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28 婚約発表と買い物
しおりを挟むクリストファーと食事に行ってから一週間ほど経った頃、ジェリコとクレアの婚約が発表された。
ジェリコがクレアを気に入っているのは周知されていたが、アカデミーでもそこまで親密な様子は見られなかったから、驚いた生徒も多かったようだ。
今私の前方で二人の女子生徒が繰り広げている会話が、まさにそれだ。
「びっくりしたわね、アカデミーでもそんなに親しくされている様には見えなかったのに。もしかしてお忍びの恋だったのかしら? やだぁロマンチック!」
「何言ってるのよ、ジェリコ殿下はご自身の誕生日パーティーに、クレア様をエスコートしてらしたって聞いたじゃない。国王陛下御夫妻にも紹介してたって」
「ああ、そうだったわね。でもクレア様はランチなんかもあまりご一緒されてなかったでしょう。ほら、前の婚約者の、あの人とばかり。意味不明よね、嫌がらせしてた人と仲良くランチするなんて」
「ちょっと、後ろ……」
そうです、後ろに居るのはその『前の婚約者』の私です。
「あら、どうぞお話を続けて下さいね。私は全く気にしてませんから。むしろ喜んでいるくらいなんだから」
「ク、クリコット令嬢。そうなんですか? 一時はクレア様の事を目の敵にされてましたのに」
「ちょっと、あなたそんなハッキリと……」
どうやら嫌味じゃなく、思った事がつい口に出てしまうタイプのこの令嬢は、横でハラハラしている友人そっちのけで、私に質問を続けた。
「何か心境の変化ですの? ジェリコ殿下をクレア様に取られたと悔しくはありませんでしたの?」
「私がクレアを恨むのは筋違いだと気付いただけよ。クレアにも謝罪して、私たちは分かり合えたの。今はいいお友達だわ。その友達の婚約を祝福するのは当然でしょ?」
「あら、そんな事が!」
「ま! なんだか素敵。わだかまりを捨てて、女性どうしの友情が芽生えたのですわね!」
盛り上がっている二人は置いておいて、私が心配なのはアロイスだわ。クレアがジェリコと婚約してしまったから、人間に戻る道が遠のいた事になる。遠のいたどころか、唯一だったかもしれない方法なのに。
それに何より、アロイスはクレアに惹かれていたように見えたわ。初めは単に人間に戻るための手段だったのかもしれないけれど、だんだんとクレアの事が好きになっていったのね。
なんだか胸の奥がチクンと痛む。痛みと共に、不快な色の染みが心の中にモヤモヤと広がって行く。こんな時に自分だけレニーと上手く行ったのが、後ろめたいのだろうか?
このタイミングで思いが通じました、なんてアロイスに報告したくない。だけどいつ打ち明けようかとうだうだしていたせいで、先に婚約発表がされてしまった。こうなっては、いつ話したらいいものか。でも傷心のアロイスを慰めてあげるのが先ね。
あくる日の放課後、私はアカデミーの食堂にアロイスを連れて来た。
「食堂? 放課後は入れないんじゃないか?」
「今日はね、サイドルさんにお願いしてちょっとだけ入れるようにしてもらったの」
私はランチタイムによく利用する、中庭が見える席にアロイスを案内した。
「ちょっと待っててね」
きょとんとしているアロイスを置いてキッチンに顔を出した。
「失恋したお友達を慰めるんでしたね? じゃあミルクと砂糖もたっぷり付けておきましょう。ここには好きなだけ居ていいんですからね」
「ありがとうサイドルさん。無理を言ってごめんなさい」
「全く問題ありません。でもジーナ嬢は本当に友達思いで優しい方ですね」
サイドルさんは私を優しいと言うけれど、それはどうだろう。アロイスを人間に戻す大きな道がひとつ閉ざされた事に関しては、私も非常に遺憾だし、彼の気持ちを思うと心が痛む。
でも『アロイスがクレアとめでたく結ばれる姿を見なくて済む』。クレアとジェリコの婚約を聞いた時に、一番初めに浮かんだのはこれだったのだ。
クレアとアロイスの仲を取り持つ為に、王城に忍び込んだりしてまで努力したのに、どうしてこんな気持ちが湧いたのだろう?
