文字の大きさ
大
中
小
5 / 57
4 傷ついた少年 忘れられた少女 3
「レーゼ様、姫様! お気をつけて。あぶのうございます」
ルビアは、壁に手を滑らせて細い段を下りるレーゼを振り返った。
「大丈夫。ここには何度も来ているから。それに私、姫様をやめてだいぶ経つわよ。だから姫様はやめてね、ルビア」
レーゼは唇だけで笑った。それもしかたがない。彼女の顔の上半分には布が巻かれているのだ。
しかし、そんなことは問題ではない。塔の内部や周辺、そして地下の構造は、細部に至るまで体が覚えている。だからここに住む限り、見えなくてもそれほど支障はないのだった。
だが、それだけではなかった。
レーゼには人とは違う能力がある。
かつては魔力と言われ、敬われていた力だが、年月を経て、今ではその影響力は弱まり、却って力を持つ者の方が疎まれる時代だった。
レーゼの能力は感覚が鋭敏で、音の反響や動物の気配で、空間を認識できるという、王宮では何の役に立たないような能力だったが、今となっては彼女を生かす有効な手段となっている。
「近いわ」
二人は狭い階段を降り続け、広い空間に出た。
ルビアの持つ灯りに驚いて、コウモリ達が騒ぎ出す。
深い洞窟である。天井からは鋭い鍾乳石、地面から石筍が生えるその空間には、地下の川が流れていた。地下深くの秘された流れで、空間中に水音が反響している。
どこ?
あなた、どこにいるの?
レーゼはコウモリの感覚に身をゆだねた。
岩肌、水の流れ、人間にはないコウモリの感覚機能が少しだけれど伝わる。やがて、レーゼは闇の中の一点に不思議な形を見つけた。
いた!
「ルビア、あそこ!」
大きく突き出した岩石に引っかかるようにして、黒色の塊があった。レーゼはさっと指差す。
それは小さい。自分と同じくらいに。
そして冷たかった。自分よりも。
「まぁ! レーゼ様! 人です! それも男の子!」
ルビアはぐったりしている少年の様子を確かめた。
「男の子? とにかく生きているのね」
「そ、そのようです。どうなさいますか?」
「もちろん助けるのよ。上に連れていくわ。ルビアお願い」
「はい」
ルビアは少年を流れから引き上げ、レーナ達が住居にしている塔の部屋まで運んだ。彼女が屈強な元女戦士でなかったら、とてもできない芸当だっただろう。
「妙な服を着ていますが、すっかり体が冷え切っています。まずは温めなくては」
ルビアは、質素な居間にある暖炉の前の敷物の上に寝かせると、手早く少年の服を脱がした。脱がすのもくろうする。彼の衣類は丈夫な革製で、きつく肌に張り付いていたのだ。
「まぁ……傷だらけだわ、この子」
そこにはまだ育ち切っていない少年の姿があった。
ひどく痩せているのに、しっかり筋肉がついていて、手足の皮膚は異常に硬い。それに大小無数の傷跡が走っている。これはかなり訓練された人間の体だ。
「……」
今までどんな環境にいたものか、ルビアは少年に憐憫を感じた。
それにしても、地下水に長時間浸されて体の深部まで冷え切ってしまったようで、かなり乱暴に扱っているのに、ぴくりとも動かない。
「ルビア、どう? 助かる? 助かるよね?」
「わかりません。ひどく冷たいです。心音も弱い。温めはしますが、助かるかどうか」
「なんとしても助けたいの。はやく温めないと!」
レーゼは少年に毛布をかけてやる。
「でも、まだ薪はそれほど多くは使えませんよ。冬中もたさなくてはいけないのですから」
「じゃあ、私が温める。ルビアはお白湯を作ってきてくれる?」
「……わかりました」
明暗が感じられる程度の視力しかないレーゼには、裸の少年は見えない。しばらくならいいだろうと、ルビアは竈のある隣の部屋に向かった。
レーゼはごそごそと少年の隣に潜り込む。その体は自分と同じように細いが、自分よりもごつごつしていて、ルビアが言った通り異様に冷たかった。
ああ、ここが一番冷たいわ。
それは額だった。
見えないはずなのに、レーゼには感じられる。額の真ん中に黒い刺青があることを。
それは目立たないように小さく染みのように見せているが、斜め向きの矢のような形をしていて、明らかに人の手で彫られたものだった。
なんだろう、ここには禍々しいものを感じる。
けど、この人は強いのだわ。この冷たさに負けていない。
だから今は温めてあげなくては。
レーゼは自分の腕と胸で少年を抱きしめる。
ルビア以外の人の体に触れることはめったにないレーゼは、他人の体が珍しくて、そっとその肌に手のひらを滑らせた。
私よりもずっと硬くて、丈夫な感じだわ。妹のジュリアとも全然違う。あちこちぼこぼこしてて……これは傷跡かしら? こんな子どももいるのね。
頬はくぼんでいて、顎がとがっている。
胸は自分よりも平らで変な感じだ。明るさ程度しか感じられない視力のレーゼは、慎重に子どもの体を確かめていった。
不意にその指が妙なものに触れる。それは脚の間にあった。
なんだろ? こんなの私にはない。木の枝みたいな太さだけど、これも体の一部なのかしら?
