甘い夜にわたしを食べないで

志藤みかづき

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第12夜

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 緑川の服がそうだったように、黎夜の黒いパーカーの裾が大きく広がり、影を身につけているように変わる。
 同色のトレーナーとパンツを履いていたはずが、ダークスーツに変わり、長身の黎夜を男らしく魅せる。


 緋香梨がお遊びでつけたカラフルなヘアピンが髪を梳くかのように自然に外れ、後を追うように無造作な黒髪が僅かに伸びる。
 前髪に隠されていない左側から見える瞳は変化した。光の加減で金色に見えることもあった琥珀色の瞳は今や完全に黄金色に変わり。
 優しげな印象を与えていた垂れ下がっていた眉尻が僅かに上がり、瞳の色と合わさって引き締まった印象を与える。


「黒崎君……いえ、レイヤ=ナイトロード!
キミは追放されたボクらヴァンパイアの王だったんですね……!?」


 緑川が黎夜の顔と緋香梨の首筋を交互に見て叫び、聖がまさかと口を動かす。


 緋香梨は状況が飲み込めず、ぼんやりと姿の変わった黎夜を見つめる。
 見慣れぬ黄金の瞳と目が合う。
 完璧な美を体現された彫刻のごとき存在感を放つ黎夜が、その瞬間、ふっといつものやわらかい雰囲気で微笑む。


 詳しいことは何も分からない。
 黒崎家に引き取られてからずっと一緒にいたのに、目の前のレイヤが黎夜なのだと信じられない。
 けれど、緋香梨に優しく微笑んでくれた。
 それだけのことで、緋香梨は今目の前にいる黎夜も結局は黎夜なのだと本能で感じた。



(だから、もうだいじょうぶ。黎夜がいつものようにわたしを危険から守ってくれる)



 安心感から強張った身体から全身の力が抜ける。
 緋香梨はココア色の瞳を閉じ、流れに身を任せた――――。



 その後は、スポーツ中継のスローモーションを見ているかのようだった。



 レイヤに怖じけずくかのように緑川は泰然とするレイヤに、空中に待機させていた四つの炎の球をぶつけた。真っ直ぐ向かってくる炎からレイヤは逃げる素振りもなく受け止め、小爆発が起きて、保健室の一部がはじけ飛ぶ。黒煙が上がり、聖が咳き込み、緑川が微かに安堵の息を吐く。


「え?」


 聖と緑川。
 どちらの口から漏れたのか分からない疑問の言葉。


「三流が。ヴァンパイアが炎を武器にしてどうする?」


 黎夜の時よりも低く、ゆっくりとした厳かな声でレイヤは問いかける。


「ア……<黄金血>を、口にした、ボクが、こんな……落ちぶれたヴァンパイア、ニ……?」


 緑川の胸から、スーツの腕が生えていた。
 レイヤが立っていた場所だけ焼け焦げた痕ひとつない綺麗な床のままで。
 瞬間移動したかの如く緑川の背後に立ったレイヤが、その腕を血だらけにして緑川の心臓を貫いていた。



の緋香梨の血を口にした。その事実が、オレを激怒させた。これはその結果だ」


 レイヤは黎夜の時と違って淀みない声で言い切り、手中の心臓を林檎でもすり潰すかのように握りつぶした。


 緑川の口から大量の血が吐き出され、揺らめく炎の影が鎮火し、一瞬で灰となる。


 緑川の腕に抱えられていた緋香梨の金縛りも解ける。
 その場に崩れ落ちそうになるも、レイヤの影のようなパーカーが伸びて、緋香里を赤ん坊のようにくるんで、今度はレイヤの腕の中におさまる。


「他愛もない。オレが出るまでもなかっただろうに。
まあいい。『俺』には予想外に押さえつけられていた。
今宵からはオレも『俺』と同じように、緋香梨のことを守り、愛してやろう」


 緑川の腕に囚われていたときほどではないが、ビリビリと肌を焦がすような威圧感を緋香梨はレイヤから感じていた。
 影のような材質に変化したパーカーにくるまれ、何度か片手だけを取り出し、青白いといっても過言ではない冷たいレイヤの頬に触れる。


「たすけてくれて、ありがとう、黎夜。まだここで起こったことが理解できない。
でも、黎夜は黎夜じゃなかったの?黒崎黎夜ではなく、なんだったけ。レイヤ=ナイ……?」


「レイヤ=ナイトロード。
黒崎黎夜とは、純人種に擬態して生活を送るための仮初の人格。
それがまあ随分と自我を確立し、おまえに懐いていたようだが。
とはいえ根源は同じ。どちらもオレだ。
記憶も共有している、が……同じ自分とはいえ少し妬ける。おかしな話だ」


 ゆったりとした低く甘い声で、レイヤは答え、緋香梨にされるがまま頬を撫でられる。


「あの時もそうだったな。
おまえは魔人種―――ヴァンパイアに命を狙われたというのに、オレを恐れないのか?」


「あの、とき?」


 緋香梨の脳内を稲妻のように、これまで何度も思い返していた作り物めいた記憶がフラッシュバックした。


「ああ―――そうだね、どうしてかな。あの時も、今も。わたしにはあなたが怖くない。
どんなあなたでも、わたしのたいせつなれいやだよ」


 朧気だった記憶がはっきりとする。
 問いただしたいことは色々ある。
 けれど、過去も現在も、そしてきっと未来も。


 緋香梨を優しく腕に抱き留めてくれているヴァンパイアが、自分に害なすものとは思えず。
 これまで黒崎黎夜としてずっとそばにいて守ってくれていたのだ。
 あの炎の中で緋香梨は過去の<黄金血>と同じように命を落とすはずだった。
 それがこうして16歳の誕生日を迎えられたのは、あの時と同じように守ってくれたレイヤのおかげなのだ。


「あなたが望むなら、わたしを食べてもいいよ?<黄金血>なんでしょう、わたし」


「ふ、必要ない。何度もオレにおまえを喰わそうとするな。
<黄金血>に興味はない。まあ、おまえが死んだら、オレが責任を持って喰らってやろう。
オレはおまえの血肉よりも、おまえ自身を喰らいたい、緋香梨」


「わぁ、情熱的」


 悪い気はしなかった。
 レイヤが愛おしげに、そして誘うように、ソフトタッチで緋香梨の首筋を長い爪で優しく撫でる。
 チョーカーの下に刻まれていた奇妙な文字は緋香梨には読めない。
 ただ直感で、これは、レイヤの名前が刻まれているのではないかと思った。


 黎夜といい、レイヤといい。
 粘着質なほど情熱的だ。
 その情熱に毒されてきた緋香梨は、煩わしく思うことはあれど、嫌ではない。
 黎夜からの執着を感じなければ、満足できないのだろうと思う。


「ん、じゃあ、していいよ」


 引きちぎられたチョーカーの代わりに首筋をいじられ、いつものように緋香梨はしょうがないなと微笑み、レイヤの冷たい指先を掴んでそっと口に運んで。


 半壊した保健室に唖然とする聖を残し、
 ふたりのコミュニケーションをあらたに始めるために、
 レイヤに抱かれ空に舞い上がり、黒崎家に飛んだ。
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