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愛の力
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大水門は川を横切るように設置されているため、向こう岸とは橋のようにして繋がっていた。
川幅はおよそ10間(18mほど)。
一丸の城側の堤防がある場所に行く方法はひとつ。この水門の上を渡っていくしかない。
堤から流れ出る水流の勢いは凄まじく、遥か頭上から落ちてくる滝壺のように見えた。
水門の上部にある木材の幅は五寸(15cmほど)しかない……
濡れていて滑りやすそうだし、途中には扉を操作するための大きな取っ手が幾つかあった。そしてなにより、大量の水に押されて小刻みに揺れていた。
一歩でも踏み外せば川に落ちて為す術もなく溺れ死ぬだろう……
だが慎重に足を進めていく時間はない。
私は傘と簑を剥ぎ取り、草履を脱いで着物の裾をたくし上げた。
両手で頬を叩いて気合いを入れ、助走をつけてから全速力で踏み込んだ。
ヌルヌルとした木を足の裏で掴むようにして走り、途中にある取っ手もなんなく飛び越えていった。
水門はガタガタと揺れていたが思ったほどではない。良し……あと一歩でいけるっ!
と安堵した次の瞬間、流木が水門に当たって大きく揺れた。
反動でツルっと滑り体勢が前のめりに大きく崩れ、荒れ狂う川が前面に広がった………
─────────……落ちるっ!!
逆さになりながらも両手で木をガシッと掴み、力任せに押して向こう岸へと転がり落ちた。
あっぶなっ………でもなんとか生きてる。
女だからないけれど、金玉があれば縮み上がって……って、今はそんなことを言っている場合ではない。
ガバッと起き上がって目的の場所へと走った。
南東側の堤防に着き、もろくなっていそうな箇所を探したがどこにも見当たらない。
ならばと一心不乱に土を掘ってみたが、爪が剥がれそうになり素手ではとても無理だった。
鞘の付いたままの刀で木槌のようにして思いっきり叩いてみるも、何度やってもビクともしない。
なにクソっと思い回し蹴りを食らわしてみても、土が少し凹んだだけだった。
「なんで壊れないのよっ!!」
落ち着け落ち着け!
これじゃ駄目だっ全然力が足りてない!!
もっと……もっと強い力を与えないとっ………
ここには私と一本の刀のみ。他に使える人も道具もないっ……
どうしよう……
どうすればいいっ─────────……?!
恨むのではなく愛すことこそが、人を強くするのです。
……ああ……
そうか………
今更ながら後悔する。
なぜ生きている内に、母上の言っていることにもっと耳を傾けなかったんだろう……
鞘から刀を引き抜き、呼吸を整え、愛する人達のたくさんの顔を思い浮かべながら全身に力をみなぎらせた。
母上は私に大事なことを教えてくれていたのだ。
刀を水平に構えて腰を深く下ろし、ただ一点にのみに集中した。
水の音も風の音も聞こえない……自身の心臓の音だけが、耳に何度もこだました。
一際大きく……心臓が高鳴るっ………
──────────今だっ!!
腰からしっかりと前に踏み込み、懇親の力で堤防を突いた。
人を愛し、強くなるとはこういうことを言うのだ!!
刀が貫いた箇所から一筋の水が吹き出してきた。その周りもボロボロと泡のように崩れ出す………
このまま堤防が壊れたら、私は濁流に飲まれていくだろう。
でもそんなことは構わないっ!!
もう一発、すぐ横に刀を突き刺した。
水が一気に穴を広げると目の前の堤防が砕け散った。
堤から流れる大量の水を全身に浴び、押されるようにして流された。
全ての世界がまっ黒に澱んで見えた。
山も川も空も土も……どこに向かって流されているのかも分からない………
抗おうと思うのさえ無意味なほどの膨大な力に、身を投じるしかなかった。
濁流の中、一筋の光が見えた気がした。
それはやがて暗くて冷たい水の中を照らす陽だまりとなって、私の体を包んだ。
ああ、
あったかい……
良く頑張ったねと、頭を撫でられているような気がした。
「………姫殿っ!阿古姫殿!!」
私の名前を必死で呼ぶ声が聞こえてきた。
重い瞼を開けると、目の前には心配そうに覗き込む照景の顔があった。
私達は二人で向かい合うようにしていて、胸の上まで泥水の中に浸かっている状態だった。
泥というより粘土だ。自力ではとても出れそうにない……
溺れていた私を引き上げてくれたのは照景だったのかと思ったのだが、照景は水から首だけ出して木に引っかかっていた私を見つけて飛び込み、流れが収まるまでじっと耐えるしかなかったのだという……
じゃああれは一体誰だったんだろう……
夢、だった……?
