3 / 32
3 バイト先の……
しおりを挟む意識が現実に戻る。周囲を確認する。どうやら交差点で信号待ちをしていたらしい。信号が青になり歩き出す。
己花さんが眼鏡を外したのね。早速彼女から話し掛けてくる声が心の内に聞こえた。
『音芽。さっきの男は逃げて行きましたわ。先程のお店に居合わせた方々に助けていただきました。逃げた男に逆恨みされている可能性もありますから、バッタリ出くわさないようにしてくださいまし』
『ありがとう己花さん。分かった。気をつけるね』
その後、詳細を聞きながら大通りの歩道を進んだ。
今日はバイトの日だった。落ち着いた雰囲気の喫茶店で働いている。道路に面した窓が大きくて外の並木の歩道を眺めながらお茶を楽しめる造りになっている。
あと一時間くらいで上がれる。また本屋さんに寄って帰ろうと思っていた。
「あっ、あの人だ」
気付いて小さく呟いた。
今日はお客さんが少なく忙しくなかった。窓際のテーブル席で物静かに本を読む人物をカウンターの側から盗み見た。同年代か少し年上かもしれない。紺色の半袖シャツ、整ったサラサラの黒髪……本に集中している真剣な表情からも真面目そうな印象を受けた。
彼が本を読む姿に思い出した。以前来店してくれた時もテーブル席で本を読んでいたので何の本なのか結構気になっていたのだった。
今日はこの間とは違う本を読んでいるみたい。前回は文庫本ぽかったけど今回のは厚いハードカバーの単行本だ!
……ん? あのカバーの色、見覚えがあるような……あっ!
目を剥いて凝視してしまう。
あれは私の大好きな本! 凄く面白いけどあまり世間に知られていない知る人ぞ知る宝物のような尊い一冊っ! まさか……読んでる人に巡り会うなんて!
興奮で顔が熱くなっている。頬を押さえた。
感想を聞いてみたいな。ぜひ内容のアレコレを語り合いたい! でもいきなり声を掛けたら変な人だと思われるよね? ……あっ、彼のテーブルのお冷や少なくなってる!
お冷やを注ぎ足しに行こうと氷水の入ったピッチャーを持って席の側へ寄った。
「失礼しま……わゃっ?」
「あっ」
件のお客さんが前触れなく席を立った。避けきれずぶつかってしまいピッチャーをテーブルに落としてしまった。
「もっ、申し訳ございません!」
大慌てでピッチャーを起こしカウンターの内側からダスターを数枚取ってきて零れた水を拭った。
「本が……っ」
こんなダスターなんかで拭いていい本ではないと分かっているけど。今はこうするしかない。せめてと思って一番キレイなダスターを使った。
何やってるんだろう私。浮かれていたのがいけなかった。もっと注意深く気を付けていればぶつからずに済んだのかもしれない。目に涙が滲んでしまう。
「折角の小石川先生の本が……。本当に申し訳ございません」
もう一度謝った。私だったら絶対に許せない。永遠に恨み続けてもいい案件だ。
表紙に掛かっていた水を拭き終えた。カバーの表面が水を弾く素材だったので染み込まず被害は少なかった。少しだけホッとした。
「知ってるの、この本……」
ポツリと問われて顔を上げた。青年が驚いているような目付きでこちらを見ている。答えた。
「あ、はい。知ってるも何も、私にとっては宝物の本です」
自分でも、あっヤバい……と感じたけど口が止まってくれなかった。
「この本を初めて読んだ日はもう……涙で枕を濡らしながら眠りにつきました。こんな素晴らしい物語を世に生み出してくださった小石川先生は人類の宝ですね。私は主人公の性格が特にいいと思うんです。何故かと言うと……」
「ンッウン」
大きめの咳払いが聞こえて我に返った。振り返ってカウンターの方に目を向ける。店長に睨まれた。
店長は三十代で少し無精ひげが生えている。いつもは気さくで優しいけど仕事が絡むととっても厳しい時がある。
私が喋り過ぎだったので注意してくれたのだろう。すみません。
「ふっ」
お客さんに笑われた。
