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2章 魔女 未来に向かって

87 騎士と最後の魔女 3

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 ザザとギディオンとザザは、セルヴァンティース家正面の、大きな扉をくぐった。
 ホールには長兄フォルストとサルビア夫婦、そして義弟のリッツァが待ち構えていた。
「お帰りなさい! ギディオン、ザザ!」
 駆け寄って声をかけたのはサルビアだ。
 フォルストとリッツァは真剣な、それでいて落ち着いた眼差しを二人に向けた。
「ただいま戻りました。義兄上、義姉上。そしてリッツァ、長らく留守をいたし、ご心配をおかけしました」
 ギディオンも真摯しんしな態度で腰を折る。
「まずは改めてアントリュースでの功績をねぎらいたい。ギディオン、ご苦労だったな」
「お勤めご苦労様でございました」
「ありがとうございます。無事任務を果たせおおす事ができました」
 フォルストとは既に王宮で顔を合わせてはいたが、お互い忙しい身なので、慌ただしく立ち話をするのがせいぜいだったのだ。リッツァも進み出る。
「兄上、この度のお働き、私も誇りに思います。無事のご帰還、お待ち申し上げておりました」
「ありがとう、リッツァ」
「もう、どうしてこの家の殿方たちはどうしてこう、堅苦しいのかしら? ねぇ」
 サルビアが呆れたようにザザに肩をすくめて見せた。
「さぁ、ギディオン! 上でさっさとめんどくさそうな用事をすませておいでなさいな。今夜は素晴らしい御馳走を用意しているのよ。ザザも早く食べたいわよね!」
「は、はい」
 なんとも言えない空気に気圧されて、ひたすら黙って頭を下げていたザザの肩をサルビアは優しく包んだ。
「私たちへの報告は後でいいのよ。予想はついているし」
「そうだな。父上は二階うえの居間でお待ちだ。早く叱られて来い」
「恐れ入ります、兄上。ではザザ、行こうか」
「はい」
 ザザは再び深く屋敷の人々に頭を下げた。
「失礼いたします」
 ホールから二階へ大階段を上るうちに、ザザの心臓はどんどん飛び跳ねはじめる。

 わたしが魔女だから、ギディオンさまが悪く思われたりしないだろうか?