いや違う……あんな濁流に飲まれて助かるわけがない。
きっと……助けてくれたのは母上だ……
死してもなお、私を導いてくれる母上の強さに目の奥がジンと熱くなった。
「阿古姫殿どうした?どこか痛むのか?」
大丈夫ですと明るく答えたのだが、照景の肩に小枝が刺さっているの見つけてドキリとした。
「照景殿っ、肩に怪我を……」
「わしのことは良い。三郎から全て聞いた。阿古姫殿が堤防を壊したらしいの……何故いつもそんな無茶をする?」
よくよく見ると、照景の体には無数の傷が刻まれていた。
流れてくるたくさんの漂流物から、私のことを必死で庇ってくれたのだ……
照景を救えるのなら死んでも良いと思った。でもそれは、照景だって同じなのだ。
城で大人しく待つことも出来ず、私のことを死力を尽くして守ろうとしてくれる照景の気持ちを踏みにじり、一人で突っ走って結局また、迷惑を掛けて傷まで負わせてしまった……
怒りを通り越して呆れたのか、照景はふうとため息を漏らした。
「どうやらわしはとんでもない姫を嫁にもらったらしいな。今からでも無かったことに出来ぬものか……」
「え、別れるのですか……?」
まさか祝言も挙げずに離縁されてしまうだなんて……
今まで散々やらかしたのだがら文句は言えない。言えるわけがないっ、けど………そ、そんなあ~っ……
衝撃の展開にポロポロとこぼれた涙を、照景は優しく指で拭ってくれた。
「冗談じゃ。これに懲りたのならもう危ないことはするな。」
照景は私を引き寄せると強く抱きしめた。
「必ず帰ると約束したのに、阿古が先に死んでしまったらどうする……馬鹿めがっ………」
そう叱る声は……泣きそうなほどに悲しげだった。
ずっと疑問に思っていた。
照景はこんな私のどこを好いてくれているのだろうかと……
でもそんな不安を全てかき消すほどに、照景からの愛情が切ないほどに伝わってきた。
「……ごめんなさい……」
私も、照景の背中に手をまわしてギュっと抱きしめた。
約束する……私はもう二度と、照景を悲しませたりしない。
「お前ら、そういうことは城に戻ってからやれ。」
すぐ側で呆れたような顔をして見下ろす男と目が合った。
紅楊、いつからそこにっ?!
後ろには大勢の家臣と三郎の姿も見えた。
おーい居たぞーっ!と周りに伝える声が聞こえる……どうやら総出で探してくれていたらしい……
「洪水が起こったと見せかける程度で良いと言うたのに、また随分と派手にやってくれたな。」
そうだっ……水の量が尋常じゃなかった。
満杯だった堤の水を全部出し切ってしまったのだ。
「一丸の城は無事ですかっ?!まさか、流されたとかっ……」
「自分で確かめろ。」
紅楊は泥に埋まる私の両脇に手を通すと、畑のイモを収穫するかのようにスポンと引き抜いた。
凄まじかった水流を物語るかのように、山肌にはなぎ倒された木の残骸が散乱していた。
その開けた斜面の向こうには海のように大きな水たまりが出来ていて、青い空を映し出した水面の中で城がそびえ建っていた。
それはまるで、宙に浮かんだ天空の城のようだった。
良かった……城も農地もとりあえずは無事だ。
一歩間違えたら大惨事になるところだった。
「それで、司馬軍には勝てましたか?」
「たわけ!そんなもん濁流に飲まれて全員流されて行きおったに決まっとるだろ!」
そりゃそうだ。あれだけの水の量にいきなり襲われたら抵抗なんて出来ない。
私が一番よく知っている……
「せっかく一万の司馬軍を倒すためにいろいろと暗躍しておったのに。全部無駄になったわ!」
見せ場を奪われた紅楊は不服そうだ。
近隣諸国を短期間でまとめあげ、敵陣の中に照景を送り込んでまでしてつけた安斎との確約も全部台無しにしてしまった……
本当に……申し訳ない………
「阿古姫殿見よ。一丸の城の者達が元気に手を振っておるぞ。」
天守《てんしゅ》から何人かがこちらに向かって手を振っている姿が見えた。
照景が腹が減っているだろうから熊肉を届けてやろうと言うので、二人で向かうことにした。
紅楊が手漕ぎ船を手配してくれ、熊肉以外にもたくさんの食料を積み込んだ。
近付いてくる船に乗っているのが私だと気付くと、父上も銀次も小平太も寝込んでいた長尾も、皆んな抱きつきながら出迎えてくれた。
良かった……少しやつれてはいるがとても元気そうだ。
小平太は山盛りの食料を見ると、さっそく熊鍋を作りましょうと目を輝かせた。
照景はわしも手伝おうと言って男達に混ざって食料を運び、味付けはどのようになさるのだと女中達とも楽しげにおしゃべりをしていた。
皆んなとすっかり打ち解け合っている……
父上はそんな照景を眩しそうに見つめ、本当に良い旦那をもったのおと改めて祝福してくれた。
「にしても阿古……何故にこんなにも頭に泥が付いとるのじゃ?」
「ああ、これ?」
着物は新しいのに着替えたけれど、汚れた髪はそのままだった。
堤をぶっ壊して流されたことを話したら長尾はまた倒れ、父上はさすがにそれはと頭を抱え、銀次からはめちゃくちゃに怒られた。
いつもなら聞く耳持たずなのだが、心配してくれているのだと分かり嬉しかった。
あれ……?そういえば吉継がいない。
「離縁されて戻ってきたとしても俺はもう二度と阿古姫様の世話役は御免ですからね!って……聞いてるんですか?!」
「ねえ銀次、吉継は?どっかで縮こまって泣いてんの?」
ああ吉継様ならと銀次に連れられて奥御殿にある吉継の部屋へと案内された。
そこでは吉継が武士や農民の子供達を集めて手習いをさせていた。
吉継のお陰で籠城中でも子供達は不安がることはなく、いつも通りの生活を送れていたのだという……
それだけでも驚きなのだが、吉継は庭の果実や飛んできた野鳥を狩って食料を確保したり、見張りの配置を指示したり、さらにはお腹が減って苛立つ者達の喧嘩の仲裁までしていたのだという……
私に気付いて歩いてくる吉継が、ひとまわりもふたまわりも大きく見えた。
怖がってメソメソしているとばかり思っていたのに……
「姉上ならきっとこうするだろうなと思うことをしたまでじゃ。物心がついた頃より、姉上には憧れておったからな。」
泣かせることを言ってくれる……
たくましく成長した吉継に、嬉しいやら寂しいやら母親のような心境になってしまった。
「吉継……今のあんたならきっと立派な当主になれるわ。」
「有無。姉上はこれからは破茶滅茶な行動は慎まねばならぬぞ。照景殿に愛想を尽かされぬように自重されよ。」
本当に……泣かせることを、言ってくれやがる……
川幅はおよそ10間(18mほど)。
一丸の城側の堤防がある場所に行く方法はひとつ。この水門の上を渡っていくしかない。
堤から流れ出る水流の勢いは凄まじく、遥か頭上から落ちてくる滝壺のように見えた。
水門の上部にある木材の幅は五寸(15cmほど)しかない……
濡れていて滑りやすそうだし、途中には扉を操作するための大きな取っ手が幾つかあった。そしてなにより、大量の水に押されて小刻みに揺れていた。
一歩でも踏み外せば川に落ちて為す術もなく溺れ死ぬだろう……
だが慎重に足を進めていく時間はない。
私は傘と簑を剥ぎ取り、草履を脱いで着物の裾をたくし上げた。
両手で頬を叩いて気合いを入れ、助走をつけてから全速力で踏み込んだ。
ヌルヌルとした木を足の裏で掴むようにして走り、途中にある取っ手もなんなく飛び越えていった。
水門はガタガタと揺れていたが思ったほどではない。良し……あと一歩でいけるっ!
と安堵した次の瞬間、流木が水門に当たって大きく揺れた。
反動でツルっと滑り体勢が前のめりに大きく崩れ、荒れ狂う川が前面に広がった………
─────────……落ちるっ!!
逆さになりながらも両手で木をガシッと掴み、力任せに押して向こう岸へと転がり落ちた。
あっぶなっ………でもなんとか生きてる。
女だからないけれど、金玉があれば縮み上がって……って、今はそんなことを言っている場合ではない。
ガバッと起き上がって目的の場所へと走った。
南東側の堤防に着き、もろくなっていそうな箇所を探したがどこにも見当たらない。
ならばと一心不乱に土を掘ってみたが、爪が剥がれそうになり素手ではとても無理だった。
鞘の付いたままの刀で木槌のようにして思いっきり叩いてみるも、何度やってもビクともしない。
なにクソっと思い回し蹴りを食らわしてみても、土が少し凹んだだけだった。
「なんで壊れないのよっ!!」
落ち着け落ち着け!
これじゃ駄目だっ全然力が足りてない!!
もっと……もっと強い力を与えないとっ………
ここには私と一本の刀のみ。他に使える人も道具もないっ……
どうしよう……
どうすればいいっ─────────……?!
恨むのではなく愛すことこそが、人を強くするのです。
……ああ……
そうか………
今更ながら後悔する。
なぜ生きている内に、母上の言っていることにもっと耳を傾けなかったんだろう……
鞘から刀を引き抜き、呼吸を整え、愛する人達のたくさんの顔を思い浮かべながら全身に力をみなぎらせた。
母上は私に大事なことを教えてくれていたのだ。
刀を水平に構えて腰を深く下ろし、ただ一点にのみに集中した。
水の音も風の音も聞こえない……自身の心臓の音だけが、耳に何度もこだました。
一際大きく……心臓が高鳴るっ………
──────────今だっ!!
腰からしっかりと前に踏み込み、懇親の力で堤防を突いた。
人を愛し、強くなるとはこういうことを言うのだ!!
刀が貫いた箇所から一筋の水が吹き出してきた。その周りもボロボロと泡のように崩れ出す………
このまま堤防が壊れたら、私は濁流に飲まれていくだろう。
でもそんなことは構わないっ!!
もう一発、すぐ横に刀を突き刺した。
水が一気に穴を広げると目の前の堤防が砕け散った。
堤から流れる大量の水を全身に浴び、押されるようにして流された。
全ての世界がまっ黒に澱んで見えた。
山も川も空も土も……どこに向かって流されているのかも分からない………
抗おうと思うのさえ無意味なほどの膨大な力に、身を投じるしかなかった。
濁流の中、一筋の光が見えた気がした。
それはやがて暗くて冷たい水の中を照らす陽だまりとなって、私の体を包んだ。
ああ、
あったかい……
良く頑張ったねと、頭を撫でられているような気がした。
「………姫殿っ!阿古姫殿!!」
私の名前を必死で呼ぶ声が聞こえてきた。
重い瞼を開けると、目の前には心配そうに覗き込む照景の顔があった。
私達は二人で向かい合うようにしていて、胸の上まで泥水の中に浸かっている状態だった。
泥というより粘土だ。自力ではとても出れそうにない……
溺れていた私を引き上げてくれたのは照景だったのかと思ったのだが、照景は水から首だけ出して木に引っかかっていた私を見つけて飛び込み、流れが収まるまでじっと耐えるしかなかったのだという……
じゃああれは一体誰だったんだろう……
夢、だった……?
いや違う……あんな濁流に飲まれて助かるわけがない。
きっと……助けてくれたのは母上だ……
死してもなお、私を導いてくれる母上の強さに目の奥がジンと熱くなった。
「阿古姫殿どうした?どこか痛むのか?」
大丈夫ですと明るく答えたのだが、照景の肩に小枝が刺さっているの見つけてドキリとした。
「照景殿っ、肩に怪我を……」
「わしのことは良い。三郎から全て聞いた。阿古姫殿が堤防を壊したらしいの……何故いつもそんな無茶をする?」
よくよく見ると、照景の体には無数の傷が刻まれていた。
流れてくるたくさんの漂流物から、私のことを必死で庇ってくれたのだ……
照景を救えるのなら死んでも良いと思った。でもそれは、照景だって同じなのだ。
城で大人しく待つことも出来ず、私のことを死力を尽くして守ろうとしてくれる照景の気持ちを踏みにじり、一人で突っ走って結局また、迷惑を掛けて傷まで負わせてしまった……
怒りを通り越して呆れたのか、照景はふうとため息を漏らした。
「どうやらわしはとんでもない姫を嫁にもらったらしいな。今からでも無かったことに出来ぬものか……」
「え、別れるのですか……?」
まさか祝言も挙げずに離縁されてしまうだなんて……
今まで散々やらかしたのだがら文句は言えない。言えるわけがないっ、けど………そ、そんなあ~っ……
衝撃の展開にポロポロとこぼれた涙を、照景は優しく指で拭ってくれた。
「冗談じゃ。これに懲りたのならもう危ないことはするな。」
照景は私を引き寄せると強く抱きしめた。
「必ず帰ると約束したのに、阿古が先に死んでしまったらどうする……馬鹿めがっ………」
そう叱る声は……泣きそうなほどに悲しげだった。
ずっと疑問に思っていた。
照景はこんな私のどこを好いてくれているのだろうかと……
でもそんな不安を全てかき消すほどに、照景からの愛情が切ないほどに伝わってきた。
「……ごめんなさい……」
私も、照景の背中に手をまわしてギュっと抱きしめた。
約束する……私はもう二度と、照景を悲しませたりしない。
「お前ら、そういうことは城に戻ってからやれ。」
すぐ側で呆れたような顔をして見下ろす男と目が合った。
紅楊、いつからそこにっ?!
後ろには大勢の家臣と三郎の姿も見えた。
おーい居たぞーっ!と周りに伝える声が聞こえる……どうやら総出で探してくれていたらしい……
「洪水が起こったと見せかける程度で良いと言うたのに、また随分と派手にやってくれたな。」
そうだっ……水の量が尋常じゃなかった。
満杯だった堤の水を全部出し切ってしまったのだ。
「一丸の城は無事ですかっ?!まさか、流されたとかっ……」
「自分で確かめろ。」
紅楊は泥に埋まる私の両脇に手を通すと、畑のイモを収穫するかのようにスポンと引き抜いた。
凄まじかった水流を物語るかのように、山肌にはなぎ倒された木の残骸が散乱していた。
その開けた斜面の向こうには海のように大きな水たまりが出来ていて、青い空を映し出した水面の中で城がそびえ建っていた。
それはまるで、宙に浮かんだ天空の城のようだった。
良かった……城も農地もとりあえずは無事だ。
一歩間違えたら大惨事になるところだった。
「それで、司馬軍には勝てましたか?」
「たわけ!そんなもん濁流に飲まれて全員流されて行きおったに決まっとるだろ!」
そりゃそうだ。あれだけの水の量にいきなり襲われたら抵抗なんて出来ない。
私が一番よく知っている……
「せっかく一万の司馬軍を倒すためにいろいろと暗躍しておったのに。全部無駄になったわ!」
見せ場を奪われた紅楊は不服そうだ。
近隣諸国を短期間でまとめあげ、敵陣の中に照景を送り込んでまでしてつけた安斎との確約も全部台無しにしてしまった……
本当に……申し訳ない………
「阿古姫殿見よ。一丸の城の者達が元気に手を振っておるぞ。」
天守《てんしゅ》から何人かがこちらに向かって手を振っている姿が見えた。
照景が腹が減っているだろうから熊肉を届けてやろうと言うので、二人で向かうことにした。
紅楊が手漕ぎ船を手配してくれ、熊肉以外にもたくさんの食料を積み込んだ。
近付いてくる船に乗っているのが私だと気付くと、父上も銀次も小平太も寝込んでいた長尾も、皆んな抱きつきながら出迎えてくれた。
良かった……少しやつれてはいるがとても元気そうだ。
小平太は山盛りの食料を見ると、さっそく熊鍋を作りましょうと目を輝かせた。
照景はわしも手伝おうと言って男達に混ざって食料を運び、味付けはどのようになさるのだと女中達とも楽しげにおしゃべりをしていた。
皆んなとすっかり打ち解け合っている……
父上はそんな照景を眩しそうに見つめ、本当に良い旦那をもったのおと改めて祝福してくれた。
「にしても阿古……何故にこんなにも頭に泥が付いとるのじゃ?」
「ああ、これ?」
着物は新しいのに着替えたけれど、汚れた髪はそのままだった。
堤をぶっ壊して流されたことを話したら長尾はまた倒れ、父上はさすがにそれはと頭を抱え、銀次からはめちゃくちゃに怒られた。
いつもなら聞く耳持たずなのだが、心配してくれているのだと分かり嬉しかった。
あれ……?そういえば吉継がいない。
「離縁されて戻ってきたとしても俺はもう二度と阿古姫様の世話役は御免ですからね!って……聞いてるんですか?!」
「ねえ銀次、吉継は?どっかで縮こまって泣いてんの?」
ああ吉継様ならと銀次に連れられて奥御殿にある吉継の部屋へと案内された。
そこでは吉継が武士や農民の子供達を集めて手習いをさせていた。
吉継のお陰で籠城中でも子供達は不安がることはなく、いつも通りの生活を送れていたのだという……
それだけでも驚きなのだが、吉継は庭の果実や飛んできた野鳥を狩って食料を確保したり、見張りの配置を指示したり、さらにはお腹が減って苛立つ者達の喧嘩の仲裁までしていたのだという……
私に気付いて歩いてくる吉継が、ひとまわりもふたまわりも大きく見えた。
怖がってメソメソしているとばかり思っていたのに……
「姉上ならきっとこうするだろうなと思うことをしたまでじゃ。物心がついた頃より、姉上には憧れておったからな。」
泣かせることを言ってくれる……
たくましく成長した吉継に、嬉しいやら寂しいやら母親のような心境になってしまった。
「吉継……今のあんたならきっと立派な当主になれるわ。」
「有無。姉上はこれからは破茶滅茶な行動は慎まねばならぬぞ。照景殿に愛想を尽かされぬように自重されよ。」
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