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お留守番
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婿となる照景が住む秋月家の本城・有明城《ありあけじょう》の門前には、輿に乗って訪れる花嫁を向かい入れるために門火が焚れていた。
祝言に向けての準備が慌ただしく進む中、予定よりもかなり早い時間に中門に現れた私を見るなり役人達は度肝を抜いた。
そりゃそうだ……輿になどのんびり乗っては居られぬと荷物運び用の馬に乗って疾走させたはいいが、途中で馬がへばってしまい、それからはひたすらにここまで走ってきたのだ。
体力に自信のある者だけ私に付いてきたのだが、崖や川を突っ切った方が早いと道なき道を進んだら一人またひとりと脱落していき、ついには私独りだけとなってしまった。
たどり着いた私の姿は、履物は脱げて裸足となり、真っ白だった着物も真っ黒に汚れて髪はボサボサ、身体中擦り傷だらけとなっていた。
「小汚い物乞いだな。どこから入った?あっちに行け!」
「……違う、まっ、話を……」
息が上がって言葉が上手く続かない……体が痺れて今にも倒れそうだ。
早く伝えなきゃいけないのに、誰からも花嫁だとは気付いてもらえずに門前払いを受けそうになった時、屋敷の奥から声が響いた。
「なにを手荒なことをしておる!その者は阿古姫殿じゃ!!」
照景は一目見ただけで私だと分かりそばまで駆け寄ってくると、自分の着物が汚れるのも気にせずに抱き寄せた。
「……こんな姿……もうし、わけない……」
「構わぬ。何があったか話せるか?」
照景の優しい眼差しで、憔悴《しょうすい》しきっていた心が優しくろ過されていくのを感じた。
うんうんと柔らかに問う照景に、護衛達の裏切りや櫓でのこと、そして一万もの司馬軍が一丸の城にまで攻め入ってきたことを伝えた。
父上も銀次も小平太も、今頃城で大軍を相手に戦っているはずだ。
長尾や城で働く者は無事に逃げれたのだろうか……
もう誰か……死んでしまっているかも知れない。
そう考えると、涙がボロボロと頬を伝った。
「……お願い……助けて……」
照景は一瞬瞳を震わせると、狂おしいほどに強く抱きしめてきた。
「よお頑張った。大丈夫じゃ……安心せよ。」
安堵のあまり、照景の腕の中でそのまま気を失ってしまった。
「人ではなく時代が悪いのです。恨むのではなく愛すことこそが、人を強くするのです。」
記憶の中の母上は、いつも奥にある部屋で病床に伏せていて、か細くて風が吹けば飛んでいきそうな物静かな人だった。
でも……今日の夢の中に出てきた母上は、凛とした表情をしていて内に秘めた芯の強さを感じた。
「阿古。貴方にもいつかきっと……分かる日が来るわ。」
なんだか体が熱くてだるい……
額にだけヒンヤリとした心地の良い感触がして目が覚めた。
ここはどこだろう……
誰かが桶《おけ》で濡れた手ぬぐいを絞り、私の額に置かれた手ぬぐいと交換しているのをぼやっとした意識の中で見つめた。
「阿古姫殿、起きられたか。気分はどうじゃ?」
へっ……何故に照景が私のお世話をしているのっ?!
着物も新しい小袖に変わってるんだけれど、もしかして照景が着替えさせてくれたの?えっ、また私、照景の前で素っ裸になったの?!
……って。今はそんなことを気にしている場合じゃない!!
