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波乱の輿入れ
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戦国時代の結婚式とはいかなるものか──────
先ず婚約が成立すると太刀や生地などの結納品を取り交わし、その後輿入れが行われる。
輿入れとは花嫁となる者を輿《こし》と呼ばれる乗り物に乗せ、嫁入り道具の品々とともに花婿の家へと担ぎ入れることをいう。
そして祝言を挙げたのち、三日後に正式な嫁として婚家に迎え入れられるのだ。
花嫁と花婿は祝言の場で初めて顔を合わせ、式が終わると身を清めて寝所をともにする。
初対面で生理的に受け付けないような相手だとしても拒否する選択肢などない。
お家のために、じっと耐えるしかないのだ。
私のお相手は照景でどんな人かも知ってるし、その辺の心配は皆無なんだけれど……
今夜いきなり寝所ってのが…ねえ……
えっ?寝所ってのが分からないだって?
それはそのっ……ごにょごにょ。
「お供が全部で30人だけだなんて随分寂しい輿入れですよね。護衛の武士も10人だけだし……」
私が乗る輿の横を、くっつくように歩くスエが不満混じりに唇をとがらせた。
輿入れの行列とは本来ならばもっと大人数で豪華に行うものなのである。
でもこのところ、司馬家の領土で不穏な動きが確認されており、一瞬たりとも目が離せない状況にあった。
司馬家と接する山の頂上に櫓《やぐら》を建てて見張りを配置し、防衛を強める必要があったためにこちらに貴重な人力を割くことが出来なくなったのだ。
それはそうなんですけど~とスエは周りを見渡した。
「この山道は山賊が出ると聞きましたし、危なくありませんか?」
「平気よ。もし山賊が現れても私達がやっつけてやるから安心しなさい。」
人数は少なくとも護衛には銀次と小平太が含まれている。何十人束になってこようが蹴散らしてやるわあ!
会話を聞いていた銀次が呆れたような顔をした。
「なんで阿古姫様も頭数に入ってるんですか。輿入れ中に刀振り回したなんてバレたら離縁《りえん》されますよ。」
離縁と言われてビクっとなった。
楽しみにして待っておるぞと笑った照景の艶やかな声が、ずっと耳から離れない……
一応花嫁の衣装である純白の小袖と打掛を着てお化粧もしているけれど、ご期待にそえるようなものになっているのかしら……
私達が入れ替わっていたことは吉継の方もバレることはなかった。
というのも私が捕まえられたと聞いて吉継は失神し、無事に戻ってくる日までずっと寝込んでいたからだ。
でもそれから、次に戦があればわしが必ず出向くと宣言し、銀次らを相手に武芸の特訓に励むようになった。
長尾は急に決まった結婚話に、これではいかんと叫んだ。
今まで私がサボりにサボっていた和歌や茶道などの教養を学ばせなければならぬと焦り、朝も晩も張り切ったせいで心労がたまり体調を崩してしまった。
本来ならば乳母である私が嫁ぎ先へと付いて行くのが通例なのにと……涙をにじませた。
あれだけうるさいと思っていた長尾の小言がもう聞けなくなるのだと思うと、寂しくなってしまった。
秋月家のある東の空を見上げると、青空の下でまっ白な上弦の月が浮かんでいた。
今日の夜には秋月家の本城へと到着して祝言を上げているのか……
「ねえねえ。退屈だしみんなで尻取りしない?」
「阿古姫様は輿からいちいち顔を出しておしゃべりしない!小平太も干し芋をつまみ食いするんじゃない!」
なによ銀次のケチんぼ。
まあ銀次が眉間にシワを寄せて怒るのも、小平太がムシャムシャと美味そうに食べるのも、これで見納めになるんだけどね……
吉継はまだまだ頼りないけれど、この二人がいればきっと良い方向に導いてくれるだろう………
私がいなくても、伊藤家の未来は安泰だ。
ゆらゆらと揺れる輿の中で感傷に浸っていると、生い茂る山道の脇からむさくるしい格好をした男どもが現れて行く手を塞いだ。
「金目のものと女を置いていけ。」
山賊きた────────っ!!
