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4 傷ついた少年 忘れられた少女 3
「レーゼ様、姫様! お気をつけて。あぶのうございます」
ルビアは、壁に手を滑らせて細い段を下りるレーゼを振り返った。
「大丈夫。ここには何度も来ているから。それに私、姫様をやめてだいぶ経つわよ。だから姫様はやめてね、ルビア」
レーゼは唇だけで笑った。それもしかたがない。彼女の顔の上半分には布が巻かれているのだ。
しかし、そんなことは問題ではない。塔の内部や周辺、そして地下の構造は、細部に至るまで体が覚えている。だからここに住む限り、見えなくてもそれほど支障はないのだった。
だが、それだけではなかった。
レーゼには人とは違う能力がある。
かつては魔力と言われ、敬われていた力だが、年月を経て、今ではその影響力は弱まり、却って力を持つ者の方が疎まれる時代だった。
レーゼの能力は感覚が鋭敏で、音の反響や動物の気配で、空間を認識できるという、王宮では何の役に立たないような能力だったが、今となっては彼女を生かす有効な手段となっている。
「近いわ」
二人は狭い階段を降り続け、広い空間に出た。
ルビアの持つ灯りに驚いて、コウモリ達が騒ぎ出す。
深い洞窟である。天井からは鋭い鍾乳石、地面から石筍が生えるその空間には、地下の川が流れていた。地下深くの秘された流れで、空間中に水音が反響している。
どこ?
あなた、どこにいるの?
レーゼはコウモリの感覚に身をゆだねた。
岩肌、水の流れ、人間にはないコウモリの感覚機能が少しだけれど伝わる。やがて、レーゼは闇の中の一点に不思議な形を見つけた。
いた!
「ルビア、あそこ!」
大きく突き出した岩石に引っかかるようにして、黒色の塊があった。レーゼはさっと指差す。
それは小さい。自分と同じくらいに。
そして冷たかった。自分よりも。
「まぁ! レーゼ様! 人です! それも男の子!」
ルビアはぐったりしている少年の様子を確かめた。
「男の子? とにかく生きているのね」
「そ、そのようです。どうなさいますか?」
「もちろん助けるのよ。上に連れていくわ。ルビアお願い」
「はい」
ルビアは少年を流れから引き上げ、レーナ達が住居にしている塔の部屋まで運んだ。彼女が屈強な元女戦士でなかったら、とてもできない芸当だっただろう。
「妙な服を着ていますが、すっかり体が冷え切っています。まずは温めなくては」
ルビアは、質素な居間にある暖炉の前の敷物の上に寝かせると、手早く少年の服を脱がした。脱がすのもくろうする。彼の衣類は丈夫な革製で、きつく肌に張り付いていたのだ。
「まぁ……傷だらけだわ、この子」
そこにはまだ育ち切っていない少年の姿があった。
ひどく痩せているのに、しっかり筋肉がついていて、手足の皮膚は異常に硬い。それに大小無数の傷跡が走っている。これはかなり訓練された人間の体だ。
「……」
今までどんな環境にいたものか、ルビアは少年に憐憫を感じた。
それにしても、地下水に長時間浸されて体の深部まで冷え切ってしまったようで、かなり乱暴に扱っているのに、ぴくりとも動かない。
「ルビア、どう? 助かる? 助かるよね?」
「わかりません。ひどく冷たいです。心音も弱い。温めはしますが、助かるかどうか」
「なんとしても助けたいの。はやく温めないと!」
レーゼは少年に毛布をかけてやる。
「でも、まだ薪はそれほど多くは使えませんよ。冬中もたさなくてはいけないのですから」
「じゃあ、私が温める。ルビアはお白湯を作ってきてくれる?」