「みんなはっ?!無事なのですかっ!」
「阿古姫殿……順を追って説明するので落ち付いて聞かれよ。」
起きようとしたのに体が鉛のように重い。無理をしすぎたせいで熱が出てしまったようだった。
照景が上半身を起こすのを手伝ってくれ、白湯を飲ませてくれた。
輿入れに引き連れてきた30人ほどのお供の者は、秋月家のもとで全員無事に保護されたとのこと。
みな疲労困憊《ひろうこんぱい》で、別室にて休んでいるそうな。
良かった……スエ達侍女を山の中に荷物もろとも置き去りにしたから心配していたのだ。
「じゃあ……一丸の城の方は……?」
「今のところ怪我人もなく無事じゃ。だが……」
城は女子供を逃がす間もなく司馬家の軍勢により瞬く間に包囲されてしまった。
勢いに乗る司馬軍はそのまま攻め落とそうと攻撃を開始したが、伊藤家からの激しい籠城《ろうじょう》により早々に退いたそうだ。
司馬軍を率いる総大将、道西の嫡男・天龍《てんりゅう》は兵力が欠けるのを恐れ、力技で落とすのを止めて兵糧攻めへと切り替えたのだという……
兵糧攻めとは、敵の食糧補給の道を断って兵糧を欠乏させることにより打ち負かす攻め方だ。
城を攻めるには相手の三倍もの兵力が必要とされている。
それは籠城側が城壁などの高所をとれて身を隠しながら攻撃出来るという地の利がある中で、攻城側はほぼ無防備に突っ込んでいくしかないからだ。
とはいえ……一丸の城に常備していた兵はわずか五百足らず。
銀次達、あの大軍からの攻撃をなんとか絶えたんだ。
敵が動きを止めている今が絶好の好機だっ。
「それで援軍は?今はどの辺りなんですか?」
「援軍は出してはおらぬ。」
出してないって……どういうこと………?
私がなんのために険しい山の中を休むことなく全力疾走してきたと……?
一世一度の花嫁衣裳が汚れてもなりふり構わず走り抜けたのは、少しでも早くみなの元に援軍を送ってあげたかったからなのにっ……!
「同盟を組むって約束したのは反故《ほご》にされたの?!」
あまりの仕打ちに身を乗り出して力んだら、ビキっとした痛みが全身をつらぬいた。
そういえば一回崖から滑って転げ落ちたんだった。あちこち打ち身だらけでとんでもなく痛いっ……
「そうではない。阿古姫殿、傷に障るからどうか落ち着つかれよ。」
「じゃあ司馬軍の数にビビったっていうの?!秋月家の総大将はとんだ腰抜けじゃない!!」
目の前の襖《ふすま》が矢のごとき速さでタンと開いた。
「誰が腰抜けだ。」
─────────こ、紅楊?!
何故に私のいる部屋に紅楊が顔を出したのだろうか……
見舞いにでも来てくれたとか……んな馬鹿なっ!
頭を下げなければと思っているのに、体が痛すぎて身動きが取れない。なんて間が悪いんだ。
でも紅楊はそんな私を気にすることもなく、枕元にドカっと腰を下ろした。
「照景の説明を最後まで聞け、この馬鹿たれが。」
司馬軍は一丸の城へと攻め入る途中、通り道にある農村を襲撃したのだという……
そのため、一丸の城には多くの農民が逃げ込んだ。
今援軍を送れば司馬 天龍は再び城を攻め落とそうと総攻撃を開始するだろう。
そうなれば農民にも多大な被害が被ってしまう……
「忍びからの情報によれば人肉を喰らい合うまで兵糧攻めを止めるつもりはないそうだ。」
人肉と聞いて背筋が凍りついた。なんて恐ろしいことを考えるのだろう………
司馬 天龍……極悪人の父親に似た、人の皮をかぶった鬼畜のような奴だ。
「そう悲観するな阿古姫殿。逆に捉えればしばらくは攻撃をしないということじゃ。その間に近隣諸国に応援を要請しにいける。」
「他に応援、ですか……?」
このところの司馬 道西の派手な動きを良く思わない大名はたくさんいる。
表向き、秋月家は伊藤家との同盟を反故にしたと思わせておき、司馬包囲網を暗躍《あんやく》する裁断なのだという……
「司馬がしっぽを巻いて逃げ出すくらいの大軍でなければ、援軍を出す意味がない。」
伊藤家側にもこの計画は矢文にて知らせ済みで、味方になりそうな日向《ひゅうが》や豊後《ぶんご》の地にも早馬を出しているのだという。
私が寝ていた一刻ほどの間にもうここまで話が進んでいるだなんて……紅楊の手際の良さに驚いてしまった。