本物の山賊とお手合わせをする機会に恵まれるだなんてっ。
意気揚々と輿から飛び出たらスエに必死の形相で止められた。
「阿古姫様は駄目ですからね?!花嫁の白い衣装には相手方の色に染まるという意味があるのに、汚したりなんかしたら私が長尾様に祟《たた》られますっ!」
祟られるって……まるで長尾を怨霊みたいに言うのね。
山賊は5人だけだった。それっぽっちじゃ銀次と小平太にかかれば速攻で倒されるだろう。ちえっ。
でもその山賊達、踏み込んできたかと思えば後退し、挑発しては逃げたりを繰り返すだけでまともに勝負をしようとしない。
「なんなのあいつら。威勢よく現れた割には随分と逃げ腰ね。」
だんだんと小さくなる集団を見ながら期待外れだと愚痴ると、直ぐ後ろから声がした。
「……そりゃ、銀次と小平太を阿古姫様から遠ざけるのが目的ですからね。」
……えっ……?
隣にいたスエが羽交い締めにされて悲鳴を上げた。
山賊の仲間が潜んでいたのかと思いきや、スエの周りにいたのは残っていた護衛達だった。
これは、一体どういうこと─────……?
「司馬 道西様が、阿古姫様を奥方に迎えて伊藤家と同盟を組むと言うておられます。阿古姫様に乱暴はしたくない。大人しく、我らと一緒に司馬の元へと参りましょう。」
私が、司馬と……?
宿敵である秋月家との同盟を全員が納得しているとは思ってはいなかったけれど、よりにもよってあの司馬家と手を結ぼうだなんて……
司馬 道西にはちゃんとした正室がいる。側室だって確か十人以上いたはずだ。
てか、50過ぎのおっさんのとこに嫁にいくだなんて冗談じゃないっ。
私がそれは無理だと答えると、スエの首に刀を突きつけた。
「秋月家に仲間が何人殺されたとお思いですか?なのに同盟だと?ふざけるなっ!ここは司馬家側に付くべきです!!」
他の侍女やお供の男達はあたふたと見守ることしか出来ない。
反撃したいけれど、私がちょっとでも妙な動きをすればスエのことを容赦なく傷付けるだろう。
仲間内で争うように策略してくる司馬のやり口が許せない……
先祖代々伊藤家とは主従関係にあった家臣達が、こんな形で裏切るのがとても悲しかった。
「……父上が秋月家に殺された人達を思わない日があると思うの?」
父上は毎朝薄暗い内に起床し、一人で身支度を整えると朝食も取らずに城にある仏間へと向かう。
夏の暑い日も冬の寒い日も毎日欠かさず、死んでいった家臣達を思い拝んでいるのだ。
誰よりも秋月家を許せないでいるのは父上だ。
でも地理的にいえば、司馬から真っ先に狙われるのは秋月家ではなく伊藤家の方だ。
司馬家のような大国の軍勢を、伊藤家だけで退けることは不可能なのだ。
「父上が喜んでこの同盟を受け入れ、娘を差し出したと思ってんの?笑わせないでよ……」
父上は命に関わる以外の大抵のことは取るに足らなきことだと言って朗《ほが》らかに笑う人だった。
今回の結婚も照景殿のような方がお相手で良かった良かったと祝福していたのに、長尾の前では……阿古にだけ業《ごう》を背負わせてしまったと泣いていたのだという。
「多大な犠牲を出さないために、見栄も外聞も吐き捨てて出された手を握らざるを得なかった父上の苦痛の決断が、お前達には何故分からないの?」
家来達はお互いの顔を見合わせて狼狽《ろうばい》しながらも、しかし司馬 道西様はとまだ何か言いたそうである。
そうこうしている内に山賊を仕留めた銀次と小平太が戻ってきた。
刀を突きつけられているスエを見て現状を把握した銀次が、一気に間合いを詰めて切りかかろうとしたのを待てと言って引き止めた。
「司馬に何を言われたか知らないけれど、命乞いをしようが女子供関係なく殺すような奴が約束を守ると本気で思ってるの?」
甘い言葉で近付いて取り入り、相手が油断したところで後ろから刺すのは司馬の上等手段だ。
恐らく司馬は私を盾にして伊藤家を一気に滅ぼすつもりだ。
そんなことも分からないだなんてっ─────……
「お前達はこの美しい故郷の地が非道な侵略者によって血にまみれ、ボロボロにされるところが見たいのかっ!!見誤《みあやま》るなこの愚か者が!!!」
腹に力を込めた大声で一喝すると、家来達は地面に頭を付けてひれ伏した。
「申し訳ございませんでした!!」
解放されて震えながら泣くスエをヨシヨシと慰めてあげた。
裏切ろうとしたことは一時の気の迷いだったと今回だけは見逃してやろう、だがしかしっ……!