そっと握ってみるが、死んだ魚のようにぐんなりしている。
自分にはない不思議な器官だ。レーゼは、そっとそれを撫でてみた。皮膚だけが滑る奇妙な手触り。
すると突然──力なく横たわっていたそれが、もそりと動いた。
「ひゃっ!」
レーゼは驚いて手を引っ込める。
きっと嫌だったのね。悪かったわ……。
レーゼはもうそれ以上そこに触れることはせずに、細い少年の体を抱きしめた。目を閉じると心臓が先ほどよりも力強く脈打っていることが伝わる。
まるで生きていたことを喜んでいるかのように。
規則正しい鼓動を聞くのが心地よくて、レーゼもまた目を閉じた。
ルビアは、壁に手を滑らせて細い段を下りるレーゼを振り返った。
「大丈夫。ここには何度も来ているから。それに私、姫様をやめてだいぶ経つわよ。だから姫様はやめてね、ルビア」
レーゼは唇だけで笑った。それもしかたがない。彼女の顔の上半分には布が巻かれているのだ。
しかし、そんなことは問題ではない。塔の内部や周辺、そして地下の構造は、細部に至るまで体が覚えている。だからここに住む限り、見えなくてもそれほど支障はないのだった。
だが、それだけではなかった。
レーゼには人とは違う能力がある。
かつては魔力と言われ、敬われていた力だが、年月を経て、今ではその影響力は弱まり、却って力を持つ者の方が疎まれる時代だった。
レーゼの能力は感覚が鋭敏で、音の反響や動物の気配で、空間を認識できるという、王宮では何の役に立たないような能力だったが、今となっては彼女を生かす有効な手段となっている。
「近いわ」
二人は狭い階段を降り続け、広い空間に出た。
ルビアの持つ灯りに驚いて、コウモリ達が騒ぎ出す。
深い洞窟である。天井からは鋭い鍾乳石、地面から石筍が生えるその空間には、地下の川が流れていた。地下深くの秘された流れで、空間中に水音が反響している。
どこ?
あなた、どこにいるの?
レーゼはコウモリの感覚に身をゆだねた。
岩肌、水の流れ、人間にはないコウモリの感覚機能が少しだけれど伝わる。やがて、レーゼは闇の中の一点に不思議な形を見つけた。
いた!
「ルビア、あそこ!」
大きく突き出した岩石に引っかかるようにして、黒色の塊があった。レーゼはさっと指差す。
それは小さい。自分と同じくらいに。
そして冷たかった。自分よりも。
「まぁ! レーゼ様! 人です! それも男の子!」
ルビアはぐったりしている少年の様子を確かめた。
「男の子? とにかく生きているのね」
「そ、そのようです。どうなさいますか?」
「もちろん助けるのよ。上に連れていくわ。ルビアお願い」
「はい」
ルビアは少年を流れから引き上げ、レーナ達が住居にしている塔の部屋まで運んだ。彼女が屈強な元女戦士でなかったら、とてもできない芸当だっただろう。
「妙な服を着ていますが、すっかり体が冷え切っています。まずは温めなくては」
ルビアは、質素な居間にある暖炉の前の敷物の上に寝かせると、手早く少年の服を脱がした。脱がすのもくろうする。彼の衣類は丈夫な革製で、きつく肌に張り付いていたのだ。
「まぁ……傷だらけだわ、この子」
そこにはまだ育ち切っていない少年の姿があった。
ひどく痩せているのに、しっかり筋肉がついていて、手足の皮膚は異常に硬い。それに大小無数の傷跡が走っている。これはかなり訓練された人間の体だ。
「……」
今までどんな環境にいたものか、ルビアは少年に憐憫を感じた。
それにしても、地下水に長時間浸されて体の深部まで冷え切ってしまったようで、かなり乱暴に扱っているのに、ぴくりとも動かない。
「ルビア、どう? 助かる? 助かるよね?」
「わかりません。ひどく冷たいです。心音も弱い。温めはしますが、助かるかどうか」