「おい小娘。一の丸の城の兵糧は何ヶ月間耐えられそうだ?」
稲刈りも脱穀もし終えたが、まだ籾摺《もみす》りが行われていない……今年の分の年貢は城の兵糧庫にはまだ納められていないのだ。
去年の残りだけで農民の分も考慮するとなると……
「……一ヶ月が限界かと。」
毎日お腹いっぱい食べれる量ではない。ギリギリ命を繋ぎ止めれると仮定してでの日数だ。
「城から出る抜け道は?」
「ありません……」
どこかに穴が掘れれば農民だけでも逃がしてやれるのだがと、紅楊はブツブツと戦略を練っている。
自国のことならともかく、つい最近までは敵国だったのに……
どうしたら助けられるかを真剣に悩み考えてくれている。
切り捨てられたわけじゃなかった……
「……ごめんなさい。」
そんなことも分からずに腰抜け呼ばわりしてしまった。
なんて失礼な態度を取ってしまったんだろう……
「まったくだ。照景の嫁でなければ命はなかったと思え。」
紅楊はフンと不機嫌そうにしてみせたが、そんなに怒っているようには見えなかった。
会って早々首を切るのを見てしまったから恐ろしい印象しかもてなかった。
でも………
一太刀で首を切るだなんて普通じゃ出来ない。
ましてや首と体が遠く離れていかないように、首の皮一枚を残して膝の上に乗せるだなんて芸当、限界まで神経を研ぎ澄まさないと絶対に無理だ。
斬首は確かに惨い仕打ちだけれど、あの騎馬隊はそれだけの罪を犯した。
その罪人に対して、あれは最大限に敬意を表した処刑のやり方だったのだ。
切られる恐怖や痛みさえ感じることはなかっただろう……
体から放たれる威圧感が圧倒的すぎて、それは今でも変わらないし近寄り難い存在ではあるのだけれど……
笑えば弟である照景と似ているし、心の中は……優しさに溢れた人なのかも知れない────────……
「照景。おまえは司馬 道西の懐刀である安斎《あんざい》に会い、こちら側に付けと説得しに行け。」
…………うん?
「その者は今どこに?」
「肥後の東にある秀蘭という寺にいるそうだ。」
ちょちょ、ちょっと待って!
それって司馬の領地のど真ん中じゃないの?!
そんなところに行かすかなんて照景に死ねって言ってる様なもんじゃないっ!!
私が物申すと、紅楊はムッとしながらも答えた。
「今回追い払えたとしても、次にさらなる大軍で来られては太刀打ち出来ん。敵の内部から崩していくしかなかろう。」
だからといって懐刀である重臣に当主を裏切れなんて交渉、上手くいくとは到底思えない……
「安斎の妻と息子に、敵に加担した容疑がかけられておる。寺に幽閉して疑惑を晴らそうとしてはおるが、このままいけば死罪となろう。」
「そこを突くのじゃな。相分かった。」
信じられない……
安斎が君主を選べは照景はどうなるの?
血の分けた弟にこんな無茶な戦略を頼む紅楊も、それを平然と引き受ける照景も……私には信じられなかった。
大体からして紅楊は、奇襲攻撃の大将も照景にやらしていた。弟をなんでも言うことを聞く便利なモノのように思っているのではないだろうか。
せっかくちょっとは良い人なのかもと見直したのに……
小姓が失礼しますと言って部屋に入ってきた。
「殿、谷家からの使者がお会いしたいと。」
「少し待てと伝えろ。先に軍議を行う。」
部屋から出ようとした紅楊が足を止め、照景に向かっておまえは来なくていいと制した。
「では支度が整い次第、肥後へと出発を致し……」
「出発も明日でいい。」
紅楊はチラリと私を見ると言葉を続けた。
「今夜ぐらいそばに居てやれ。」
気を効かせた思いやりのある言葉のようにも聞こえるが、私には今夜が最初で最後になると宣告されたように聞こえた。
祝言も挙げていないのに、未亡人になるだなんて冗談じゃないっ……
紅楊が部屋から去った後、居ても立っても居られずに叫んだ。
「照景殿っ、私もお供しますっ!」
「駄目じゃ。そのような体で出歩けるわけがないし、第一に危険じゃ。」
危険だからこそ付いていきたいのにっ……!
そんじょそこらの武士より腕っ節には自信があるのに、私が女だから、玉が無いからだとかいう理由がほんっっとうに気に食わないっ!!