彼はここに滞在している多くの時間を読書に使っていた。本に集中している表情くらいしか知らなかった。笑っているところなんて見た事がなかった。だから少し……堅物めいた性格なんだろうなと勝手なイメージを抱いていた。
でも違うみたいだ。
私が本に水を零しても怒らず愉快そうに笑っている姿を目にして考える。
あれ。何だろうこの気持ち。胸がほんわか温かくなるような、何だか少し嬉しいような……。
『――ね』
己花さんの呟きが聞こえた気がした。
バイトが終わってから何の話だったか尋ねてみたけど『何でもありませんわ』と教えてもらえなかった。
0
あなたにおすすめの小説
クールな幼なじみの許嫁になったら、甘い溺愛がはじまりました
藤永ゆいか
児童書・童話
中学2年生になったある日、澄野星奈に許嫁がいることが判明する。
相手は、頭が良くて運動神経抜群のイケメン御曹司で、訳あって現在絶交中の幼なじみ・一之瀬陽向。
さらに、週末限定で星奈は陽向とふたり暮らしをすることになって!?
「俺と許嫁だってこと、絶対誰にも言うなよ」
星奈には、いつも冷たくてそっけない陽向だったが……。
「星奈ちゃんって、ほんと可愛いよね」
「僕、せーちゃんの彼氏に立候補しても良い?」
ある時から星奈は、バスケ部エースの水上虹輝や
帰国子女の秋川想良に甘く迫られるようになり、徐々に陽向にも変化が……?
「星奈は可愛いんだから、もっと自覚しろよ」
「お前のこと、誰にも渡したくない」
クールな幼なじみとの、逆ハーラブストーリー。
14歳で定年ってマジ!? 世界を変えた少年漫画家、再起のノート
谷川 雅
児童書・童話
この世界、子どもがエリート。
“スーパーチャイルド制度”によって、能力のピークは12歳。
そして14歳で、まさかの《定年》。
6歳の星野幸弘は、将来の夢「世界を笑顔にする漫画家」を目指して全力疾走する。
だけど、定年まで残された時間はわずか8年……!
――そして14歳。夢は叶わぬまま、制度に押し流されるように“退場”を迎える。
だが、そんな幸弘の前に現れたのは、
「まちがえた人間」のノートが集まる、不思議な図書室だった。
これは、間違えたままじゃ終われなかった少年たちの“再スタート”の物語。
描けなかった物語の“つづき”は、きっと君の手の中にある。
四尾がつむぐえにし、そこかしこ
月芝
児童書・童話
その日、小学校に激震が走った。
憧れのキラキラ王子さまが転校する。
女子たちの嘆きはひとしお。
彼に淡い想いを抱いていたユイもまた動揺を隠せない。
だからとてどうこうする勇気もない。
うつむき複雑な気持ちを抱えたままの帰り道。
家の近所に見覚えのない小路を見つけたユイは、少し寄り道してみることにする。
まさかそんな小さな冒険が、あんなに大ごとになるなんて……。
ひょんなことから石の祠に祀られた三尾の稲荷にコンコン見込まれて、
三つのお仕事を手伝うことになったユイ。
達成すれば、なんと一つだけ何でも願い事を叶えてくれるという。
もしかしたら、もしかしちゃうかも?
そこかしこにて泡沫のごとくあらわれては消えてゆく、えにしたち。
結んで、切って、ほどいて、繋いで、笑って、泣いて。
いろんな不思議を知り、数多のえにしを目にし、触れた先にて、
はたしてユイは何を求め願うのか。
少女のちょっと不思議な冒険譚。
ここに開幕。
『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?
釈 余白(しやく)
児童書・童話
毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。
その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。
最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。
連載時、HOT 1位ありがとうございました!
その他、多数投稿しています。
こちらもよろしくお願いします!