「なんとしても助けたいの。はやく温めないと!」
レーゼは少年に毛布をかけてやる。
「でも、まだ薪はそれほど多くは使えませんよ。冬中もたさなくてはいけないのですから」
「じゃあ、私が温める。ルビアはお白湯を作ってきてくれる?」
「……わかりました」
明暗が感じられる程度の視力しかないレーゼには、裸の少年は見えない。しばらくならいいだろうと、ルビアは竈のある隣の部屋に向かった。
レーゼはごそごそと少年の隣に潜り込む。その体は自分と同じように細いが、自分よりもごつごつしていて、ルビアが言った通り異様に冷たかった。
ああ、ここが一番冷たいわ。
それは額だった。
見えないはずなのに、レーゼには感じられる。額の真ん中に黒い刺青があることを。
それは目立たないように小さく染みのように見せているが、斜め向きの矢のような形をしていて、明らかに人の手で彫られたものだった。
なんだろう、ここには禍々しいものを感じる。
けど、この人は強いのだわ。この冷たさに負けていない。
だから今は温めてあげなくては。
レーゼは自分の腕と胸で少年を抱きしめる。
ルビア以外の人の体に触れることはめったにないレーゼは、他人の体が珍しくて、そっとその肌に手のひらを滑らせた。
私よりもずっと硬くて、丈夫な感じだわ。妹のジュリアとも全然違う。あちこちぼこぼこしてて……これは傷跡かしら? こんな子どももいるのね。
頬はくぼんでいて、顎がとがっている。
胸は自分よりも平らで変な感じだ。明るさ程度しか感じられない視力のレーゼは、慎重に子どもの体を確かめていった。
不意にその指が妙なものに触れる。それは脚の間にあった。
なんだろ? こんなの私にはない。木の枝みたいな太さだけど、これも体の一部なのかしら?
そっと握ってみるが、死んだ魚のようにぐんなりしている。
自分にはない不思議な器官だ。レーゼは、そっとそれを撫でてみた。皮膚だけが滑る奇妙な手触り。
すると突然──力なく横たわっていたそれが、もそりと動いた。
「ひゃっ!」
レーゼは驚いて手を引っ込める。
きっと嫌だったのね。悪かったわ……。
レーゼはもうそれ以上そこに触れることはせずに、細い少年の体を抱きしめた。目を閉じると心臓が先ほどよりも力強く脈打っていることが伝わる。
まるで生きていたことを喜んでいるかのように。
規則正しい鼓動を聞くのが心地よくて、レーゼもまた目を閉じた。
感想 20
あなたにおすすめの小説
処刑されるはずだった没落令嬢ですが、姫様の初夜を身代わりしたら子を授かりました
新 星緒没落伯爵令嬢のエルゼは大恩がある姫様を救うために、初夜の身代わりを引き受ける。
そして姫様や国を守るために誰にも行く先を告げずに国を去った。
三年後。初夜の晩に息子ヴァルターを授かっていたエルゼは、ひっそりと暮らしていた。ところが元婚約者に拉致られて、あわやというところに初夜の相手であるハインツ王子が現れる。
「ようやく見つけた。エルゼ、愛している」
「初夜の相手が君だと最初からわかっていたが?」
――身代わり初夜から始まる、純愛溺愛執着愛のお話!
【完結】私、悪役令嬢なのに、攻略対象に溺愛されています!?
凪ことは。乙女ゲームの悪役令嬢に転生してしまったことに気づいた、侯爵令嬢リリアーナ。
待ち受けるのは婚約破棄、断罪、そして破滅エンド――のはずだった。
だからこそ彼女は決意する。
「攻略対象には近づかない。目立たない。平穏に生きる!」と。
しかしなぜか、氷の公爵令息レオンハルト・ヴァイスブルクが、彼女にだけ異常な執着を見せ始めて――!?
冷たい視線の裏に隠された独占欲。
逃げれば逃げるほど深まっていく溺愛。
さらには本来ヒロインを愛するはずの攻略対象たちまで、次々とリリアーナを囲み始め……!?