「か弱きおなごを泣かしたことだけは勘弁ならん!!そこに並んで立てえ!!金玉蹴りあげてやるっ!!」
「阿古姫様!おなごがそんな下品なことを言っちゃ駄目です!!速攻で離縁されますよ!」
なによ銀次は、二言目にはに離縁、離縁て。
充分有り得るんだから脅かすのは止めてよね……
「でももう、遅いのです……」
大の男達が揃いも揃ってさめざめと泣き出した。なんのことだと聞いても泣くばかりでてんで話しにならない。
なんだこれはと呆れていたら、私の鼻先がほんの僅かに漂う焦げた匂いをとらえた。
「……どこからか煙の匂いがする。」
銀次が山火事でしょうかと辺りを警戒したが違う……これは、ヨモギやワラを焼いた匂いだ。
嫌な予感がした私は、近くにあった幹に手をかけてひょいひょいと木を登り始めた。
「ああもう!阿古姫様はそうやって直ぐヤンチャする!」
文句を言いつつも後から登ってきた銀次と辺りを見渡し、北の空に真っ直ぐに立ち上る煙を一本見つけた。
それは山のふもとにある支城からの“のろし”だった。
のろしは情報手段の一種で、遠距離にいる仲間に人や馬が手紙を運ぶより高速で伝えることが出来る。
城から上がるのろしの意味は、敵が攻めてきたという合図であった。
まさか……司馬軍────────?!
「なんで山を越えてふもとにまで敵が攻めてきてるんだっ?!櫓《やぐら》の見張りはどうなってんだ!!」
銀次が苦々しく叫んだ。
こうならないようにと司馬の領地を監視していたはずなのに……
誰も気付かなかったなんて有り得ないっ。この信じられない光景に、泣いている家臣達に木から飛び下りて詰め寄った。
「どうなってるの?!知っていることを全部白状なさいっ!!」
司馬 道西に言われ、櫓にいた武士達に配る食事の中にセンダンの樹皮を混ぜ込んだのだという……
センダンは寄生虫を体外に排出するための虫下しの薬として使用される。
そんなものを食べさせられたらお腹が下って監視どころじゃない。その隙をついて司馬軍はなんなく攻め入ってきたのだ。
こんっの、ド阿呆どもがっ!!
父上の元にはあののろしの知らせは届いているのだろうか……早く援軍を送ってあげないとっ………
「阿古姫様!のろしが上がったのは一本じゃない!」
木の上から銀次が叫んだ。
のろしの数にも意味がある。一本なら攻めてきた敵兵の数は少軍。
二本なら数千人規模の中軍。
三本なら、一万人以上の大軍………
「銀次……のろしは何本上がってるの?」
立ち上るのろしの数を、木々の合間を縫って数えた銀次の口から、悲痛な声が漏れた。
「……よん……四本です………」
四本ならば…………
落城─────────……
嘘でしょ……
いくら不意をつかれたからって、あっという間に敵の手に落ちたっていうの……?
「山から物凄い数の軍勢が下りてくるのが見えます!あの旗印《はたじるし》は司馬軍です!!田を横切り……東へと向かっております!」
力が抜けて倒れそうになる気力をなんとか奮い立たせ、馬の背中へと上った。
東には父上達が暮らす本城、一丸《いちまる》の城がある……あいつら、次は本城を攻め落とす気だ。
このまま進ませてなるものかっ!!
木から飛び下りてきた銀次が私の乗った馬にしがみついた。
「離せ銀次!止めるなっ!みんなが殺される!!」
「そんな目立つ格好で行っても直ぐに見つかって捕まるだけです!」
横から小平太にむんずと体を捕まれ、軽々と担がれて輿へと押し込まれた。
「一丸の城へ加勢しに参ります。阿古姫様はこのまま秋月家に向かって援軍要請をして来て下さい。そのための同盟でしょ?」
……小平太の言う通りだ。
今、自分は何をすべきなのか……もっと冷静になって判断しなければならない。
「司馬軍に、我らの力を見せつけてやりましょう。」
全身から闘志をみなぎらせる頼もしい銀次と小平太の姿に、さっきまでめそめそと泣いていた家臣達が我らも戦いますっ!と立ち上がった。
馬に乗って土埃を上げながら去って行くみんなの背中を……見えなくなるまで見送った。
先ず婚約が成立すると太刀や生地などの結納品を取り交わし、その後輿入れが行われる。
輿入れとは花嫁となる者を輿《こし》と呼ばれる乗り物に乗せ、嫁入り道具の品々とともに花婿の家へと担ぎ入れることをいう。
そして祝言を挙げたのち、三日後に正式な嫁として婚家に迎え入れられるのだ。
花嫁と花婿は祝言の場で初めて顔を合わせ、式が終わると身を清めて寝所をともにする。
初対面で生理的に受け付けないような相手だとしても拒否する選択肢などない。
お家のために、じっと耐えるしかないのだ。
私のお相手は照景でどんな人かも知ってるし、その辺の心配は皆無なんだけれど……
今夜いきなり寝所ってのが…ねえ……
えっ?寝所ってのが分からないだって?
それはそのっ……ごにょごにょ。
「お供が全部で30人だけだなんて随分寂しい輿入れですよね。護衛の武士も10人だけだし……」
私が乗る輿の横を、くっつくように歩くスエが不満混じりに唇をとがらせた。
輿入れの行列とは本来ならばもっと大人数で豪華に行うものなのである。
でもこのところ、司馬家の領土で不穏な動きが確認されており、一瞬たりとも目が離せない状況にあった。
司馬家と接する山の頂上に櫓《やぐら》を建てて見張りを配置し、防衛を強める必要があったためにこちらに貴重な人力を割くことが出来なくなったのだ。
それはそうなんですけど~とスエは周りを見渡した。
「この山道は山賊が出ると聞きましたし、危なくありませんか?」
「平気よ。もし山賊が現れても私達がやっつけてやるから安心しなさい。」
人数は少なくとも護衛には銀次と小平太が含まれている。何十人束になってこようが蹴散らしてやるわあ!
会話を聞いていた銀次が呆れたような顔をした。
「なんで阿古姫様も頭数に入ってるんですか。輿入れ中に刀振り回したなんてバレたら離縁《りえん》されますよ。」
離縁と言われてビクっとなった。
楽しみにして待っておるぞと笑った照景の艶やかな声が、ずっと耳から離れない……
一応花嫁の衣装である純白の小袖と打掛を着てお化粧もしているけれど、ご期待にそえるようなものになっているのかしら……
私達が入れ替わっていたことは吉継の方もバレることはなかった。
というのも私が捕まえられたと聞いて吉継は失神し、無事に戻ってくる日までずっと寝込んでいたからだ。
でもそれから、次に戦があればわしが必ず出向くと宣言し、銀次らを相手に武芸の特訓に励むようになった。
長尾は急に決まった結婚話に、これではいかんと叫んだ。
今まで私がサボりにサボっていた和歌や茶道などの教養を学ばせなければならぬと焦り、朝も晩も張り切ったせいで心労がたまり体調を崩してしまった。
本来ならば乳母である私が嫁ぎ先へと付いて行くのが通例なのにと……涙をにじませた。
あれだけうるさいと思っていた長尾の小言がもう聞けなくなるのだと思うと、寂しくなってしまった。
秋月家のある東の空を見上げると、青空の下でまっ白な上弦の月が浮かんでいた。
今日の夜には秋月家の本城へと到着して祝言を上げているのか……
「ねえねえ。退屈だしみんなで尻取りしない?」
「阿古姫様は輿からいちいち顔を出しておしゃべりしない!小平太も干し芋をつまみ食いするんじゃない!」
なによ銀次のケチんぼ。
まあ銀次が眉間にシワを寄せて怒るのも、小平太がムシャムシャと美味そうに食べるのも、これで見納めになるんだけどね……
吉継はまだまだ頼りないけれど、この二人がいればきっと良い方向に導いてくれるだろう………
私がいなくても、伊藤家の未来は安泰だ。
ゆらゆらと揺れる輿の中で感傷に浸っていると、生い茂る山道の脇からむさくるしい格好をした男どもが現れて行く手を塞いだ。
「金目のものと女を置いていけ。」
山賊きた────────っ!!
