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出陣じゃ!
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やはり戦乱の世、平和な日々はそう長くは続かないのである。
今日は朝から鐘や太鼓の音が野山に鳴り響いていた。
今頃、本丸の表御殿では「三献《さんこん》の儀」が行われているのであろう……
三献の儀とは出陣式に行う儀式の一つで、総大将となる父上が、打ち鮑・かち栗・昆布の順に口に含み、酒とともに飲み干すのだ。
なんでも敵に打ち・勝ち・よろこぶ!という意味があるらしい。
他にも馬の頭を東に向けるなどの験担ぎを行なったりと、これから向かう戦の勝利を願って縁起の良いことをするのだ。
とっとと敵陣に乗り込めばいいのにと、毎度のことながら思う……
此度《こたび》の戦の相手は長年の宿敵である大隅《おおすみ》の秋月《あきづき》家だ。
秋月家とは今まで幾度となく合戦を繰り広げてきた。
しかし秋月家は昨年当主が病気で亡くなり、跡を継ぐ嫡男《ちゃくなん》もいなかったために内乱が勃発していた。
それは死人が出るほどに揉めに揉め、このまま衰退するのではと噂されていたほどだったのだが……
やっと次の当主が決まったのはつい先月のことだったのに、こんなにも早く家臣をまとめあげて攻め入ってくるとはと父上も驚いていた。
にしても七日後には収穫期を迎えるというのに、なぜその時まで待てないのだろう。
女と年寄りだけであの量の稲を狩るのは随分と重労働だ。
城の女中達をかき集めて手伝いにいってあげないと……
出陣三日前からは女を近づけてはいけないという決まりがある。
これは軍神《いくさがみ》への潔斎《けっさい》を徹底するという目的だと言われているが、ようするに戦前に女と寝所をともにして余計な体力を消耗するな、戦に集中しろという意味なのだろう。
今生の別れになるかもしれないのに、女は近づくことさえ許されないだなんて……
男はなんて勝手な生き物なのだろう……いつも泣かされるのは女の方だ。
庭先でひとり木刀を持って素振りの練習をしていると、近くにある竹やぶの竹が妙な動きをし始めた。
出陣式の最中に盗っ人か、はたまた冬眠前の熊でも紛れ込んだのであろうか。
もしかしたら様子を探りにきた敵方の忍びかもしれない……
そっと中を伺ってみると、甲冑を着た二人組がいた。
「なんだ銀次と小平太じゃない。なにしてるの?」
二人は必死の形相をしていた。それもそのはず……弟の吉継が出陣式が始まるや否や、小便をしてくるといってそのまま戻らないのだという。
まさか……逃げた?
「どうすんの?出陣式ってもう終わるんじゃないの?」
「だから今こうやって探しとるのです!阿古姫様も吉継様を見つけたらグルグル巻きにして連れてきて下さいっ!」
二人が去ったあとに、目の前をネズミが列を成して駆け抜けていった。こんなに大軍とは珍しい……
ネズミが出てきた真っ暗な軒下を、目を凝らしながら見回した。
「吉継いるんでしょ?隠れてないで出てらっしゃい。」
暗闇の中で黒い影がビクリと動くのが見えた。
我が弟ながらなんとも情けない……
「いい吉継?これから言う姉上の言葉を耳をかっぽじってよ~く聞きなさい。」
伊藤家は戦国大名であるが元は守護大名であり、鎌倉時代からの名門の血を引く由緒正しき家柄だ。
地方豪族や下克上で戦国大名となったその辺の輩とは格が違うのだ。
ならばこそ、先祖代々脈々と受け継いできたこの土地を、自分達の代で奪われてはならぬのだということをこんこんと説いた。
吉継が暗闇からヒョコリと顔を出した。
よし、あともう一押しだ……
「補佐役には銀次と小平太がいるんだから、例え敵が攻めてきたとしても討ち取ってくれるわ。なんら恐れることはないから。」
私よりは劣るが銀次も小平太もなかなかの豪傑《ごうけつ》だ。
安心して出ておいでと言おうとしたら吉継はまたもや首を引っ込めた。
あれ、なんで?