「大丈夫ですか? 砂糖壺とミルクが重かったかしら」
「いえ、大丈夫です。ありがとう、サイドルさん」
トレーに手を掛けたまま立ち尽くしていたが、気を取り直してサイドルさんが用意してくれたコーヒーを二人分持って席に戻った。
「コーヒーか、珍しいな」
「あとこれ、私が働いているベーカリーで作ってるクルミ入りのブラウニー、甘さ控えめでおいしいの。それとこっちのキャラメルソースがたっぷり掛かったデニッシュはコーヒーにピッタリなんだから。これはお店の看板商品でもあるわ。それからこっちは……」
「まだあるのか??」
立ったまま、中位の大きさのバスケットから更にメレンゲ菓子を取り出そうとした私を、アロイスは見上げている。普段は分厚い前髪に隠されたアロイスの青い瞳がまん丸だ。
「ええ、落ち込んでるときは甘い物を食べるに限るでしょう? 私、おしゃれなカフェでお茶をご馳走してあげられないから、こんな場所でごめんなさいね」
私が恐縮しているのに、アロイスは珍しい動物でも見るような顔して私を見ている。
「や、やっぱりアカデミーの食堂じゃ味気ないわよね。今度お給料が入ったらちゃんとしたお店に連れて行くわ、だから……」
とうとうアロイスはぷっと吹き出した。
「違う、違う。そんな事を俺が気にするわけないだろう」
「じゃ、じゃあ何がそんなに可笑しいのよ!」
「ジーナはよく甘い物で気分転換するみたいだな」
「あっ! もしかしてアロイスは違うの? やだどうしよう、このバスケット一杯にお菓子を詰め込んで来ちゃったわ」
アロイスはまだクツクツと笑いながら前髪をかき分け、私にも席に着くように身振りで示した。
「早速お店の看板商品というデニッシュを頂こうか。うん、これはコーヒーに合いそうだ」
おいしそうにデニッシュをほお張るアロイスを前に、私も熱々のコーヒーをすすりながらブラウニーをつまんだ。アロイスはいつもと変りなく見えるけど、私の前では強がっているだけかもしれない。
私はおずおずとクレアの話題を切り出す。
「あ、あのアロイス。クレアの事は残念だったわね」
「クレアの婚約で俺が落ち込んでいると思って、この場を設けたんだな」
「だって呪いの事があるし……それにクレアが好きだったんでしょう? 辛いわよね」
「俺は別に……」
その時、食堂の扉が開いてレニーが入って来た。
「ジーナ、ちょっと早く来過ぎたかな? 少しでも早く君に会いたくて我慢できなかったんだ」
レニーは私の隣に座ると、テーブルの上の私の手に彼の大きな手をそっと重ねた。アロイスはハッとしたように重ねられた手と、私に笑顔を向けるレニーの横顔を見た。
こうなる前に私からレニーとのことを話したかった、でももう遅いわ。アロイスの前でも堂々と私に愛情表現してくれるレニーに、私は大喜びの筈なのに、とても居心地が悪い。
「あ、あのね実はね、レニーと私、お付き合いする事になったの。早く言おうと思っていたんだけど……」
ふっと下を向いたせいで、アロイスの前髪が落ちてきて、また顔半分が隠れてしまった。そしてやはりいつもと同じ調子の声でアロイスは言った。
「そうだったのか。おめでとう、良かったなジーナ」
口元は笑って見えるけど、それ以外の表情は前髪のせいで読めない。こんなタイミングでアロイスに知られたくなかった。アロイスを慰める場所を設けたはずなのに、私とレニーの交際発表の場になってしまっている。
「二人でこんなおいしそうな物を食べてたの。俺も分けて貰っていいかな?」
私がきまずい思いでいると、レニーがウキウキしながらアロイスと私の顔を見比べた。
「もちろんだわ、私もう一杯コーヒーを貰って来る」
立ち上がろうとした私に、アロイスが待ったをかけた。
「二人は約束してたんだろ? 俺に構わず行ってくれ。俺は少し一人でいたいから、このままコーヒーブレイクを楽しむよ。スイーツはここにある分で十分だ」
「じゃあ……行く?」
レニーは無邪気な様子で私を見る。アロイスはもう窓の外に視線を移してカップを口元に運んでいる。失恋した時は一人になりたいものかもしれないけど、私たちに気を使っているのが本当の所のような気がする。
「それじゃあ行くね、アロイス」
「ああ、スイーツ、ご馳走様」
あのまま食堂に居て、レニーと私が仲良くしているのを見せつけるような状況になってしまうより良かったはず。そう自分に言い聞かせながら私はレニーと約束していた買い物へ出掛けた。
「付き合わせて悪かったかな? 何せブリジットももう子供じゃないから、誕生日にぬいぐるみって訳にはいかなくてさ」
「ううん、一緒に買い物できるのはとっても嬉しいわ! いい物が見つかるといいわね」
まだ心にくすぶるモヤモヤを振り払うように、私は大きく首を横に振った。せっかくレニーと一緒なのに、こんな風に考え込んでちゃだめだわ。
今日はレニーの妹、ブリジットへの誕生日プレゼントを一緒に選ぶために約束していた。そこでアカデミーがある場所から王宮に近い繁華街へとやって来た。アカデミーがある東地区は貴族の邸宅や王立図書館、公園や劇場などがある文化面に注力された地区だ。
今私たちがいる城下町は王宮から南に延びて、様々な物を小売りする店やレストラン、カフェ、が立ち並び、王室ご用達の店も多い。西地区には行政関連の建物が多く、商取引に関する施設も沢山ある。
「身の回りの品はいらない、って言われたのよね? 女の子へのプレゼントで装身具がだめっていうのは、なかなか難しいわね」
そう、ブリジットはプレゼントへの注文が少なからずあって、なかなかに私たちを悩ませているのだ。
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