本物の山賊とお手合わせをする機会に恵まれるだなんてっ。
意気揚々と輿から飛び出たらスエに必死の形相で止められた。
「阿古姫様は駄目ですからね?!花嫁の白い衣装には相手方の色に染まるという意味があるのに、汚したりなんかしたら私が長尾様に祟《たた》られますっ!」
祟られるって……まるで長尾を怨霊みたいに言うのね。
山賊は5人だけだった。それっぽっちじゃ銀次と小平太にかかれば速攻で倒されるだろう。ちえっ。
でもその山賊達、踏み込んできたかと思えば後退し、挑発しては逃げたりを繰り返すだけでまともに勝負をしようとしない。
「なんなのあいつら。威勢よく現れた割には随分と逃げ腰ね。」
だんだんと小さくなる集団を見ながら期待外れだと愚痴ると、直ぐ後ろから声がした。
「……そりゃ、銀次と小平太を阿古姫様から遠ざけるのが目的ですからね。」
……えっ……?
隣にいたスエが羽交い締めにされて悲鳴を上げた。
山賊の仲間が潜んでいたのかと思いきや、スエの周りにいたのは残っていた護衛達だった。
これは、一体どういうこと─────……?
「司馬 道西様が、阿古姫様を奥方に迎えて伊藤家と同盟を組むと言うておられます。阿古姫様に乱暴はしたくない。大人しく、我らと一緒に司馬の元へと参りましょう。」
私が、司馬と……?
宿敵である秋月家との同盟を全員が納得しているとは思ってはいなかったけれど、よりにもよってあの司馬家と手を結ぼうだなんて……
司馬 道西にはちゃんとした正室がいる。側室だって確か十人以上いたはずだ。
てか、50過ぎのおっさんのとこに嫁にいくだなんて冗談じゃないっ。
私がそれは無理だと答えると、スエの首に刀を突きつけた。
「秋月家に仲間が何人殺されたとお思いですか?なのに同盟だと?ふざけるなっ!ここは司馬家側に付くべきです!!」
他の侍女やお供の男達はあたふたと見守ることしか出来ない。
反撃したいけれど、私がちょっとでも妙な動きをすればスエのことを容赦なく傷付けるだろう。
仲間内で争うように策略してくる司馬のやり口が許せない……
先祖代々伊藤家とは主従関係にあった家臣達が、こんな形で裏切るのがとても悲しかった。
「……父上が秋月家に殺された人達を思わない日があると思うの?」
父上は毎朝薄暗い内に起床し、一人で身支度を整えると朝食も取らずに城にある仏間へと向かう。
夏の暑い日も冬の寒い日も毎日欠かさず、死んでいった家臣達を思い拝んでいるのだ。
誰よりも秋月家を許せないでいるのは父上だ。
でも地理的にいえば、司馬から真っ先に狙われるのは秋月家ではなく伊藤家の方だ。
司馬家のような大国の軍勢を、伊藤家だけで退けることは不可能なのだ。
「父上が喜んでこの同盟を受け入れ、娘を差し出したと思ってんの?笑わせないでよ……」
父上は命に関わる以外の大抵のことは取るに足らなきことだと言って朗《ほが》らかに笑う人だった。
今回の結婚も照景殿のような方がお相手で良かった良かったと祝福していたのに、長尾の前では……阿古にだけ業《ごう》を背負わせてしまったと泣いていたのだという。
「多大な犠牲を出さないために、見栄も外聞も吐き捨てて出された手を握らざるを得なかった父上の苦痛の決断が、お前達には何故分からないの?」
家来達はお互いの顔を見合わせて狼狽《ろうばい》しながらも、しかし司馬 道西様はとまだ何か言いたそうである。
そうこうしている内に山賊を仕留めた銀次と小平太が戻ってきた。
刀を突きつけられているスエを見て現状を把握した銀次が、一気に間合いを詰めて切りかかろうとしたのを待てと言って引き止めた。
「司馬に何を言われたか知らないけれど、命乞いをしようが女子供関係なく殺すような奴が約束を守ると本気で思ってるの?」
甘い言葉で近付いて取り入り、相手が油断したところで後ろから刺すのは司馬の上等手段だ。
恐らく司馬は私を盾にして伊藤家を一気に滅ぼすつもりだ。
そんなことも分からないだなんてっ─────……
「お前達はこの美しい故郷の地が非道な侵略者によって血にまみれ、ボロボロにされるところが見たいのかっ!!見誤《みあやま》るなこの愚か者が!!!」
腹に力を込めた大声で一喝すると、家来達は地面に頭を付けてひれ伏した。
「申し訳ございませんでした!!」
解放されて震えながら泣くスエをヨシヨシと慰めてあげた。
裏切ろうとしたことは一時の気の迷いだったと今回だけは見逃してやろう、だがしかしっ……!