「阿古姫殿が待つのは嫌だと知っておるのにこんなことを言わねばならぬのはとても心苦しい。だが、あえて言う。」
照景は目を閉じてゆっくりと深呼吸をすると、静かに瞼《まぶた》を見開いた。
「………阿古。待っていろ。」
鋭いけれど…澄んでいて………
射抜くような、瞳─────────……
─────────ずるい……
こんな風に名前を言われて頼まれたら嫌だとは言えない。
この人が帰るのを、待ちたいとさえ思ってしまう……
これ以上見つめ合ったら吸い込まれて溶けてしまいそうだ。
顔を逸らすと、照景は私の頬に手を添えて自分の方へと向かせた。
あれ……これはいきなりまさかの寝所?
いやいや、待って。
私達……祝言をまだ挙げてないからっ……!
「……阿古……」
名前を呼ばれるだけで胸がグンと熱くなる。
照景が、耳元にまで唇を近付け……艶やかな声でささやいてきた。
「大人しく待てるのなら“ウキっ”と返事をするのだ。」
こんな甘々な場面でなんてことをぶち込んでくるんだ。
「照景殿……阿古は野猿ではありません……」
冗談じゃとケラケラと笑う照景にもうっと言って拗ねた。
よくよく考えれば心優しい照景が病人のおなごを押し倒すような真似をするはずがない。
あまりにも熱い目で見てくるもんだからすっかり騙されてしまったじゃないか……恥ずかしい。
照景の手が微かに震えている気がした。
私の熱を下げるために冷たい水で手ぬぐいを絞っていたから冷えたのかもしれない。カタカタと震える手を取り、温かい息を吹きかけた。
すると照景はふっと悲しげな顔をみせた。
「兄上には、活路を見出せる天賦《てんふ》の才がある。常人には考え及ばないような閃《ひらめ》きを成す兄上を心から尊敬しておるし、期待に応えたいと思っておる……」
照景はもう良いと私の手を解くと、強く握り返してきた。
「だが、本音を言えば臆することもある……情けないことにの。」
照景殿──────────……
震えていたのは寒いからではなく、恐かったからなのだ。
情けなくなんかない。
弱音を吐く照景が、たまらなく愛おしく感じた。
「阿古は……ここで大人しく待っております。」
そう言ってしおらしく頭を下げた私を見て、照景はらしくないなと言って目を細めた。
「阿古姫殿。離れていても心は常にそばにおる。だから……この照景を信じて、待て。」
待つのはなんて辛いのだろうと思っていた。
でも、行かねばならぬ男達もみな……
辛いのだ──────────……
祝言に向けての準備が慌ただしく進む中、予定よりもかなり早い時間に中門に現れた私を見るなり役人達は度肝を抜いた。
そりゃそうだ……輿になどのんびり乗っては居られぬと荷物運び用の馬に乗って疾走させたはいいが、途中で馬がへばってしまい、それからはひたすらにここまで走ってきたのだ。
体力に自信のある者だけ私に付いてきたのだが、崖や川を突っ切った方が早いと道なき道を進んだら一人またひとりと脱落していき、ついには私独りだけとなってしまった。
たどり着いた私の姿は、履物は脱げて裸足となり、真っ白だった着物も真っ黒に汚れて髪はボサボサ、身体中擦り傷だらけとなっていた。
「小汚い物乞いだな。どこから入った?あっちに行け!」
「……違う、まっ、話を……」
息が上がって言葉が上手く続かない……体が痺れて今にも倒れそうだ。
早く伝えなきゃいけないのに、誰からも花嫁だとは気付いてもらえずに門前払いを受けそうになった時、屋敷の奥から声が響いた。
「なにを手荒なことをしておる!その者は阿古姫殿じゃ!!」
照景は一目見ただけで私だと分かりそばまで駆け寄ってくると、自分の着物が汚れるのも気にせずに抱き寄せた。
「……こんな姿……もうし、わけない……」
「構わぬ。何があったか話せるか?」
照景の優しい眼差しで、憔悴《しょうすい》しきっていた心が優しくろ過されていくのを感じた。
うんうんと柔らかに問う照景に、護衛達の裏切りや櫓でのこと、そして一万もの司馬軍が一丸の城にまで攻め入ってきたことを伝えた。
父上も銀次も小平太も、今頃城で大軍を相手に戦っているはずだ。
長尾や城で働く者は無事に逃げれたのだろうか……
もう誰か……死んでしまっているかも知れない。
そう考えると、涙がボロボロと頬を伝った。
「……お願い……助けて……」
照景は一瞬瞳を震わせると、狂おしいほどに強く抱きしめてきた。
「よお頑張った。大丈夫じゃ……安心せよ。」
安堵のあまり、照景の腕の中でそのまま気を失ってしまった。
「人ではなく時代が悪いのです。恨むのではなく愛すことこそが、人を強くするのです。」
記憶の中の母上は、いつも奥にある部屋で病床に伏せていて、か細くて風が吹けば飛んでいきそうな物静かな人だった。
でも……今日の夢の中に出てきた母上は、凛とした表情をしていて内に秘めた芯の強さを感じた。
「阿古。貴方にもいつかきっと……分かる日が来るわ。」
なんだか体が熱くてだるい……
額にだけヒンヤリとした心地の良い感触がして目が覚めた。
ここはどこだろう……
誰かが桶《おけ》で濡れた手ぬぐいを絞り、私の額に置かれた手ぬぐいと交換しているのをぼやっとした意識の中で見つめた。
「阿古姫殿、起きられたか。気分はどうじゃ?」
へっ……何故に照景が私のお世話をしているのっ?!
