郷守の巫女、夜明けの嫁入り

春ノ抹茶

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第十三話︰里入りをしたが最後

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「……彗月さん」

 廊下を歩きながら小さく声をかけると、彗月も声を潜めて聞き返してくる。

「どうしました?」
「さっき、日暮さんが言っていた……“人間の言葉だから分からなかった”というのが気になって」

 考えてみれば、早々に疑問に思うべきだった。
 自分は、朝日村で婚姻の書を見た時、文字が読めなかった──あやかしの言葉が全く分からなかったはずだ。
 それなのに今、この暁の里で、あやかし達と問題なく意思疎通が出来ている。いったい何故なのか。

「今更ですが──もしかすると私は今、あやかしの言葉を喋っているんですか?」
「!……そうです。この異空間に踏み入った者は、例外なくあやかしの言葉を使うようになる。説明が足らずすみません」
「いえいえ。はあ、そうだったんですか……元々ここは、あやかしの為の空間ですものね」
「……」

 紬が納得して話を終えようとすると、彗月は少し迷いを見せてから、もう一度口を開いた。

「この里に住まう者が使えるのは、あやかしの言葉のみ。過去の巫女が残した“とあるモノ”を食せば、外の人間社会の言葉を話すことが出来ますが……その効果も一時的です」
「なるほど?」

 縁談をもちかけに朝日村にやって来た三人は、その効果を利用していたということだろう。

「その、とあるモノというのは?」
「…………巫女の毛髪です」
「もッ」
「あやかしの言葉以外を使うことが出来ないのは、人間も同様です。──この里に住まう人間達は、もう、人間の言葉を話せません」
「……え?」

 毛髪が衝撃的だったのもあり、理解が遅れて聞き返す。

「里入りをしたが最後、二度と、人間の社会では暮らせなくなるということです。里入りした人間の子孫が、何故この里から出ていくことを選ばないのか……その答えが言葉です。」
「……」

 思いがけない事実を告げられ、開いた口が塞がらなくなる。

「紬さんは、巫女としての霊力が十分にあるので、恐らく例外ですが。」
「そう、ですか……」

 自分は例外。それを聞いて、紬は少しほっとしてしまった。村に帰れない覚悟は決めていたが、人の言葉を失う覚悟までは出来ていなかった。

「なんというか……すごいですね。この空間」

 言葉の制約が故意か偶然かはわからないが、改めて、とんでもない異空間を作り上げたものだ。ますます始まりの巫女への畏怖が募る紬は、微妙な表情で顎に手を添える。

「……すみません。この話は、縁談を持ちかけた際にお伝えするべきでした」
「!」

 伝え忘れていたわけではなかった。貴女が二度と、人間の言葉を使えない可能性があることを知りながら、言わなかった。
 そう白状する彗月に、紬はなんと返したら良いのかわからなくなる。すると、黙って前を歩いていた焔が、振り返って口を開いた。

「それは、俺にも責任がある。」
「焔様……」
「彗月は元々、村で暮らす一人の人間を、巫女だからと里入りさせることを良しとしていなかった。」

 それでも里のために。そして、主の妻を治すために。遣いの役割を果たした。

「妻の身を案じるのは当然、妻が心配だからと苛立ちひとつ隠せない主に、気を使ってくれたんだろうよ」

 彗月を見やる焔の口調は砕けている。彗月は「よしてください」とだけ言って、否定の言葉は返さなかった。

「だからまァ、こいつを恨むようなことはしないでほしい」
「恨むだなんて……そんなことしません。幸運なことに私は例外で、人の言葉で手紙が出せるのでしょう?出せなかったら、まあ……少しは怒ったかもしれませんが……」

 言いにくそうに目を泳がせる紬。焔はわずかに口角を上げて、「だとよ」と前を向いた。

「……ありがとうございます。お優しいですね、紬さんは」
「そんなんじゃありません。格好つけているんですよ。盛大に送り出してもらったのに、ここに来てうだうだ言っていたら、村のみんなに顔向け出来ませんもの」
「はは、そうか。……つくづく貴女には敵いません」

 小さく肩をすくめる彗月。紬は彼を見つめてから、「……ああ、でも、ひとつだけいいですか。文句」と切り出す。

「彗月さんはもっと、私との夫婦生活に前向きになってください」
「!」
「まだ貴方が隠し事をしているのは、わかりますからね。それを話そうと思えるくらいには、仲良くなっていただかないと」

 予想だにしない苦情を受けた彗月は、唖然とした表情を見せる。そして、思わずといった様子で笑い出した。

「怖くはないんですか?紬さんは」
「え……怖いものですか?」
「怖いでしょう。隠し事をする、あやかしの夫なんて」

 今の里の話も、妖術も、魔物も……やって来たばかりの人間には、怖いものだらけのはずだ。

「それなのに貴女は、怯えるどころか……っはは」

 おかしそうに笑う彗月は、今までで一番、素の顔を見せてくれているように思える。

「……」

 いつもの手本のような笑顔は綺麗だ。けれど、今の彼の笑顔がどうしようもなく素敵だと思って、紬は目が離せなかった。

「……貴方のことは怖くない。里のことだって怖くないです。この里で見た人間たちは、楽しそうな顔をして、あやかしと笑い合っていたんだもの」

 先祖が里入りをしたことで、生まれた時からこの里で生涯を過ごすことが決められているだなんて、確かに理不尽かもしれない。何らかの事情があって、望まない里入りをした人間もいるのかもしれない。
 でも。

「ここから出られないのなら、出たいと思わないような場所であればいい。鳥籠だというのなら、とびきり素敵な鳥籠にしてしまえばいいんです。私もそのためにがんばりたい」

 紬は彗月の顔を覗き込んで、笑った。

「巫女の魂のせいかしら?この里のためにがんばりたいって、心から思えるんです。──私が貴方の手を取ったのは、正解だったでしょ?」
「……」

 彗月は紬を見つめた。
 どうしてか、いつもの表情が作れないようで、彼はぎこちなく視線を落とす。観念したように口元に手を当てている。

「いい妻を貰ったな。お前」
「……はい。本当に」

 その言葉は、建前なんかではないのだろう。紬は満足して目を細めた。
 そして、前を見据えた。

「さあ──そんな素敵な里を目指して、奥様にも元気になっていただかないと。」

 強く、邪悪な気配が近づいている。あやかしを喰らわんとする魔物の気は、あの襖の先にある。
 郷守の巫女として、あやかしを救う。皆が慕う奥様を救ってみせる。
 紬は強く拳を握り、自身を奮い立たせるのだった。
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