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73 実りの時 5

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「は?」
 今度こそエルランドは言葉を見失った。
「だから、エルランド様の後継者を産むのは誰かなって思って……」
「……リ、リザ?」
「私、よくわからなくなって……」
 リザはうつむいたまま続けた。
「私、せっかくここに来たんだから、の役割をしっかり果たさなくちゃって思って、がんばろうと思って……でも」
「……」
「エルランド様は優しいけど、それは私がみそっかすでも一応王族だったし、五年間放っておいた負い目があるからでしょ? だから私、ちゃんと役割を果たそうと思うんだけど……どこまでやったらいいのか、何をすればいいのか、わからなくなる時があって……」
 足元に打ち寄せる小さな波を見ながら、リザは言葉を続けられなくなった。
「私、馬鹿でごめんなさい……」
 怖くて顔があげられない。
 リザは、どうしても自分を心から肯定することができないのだ。
 何度自分に言い聞かせても、ニーケやオジー、そしてエルランドから優しい言葉をもらっても、死んだ母の涙や、自分を見下げ続けた兄や姉の呪いがおりのように、心にこびりついている。
 もがいても、もがいても、そこから抜け出すことができないでいるのだ。

「……リザ、これを」
 エルランドはそんなリザをしばらく見つめていたが、やがて上着の下から、きれいに彩色された木の小箱を取り出した。
 それはリザの掌に乗るほどの小さなもので、リザが描くような精密な植物の絵が、彫刻レリーフで描かれている。
「まぁ、きれいな箱ね……くれるの?」
 不思議そうな顔でリザは箱を受け取る。
「もらってほしいのは、箱よりも中身なんだけどな」
「……?」
 リザが箱のふたを開けると、中には柔らかい布に包まれた深い青色の宝石が入っていた。普通の宝飾品の用にカットされていない自然の形だが、透明度が高く、十二分に美しい。
「まぁ! すごくきれいな青い石……青と言うよりも藍色?」
「取り出してごらん」
 リザが摘まみ上げると、石の両端には細い銀の鎖がついていて、その鎖の両端には青い石よりも小さな金緑色の宝石がはめ込まれている。
「これは……?」
「首飾りだそうだ。こうやってつける」
 エルランドは銀の鎖をリザの首に巻きつけた。
 それは金具で留めつけるものではなく、首の後ろで交差させるようになっている。エルランドは長めの鎖を器用に編み込んだ。
 すると、鎖骨の真ん中に収まった青い石の横に、金緑色の石が垂れ下がり、まるで青い宝石を守っているかのように見えた。
「よく似合う」
「……これを私に?」
 リザは聞き取れないほど小さな声で尋ねた。
「ああ。秘密だがイストラーダの南の山奥にな、小さな宝石の鉱山がある。これは以前俺が掘り出したものの中で一番質の良いものだ。秋の市が始まる直前、ウィルター殿の伝手つてを頼って、急ぎ王都の宝石商に送って細工させた。今朝やっと届いたんだ」
「……」
 リザは水面に移る自分の姿に見入った。
「俺には装飾品のことはわからないから、パーセラ殿に相談に乗ってもらったが、最終的には俺が意匠を考えたんだ……気に入らないか?」
 リザは岸辺の石に手をついて水面を覗き込んだままだ。
「リザ?」
 やがてエルランドはあることに気がついた。
 静かに寄せる小さな波の他に、別の波紋が水面に揺れていることを。
「リザ!」
 エルランドが慌てて引き寄せると、大粒の涙がリザの頬をぽろぽろ伝い落ちていた。
 ならず者に襲われた時も、病を得たときも泣かなかったリザが、今泣いている。
 それは必死で被ってきた仮面が剥がれ落ちた瞬間だった。
「ううう……ふわぁあああん!」
 ついにリザは子どものように声をあげた。
「な、泣くな、リザ。あなたに泣かれると、俺はどうしていいかわからなくなる」
「え……エルランド様はずるい!」
 リザはしゃくり上げながら叫んだ。
「なぜだ? そんなにこれが嫌だったのか?」
「全然違う! エ、エルランド様はどうして私に優しくするの? 私はこんなカラス娘なのに! みそっかすでも王女だから?」
「は⁉︎ どうしてそうなる!」
 リザはすっかり混乱している。年頃の娘が普通に経験するべきことを、今まで奪われてきた結果、優しさの後ろの真実が見えないのだ。
「だって……だって、わからないんだもの! なんで私に、こんな……こんなことしてくれるのか!」
 発作的にリザは体をひねった。この場から逃れようとしたのだ。しかし、岸辺の石に足をとられ、大きく体が傾いた。
 あっと思った瞬間、大きくて硬いものが自分を受け止めた。抱き止められたのだ。
「愛しているからに決まっているじゃないか!」
 厚い胸に囲いこまれながら、リザは聞き慣れない言葉を受け止める。
「あ……い? あいって?」
 泣き濡れた瞳が冬の陽を反射する。
「そうだ。意味を知らないのか?」
「……昔、お母様が……」