「……わかりました」
明暗が感じられる程度の視力しかないレーゼには、裸の少年は見えない。しばらくならいいだろうと、ルビアは竈のある隣の部屋に向かった。
レーゼはごそごそと少年の隣に潜り込む。その体は自分と同じように細いが、自分よりもごつごつしていて、ルビアが言った通り異様に冷たかった。
ああ、ここが一番冷たいわ。
それは額だった。
見えないはずなのに、レーゼには感じられる。額の真ん中に黒い刺青があることを。
それは目立たないように小さく染みのように見せているが、斜め向きの矢のような形をしていて、明らかに人の手で彫られたものだった。
なんだろう、ここには禍々しいものを感じる。
けど、この人は強いのだわ。この冷たさに負けていない。
だから今は温めてあげなくては。
レーゼは自分の腕と胸で少年を抱きしめる。
ルビア以外の人の体に触れることはめったにないレーゼは、他人の体が珍しくて、そっとその肌に手のひらを滑らせた。
私よりもずっと硬くて、丈夫な感じだわ。妹のジュリアとも全然違う。あちこちぼこぼこしてて……これは傷跡かしら? こんな子どももいるのね。
頬はくぼんでいて、顎がとがっている。
胸は自分よりも平らで変な感じだ。明るさ程度しか感じられない視力のレーゼは、慎重に子どもの体を確かめていった。
不意にその指が妙なものに触れる。それは脚の間にあった。
なんだろ? こんなの私にはない。木の枝みたいな太さだけど、これも体の一部なのかしら?
そっと握ってみるが、死んだ魚のようにぐんなりしている。
自分にはない不思議な器官だ。レーゼは、そっとそれを撫でてみた。皮膚だけが滑る奇妙な手触り。
すると突然──力なく横たわっていたそれが、もそりと動いた。
「ひゃっ!」
レーゼは驚いて手を引っ込める。
きっと嫌だったのね。悪かったわ……。
レーゼはもうそれ以上そこに触れることはせずに、細い少年の体を抱きしめた。目を閉じると心臓が先ほどよりも力強く脈打っていることが伝わる。
まるで生きていたことを喜んでいるかのように。
規則正しい鼓動を聞くのが心地よくて、レーゼもまた目を閉じた。
ルビアは、壁に手を滑らせて細い段を下りるレーゼを振り返った。
「大丈夫。ここには何度も来ているから。それに私、姫様をやめてだいぶ経つわよ。だから姫様はやめてね、ルビア」
レーゼは唇だけで笑った。それもしかたがない。彼女の顔の上半分には布が巻かれているのだ。
しかし、そんなことは問題ではない。塔の内部や周辺、そして地下の構造は、細部に至るまで体が覚えている。だからここに住む限り、見えなくてもそれほど支障はないのだった。
だが、それだけではなかった。
レーゼには人とは違う能力がある。
かつては魔力と言われ、敬われていた力だが、年月を経て、今ではその影響力は弱まり、却って力を持つ者の方が疎まれる時代だった。
レーゼの能力は感覚が鋭敏で、音の反響や動物の気配で、空間を認識できるという、王宮では何の役に立たないような能力だったが、今となっては彼女を生かす有効な手段となっている。
「近いわ」
二人は狭い階段を降り続け、広い空間に出た。
ルビアの持つ灯りに驚いて、コウモリ達が騒ぎ出す。
深い洞窟である。天井からは鋭い鍾乳石、地面から石筍が生えるその空間には、地下の川が流れていた。地下深くの秘された流れで、空間中に水音が反響している。
どこ?
あなた、どこにいるの?
レーゼはコウモリの感覚に身をゆだねた。
岩肌、水の流れ、人間にはないコウモリの感覚機能が少しだけれど伝わる。やがて、レーゼは闇の中の一点に不思議な形を見つけた。
いた!
「ルビア、あそこ!」
大きく突き出した岩石に引っかかるようにして、黒色の塊があった。レーゼはさっと指差す。
それは小さい。自分と同じくらいに。
そして冷たかった。自分よりも。
「まぁ! レーゼ様! 人です! それも男の子!」
ルビアはぐったりしている少年の様子を確かめた。
「男の子? とにかく生きているのね」
「そ、そのようです。どうなさいますか?」
「もちろん助けるのよ。上に連れていくわ。ルビアお願い」
「はい」
ルビアは少年を流れから引き上げ、レーナ達が住居にしている塔の部屋まで運んだ。彼女が屈強な元女戦士でなかったら、とてもできない芸当だっただろう。
「妙な服を着ていますが、すっかり体が冷え切っています。まずは温めなくては」
ルビアは、質素な居間にある暖炉の前の敷物の上に寝かせると、手早く少年の服を脱がした。脱がすのもくろうする。彼の衣類は丈夫な革製で、きつく肌に張り付いていたのだ。
「まぁ……傷だらけだわ、この子」
そこにはまだ育ち切っていない少年の姿があった。
ひどく痩せているのに、しっかり筋肉がついていて、手足の皮膚は異常に硬い。それに大小無数の傷跡が走っている。これはかなり訓練された人間の体だ。
「……」
今までどんな環境にいたものか、ルビアは少年に憐憫を感じた。
それにしても、地下水に長時間浸されて体の深部まで冷え切ってしまったようで、かなり乱暴に扱っているのに、ぴくりとも動かない。
「ルビア、どう? 助かる? 助かるよね?」
「わかりません。ひどく冷たいです。心音も弱い。温めはしますが、助かるかどうか」
「なんとしても助けたいの。はやく温めないと!」
レーゼは少年に毛布をかけてやる。
「でも、まだ薪はそれほど多くは使えませんよ。冬中もたさなくてはいけないのですから」
「じゃあ、私が温める。ルビアはお白湯を作ってきてくれる?」
「……わかりました」
明暗が感じられる程度の視力しかないレーゼには、裸の少年は見えない。しばらくならいいだろうと、ルビアは竈のある隣の部屋に向かった。
レーゼはごそごそと少年の隣に潜り込む。その体は自分と同じように細いが、自分よりもごつごつしていて、ルビアが言った通り異様に冷たかった。
ああ、ここが一番冷たいわ。
それは額だった。
見えないはずなのに、レーゼには感じられる。額の真ん中に黒い刺青があることを。
それは目立たないように小さく染みのように見せているが、斜め向きの矢のような形をしていて、明らかに人の手で彫られたものだった。
なんだろう、ここには禍々しいものを感じる。
けど、この人は強いのだわ。この冷たさに負けていない。
だから今は温めてあげなくては。
レーゼは自分の腕と胸で少年を抱きしめる。
ルビア以外の人の体に触れることはめったにないレーゼは、他人の体が珍しくて、そっとその肌に手のひらを滑らせた。
私よりもずっと硬くて、丈夫な感じだわ。妹のジュリアとも全然違う。あちこちぼこぼこしてて……これは傷跡かしら? こんな子どももいるのね。
頬はくぼんでいて、顎がとがっている。
胸は自分よりも平らで変な感じだ。明るさ程度しか感じられない視力のレーゼは、慎重に子どもの体を確かめていった。
不意にその指が妙なものに触れる。それは脚の間にあった。
なんだろ? こんなの私にはない。木の枝みたいな太さだけど、これも体の一部なのかしら?
そっと握ってみるが、死んだ魚のようにぐんなりしている。
自分にはない不思議な器官だ。レーゼは、そっとそれを撫でてみた。皮膚だけが滑る奇妙な手触り。
すると突然──力なく横たわっていたそれが、もそりと動いた。
「ひゃっ!」
レーゼは驚いて手を引っ込める。
きっと嫌だったのね。悪かったわ……。
レーゼはもうそれ以上そこに触れることはせずに、細い少年の体を抱きしめた。目を閉じると心臓が先ほどよりも力強く脈打っていることが伝わる。
まるで生きていたことを喜んでいるかのように。
規則正しい鼓動を聞くのが心地よくて、レーゼもまた目を閉じた。
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