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第十四話︰祓え
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「妻はこの部屋にいる。」
花が描かれた襖の前で立ち止まり、振り返る焔。
ここで紬が一番前に進み出て、襖に手をかけた。
「皆さんは、少し離れていて下さい。何が起こるか分かりませんから」
「ああ……頼む」
「お気を付けて」
力強く頷いてみせる。そして、おもむろに襖を開いた。
(──!)
部屋の空気に触れて、紬は思わず口元を覆う。
息をするのも恐ろしいと思ってしまった。途端に嫌な汗が首元をつたった。異様で不気味で、足がすくむような気配が、そこにある。
「……失礼します。」
おそるおそる、床に伏す人物に近づいた。
桜色の髪を持つ女性が横たわっている。
──奥様だ。
「……」
眠る彼女の様相を見て、紬は胸が締めつけられた。
痩せ細った身体。青白い顔。長い睫毛の下には酷い隈がある。綺麗な色をした髪は乱れて、小さな唇は血色を失っている。
何より目を覆いたくなるのが、その指先から腕にかけての瘴気の痕だ。黒ずんで、今にもボロボロと崩れ落ちてしまいそうで──そっと触れるのも憚られる。
「……ひどい……」
いつ灯火が消えてしまうか分からない。この状態がどれほど続いているのだろうか。布団の傍には、懸命に看病をしている痕跡がある。
(この人を救うことが出来るのは、私だけ)
なにがなんでも治さなければ。
紬は奥様の傍らに座り、目を閉じて、意識を集中させた。
魔物の気と見紛うほどの強い瘴気が、この身体を巣食っているのが分かる。
(瘴気がどこに集中しているのか、どこまで届いているのか。それが分かれば──)
「……これは……まずいな」
「!」
彗月がぽつりとこぼしたのが聞こえて、彼に顔を向ける。
「瘴気がもう、“核”に迫っています。」
「核……?」
「身体に心臓があるように、魂には核がある。心臓が肉体の要ならば、魂の核はいわゆる精神の要……乗っ取られてしまえば、もう自我は保てない。奥様が奥様でなくなってしまう」
「……!」
あやかしの気が魔物に呑まれてしまいそうだというのは、ずっと感じ取っていた。ただの感覚の話ではなかった。本当に、その窮地に陥っているのだ。
「すぐに瘴気を祓います。」
紬は奥様に向き直る。ひとつ呼吸をしてから、そっと彼女の胸元に手を置いた。
「!」
途端に、手のひらに強烈な痛みが走った。
空気がビリビリと震える。表情が歪む。自身の霊力と魔物の瘴気が、激しくぶつかり合っているのが分かる。
「ぐ……!」
衝撃を堪えて、力を込め続ける。
深く身体を蝕んでいる瘴気を祓うのは、容易ではない。衰弱しているあやかしの身体はこの攻防に耐えられるだろうか?という懸念が、頭をよぎった。
「うう……!」
「……!奥様っ」
苦しそうに呻く声に、紬の集中が一瞬途切れた。
その時だった。
「!?」
ブワッ、と黒い霧のようなものが、紬を呑み込むように襲いかかってきた。
「紬さん!」
咄嗟に名前を呼ぶ声が聞こえてくる。
手の先が焼けるように痛い。その痛みはズズと這い上がってくる。見ると、奥様にあったような瘴気の痕が、紬の手にあった。
「これ……!」
奥様の腕に目を向ける。彼女の瘴気の痕は薄らいで、徐々に消えていっている。
(瘴気が──私の身体に移っている!)
両の腕はあっという間に黒ずんだ。もう体内にまで瘴気が侵入しているのが分かる。
しかし、芯まで食われる感覚はなかった。この身体は、この魂は、魔物の天敵なのだ。
「巫女殿、手を離せ!貴女がやられる!」
焔が荒らげた声が遠く聞こえる。
視界が霞む。苦しい。痛くて痛くて仕方がない。
少しでも気を抜けば持っていかれる。
(でも……捕らえた。これが正解なんでしょう……!?)
