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第3章「嘘でも、真実だと信じさせていて欲しかった」

3.4 誰も愛してくれないのなら

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 レイシさんと出会って、わたしの世界は新しく輝いたようだった。


 リュイを見ても、胸の鼓動は早まらない。
 召喚されたばかりの女性や、他の男に愛されながらも秋波を送る女性と話す姿を見ても、胸が痛まない。
 フラットな気持ちでリュイと接することが出来たし、そうすると無理をしてまでリュイや女たちと食事を囲む意味も見当たらなくなって、わたしは部屋に閉じ籠もった。リュイが部屋の扉越しに声をかけてきても、【管理者】は大変だなと他人事のように思えたのだった。




 そうしているうちに、レイシさんとの二度目のデートがすぐやってきた。

 一度目のデートの翌週の休息日。

 レイシさんの訪れだけを待つ日々はあまりに甘美だった。待つ時間さえも楽しくて。

 また雨に濡れてはいけないからと、照れたように微笑むレイシさんが屋敷のそばまで迎えに来てくれて、飛び上がりたくなるほど嬉しかった。



「――――久しