戦らん浪まんス♡

タニマリ

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囚われの身

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我が伊藤家と秋月家との領国の境目には大きな川が流れている。
その川には橋がかかっていないため、どちらかが水に入って渡らなければ戦を始めることは出来ない。
いつもは穏やかなその川……だが今回は昨晩降った大雨の影響で増水し、流れは濁流へと変貌していた。
甲冑を身に付けたままでここを渡るのは危険きまわりなく、両軍立ち往生する羽目となった。

兵力はどちらも五千あまり、ともに魚鱗《ぎょりん》の陣を敷いて河原で向かい合った。
魚鱗の陣とは中心を前方に張り出させて両翼を後退させた△の形に兵を配し、総大将を底辺の中心に置いた陣形のことである。


昨日あれだけ雨が降ったのだから川が荒れることくらい予想が着いただろうに……
あちらの新しい当主はまだ22歳と若く、この土地の生まれでもないらしい。ここらの水害を舐めてもらっては困る。
総大将としての初めての戦に、思わぬ横槍が入って考えあぐねているようだった。
父上は無用な殺生は好まない性格なので相手方の出方を注意深く伺っていた。

そんなわけで両軍、川を挟んでの睨み合いのままで日が暮れ始めてきた。


私は本陣ではなく、左翼を守る部隊に配置されていた。
こちらは源流側で川が大きくうねっていて川幅も狭まっているため、流れが特に急だった。
攻め込まれることがない一番安全な位置だからという理由なのだろう……
過保護な父上らしい。

この部隊を率いる大将は叔父上が勤めていた。
父上の妹の夫にあたる人で、私も吉継も子供の頃からよく遊んでもらっていたのだけれど……

「あの吉継様がこうして漆黒の甲冑を着て馬にまたがる姿を見れる日がくるとは……なんとも勇ましいお姿ですなあ!」
本当は腰抜けのくせにという本音が透けて見えるような褒め言葉だ。
だがしめしめ。叔父上もここにいる誰も私が阿古姫だとは気付いていないようだ。
唯一、吉継の愛馬の隼《はやぶさ》だけが、うん?て顔して私のことを見つめてきた。賢い馬だ。


「吉継様…次に小便や大便をする時があっても、もう片時も目を離しませんからね。」

補佐役をする銀次から恨みがましく言われてしまった。
してるところをじっくりと見られたら困るんだけど……


しっかし暇だ。なんかみんな和んじゃってわいわいとしゃべってるし。
戦ってもっとこう…緊迫してるもんなんじゃないの?
小平太なんか腰に下げた兵糧《ひょうろう》袋から干し芋を取り出してむしゃむしゃと食べてやがるし……

戦が停滞していることを知ったのか、遠くに見える敵方の河原ではどこからともなく現れた遊女屋が商売をし始めていた。
な~にが戦は女人禁制だ。
戦前は女房だろうが遠ざけといて、真っ最中には遊女を金で買っても良しだなんてどういう理屈なのよ?
父上だってもう陣形を解けばいいのに。こっちだけ立ち往生のままで敵のどんちゃん騒ぎを見てるだなんてやってらんない。


「あ~あ……威勢のいいのが突っ込んできたらおもしろいのに。」


思わず愚痴ると、銀次が不振な目をして私を見た。
しまった、吉継ならこんな血気盛んなことは決して言わない。

「……と、姉上なら言うであろうな。」

コホンと咳払いをしながら誤魔化したのだが、銀次はふんと鼻で笑った。


「阿古姫様が大人しく敵の突撃を待つものですか。きっと自ら単独で乗り込みますよ。」


は?大軍相手に一人でって……私だってそこまで無謀じゃないわよ!
周りからもうんうんと同調する声が上がり、叔父上はため息混じりに呟いた。

「阿古姫様も今は亡き奥方様に似ていてなかなの器量をしておるのにのお。黙って座っておれば可憐な姫君なのじゃが……」

叔父バカがかなり入っているのは否めないが随分と嬉しいことを言ってくれる。
兜の下でニンマリとしていたのに、銀次が冷や水を浴びせるようなことを言い放った。


「中身が野猿なのでじっとしておるのが先ず無理です。」


どっと笑いが起こり、敵方が何事かと不思議そうにこちらを振り返った。
お、おのれ銀次……次に手合わせする時は容赦なくボっコボコにしてやるっ。






──────あれ、この匂いは………



私の鼻先が、微かに漂う不穏な空気をとらえた。
これは火縄銃《ひなわじゅう》に使われる黒色火薬の匂いだ。
我が軍の鉄砲隊は前方に配置されているのだが、それは左後方にある森の方角から漂ってきた。
まさか秋月家が潜んでいるのだろうか……
だとしたらこの荒れた川を気付かれずに越えたことになる。一体どうやって……?
見当もつかないのだがそんなことを気にかけている場合ではない。

森の中から私達に向かって銃口が向けられているのだ。



「敵襲───────っ!!左後方、森の中!!」


私が叫ぶと同時に無数の鉄砲の玉が放たれてきた。   
その玉に、隣にいた小平太が腹を撃たれて倒れた。
「小平太!!」
隼から降りて怪我の具合を見たが、分厚い肉をかすめただけで大した傷ではなさそうだった。
しかし、今の一撃で後方にいた主力部隊がほぼ負傷して戦力にならなくなっている……


数にして千あまり、秋月家の軍勢が森の中から隊列を組んで現れた。   
叔父上が矢を放てと命令したのだが、反対に矢で肩を射抜かれた。
馬上から落ちて倒れた大将の姿を目の当たりにし、足軽達が戦意喪失をして我先にと逃げ初めた。
意表をつかれた攻撃に左翼は一瞬にしてボロボロとなった。