着物も新しい小袖に変わってるんだけれど、もしかして照景が着替えさせてくれたの?えっ、また私、照景の前で素っ裸になったの?!
……って。今はそんなことを気にしている場合じゃない!!
「みんなはっ?!無事なのですかっ!」
「阿古姫殿……順を追って説明するので落ち付いて聞かれよ。」
起きようとしたのに体が鉛のように重い。無理をしすぎたせいで熱が出てしまったようだった。
照景が上半身を起こすのを手伝ってくれ、白湯を飲ませてくれた。
輿入れに引き連れてきた30人ほどのお供の者は、秋月家のもとで全員無事に保護されたとのこと。
みな疲労困憊《ひろうこんぱい》で、別室にて休んでいるそうな。
良かった……スエ達侍女を山の中に荷物もろとも置き去りにしたから心配していたのだ。
「じゃあ……一丸の城の方は……?」
「今のところ怪我人もなく無事じゃ。だが……」
城は女子供を逃がす間もなく司馬家の軍勢により瞬く間に包囲されてしまった。
勢いに乗る司馬軍はそのまま攻め落とそうと攻撃を開始したが、伊藤家からの激しい籠城《ろうじょう》により早々に退いたそうだ。
司馬軍を率いる総大将、道西の嫡男・天龍《てんりゅう》は兵力が欠けるのを恐れ、力技で落とすのを止めて兵糧攻めへと切り替えたのだという……
兵糧攻めとは、敵の食糧補給の道を断って兵糧を欠乏させることにより打ち負かす攻め方だ。
城を攻めるには相手の三倍もの兵力が必要とされている。
それは籠城側が城壁などの高所をとれて身を隠しながら攻撃出来るという地の利がある中で、攻城側はほぼ無防備に突っ込んでいくしかないからだ。
とはいえ……一丸の城に常備していた兵はわずか五百足らず。
銀次達、あの大軍からの攻撃をなんとか絶えたんだ。
敵が動きを止めている今が絶好の好機だっ。
「それで援軍は?今はどの辺りなんですか?」
「援軍は出してはおらぬ。」
出してないって……どういうこと………?
私がなんのために険しい山の中を休むことなく全力疾走してきたと……?
一世一度の花嫁衣裳が汚れてもなりふり構わず走り抜けたのは、少しでも早くみなの元に援軍を送ってあげたかったからなのにっ……!
「同盟を組むって約束したのは反故《ほご》にされたの?!」
あまりの仕打ちに身を乗り出して力んだら、ビキっとした痛みが全身をつらぬいた。
そういえば一回崖から滑って転げ落ちたんだった。あちこち打ち身だらけでとんでもなく痛いっ……
「そうではない。阿古姫殿、傷に障るからどうか落ち着つかれよ。」
「じゃあ司馬軍の数にビビったっていうの?!秋月家の総大将はとんだ腰抜けじゃない!!」
目の前の襖《ふすま》が矢のごとき速さでタンと開いた。
「誰が腰抜けだ。」
─────────こ、紅楊?!
何故に私のいる部屋に紅楊が顔を出したのだろうか……
見舞いにでも来てくれたとか……んな馬鹿なっ!
