甘い夜にわたしを食べないで

志藤みかづき

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第9夜☆

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 黎夜は緋香梨がちさに会いに街に向かうのを見送るために左右に振っていた手をゆっくりと止める。


「俺も……準備して、行こう…」


 いつものようにフードを深く被り、黎夜は早速緋香梨との約束をなかったことにする。


「ついてくるなって……言われたけど…先に着いていれば……問題ない…」


 誰に言い訳しているのか独り言を呟き、スリッパを脱ぎ靴箱からスニーカーを取り出して履き変える。

 ドアノブを回し玄関の扉を少し開けたところで、人影があることに気がついた。

 黎夜はしばし固まるも、一呼吸置いて開きかけた扉をそのまま閉じようとした。


「―――おいおい、ヒドいな。
おはよう、黒崎君?」


 さらりと毛先を遊ばせた金髪が扉の向こうで揺れて。


「………」


 黎夜はチェーンを先に外してしまったことを後悔する。


 先の尖った頑丈な靴が閉じようとした扉の隙間に差し込まれ、強引に開かれる。
 

「僕が君の前に現れた理由についてはわかるかな?黒崎君、いや、黒崎黎夜」


 聖の空よりも青い瞳が黎夜の視界に飛び込んできた。


 朝から約束もなく訪れたのは、聖だった。
 黒のカソックに白のステラを身につけ、その下にいつもの銀の十字架のネックレスをさげている。
 ハロウィンだから神父にでも仮装しているのか。
 そんなふざけた質問を避けるためなのか、カソックの左胸には銀と金の十字架がクロスされたものがはっきりと刺繍されていて、嫌でも目に入る。


「みらい総合病院での大規模殺人及びここ最近の一連の女性が襲われた事件について、
罪の無い我々純人種に危害を加えた罪により、魔人種共存推進機関MCPOとして君を断罪しに来た」


 聖はそう言ってよく通る声で高らかに宣言し、十字架のネックレスを引きちぎる。
 鎖が玄関に飛び散り、十字架の先端を、面倒くさそうに顔を顰めている黎夜に向ける。


「なに……これ……?それに……俺は、そんな……面倒くさいこと、しない。
俺は、ひーちゃんにしか、興味ない。お前に、絡まれる筋合いも、ない」


 微動だにせず向けられた十字架を無感動に見つめ、黎夜はすっと表情を消す。


「邪魔」


 扉をさっきよりも大きく開き、聖を無視して緋香梨を追いかけようと一歩踏み出す。
 瞬間、ブブブブブとバイブレーションが二つ同時に鳴る。


「「…………」」


 黎夜と聖は互いに険しい顔をして見つめ合う。


 先に黎夜が視線を外し、パーカーのポケットに突っ込んでいたスマホの画面を見る。


 緋香梨と会っているはずのちさから、連絡が鬼のように入っていた。


『住吉ちさ : お前、緋香梨の邪魔してない?』
『住吉ちさ : あ』
『住吉ちさ : ひかりがいない』
『住吉ちさ : 着信が一件ありました』
『住吉ちさ : れいや、ぐずぐずするな!』



 黎夜から視線は逸らさないままで聖もカソックに手を突っ込んで、スマホを取り出し、耳に当てる。


「―――はい、聖です。現在対象と接触中です、が……え?結界が展開された?でも対象は目の前に……ハ、学校?」


 犬猿の仲のちさからの連絡。
 聖のMCPOとのやり取りと思われる電話。
 黎夜にはそれで十分だった。遅すぎるくらいだ。


「ひーちゃん!」


 黎夜は緋香梨の名を叫び、玄関に突っ立っている聖を肩で押しのけ飛び出す。


「……っ、どういうことだよ、クソ、待て!黒崎黎夜!」


 肩を黎夜の怪力で押しのけられた聖の手からスマホが滑り落ちる。
 その衝撃に通話が切れる。聖は一瞬躊躇するも、対象を見失ってはいけないと、飛び出した黎夜の後を追いかけるた。