「人を殺してまで生きのびとうない。それならば高千代《たかちよ》は切られて死ぬことを選ぶ。」
「いや駄目でしょ!てか高千代って…あんたまだ幼名《ようみょう》を名乗ってんの?!もう元服《げんぷく》したでしょ!!」
幼名とは幼児期につけられる名前のことで、元服とは成人になったことを示す儀式のことである。
いつまで経っても子供みたいな弟にイラっときてきつく怒鳴ってしまった。
吉継がさらに奥へと逃げ込む音が聞こえた。
あんの野郎……
こうなったら銀次と小平太を呼んできて引っ張り出してもらうしかないかと思ったのだが……
「死んでよい人間なんてどこにもいやせぬ。必ず悲しむ人がいるのだから……」
吉継は私の弟だ。生まれた時からずっと一緒に過ごしてきたのだから分かっている……
この子は自分の腕にとまって血を吸う蚊でさえ殺さぬような性格なのだ。
吉継は自分が死ぬことが怖いんじゃない。
自分のせいで、誰かを傷つけてしまうことが怖いのだ。
それが憎き相手だとしても……
本当に、優しい子なのだ───────……
えい、えい、おー!と言う何千人もの「鬨《とき》の声」が地鳴りのごとく轟いた。
いよいよ出陣の時が迫ってきたのだ。伊藤家の嫡男、吉継の初陣であることは領民の誰もが知っている。吉継にとっては今回の戦はお披露目のようなものだ。
なのに逃げたなどと知れ渡れば、笑われるどころかお家の存続にまで影響を及ぼしかねない……
……────────かくなる上は…………
私は帯を解き、重ね着していた小袖を一枚二枚三枚と全部脱いだ。
「な、なぜ素っ裸になるのだ姉上?!気でもふれたか?!」
吉継が軒下から慌てて出てきて、私が脱ぎ捨てた着物を拾った。
「まだこの辺りには銀次と小平太がいるのだぞ?!早く着物を着るのだ!」
「直ぐに着るわよ。だから吉継も着物と甲冑、全部脱ぎなさい。“ふんどし”もね。」
きょとんとする吉継の、脇にさした刀を鞘《さや》ごと引き抜いて頭を小突いた。
私と吉継はひとつしか歳が違わず、顔も声も背格好も、双子かというほどに瓜二つなのだ。
ちょうど髪の毛の長さも同じだし、着るものを変えれば誰も区別はつかないであろう。
「誰よりも武功をあげる自信ならあるから任せて。」
「いやいや姉上、いくらなんでもそれは無茶だ。今一度考え直せっ。」
「じゃあ腹くくって出陣すんの?そんな考え方してたら真っ先に死ぬわよ?」
「姉上が強いのは百も承知。真《まこと》におなごかと目を疑うようなことも多々ありき。じゃが曲がりなりにも一応はおなごの身なのだから……」
悪口はいいから早く寄越せ。
なかなか脱がない吉継に、裸でまたがり無理やり兜《かぶと》を引き剥がした。
「きゃー!阿古姫様なんて姿で!!」
直ぐ後ろから叫び声が聞こえてきた。
ちっ、バレたかと思ったのだが、声の主は私の身の回りの世話をしてくれている一番気心の知れた侍女のスエだった。
「ちょうど良かった。スエ、胸を隠すサラシを持ってきて。」
これもお家のためなのだと強引に吉継と入れ替わり、後のことはスエに任せて城をあとにした。
今日は朝から鐘や太鼓の音が野山に鳴り響いていた。
今頃、本丸の表御殿では「三献《さんこん》の儀」が行われているのであろう……
三献の儀とは出陣式に行う儀式の一つで、総大将となる父上が、打ち鮑・かち栗・昆布の順に口に含み、酒とともに飲み干すのだ。
なんでも敵に打ち・勝ち・よろこぶ!という意味があるらしい。
他にも馬の頭を東に向けるなどの験担ぎを行なったりと、これから向かう戦の勝利を願って縁起の良いことをするのだ。
とっとと敵陣に乗り込めばいいのにと、毎度のことながら思う……
此度《こたび》の戦の相手は長年の宿敵である大隅《おおすみ》の秋月《あきづき》家だ。
秋月家とは今まで幾度となく合戦を繰り広げてきた。
しかし秋月家は昨年当主が病気で亡くなり、跡を継ぐ嫡男《ちゃくなん》もいなかったために内乱が勃発していた。
それは死人が出るほどに揉めに揉め、このまま衰退するのではと噂されていたほどだったのだが……
やっと次の当主が決まったのはつい先月のことだったのに、こんなにも早く家臣をまとめあげて攻め入ってくるとはと父上も驚いていた。
にしても七日後には収穫期を迎えるというのに、なぜその時まで待てないのだろう。
女と年寄りだけであの量の稲を狩るのは随分と重労働だ。
城の女中達をかき集めて手伝いにいってあげないと……
出陣三日前からは女を近づけてはいけないという決まりがある。
これは軍神《いくさがみ》への潔斎《けっさい》を徹底するという目的だと言われているが、ようするに戦前に女と寝所をともにして余計な体力を消耗するな、戦に集中しろという意味なのだろう。
今生の別れになるかもしれないのに、女は近づくことさえ許されないだなんて……
男はなんて勝手な生き物なのだろう……いつも泣かされるのは女の方だ。
庭先でひとり木刀を持って素振りの練習をしていると、近くにある竹やぶの竹が妙な動きをし始めた。
出陣式の最中に盗っ人か、はたまた冬眠前の熊でも紛れ込んだのであろうか。
もしかしたら様子を探りにきた敵方の忍びかもしれない……
そっと中を伺ってみると、甲冑を着た二人組がいた。
「なんだ銀次と小平太じゃない。なにしてるの?」
二人は必死の形相をしていた。それもそのはず……弟の吉継が出陣式が始まるや否や、小便をしてくるといってそのまま戻らないのだという。
まさか……逃げた?