『リザ、愛してるわ。愛してる。でもごめんね、全部私が悪いの。こんな寂しい暮らしでごめんね』

 幼い日、毎日聞いた愛の言葉は、いつも謝罪と涙が一緒だった。
「……お母様は、泣きながらとても辛そうに、あいしてる、ごめんなさい……って、私に」
 エルランドの目が驚きで大きくなる。
「だから、あいしてるは、ごめんなさいの意味なのでしょう?」
「そうか……そうなのか!」
 エルランドは今更ながら、自分のしでかした罪を悔いた。
 彼はリザに許しをうために何度も「すまない」と言い続けてきた。
 謝罪とはリザにとって、あきらめと同義なのだ。そして人生経験の少ないリザが怯えないように、穏やかにゆっくりと距離を詰めていけばいいと思っていたのだ。
 だがリザにとっては、何度謝られても優しくされても、それが前を向くための言葉だとは思えなかったのだろう。
「リザ、聞いてくれ」
 エルランドはリザの小さな顔をがっしりと包み込んだ。
「俺、俺はな。男としてあなたを愛してる」
「……」
「それはとてもリザのことが好きだ、自分のものにしたいと言うことだ。ごめんなさいとは全然違う」
「私を……好き?」
「ああ。初めてリザと一緒に過ごした夜から不思議な気持ちになった」
「……結婚式の?」
「そうだ。俺は五年前、初めてリザを見た時からあなたにかれていた。しかし、同時に戸惑ってもいた。リザはまだ幼い少女でよこしまな欲望を向けてはならない存在だったから。湧き上がる感情に無理やりふたをした。そして俺は逃げた」
「逃げた? でもお仕事だって……」
「ああ、それは決して嘘じゃない。だが、自分を信じられなくなっていたことも事実なんだ。俺は幼いあなたに恋してしまったことに動揺していたんだ」
「……」
 かくん、とリザの首がかしぐ。その眉間には普段見られない、しわが寄せられていた。
「リザ、怒ったのか? 無理もない……俺は卑怯者だった。リザにれたことを否定した」
「でも、あなたは私を抱いて眠ってくれた。私……とても嬉しかった」
 リザの瞳から最後の涙がこぼれた。頬を伝うそのしずくをエルランドは吸い取ってやる。その味はリザがずっと噛み締めてきた味なのだ。
「本当はもっと色々な形で触れ合いたかった……だが、自分が負った責任を考えると、そんな無責任なことはできなかったんだ」
「今は?」
「触れたい」
 リザの無邪気な問いに、エルランドはあっさり白状した。
「愛してる。リザに触れたい。リザを全部知りたい。リザの裸が見たい。リザの奥の熱いところを感じたい」
「……はだか」
 リザが思わず、思い浮かべたのはウルリーケの豊満な体つきだった。
 彼女に比べると、リザの体は薄くて細い。しかし、エルランドはリザの胸の内を察したかのように首を振った。
「俺は綺麗で可愛いがんばり屋のリザに触れたかった。ずっとそう思ってきた。でもリザが怖がると思って、ずっと我慢していた」
「……」
「俺の子を産むのはあなただ、リザ」
「私?」
「そうだ。あなた以外に産んでほしくはない。だが、たとえ産めなくっても、そんなことはどうでもいい。あなたはあなただから」
「産む」
 思わず言葉が溢れる。
「私産むわ。 エルランド様の子を」
「リザ、ほんとうに?」
 エルランドの腕に力がこもる。
「ええ。どうやって産むのかまだわからないけど、多分ニーケかコルが教えてくれるわね」
「いやいやいや! 教えるのは俺だから!」
 おかしな方向に暴走してしまいそうなリザを、エルランドは今度こそ否定した」
「俺が全部教える!」
「そう? わかった。ちゃんと教えてね。私知らないことばかりだから」
 まるで本の中の新しい知識を語るかのようなリザに、エルランドはここで間違ってはいけないと肝を据える。
「教える。だが、リザはびっくりするかもしれない。だから今まで教えなかった」
「……」
「もう、俺は我慢しなくてもいいのか? リザは俺をどう思っている? 俺のために体を開いてくれるのか?」
 エルランドは波打ち際からリザを抱え上げると、枯れ草の上に直に腰を下ろした。
 リザが冷えないように、自分の胡座あぐらの上にそっと小さな尻を乗せてやり、不思議そうにしているリザの頬を包んだ。
「教えてくれ、リザ」


    *****


ツィッターでエルランドは非常に恥ずかしい告白をしております。
哀れ・・・。
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