恐れるなと魂が叫んでいる。お前という魂の器は、必ずやこの瘴気に打ち勝つと。
死にたくなければ、死なせたくなければ、己を信じろと吠えている。
「すべて私の身体に移す!そのまま、浄化します!」
震える手を胸元にもっていく。
二本の指を立てて、印を結ぶ。
「……“祓え給い”……“清め給え”……」
「!」
紬が呟く声を聞いた日暮は、大きく目を見開いた。
この言葉だ。
歴代の郷守の巫女たちが、唱えていた言葉。
邪悪を祓う人間の言霊。
「“神ながら”──“守り給え”!」
淀む空気を切り裂いた。
黒い霧は消え去った。
身体を焼くような痛みが、肺が潰されそうな息苦しさが、ふわりと軽くなっていく。
「……」
息が上がる。手のひらを見る。瘴気の痕は無くなっている。
頬に髪がはりつくのも構わず、紬は奥様の顔を見た。
「……あ……」
その色づいた唇から、小さな声が漏れた。
血が通っている。薄く開いた瞼から覗く瞳は、美しく潤んでいる。
「奥様。お身体は、いかがですか」
「……あなたが……」
彼女は、こちらにゆっくりと顔を向けた。
「あなたが、助けてくれたのね……」
弱々しくも優しくたたえられた微笑みは、とても綺麗だった。
紬は息を切らしたまま、小さく笑い返す。
「瘴気は……すべて、祓いました。とても苦しかったでしょうに……よくぞ、耐えてくださいました。」
紬の向かいで、一人の男が膝をつく。
「──日和」
焔は妻の名前を呼んだ。
奥様──日和は、彼の顔を見て、嬉しそうに目を細める。
「焔さん……手を、握ってくださいな。」
「ああ」
彼はそっと妻の手を取る。前よりも痩せ細ってしまったからか、ずいぶんと小さく見える。
その手が弱々しく握り返してくるのを見て、焔はぐっと唇を結んだ。
「ふふ……嬉しい。やっと、あなたに触れられる」
珠のような白い肌。触れても崩れなどしない、生きた熱を持っている手だ。
「ああ……やっとだ。お前の声が聞けた。お前の笑う顔が見れた」
俯いた焔の表情は、日和にしか見えない。
日和の頬にひとつ涙がつたった。夜明けに落ちた朝露のようだった。夫を見つめる彼女は、愛おしそうな顔をして泣いていた。
花が描かれた襖の前で立ち止まり、振り返る焔。
ここで紬が一番前に進み出て、襖に手をかけた。
「皆さんは、少し離れていて下さい。何が起こるか分かりませんから」
「ああ……頼む」
「お気を付けて」
力強く頷いてみせる。そして、おもむろに襖を開いた。
(──!)
部屋の空気に触れて、紬は思わず口元を覆う。
息をするのも恐ろしいと思ってしまった。途端に嫌な汗が首元をつたった。異様で不気味で、足がすくむような気配が、そこにある。
「……失礼します。」
おそるおそる、床に伏す人物に近づいた。
桜色の髪を持つ女性が横たわっている。
──奥様だ。
「……」
眠る彼女の様相を見て、紬は胸が締めつけられた。
痩せ細った身体。青白い顔。長い睫毛の下には酷い隈がある。綺麗な色をした髪は乱れて、小さな唇は血色を失っている。
何より目を覆いたくなるのが、その指先から腕にかけての瘴気の痕だ。黒ずんで、今にもボロボロと崩れ落ちてしまいそうで──そっと触れるのも憚られる。
「……ひどい……」
いつ灯火が消えてしまうか分からない。この状態がどれほど続いているのだろうか。布団の傍には、懸命に看病をしている痕跡がある。
(この人を救うことが出来るのは、私だけ)
なにがなんでも治さなければ。
紬は奥様の傍らに座り、目を閉じて、意識を集中させた。
魔物の気と見紛うほどの強い瘴気が、この身体を巣食っているのが分かる。
(瘴気がどこに集中しているのか、どこまで届いているのか。それが分かれば──)
「……これは……まずいな」
「!」
彗月がぽつりとこぼしたのが聞こえて、彼に顔を向ける。
「瘴気がもう、“核”に迫っています。」
「核……?」
「身体に心臓があるように、魂には核がある。心臓が肉体の要ならば、魂の核はいわゆる精神の要……乗っ取られてしまえば、もう自我は保てない。奥様が奥様でなくなってしまう」