 ――――さむい、寒い。なにかが、わたしの肌を撫で回している。



 消毒液の匂いが充満する保健室。
 糊の効いた固いシーツの上で、緋香梨は生まれたままの姿で横たわっていた。
 手足が大の字に包帯で広げられベッドの柱に固定され、目を開いているはずなのに靄がかかったように視界は不明瞭だった。

 外気が肌を撫でる冷たさに鳥肌が立ち、豊満な胸の先端が自然と勃ち上がる。
 今日は誕生日で、ちさと会うために黎夜を宥めて家を出たはずだった。それが、どうして保健室にいて、服も下着も身につけていないのか緋香梨には判然としなかった。

 此処に至るまでの周辺の記憶が曖昧だった。


 ―――やめて、さわらないで。


 だが、自分の体の上に、激しい嫌悪感を抱く何か――いや、誰かが乗っていることは認識できる。


 足の爪先から始まり、膝、太股、秘所、腹、胸、首、頬とまるで検分でもするかのように全身を熱心に撫で回される。

 そうして何度か撫でられると、より重さが体にかかって。冷たい吐息が首筋に吹きかけられ、ぬるっとした舌先で脈打つ血管をなぞられる。


 ―――嫌!黎夜、黎夜、黎夜………っ!


 叫びだしたいほどのおぞましさと嫌悪感に、ここにいない黎夜の名前を何度も心の中で呼ぶ。


 意識はあるのに体の自由が利かないことがより恐怖を倍増させる。


「恐怖を感じています?香りが普段と違いますね」


 ―――!


 緋香梨の体を調べていた何者かが、ついに言葉を発する。


普段の宝条さんを見ているからわかっていましたが……。
ああ、黒崎黎夜に処女は奪われてるんですね。
処女であれば、その血がより旨みと効力を増すというのに」


 ―――緑川、先生?あ………
 

 平日よく聞く馴染みのある声で。
 その声に触発される形で、此処に至るまでの緋香梨の記憶が甦る。


 緑川と一緒にバスに乗った。
 休日にも関わらず人の気配が微塵もなくて。
 不審に思って緑川に話を振ると、様子が変で。


 ―――眼の色が変わって、髪も伸びて、あの変化は、そう


 亜麻色の髪が足首まで伸びて広がり、新緑のような瞳が濁った金色になり、緑川の全身が黒く染め変えられ、黒いマントの裾は炎のようにちりちりと揺れていた。


 ―――………!?


 緑川の変化は、動画で何度か見たことあるCG染みた魔人種の<覚醒>の様子と一致していた。
 その姿や在り方の変容、さらに彩度や明暗の違いはあれど金色の瞳は魔人種に共通する形質だった。


 緑川が魔人種と緋香梨の中で結びついた瞬間、視界の曇りが晴れ渡る。


「ひぅっ」


「おや?ボクの魅了が解けちゃいましたか。ああ……でも完全ではありませんね。
もうお気づきかも知れませんが、先生はね、ヴァンパイアなんですよ。
宝条さんはボクらヴァンパイア――いえ、魔人種全体にとって、とっても有益で、美味しい存在なんですけど―――もうこれから死ぬので説明なんて不要ですね」


 つい教師だった癖で説明してしまいますね、と緑川は平坦な声で言って、舌で舐めるのをやめる。


 そうしてあーんと感情の籠もらない声を出しながら大きく口を開け。


「ちっ」


 緋香梨の肌に白い牙を差し込もうとした緑川は寸前で止める。
 舌打ちをして不愉快そうに顔を顰め、動きを止める。


 魔人種として張った結界が乱され、己のためだけの晩餐会に招かれざる客が来たことを感知した。


「ぁ……ぁ……」


 緋香梨の耳に、どたどたと廊下を走る音が届く。
 声が二つ。言い争っている。
 そのうちの片方の声に、緋香梨は安堵の涙がこみ上げ、か細い声が漏れる。


 保健室の扉が大きく開け放たれ、緋香梨の期待を裏切らない声が響いた。

 

「ひーちゃん!!!!」



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