「どうすんの?出陣式ってもう終わるんじゃないの?」
「だから今こうやって探しとるのです!阿古姫様も吉継様を見つけたらグルグル巻きにして連れてきて下さいっ!」
二人が去ったあとに、目の前をネズミが列を成して駆け抜けていった。こんなに大軍とは珍しい……
ネズミが出てきた真っ暗な軒下を、目を凝らしながら見回した。
「吉継いるんでしょ?隠れてないで出てらっしゃい。」
暗闇の中で黒い影がビクリと動くのが見えた。
我が弟ながらなんとも情けない……
「いい吉継?これから言う姉上の言葉を耳をかっぽじってよ~く聞きなさい。」
伊藤家は戦国大名であるが元は守護大名であり、鎌倉時代からの名門の血を引く由緒正しき家柄だ。
地方豪族や下克上で戦国大名となったその辺の輩とは格が違うのだ。
ならばこそ、先祖代々脈々と受け継いできたこの土地を、自分達の代で奪われてはならぬのだということをこんこんと説いた。
吉継が暗闇からヒョコリと顔を出した。
よし、あともう一押しだ……
「補佐役には銀次と小平太がいるんだから、例え敵が攻めてきたとしても討ち取ってくれるわ。なんら恐れることはないから。」
私よりは劣るが銀次も小平太もなかなかの豪傑《ごうけつ》だ。
安心して出ておいでと言おうとしたら吉継はまたもや首を引っ込めた。
あれ、なんで?
「人を殺してまで生きのびとうない。それならば高千代《たかちよ》は切られて死ぬことを選ぶ。」
「いや駄目でしょ!てか高千代って…あんたまだ幼名《ようみょう》を名乗ってんの?!もう元服《げんぷく》したでしょ!!」
幼名とは幼児期につけられる名前のことで、元服とは成人になったことを示す儀式のことである。
いつまで経っても子供みたいな弟にイラっときてきつく怒鳴ってしまった。
吉継がさらに奥へと逃げ込む音が聞こえた。
あんの野郎……
こうなったら銀次と小平太を呼んできて引っ張り出してもらうしかないかと思ったのだが……
「死んでよい人間なんてどこにもいやせぬ。必ず悲しむ人がいるのだから……」
吉継は私の弟だ。生まれた時からずっと一緒に過ごしてきたのだから分かっている……
この子は自分の腕にとまって血を吸う蚊でさえ殺さぬような性格なのだ。
吉継は自分が死ぬことが怖いんじゃない。
自分のせいで、誰かを傷つけてしまうことが怖いのだ。
それが憎き相手だとしても……
本当に、優しい子なのだ───────……
えい、えい、おー!と言う何千人もの「鬨《とき》の声」が地鳴りのごとく轟いた。
いよいよ出陣の時が迫ってきたのだ。伊藤家の嫡男、吉継の初陣であることは領民の誰もが知っている。吉継にとっては今回の戦はお披露目のようなものだ。
なのに逃げたなどと知れ渡れば、笑われるどころかお家の存続にまで影響を及ぼしかねない……
……────────かくなる上は…………
私は帯を解き、重ね着していた小袖を一枚二枚三枚と全部脱いだ。
「な、なぜ素っ裸になるのだ姉上?!気でもふれたか?!」
吉継が軒下から慌てて出てきて、私が脱ぎ捨てた着物を拾った。
「まだこの辺りには銀次と小平太がいるのだぞ?!早く着物を着るのだ!」
「直ぐに着るわよ。だから吉継も着物と甲冑、全部脱ぎなさい。“ふんどし”もね。」
きょとんとする吉継の、脇にさした刀を鞘《さや》ごと引き抜いて頭を小突いた。
私と吉継はひとつしか歳が違わず、顔も声も背格好も、双子かというほどに瓜二つなのだ。
ちょうど髪の毛の長さも同じだし、着るものを変えれば誰も区別はつかないであろう。
「誰よりも武功をあげる自信ならあるから任せて。」
「いやいや姉上、いくらなんでもそれは無茶だ。今一度考え直せっ。」
「じゃあ腹くくって出陣すんの?そんな考え方してたら真っ先に死ぬわよ?」
「姉上が強いのは百も承知。真《まこと》におなごかと目を疑うようなことも多々ありき。じゃが曲がりなりにも一応はおなごの身なのだから……」
悪口はいいから早く寄越せ。
なかなか脱がない吉継に、裸でまたがり無理やり兜《かぶと》を引き剥がした。
「きゃー!阿古姫様なんて姿で!!」
直ぐ後ろから叫び声が聞こえてきた。
ちっ、バレたかと思ったのだが、声の主は私の身の回りの世話をしてくれている一番気心の知れた侍女のスエだった。
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