頭を下げなければと思っているのに、体が痛すぎて身動きが取れない。なんて間が悪いんだ。
でも紅楊はそんな私を気にすることもなく、枕元にドカっと腰を下ろした。
「照景の説明を最後まで聞け、この馬鹿たれが。」
司馬軍は一丸の城へと攻め入る途中、通り道にある農村を襲撃したのだという……
そのため、一丸の城には多くの農民が逃げ込んだ。
今援軍を送れば司馬 天龍は再び城を攻め落とそうと総攻撃を開始するだろう。
そうなれば農民にも多大な被害が被ってしまう……
「忍びからの情報によれば人肉を喰らい合うまで兵糧攻めを止めるつもりはないそうだ。」
人肉と聞いて背筋が凍りついた。なんて恐ろしいことを考えるのだろう………
司馬 天龍……極悪人の父親に似た、人の皮をかぶった鬼畜のような奴だ。
「そう悲観するな阿古姫殿。逆に捉えればしばらくは攻撃をしないということじゃ。その間に近隣諸国に応援を要請しにいける。」
「他に応援、ですか……?」
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「司馬がしっぽを巻いて逃げ出すくらいの大軍でなければ、援軍を出す意味がない。」
伊藤家側にもこの計画は矢文にて知らせ済みで、味方になりそうな日向《ひゅうが》や豊後《ぶんご》の地にも早馬を出しているのだという。
私が寝ていた一刻ほどの間にもうここまで話が進んでいるだなんて……紅楊の手際の良さに驚いてしまった。
「おい小娘。一の丸の城の兵糧は何ヶ月間耐えられそうだ?」
稲刈りも脱穀もし終えたが、まだ籾摺《もみす》りが行われていない……今年の分の年貢は城の兵糧庫にはまだ納められていないのだ。
去年の残りだけで農民の分も考慮するとなると……
「……一ヶ月が限界かと。」
毎日お腹いっぱい食べれる量ではない。ギリギリ命を繋ぎ止めれると仮定してでの日数だ。
「城から出る抜け道は?」
「ありません……」
どこかに穴が掘れれば農民だけでも逃がしてやれるのだがと、紅楊はブツブツと戦略を練っている。
自国のことならともかく、つい最近までは敵国だったのに……
どうしたら助けられるかを真剣に悩み考えてくれている。
切り捨てられたわけじゃなかった……
「……ごめんなさい。」
そんなことも分からずに腰抜け呼ばわりしてしまった。
なんて失礼な態度を取ってしまったんだろう……
「まったくだ。照景の嫁でなければ命はなかったと思え。」
紅楊はフンと不機嫌そうにしてみせたが、そんなに怒っているようには見えなかった。
会って早々首を切るのを見てしまったから恐ろしい印象しかもてなかった。
でも………
一太刀で首を切るだなんて普通じゃ出来ない。
ましてや首と体が遠く離れていかないように、首の皮一枚を残して膝の上に乗せるだなんて芸当、限界まで神経を研ぎ澄まさないと絶対に無理だ。
斬首は確かに惨い仕打ちだけれど、あの騎馬隊はそれだけの罪を犯した。
その罪人に対して、あれは最大限に敬意を表した処刑のやり方だったのだ。
切られる恐怖や痛みさえ感じることはなかっただろう……
体から放たれる威圧感が圧倒的すぎて、それは今でも変わらないし近寄り難い存在ではあるのだけれど……
笑えば弟である照景と似ているし、心の中は……優しさに溢れた人なのかも知れない────────……
「照景。おまえは司馬 道西の懐刀である安斎《あんざい》に会い、こちら側に付けと説得しに行け。」
…………うん?
「その者は今どこに?」
「肥後の東にある秀蘭という寺にいるそうだ。」
ちょちょ、ちょっと待って!
それって司馬の領地のど真ん中じゃないの?!
そんなところに行かすかなんて照景に死ねって言ってる様なもんじゃないっ!!
私が物申すと、紅楊はムッとしながらも答えた。
「今回追い払えたとしても、次にさらなる大軍で来られては太刀打ち出来ん。敵の内部から崩していくしかなかろう。」
だからといって懐刀である重臣に当主を裏切れなんて交渉、上手くいくとは到底思えない……
「安斎の妻と息子に、敵に加担した容疑がかけられておる。寺に幽閉して疑惑を晴らそうとしてはおるが、このままいけば死罪となろう。」
「そこを突くのじゃな。相分かった。」
信じられない……
安斎が君主を選べは照景はどうなるの?