 しかし、前を上るギディオンの背中は揺るぎがない。どんどん上へ、前へと進んでいく。
「父上、ギディオンです。失礼いたします」
 広く重々しいしつらいの部屋の中央に大柄な老人が立っていた。
 セルヴァンティース伯爵家当主、ディーター・ラス・セルヴァンティースである。最近あまり調子が良くないと聞いていたのに、姿勢のいい立ち姿だ。
「帰ったか。この度の働き、ご苦労だった」
「恐れ入ります」
「まずは座りなさい。そこの娘御も」
「は、はい!」
 思わず上ずった声が出てしまったザザだったが、中央に置かれた大きな椅子に二人で座った。伯爵、ディーター自ら、切り子の硝子杯グラスに琥珀色の液体を注いでくれる。
「まぁ、少し喉を湿せ」
「これは父上秘蔵の酒ですな。いただきます。強い酒だから、ザザは唇をつけるだけにしておきなさい」
「はい」
 恐る恐る口をつけると、舌先がぴりっとしびれるような感じがした。強い薬液を試した時に似ているが、香りが豊潤で熱くなる。それは以前王宮で飲んだ甘い酒よりも刺激的だった。
「ふ、ギディオン、その娘御をずいぶん大切にしているようだな」
「当然です。わが花嫁になるご婦人なのですから」
「むふっ」
 ギディオンの言葉にザザは思わず、酒を吹き出す不始末をしでかすところだった。おずおずと目を上げると二人の男性が自分を見ている。
「もっ、申し訳ございません。お見苦しい真似を!」
「気にするな。ほら」
 ザザは微笑みながら自分に差し出された白い手布ハンカチを受け取った。その様子をディーターがじっと見ている。
「……こんな野の娘を我が伯爵家の花嫁とな。親子二代して市井の娘に惚れたものよ。いや、認めぬ訳ではないが、かくも同じ血が流れているものだと、感心しておる。しかも、魔女と申すではないか」
 最後の言葉には、かすかに嫌悪の色が滲んでいた。ザザは心がしぼられたようになって俯いてしまったが、ギディオンが大きな手でその肩を抱く。
「……父上、よくお聞きください。このザザの父は、あなたの伯父で私の大伯父、グレンディル殿です」
「なん……だと!」
 ディーターは腰を浮かせた。
「馬鹿なことを申すな! 伯父上はとおに亡くなられたのだぞ。私ですらお顔を知らない」
「しかし事実です。私もその事実を知った時には驚きましたが」
「お前、だまされているのではないか? 我が父は崇拝していた兄をなくし、いつまでも悲しんでおられたのだ。それも、もう何十年も昔の話だ。この娘の年よりはるか昔のことだ。それともその娘、魔女は見かけよりも年を食うておるのか?」
「ザザ、母上の手記を」
「はい。これです」
 ザザは、いつも持っている小さな鞄から古ぼけた手帳を取り出し、ディーターに手渡した。
「魔女の飾り文字を使っているので、少し読みにくいかもしれませんが」
「……」
 ディーターは疑い深そうにページを繰りだした。
 特殊な羊皮紙に書かれた魔女の文字は、読む人に合わせて形を変える。老人が読むのに障害はないだろう。
「こんな、まさかそんな……信じられん……これは本当に起きたことなのか?」
「本当です。我々が戦ったあの恐ろしい魔女は、私をグレンディル殿だと疑いもなく思い込んだ。私は大伯父に似ているのですか?」
「私も知らんのだ……しかし、父がいつも懐かしそうに見ていた画帳の中に絵姿があったように思う。長い間見ておらんが……ついてきなさい」
 ディーターはよろよろと立ち上がり、部屋の外に出た。
 そのまま廊下の奥の階段から三階に上がり、さらに目立たない扉を開けて屋根裏部屋へと上がった。ギディオンでさえ入ったことのない場所である。
 そこは広い埃だらけの物置だった。下手に動くと降り積もった埃が舞い上がる。
「ここに伯爵家の古い遺物が置いてある。値打ちのないものばかりだがな。私もここに来るのは十何年ぶりだ。ここに父の残した私物がある」
 そう言ってディーターは古いひつのふたを開けた。鍵もかけていないのは、言葉通り値打ちのあるものが入っていないのだろう。
 櫃の中は意外にきれいで、きちんと整頓がなされていた。中には書物や書類がほとんどだが、隅のほうに大きめの画帳のようなものが挟まっていた。
「伯父上の正式な肖像画はないのだ。早くに亡くなられたと聞いているし、元々そういうことが嫌いな人だったらしい。しかし、父は年の離れた兄を非常に尊敬していたようで、いくつか素描が残されている。私も大昔に見たきりだが」
 ディーターは画帳を慎重に開く。
 紙の隅のほうが劣化していてぽろぽろと敗れ落ちたが、他はまだしっかししていた。最初のほうには花や鳥、馬などが描かれている。
「おじい様は絵がお上手だったのですね」
 ギディオンは感心したように言った。
「ああ。体はあまり丈夫ではなく、武の方はさっぱりだったようだが、絵や音楽は好きだったようだ。ああ、このあたりか……おお!」
 広げたページには一人の男の顔がいくつも描かれていた。それは簡単な鉛筆画であったが、いくつもの角度から様々な表情を追いかけている。
「確かにお前に似ている。なんで今まで気が付かなんだのか」
 ディーターも驚いて画帳を見つめていた。
 そして次のページには、椅子に腰かけてくつろいだ様子の青年の姿があった。それはかなり描きこまれたもので、肖像画の下絵と言ってもいい出来栄えだった。
「これは……俺だ」
 ギディオンも驚いている。
 絵の中の男は、それを描くものに何か話しかけているような柔らかな表情だ。
 長めの髪に引き締まった体つき、薄い唇。それらはすべてザザの愛する主のものだった。違うところといえば、髪の色くらいだろうか?
 ギディオンが濃い色なのとは対照的に、絵の男は明るい髪を持っていた。
「……ギディオンさま」
 そしてまた、彼が座っている椅子は階下の居間でディーターが使っているものだった。椅子の脇には剣が立てかけられていて、柄には細長い石が埋め込まれている。精密に描きたかったのか、石だけを拡大して描いたものもある。
 それはザザが身に着けていた母の形見と同じ形をしていた。ザザは胸に下げている袋から輝石を取り出した。もうそれは折れてしまい、光を放つことはない。しかし、先の尖った六角柱は、絵の中のものとそっくりだった。
「これはお母さんの輝石……です」
 ザザは母の形見をディーターの手にのせた。
「……どうやら、あんたの母上の記録は本物のようだ」
 ディーターは弱く言った。声が少し震えている。
「あんたの父親は私の伯父だったのか……しかし、これはどう考えたらいいのか……」
 ザザはただ言葉もなく、父の絵姿を見つめていた。


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