「銀次!本陣に左から奇襲だと知らせてこい!!」
「はいっ!……って。吉継様はどこに行かれるのですか?!」
隼にひらりと飛び乗った私に銀次が驚いて尋ねた。

「行って食い止めるっ!」
「何を言うておられるのですか?!一人で突っ込むなんて無茶でっ……」  
銀次は目を見開いてハッと息を飲んだ。


「……もしかして……阿古姫様、ですか?」


しまったバレた。
違うと小声で返事を返したものの、誤魔化しきれるものではなく……

「女子《おなご》が男子《おのこ》のナリをして戦に出るだなんて正気の沙汰ですか!!」
「いいから早く本陣に知らせろ!入れ替わっていることは誰にも口外するなっ!」

「言えるわけないでしょうが!ちょっ…待って!阿古姫様!!」


この勢いのままで本陣まで切り込まれたら負ける。
少しでも時間を稼ぐために、大軍へと単独で馬を走らせた。







敵の最前列には槍を構える足軽隊が隙間なく並ぶ槍衾《やりぶすま》をつくり完璧な防御体制をひいていた。
そしてその後ろに見える鉄砲隊の姿……
鉄砲の玉は脅威だが再び打つには時間がかかる。なのであれは気にすることはない。問題は……
弓を構えた足軽達が号令とともに矢を放つと、上から雨のように降り注いできた。
私は持っていた槍をぶん回し、飛んできた弓を叩き落とした。
弓には毒が塗られていたりする。軽傷でも一本でも喰らえば命を落としかねないのだ。

次に弓を打たれる前に突っ込む……!!
槍を大きく振り下ろして最前列を守る足軽隊の兜を叩き割り、倒れた空間に向かって隼の腹を蹴り叫んだ。


「隼、ひるむな!駆け抜けろ!!」




───────狙うはこの部隊の大将首!!


朱色の甲冑で全身を揃えた一際目立つ武将が見えた……大将はあいつだ!!
しかしすぐ脇には槍を持った騎馬隊が強固な守りを固めていた。
あんなのと正攻法でやり合ったら命が幾つあっても足りやしない。かくなる上は……
大将に向かって直走る隼の背中にすくりと立ち上がり、たてがみがなびく首に足を引っ掛けて宙高くに舞った。
私の体は騎馬隊の頭上を飛び越え、大将へと一直線に弧を描いた。



勝負は一瞬で決まる──────────



私は吉継とは違う。
戦がどういうものか心得ている。殺らなきゃ殺られる。
人を殺すことにためらいはない。
槍を投げ捨てて左腰に差した腰刀《こしがたな》を引き抜いた。



─────────私が初めて殺す男………



月毛《つきげ》の馬にまたがったその男を眼下にとらえた瞬間、ためらいとは違う何かが私の切っ先を踏み留まらせた。

兜から垣間見えたその男の顔がこの戦場には似つかわしくなく……





あまりにも、美しかったから──────……





脳裏にとある恋物語が浮かんだ。
昔読んだ時はこんな主人公、この世に存在するわけないと思っていたけれど……
きっと光源氏とはこのような人物だったのではないだろうか……
こんなにも整った気品のある顔立ちをした者を見たのは初めてだった。




「どうした。討ち取らぬのか。」




男と向かい合うようにして月毛の馬の背中に着地した私の手は、完全に止まってしまっていた。
喉元に鋭くとがった刃を突きつけられているというのに、男は優雅に微笑み尋ねてきた。


「名は、なんという?」


ここはどう答えるべきなのだろうか……
吉継と名乗るのが正しいのかと躊躇《ちゅうちょ》していると、騎馬隊から伸びてくる槍が視界の端に入った。
間一髪で避けたのだが、均衡を崩して馬から滑り落ちてしまった。
倒れて身動きの取れない私の首に向かって、容赦なく大太刀《おおたち》が振り下ろされる……




──────────殺される!!





「止めろ。殺すでない。」


男が鋭い声で騎馬隊を制止した。
大太刀は地面に突き刺さり、ぎりぎりのところで首が切り落とされるのを免れた。


「しかし、照景《てるかげ》様っ。」


……照景………?

確か秋月家の新しい当主となった者には一緒に連れてきた弟がいて、それがそのような名だったような気がする……
恐る恐る顔を上げてみると、その照景という男は目を細めながら私を見下ろしていた。


「この者はおそらく伊藤家の嫡男、吉継殿であろう。」


周りからどよめきの声が上がった。
聞いていた噂とは随分違うなとヒソヒソと話す声が聞こえてきた。
どうやら吉継のへっぴり腰は敵国にまで知れ渡っていたらしい……

「ならば尚のことこの場で討ち取るべきです!!」

再び大太刀に力を込めようとした騎馬隊に、あれを見よと照景が指し示した。
向こうから土埃を上げた我が伊藤家の軍勢が、怒涛の勢いで迫って来ていたのだった。


「あれだけの援軍が現れたのでは分が悪い。こちらの安全のためにも生かしておいた方が良い。撤退するぞ。」


誰もこの荒れた川を渡ってくるだなんて思わない……
敵が河原の向こうでバカ騒ぎを見せていたのも、全てはこちらを油断させるためのワナだったのだ。
父上が用心深く陣を解かなかったから被害は最小限で食い止められた。
でなければきっと、一夜にして決着がついていただろう……


私は縄で両手を縛られ、人質として連れていかれのだった。




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