、いい匂いだと連呼している。ファラマン夫人も買い物客も、この見るからに高位貴族でハイテンションな珍しい客を呆気に取られて眺めていた。
「ジーナ、お仕事は何時に終わるの? 僕と食事に行きましょう」
「まだまだです。それに私は帰って家族の夕食の支度もしないといけないの。だからあなたと食事には行けないわ」
私の説明に目を丸くしたクリストファーは「へぇ、家族の……」と呟きながらスタスタと戸口へ向かった。
あら、案外素直に引き下がってくれたわ。と、思っていると従者を引き連れて戻って来た。あれは狩猟大会の時にもいた、ごますり侍従ね。
「ホフマン、君はクリコット伯爵邸にディナーの配達の手配をしてくれ。伯爵に満足して頂けるような上質な物を頼むよ。それからワッツを呼んで来てくれ」
私が何か言いかけると、「いいからいいから」とクリストファーは手を振る。ホフマンが下がると次は使用人風の男が入って来た。クリストファーはそのワッツに何か指示すると、カウンター越しにファラマン夫人に話しかけた。
「ご夫人、お店にある品物は僕が全部買いましょう」
ファラマン夫人ににっこり微笑みかけると、今度はくるっと店内に向かって手を広げた。
「さあ皆さん、お好きなパンをお持ちください。ジーナとの初デートを記念して僕からのささやかな贈り物です!」
店内に居た客は戸惑いながらもパンを選んで帰って行く。「貴族様ってのは太っ腹だねぇ」とか「じゃあせっかくだから焼き菓子も」と両手に抱えるほど持っていく人もいた。クリストファーはファラマン夫人が計算した金額をワッツに支払わせている。
「ああ、ワッツ、そのチェリーが乗ったデニッシュは二個ほど屋敷に持ち帰ってくれ。余りが出たら君たちで分けるといい」
戸惑い、言葉を失くしていると、クリストファーがカウンターに進んで来て私の手を取った。
「さあお待たせしました、ジーナ。もう売る物はないから今日は閉店でしょう?」
私の戸惑いは怒りに変化しつつあった。いきなり現れたと思ったら、好き勝手にこんな事をして。何が初デートよ!
そうは思うものの、今日の夕食は手配されてしまったし、クリストファーの誘いを断って家に帰っても、家に手配されたディナーに私の分はカウントされていないだろう。
どうしたらいいか決められず、助けを求めてファラマン夫人に振り向いた。
「ジーナちゃん、行っといでよ。このお人の言う通り、もう今日は店じまいだし」
ファラマン夫人はそう言って肩をすくめた。それでも私はまだ行くと即答する気になれず食い下がる。
「でもまだバートレットさんが配達から帰って来ていないから……」
「ああ、ああ、それならあたしが言っとくよ。心配しなさんな」
「ありがとう、ご夫人。感謝します」
クリストファーは大仰に頭を下げた。
「……分かったわ、着替えるから待ってて」
クリストファーは王都でも指折りのレストランに私を連れて来た。貴族の社交場としてのサロンも併設するここは、貴族専用だ。平民と変わらない粗末な服装の私は悪目立ちしている。
クリストファーも気づいたのか支配人に声を掛け、私たちは広いフロアから個室に席を移した。
「すまない。初めから個室にするべきでした」
やけに殊勝な態度でクリストファーは謝って来た。
「もう慣れっこだわ。でも個室の方が落ち着くのは正直なところね」
「じゃあこれからは個室を予約するよ」
「次があるかは分からないと思うけど」
運ばれてきたスープに遠慮なく口を付けながら、私は言う。
ここはジェリコとも来たことがあるレストランだ。その時ももちろん個室だったわね。ジェリコは城外に出る口実に私を使っていたから、ここ以外にもあちこち連れまわされたわ。まだ一年も経っていないのに、随分と昔の事に感じる。
学園での生活やどんな花が好きか、何色のドレスが好きかなど延々と続く質問に、私は目を合わさず淡々と答える。流石のクリストファーも、あまりに私の態度がつれないので、小さなため息をついた。でも次の質問の声はガラリと雰囲気が変わった低音で、私はハッと顔を上げた。
「アーロンは元気ですか?」
「げ、元気よ」
「痛めた足は?」
「もう走れるようになったわ」
クリストファーは質問をやめてじっと私の顔を見ている。そんな風に見るのはやめて。嘘を見抜かれそうでどぎまぎしてしまうわ。
「ねぇ、ジーナが未だに怒っているのは狩猟大会の時のせいなんだろう?」
ああ! 私が彼に素っ気ないのは、アーロンの事で私がずっと怒っていると思っていたのね。そういう誤解なら都合がいいわ。そうよ、私ったら心配し過ぎ。あのキツネとアロイスを結び付けて考える人なんて、まずいないわね。
「あれは随分意地悪な態度だったと思うわ」
「うん、悪かったよ。ホフマンの好きなようにさせて君を困らせて。本当に申し訳なかった」
クリストファーの態度からは、彼が本当に反省している気持が滲み出ているように私は思えた。
「分かったわ。あなたの謝罪を受け入れるわ」
「良かった! じゃあこれからも、こうして一緒に出掛けてくれますね? あちこちの貴族からお茶会やら夜会に招待されていて。ジーナに一緒に来て欲しいんです」
「それは難しいわ」
「どうして……僕の事、許してくれたんじゃ?」
「わたし、お付き合いを約束した人がいるの。だからもう私を誘わないで欲しいの」
「えっ、ジーナってアロイスと付き合ってたんですか?」
「どうしてアロイスだなんて……違うわ。とにかくそういう事だから」
自分の馬車でクリコット邸まで送ると言ってきかないクリストファーを断って、別に馬車を呼んでもらい、私は帰宅した。
ダイニングルームへ行くと、夕食の後がそのままテーブルに散らかっている。
「やっぱり私の分は無かったわね」
汚れた食器やグラスを片付けていると、母が入って来た。
「ちょっとジーナ、あなたいつシュタイアータのフェダック大公家と知り合いになったのよ」
「アカデミーに転校してきたのが、たまたまフェダック家の次男だっただけです」
「その方がたまたまうちにディナーを届けてくれたっていうの?」
どうしてこの人はいつも私を非難するような口調でしか喋れないのだろう。
「そうよ、たまたまよ。大公家はお金持ちなんでしょうね。だから余計な事は考えないで下さい、お母様」
「余計な事ですって?!」
激高する母を見て『しまった』と思ったが、ルドルフが入って来て母は話の腰を折られた。
「あ、姉上。お帰りなさい、今日は姉上のお陰でとても豪華なディナーを頂きましたよ!」
「そう、良かったわ」
ルドルフは無邪気に喜んでいる。これに関してはクリストファーにお礼を言わないといけないわね。
「ねぇ姉上、この間馬車に乗せてくれたクリストファー様が、大公家の方なのですよね?」
「えっ、ええ、そうなの。彼ね、ルドルフにご馳走したかったんですって。ルドルフがとってもいい子だから、クリストファーはあなたの事が大好きになったんですってよ」
母の手前、悪いけどルドルフには嘘をつかせてもらうわ。クリストファーが気に入ったのは私じゃなくてルドルフだと印象付けたいから。
「わあ、嬉しいな。僕もクリストファー様が好きになりました!」
子供らしく正直に、現金な感想を聞かせてくれたルドルフは水を飲もうとキッチンに向かった。不審げな顔をしている母が口を開く前に、私もルドルフの後を追ってキッチンに入って行った。
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