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394
【完結】キスの練習相手は幼馴染で好きな人【連載版】
猫都299
児童書・童話
沼田海里(17)は幼馴染でクラスメイトの一井柚佳に恋心を抱いていた。しかしある時、彼女は同じクラスの桜場篤の事が好きなのだと知る。桜場篤は学年一モテる文武両道で性格もいいイケメンだ。告白する予定だと言う柚佳に焦り、失言を重ねる海里。納得できないながらも彼女を応援しようと決めた。しかし自信のなさそうな柚佳に色々と間違ったアドバイスをしてしまう。己の経験のなさも棚に上げて。
「キス、練習すりゃいいだろ? 篤をイチコロにするやつ」
秘密や嘘で隠されたそれぞれの思惑。ずっと好きだった幼馴染に翻弄されながらも、その本心に近付いていく。
※現在完結しています。ほかの小説が落ち着いた時等に何か書き足す事もあるかもしれません。(2024.12.2追記)
※「キスの練習相手は〜」「幼馴染に裏切られたので〜」「ダブルラヴァーズ〜」「やり直しの人生では〜」等は同じ地方都市が舞台です。(2024.12.2追記)
※小説家になろう、カクヨム、アルファポリス、ノベルアップ+、Nolaノベル、ツギクルに投稿しています。
※【応募版】を2025年11月4日からNolaノベルに投稿しています。現在修正中です。元の小説は各話の文字数がバラバラだったので、【応募版】は各話3500~4500文字程になるよう調節しました。67話(番外編を含む)→23話(番外編を含まない)になりました。
生まれたばかりですが、早速赤ちゃんセラピー?始めます!
mabu
児童書・童話
超ラッキーな環境での転生と思っていたのにママさんの体調が危ないんじゃぁないの?
ママさんが大好きそうなパパさんを闇落ちさせない様に赤ちゃんセラピーで頑張ります。
力を使って魔力を増やして大きくなったらチートになる!
ちょっと赤ちゃん系に挑戦してみたくてチャレンジしてみました。
読みにくいかもしれませんが宜しくお願いします。
誤字や意味がわからない時は皆様の感性で受け捉えてもらえると助かります。
流れでどうなるかは未定なので一応R15にしております。
現在投稿中の作品と共に地道にマイペースで進めていきますので宜しくお願いします🙇
此方でも感想やご指摘等への返答は致しませんので宜しくお願いします。
極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。
猫菜こん
児童書・童話
私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。
だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。
「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」
優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。
……これは一体どういう状況なんですか!?
静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん
できるだけ目立たないように過ごしたい
湖宮結衣(こみやゆい)
×
文武両道な学園の王子様
実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?
氷堂秦斗(ひょうどうかなと)
最初は【仮】のはずだった。
「結衣さん……って呼んでもいい?
だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」
「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」
「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、
今もどうしようもないくらい好きなんだ。」
……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。
【完結】夫に穢された純愛が兄に止めを刺されるまで
猫都299
児童書・童話
タイムリープしたかもしれない。中学生に戻っている? 夫に愛されなかった惨めな人生をやり直せそうだ。彼を振り向かせたい。しかしタイムリープ前の夫には多くの愛人がいた。純愛信者で奥手で恋愛経験もほぼない喪女にはハードルが高過ぎる。まずは同じ土俵で向き合えるように修行しよう。この際、己の理想もかなぐり捨てる。逆ハーレムを作ってメンバーが集まったら告白する! 兄(血は繋がっていない)にも色々教えてもらおう。…………メンバーが夫しか集まらなかった。
※小説家になろう、カクヨム、アルファポリス、Nolaノベル、Tales、ツギクルの6サイトに投稿しています。
※ノベルアップ+にて不定期に進捗状況を報告しています。
※文字数を調整した【応募版】は2026年1月3日より、Nolaノベル、ツギクル、ベリーズカフェ、野いちごに投稿中です。
※2026.1.5に完結しました! 修正中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる