朱に交われば紅くなる

蒼風

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chapter.3

12.その時紅音は陽菜を全力で煽り倒していた。

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 相談相手の都合がつかないのでは仕方がない。

 結局その日はお開きとあいなった。

 その、帰り道。

「あの、西園寺さいおんじ……さん?」

「さ、さいおんじさん?」

「ひゃっ!?駄目でしたか?」

 駄目、ではない。

 ただ、違和感が凄い。

 もちろん、その呼び方をする人間がいないわけではない。

 事実、先ほどまで一緒にいた葉月先輩は、紅音くおんのことをそういう呼び方をする。

 ただ、それ以外の人間は大体が“くん”付けか、呼び捨てだ。少なくとも同級生からそんな呼び方をされた記憶はない。そのせいか、どうにもむず痒い。

「駄目……ではないんだけど、普通に“西園寺くん”とかじゃ駄目なのか?」

「い、いいんですか?それで」

 いいもなにも、それでもまだマイルドな方だと思う。

 冠木かぶらぎが時々つかう「そこのボッチA」や、「栄光なき孤立」みたいな呼び方に比べたらはるかにましだと思う。失礼な教師だ。せめて栄光ある孤立と言っていただきたい。

 だから、

「いいよ。と、いうか、さん付けされるほうが違和感がやばい」

「じゃ、じゃあ……西園寺くん」

「おう」

「あの、帰りは……どっち方向ですか?」

 ふむ。

 どう答えたものか。

 月見里の言っている「どっち方向」というのはつまり、目の前に広がっている大通りを右と左、どっちに向かって歩いていくのかということだ。

 素直に答えてもいい。答えてもいいのだが、紅音としてはまだ、月見里に聞きたいことがいくつかある。選択次第ではここで別れることになってしまうという今の状況はまずい。

 なので、

「月見里はどっちなんだ?」

 相手の反応を探る。これが朝霞あさかなら、


「なんでそんなこと聞くんだい?怪しいな」


 くらいの反応はすると思うのだが、月見里は全く疑いもせずに、

「あ、私はこっちです」

 そういって右側を指さした。

(セェーーーーーーーーーフ!!!!)

 紅音は心の中で思いっきり両手を横に広げた。

危なかった。もし、月見里に聞く前に答えていたら、ここで別れることになるところだった。紅音の家はここから左に曲がらないと大きく遠回りになってしまうのだ。

 しかし、

「あ、じゃあ俺と一緒だな」

 情報を得てしまった後であればいくらでも嘘がつける。許してほしい。何も傷つけるためではないんだ。ただ、聞きたいことがあっただけなんだ。

 そんな胸中を知る由もない月見里は少し表情が柔らかくなり、

「そうなんですか。それじゃあ、途中まで一緒ですね」

「そうだな。駅の向こうに用事があるから、駅までかな」

 嘘である。

 もちろん、時にはそういう日もある。

 駅の向こうにあるゲーム屋は、深夜一時まで営業していることもあって、発売日当日の深夜には店に品を並べてくれるのだ。

 その恩恵には紅音や、優姫ひめもよくあやかっているので、駅の向こうに用事がある、というのも、時と場合によっては生じる事態であり、全くの大嘘ということはない。

 今日がなんの発売日でもなければ、夕方は普通のゲーム屋でしかないことを除けば、の話だが。

 ただ、そんなことも月見里は知らない。いいんだ。別に彼女が不利益を被るわけではないし。

 そんなことよりも重要なのは、

「なあ、月見里」

「なんですか?」

「なんで俺に対抗するのやめたんだ?」

「たいこう……?」

 全くピンと来ていないらしい。紅音は続ける。

「いや、テストよ、テスト。お前、最初はビターっと俺と佐藤さとうの後ろにくっついてたろ。けど、いつのまにかいなくなってた。あれ、どうしてなんだ?」

 そこまで聞いた月見里は驚いて、

「う、うえええええ!?いや、あの、そんな、決して対抗していたわけでは」

「うん、知ってる。けど、そんな感じになってたからさ」

「あぅ」

「で?実際のところは?」

 月見里はうつむいて、

「……あ、これは駄目だなって思ったんです」

「駄目?」

「はい」

 顔を上げ、

「高校に入学して、最初は友達作れるかなとか、そんなことを思ってたんです。けど」

「うまくいかなかった」

 首肯。

「……それで、思いついたのが定期テストなんです。ほら、成績優秀者って廊下に名前が貼りだされるじゃないですか。だから、テストで良い点取って、名前を載せて、そうすれば少しは変わるかなって」

「それで、頑張ってみたわけだ」

「はい。だけど、結果は二位。一位の人は西園寺くんも知ってると思いますけど、佐藤さん。あの人は凄く自己主張の強い人で、成績発表を見ながら勝ち誇っていました」

「ああ……」

 覚えている。

 忘れられるはずもない。何を隠そうあの時なのだ、紅音がテストでこいつ佐藤を負かせて、たっかいたっかい鼻っ柱をへし折ってやろうと思ったのは。

 月見里は続ける。

「そんな姿を見て……いや、そんな姿を見なくてもきっと、私は何も出来なかったと思います。確かに、私は一番にはなれなかった。でも、二位です。成績として優秀なのは間違いない。けれど、それに注目する人は一人もいなかった」

 確かだ。

 あの日、多くの人間が注目していたのはトップを取って勝ち誇っていた佐藤陽菜ひなと、そんな彼女と衝突を起こしたあげく、成績トップを取って負かせてやろうと企んでいた西園寺紅音の二人だったはずだ。

 それ以外の人間は2位だろうが、発表される順位としてはドベにあたる50位だろうが、誰も見向きもしなかったはずである。と、いうか、

「なあ、月見里」

「はい?」

「こんなこというのもあれかもしれないけど……」

 紅音が言葉に詰まっていると、

「成績上位になっても友達作りには関係ないんじゃないかってことですか?」

「う」

 月見里はくすっと笑って、

「ええ。分かってたんです。それくらいのことは。けど、当時の私は、それくらいのことにすら気が付けないほど必死で、視野が狭かったんです」

 静寂。

 車が走り抜ける音が、遠くで運動部がランニングをする掛け声が、手で押している自転車のタイヤがゆっくりと回転する音が、赤ん坊が泣く声が、どこかで患者のもとへと向かう救急車のサイレンが、耳にすっと入ってくる。

 やがて月見里が、

「それでも私は成績上位を狙いました。でも、その順位は上がるどころか、さらに下がってしまった」

「俺が一位を取ったからか」

 肯定。

「最初は特に意識してなかったんです。ああ、今回も1位になれなかったな、くらいで。ただ、その次。二学期の中間テストでも順位が変わらなかったときに気が付いたんです。あ、これは無理だなって。一学期ならともかく、二学期にもなって成績上位だったくらいで驚かれることはありません。しかも、上位にいるのはいつも同じ名前。見慣れた光景になっていてもおかしくはありません。それに、聞いたんです、私」

「聞いた?」

「はい。あの、西園寺くんと、佐藤さんの、会話を。ごめんなさい!」

 頭を下げる。別にそれくらい謝る必要はないのに。

 ただ、それとは別に、

「え、聞いた……って、いつの?」

「成績発表の時です。二学期中間テストの」

「あー……」

 覚えている。

 もっともあれは「会話」というよりは「低レベルな煽りあい」だったと思うのだが、ずいぶんとまあ、美化されたもんだ。

「その時佐藤さん、いってましたよね。西園寺くんが、最初は100位以内にも入っていなかったって」

「言ってたなぁ……あいつどこからそんな情報手に入れたんだか」

 掲示されるのはあくまで上位者のみ。そのため、51位以下の人間に関してはドベだろうが、51位だろうが、全くのブラックボックスであるのが実情なはずなのだ。

 朝霞ならともかく、陽菜がそんな情報をつかめた理由はよくわからない。教師にでも聞いたのだろうか。口が軽そうな人を見繕って。

 月見里はなおも続ける。

「それで、凄いなって思ったのと同時に、私じゃかなわないなって思って。それで、無理に頑張るのをやめたんです」

 頑張るのをやめた、とはいうもの、紅音の記憶している限りだと、月見里の成績はその後もまあまあ安定していたはずである。

 現に二学期の期末テストは学年で8位と決して悪くない順位をキープできていたはずで、かなわないというレベルではないと思うのだが、突っ込むのはやめておいた。

 その代わり、

「それでも50位以内はキープしてるんだからすごいと思うぞ?」

「そ、そうですか?」

「そうさ。俺だって一応トップを維持はしてるけど、流石に手抜きしてたら普通に佐藤に抜かれてもおかしくないぞ」

 嘘ではない。

 事実佐藤と紅音の実力は拮抗していると言っていい。

 違うのは、紅音の方が“試験”への対策の立て方がうまいだけだ。現に対策もくそもない一発勝負のことが多い科目に関しては紅音がおくれを取っている。この構図は一年次からずっと変わっていない。

 ただ、そんな言葉にも月見里は、

「でも、やっぱり、西園寺くんのほうが凄いと思います」

 全く意見を変えなかった。

 ただ、これで知りたかったことは分かった。

 月見里が成績を落としたのは、なんのことはない、単純にかける時間を減らしたからだろう。

 費やす時間が少なくなれば、その分だけ成績が落ちる。効率の方を上げない限りはこの関係性は絶対だ。月見里の成績は実に、その労力に比例して推移しているにすぎない。

 そして、その根本にあるのは、彼女の自分に対する極端な自信の無さだ。

 実際に月見里の勉強ぶりや、その点数を見たわけではないから分からない。

 ただ、課目によっては紅音や陽菜が、月見里に負けているということも普通にあったのではないだろうか。

 そしてそれは、彼女にも総合で1位を取れる可能性があった、ということに他ならない。恐らく何度か試行を繰り返していけば、どこかで順位は入れ替わったはずである。

 しかし、月見里はそれをしない。

 三度目の敗北で、その扉を自ら閉じてしまったのだ。

 もったいない、と思わなくもない。

 少なくとも紅音なら絶対に取らない選択肢だ。

 紅音はこれでも自分に自信がある。負けた事実など到底認めるわけにはいかないし、最終的には勝利して、それまでの負けをチャラにしたがるだろう。

 ただ、月見里はそれを望まない。

 根本から考え方が違うのだ。


「簡単だよ。少年。君が、月見里の友達になってあげればいいんじゃないか」


 冠木はそう言った。

 しかし、ことはそう簡単ではないのだ。

 ここまで思考回路が違うのだ。どこかですれ違わなければ嘘というものだ。

「……あの、やっぱり迷惑ですか?」

「ん?」

 どうしたのだろう。月見里の表情が心なしか暗い。

「なんでそう思うんだ?」

 しかし、その理由が分からない。一体何故、

「それは……その、難しい顔をしていたので」

「難しい顔?俺が?」

「はい」

 全く意識していなかった。
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