血の分けた弟にこんな無茶な戦略を頼む紅楊も、それを平然と引き受ける照景も……私には信じられなかった。
大体からして紅楊は、奇襲攻撃の大将も照景にやらしていた。弟をなんでも言うことを聞く便利なモノのように思っているのではないだろうか。
せっかくちょっとは良い人なのかもと見直したのに……
小姓が失礼しますと言って部屋に入ってきた。
「殿、谷家からの使者がお会いしたいと。」
「少し待てと伝えろ。先に軍議を行う。」
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「では支度が整い次第、肥後へと出発を致し……」
「出発も明日でいい。」
紅楊はチラリと私を見ると言葉を続けた。
「今夜ぐらいそばに居てやれ。」
気を効かせた思いやりのある言葉のようにも聞こえるが、私には今夜が最初で最後になると宣告されたように聞こえた。
祝言も挙げていないのに、未亡人になるだなんて冗談じゃないっ……
紅楊が部屋から去った後、居ても立っても居られずに叫んだ。
「照景殿っ、私もお供しますっ!」
「駄目じゃ。そのような体で出歩けるわけがないし、第一に危険じゃ。」
危険だからこそ付いていきたいのにっ……!
そんじょそこらの武士より腕っ節には自信があるのに、私が女だから、玉が無いからだとかいう理由がほんっっとうに気に食わないっ!!
「阿古姫殿が待つのは嫌だと知っておるのにこんなことを言わねばならぬのはとても心苦しい。だが、あえて言う。」
照景は目を閉じてゆっくりと深呼吸をすると、静かに瞼《まぶた》を見開いた。
「………阿古。待っていろ。」
鋭いけれど…澄んでいて………
射抜くような、瞳─────────……
─────────ずるい……
こんな風に名前を言われて頼まれたら嫌だとは言えない。
この人が帰るのを、待ちたいとさえ思ってしまう……
これ以上見つめ合ったら吸い込まれて溶けてしまいそうだ。
顔を逸らすと、照景は私の頬に手を添えて自分の方へと向かせた。
あれ……これはいきなりまさかの寝所?
いやいや、待って。
私達……祝言をまだ挙げてないからっ……!
「……阿古……」
名前を呼ばれるだけで胸がグンと熱くなる。
照景が、耳元にまで唇を近付け……艶やかな声でささやいてきた。
「大人しく待てるのなら“ウキっ”と返事をするのだ。」
こんな甘々な場面でなんてことをぶち込んでくるんだ。
「照景殿……阿古は野猿ではありません……」
冗談じゃとケラケラと笑う照景にもうっと言って拗ねた。
よくよく考えれば心優しい照景が病人のおなごを押し倒すような真似をするはずがない。
あまりにも熱い目で見てくるもんだからすっかり騙されてしまったじゃないか……恥ずかしい。
照景の手が微かに震えている気がした。
私の熱を下げるために冷たい水で手ぬぐいを絞っていたから冷えたのかもしれない。カタカタと震える手を取り、温かい息を吹きかけた。
すると照景はふっと悲しげな顔をみせた。
「兄上には、活路を見出せる天賦《てんふ》の才がある。常人には考え及ばないような閃《ひらめ》きを成す兄上を心から尊敬しておるし、期待に応えたいと思っておる……」
照景はもう良いと私の手を解くと、強く握り返してきた。
「だが、本音を言えば臆することもある……情けないことにの。」
照景殿──────────……
震えていたのは寒いからではなく、恐かったからなのだ。
情けなくなんかない。
弱音を吐く照景が、たまらなく愛おしく感じた。
「阿古は……ここで大人しく待っております。」
そう言ってしおらしく頭を下げた私を見て、照景はらしくないなと言って目を細めた。
「阿古姫殿。離れていても心は常にそばにおる。だから……この照景を信じて、待て。」
待つのはなんて辛いのだろうと思っていた。
でも、行かねばならぬ男達もみな……
辛いのだ──────────……
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国枝 那月×野口 航平の過去編です。
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