「か弱きおなごを泣かしたことだけは勘弁ならん!!そこに並んで立てえ!!金玉蹴りあげてやるっ!!」
「阿古姫様!おなごがそんな下品なことを言っちゃ駄目です!!速攻で離縁されますよ!」
なによ銀次は、二言目にはに離縁、離縁て。
充分有り得るんだから脅かすのは止めてよね……
「でももう、遅いのです……」
大の男達が揃いも揃ってさめざめと泣き出した。なんのことだと聞いても泣くばかりでてんで話しにならない。
なんだこれはと呆れていたら、私の鼻先がほんの僅かに漂う焦げた匂いをとらえた。
「……どこからか煙の匂いがする。」
銀次が山火事でしょうかと辺りを警戒したが違う……これは、ヨモギやワラを焼いた匂いだ。
嫌な予感がした私は、近くにあった幹に手をかけてひょいひょいと木を登り始めた。
「ああもう!阿古姫様はそうやって直ぐヤンチャする!」
文句を言いつつも後から登ってきた銀次と辺りを見渡し、北の空に真っ直ぐに立ち上る煙を一本見つけた。
それは山のふもとにある支城からの“のろし”だった。
のろしは情報手段の一種で、遠距離にいる仲間に人や馬が手紙を運ぶより高速で伝えることが出来る。
城から上がるのろしの意味は、敵が攻めてきたという合図であった。
まさか……司馬軍────────?!
「なんで山を越えてふもとにまで敵が攻めてきてるんだっ?!櫓《やぐら》の見張りはどうなってんだ!!」
銀次が苦々しく叫んだ。
こうならないようにと司馬の領地を監視していたはずなのに……
誰も気付かなかったなんて有り得ないっ。この信じられない光景に、泣いている家臣達に木から飛び下りて詰め寄った。
「どうなってるの?!知っていることを全部白状なさいっ!!」
司馬 道西に言われ、櫓にいた武士達に配る食事の中にセンダンの樹皮を混ぜ込んだのだという……
センダンは寄生虫を体外に排出するための虫下しの薬として使用される。
そんなものを食べさせられたらお腹が下って監視どころじゃない。その隙をついて司馬軍はなんなく攻め入ってきたのだ。
こんっの、ド阿呆どもがっ!!
父上の元にはあののろしの知らせは届いているのだろうか……早く援軍を送ってあげないとっ………
「阿古姫様!のろしが上がったのは一本じゃない!」
木の上から銀次が叫んだ。
のろしの数にも意味がある。一本なら攻めてきた敵兵の数は少軍。
二本なら数千人規模の中軍。
三本なら、一万人以上の大軍………
「銀次……のろしは何本上がってるの?」
立ち上るのろしの数を、木々の合間を縫って数えた銀次の口から、悲痛な声が漏れた。
「……よん……四本です………」
四本ならば…………
落城─────────……
嘘でしょ……
いくら不意をつかれたからって、あっという間に敵の手に落ちたっていうの……?
「山から物凄い数の軍勢が下りてくるのが見えます!あの旗印《はたじるし》は司馬軍です!!田を横切り……東へと向かっております!」
力が抜けて倒れそうになる気力をなんとか奮い立たせ、馬の背中へと上った。
東には父上達が暮らす本城、一丸《いちまる》の城がある……あいつら、次は本城を攻め落とす気だ。
このまま進ませてなるものかっ!!
木から飛び下りてきた銀次が私の乗った馬にしがみついた。
「離せ銀次!止めるなっ!みんなが殺される!!」
「そんな目立つ格好で行っても直ぐに見つかって捕まるだけです!」
横から小平太にむんずと体を捕まれ、軽々と担がれて輿へと押し込まれた。
「一丸の城へ加勢しに参ります。阿古姫様はこのまま秋月家に向かって援軍要請をして来て下さい。そのための同盟でしょ?」
……小平太の言う通りだ。
今、自分は何をすべきなのか……もっと冷静になって判断しなければならない。
「司馬軍に、我らの力を見せつけてやりましょう。」
全身から闘志をみなぎらせる頼もしい銀次と小平太の姿に、さっきまでめそめそと泣いていた家臣達が我らも戦いますっ!と立ち上がった。
馬に乗って土埃を上げながら去って行くみんなの背中を……見えなくなるまで見送った。
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炭田おと
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皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
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グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
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