「……!」
あやかしの気が魔物に呑まれてしまいそうだというのは、ずっと感じ取っていた。ただの感覚の話ではなかった。本当に、その窮地に陥っているのだ。
「すぐに瘴気を祓います。」
紬は奥様に向き直る。ひとつ呼吸をしてから、そっと彼女の胸元に手を置いた。
「!」
途端に、手のひらに強烈な痛みが走った。
空気がビリビリと震える。表情が歪む。自身の霊力と魔物の瘴気が、激しくぶつかり合っているのが分かる。
「ぐ……!」
衝撃を堪えて、力を込め続ける。
深く身体を蝕んでいる瘴気を祓うのは、容易ではない。衰弱しているあやかしの身体はこの攻防に耐えられるだろうか?という懸念が、頭をよぎった。
「うう……!」
「……!奥様っ」
苦しそうに呻く声に、紬の集中が一瞬途切れた。
その時だった。
「!?」
ブワッ、と黒い霧のようなものが、紬を呑み込むように襲いかかってきた。
「紬さん!」
咄嗟に名前を呼ぶ声が聞こえてくる。
手の先が焼けるように痛い。その痛みはズズと這い上がってくる。見ると、奥様にあったような瘴気の痕が、紬の手にあった。
「これ……!」
奥様の腕に目を向ける。彼女の瘴気の痕は薄らいで、徐々に消えていっている。
(瘴気が──私の身体に移っている!)
両の腕はあっという間に黒ずんだ。もう体内にまで瘴気が侵入しているのが分かる。
しかし、芯まで食われる感覚はなかった。この身体は、この魂は、魔物の天敵なのだ。
「巫女殿、手を離せ!貴女がやられる!」
焔が荒らげた声が遠く聞こえる。
視界が霞む。苦しい。痛くて痛くて仕方がない。
少しでも気を抜けば持っていかれる。
(でも……捕らえた。これが正解なんでしょう……!?)
恐れるなと魂が叫んでいる。お前という魂の器は、必ずやこの瘴気に打ち勝つと。
死にたくなければ、死なせたくなければ、己を信じろと吠えている。
「すべて私の身体に移す!そのまま、浄化します!」
震える手を胸元にもっていく。
二本の指を立てて、印を結ぶ。
「……“祓え給い”……“清め給え”……」
「!」
紬が呟く声を聞いた日暮は、大きく目を見開いた。
この言葉だ。
歴代の郷守の巫女たちが、唱えていた言葉。
邪悪を祓う人間の言霊。
「“神ながら”──“守り給え”!」
淀む空気を切り裂いた。
黒い霧は消え去った。
身体を焼くような痛みが、肺が潰されそうな息苦しさが、ふわりと軽くなっていく。
「……」
息が上がる。手のひらを見る。瘴気の痕は無くなっている。
頬に髪がはりつくのも構わず、紬は奥様の顔を見た。
「……あ……」
その色づいた唇から、小さな声が漏れた。
血が通っている。薄く開いた瞼から覗く瞳は、美しく潤んでいる。
「奥様。お身体は、いかがですか」
「……あなたが……」
彼女は、こちらにゆっくりと顔を向けた。
「あなたが、助けてくれたのね……」
弱々しくも優しくたたえられた微笑みは、とても綺麗だった。
紬は息を切らしたまま、小さく笑い返す。
「瘴気は……すべて、祓いました。とても苦しかったでしょうに……よくぞ、耐えてくださいました。」
紬の向かいで、一人の男が膝をつく。
「──日和」
焔は妻の名前を呼んだ。
奥様──日和は、彼の顔を見て、嬉しそうに目を細める。
「焔さん……手を、握ってくださいな。」
「ああ」
彼はそっと妻の手を取る。前よりも痩せ細ってしまったからか、ずいぶんと小さく見える。
その手が弱々しく握り返してくるのを見て、焔はぐっと唇を結んだ。
「ふふ……嬉しい。やっと、あなたに触れられる」
珠のような白い肌。触れても崩れなどしない、生きた熱を持っている手だ。
「ああ……やっとだ。お前の声が聞けた。お前の笑う顔が見れた」
俯いた焔の表情は、日和にしか見えない。
日和の頬にひとつ涙がつたった。夜明けに落ちた朝露のようだった。夫を見つめる彼女は、愛おしそうな顔をして泣いていた。
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