「お前を誰にも渡すつもりはない」
破滅回避したい悪役令嬢と、彼女を決して逃がさない最強攻略対象。
運命が大きく狂い始める、甘く危険な溺愛ファンタジー♡
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
旦那様には好きな人がいる
えくれあ私の旦那様である、テオドール・セルヴァン侯爵様には好きな人がいる。
それは、幼馴染であり、王太子妃でもあるマチルダ様だ。
お二人は、いつもとても仲睦まじいご様子で、そんな叶わぬお二人の恋をそっと見守るのが私の日常だった。
そんなある日、夜会にめったに顔を出さない王太子殿下に、ダンスに誘われて。それがきっかけで、私の日常は少しずつ変化し始めた。
ド近眼の伯爵令嬢は婚約破棄されたらしいですが、相手が誰だか見えていませんでした
茨野 三智婚約破棄を告げられた伯爵令嬢エレノア。
けれど彼女は、相手の顔を見ても首をかしげるだけだった。
「失礼ですが……どちら様でしょう?」
重度の近眼ゆえに、婚約者の顔すら判別できなかったのである。
社交より研究が大好きな彼女は、婚約解消をあっさり受け入れ、魔導工学の研究へ没頭する日々を送ることに。そんなある日、王立図書館で出会った謎の青年リヒトの何気ない一言から、世界を変える大発明への道が開かれていく。
やがて誕生するのは、人々の人生を一変させる「魔導レンズ」。
見た目や噂だけで彼女を切り捨てた者たちが後悔する頃、エレノアの隣には、最初から彼女の価値を見抜いていた人物がいた――。
天然研究者令嬢が恋も夢もつかみ取る、ほのぼのラブコメファンタジーです。
「氷の公爵子息は、平凡令嬢を手放さない」
白瀬しおんただぶつかっただけのはずだった。
なのに気づけば、氷の公爵子息は隣に座り、手を取り、名前を呼ぶ。
そして——
「逃げてもいい。でも、逃げ切れない」
平凡令嬢を静かに囲い込む、逃げ場なしの溺愛。
最後に待つのは、拒否権のない婚約だった。
※初投稿のため、至らない点があるかもしれませんが、温かく見守っていただけると嬉しいです。
氷の王太子は初夜のあと、私だけを溺愛しすぎる
富士山麓公爵令嬢フェブラリーは、家と王家のため、氷の王太子イシュタルとの政略結婚を命じられる。
婚礼の日、王太子は一度も微笑まず、初夜の白磁の間で彼女に告げた。
「私は、君に興味がない」
愛されることなど期待していなかった。 ただ王太子妃として役目を果たせばいい。 そう自分に言い聞かせたフェブラリーだったが、翌朝、イシュタルの態度は一変する。
冷たかったはずの王太子は、なぜか彼女だけを見つめ、気遣い、甘やかし、重すぎるほどの溺愛を向けてくるようになった。
戸惑いながらも、少しずつ心を通わせていく二人。 しかし、王宮にはフェブラリーを快く思わない者たちがいた。
王太子の寵愛を受ける彼女への嫉妬。 王妃失格の噂。 裂かれるドレス。 仕掛けられる罠。
それでもフェブラリーは、ただ守られるだけの妃では終わらない。 傷ついても立ち上がり、傷跡さえ花に変え、王太子の隣で王宮を変えていく。
これは、政略結婚から始まった冷たい夫婦が、真実の愛を知り、やがて王と王妃として共に歩み出す物語。
氷の王太子の溺愛は、今日も王宮中を甘く揺らしている。 :::
【完結】身勝手な旦那様と離縁したら、異国で我が子と幸せになれました
綾雅(りょうが)要らない悪役令嬢腹を痛めて産んだ子を蔑ろにする身勝手な旦那様、離縁してくださいませ!
完璧な人生だと思っていた。優しい夫、大切にしてくれる義父母……待望の跡取り息子を産んだ私は、彼らの仕打ちに打ちのめされた。腹を痛めて産んだ我が子を取り戻すため、バレンティナは離縁を選ぶ。復讐する気のなかった彼女だが、新しく出会った隣国貴族に一目惚れで口説かれる。身勝手な元婚家は、嘘がバレて自業自得で没落していった。
崩壊する幸せ⇒異国での出会い⇒ハッピーエンド
元婚家の自業自得ざまぁ有りです。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2022/10/07……アルファポリス、女性向けHOT4位
2022/10/05……カクヨム、恋愛週間13位
2022/10/04……小説家になろう、恋愛日間63位
2022/09/30……エブリスタ、トレンド恋愛19位
2022/09/28……連載開始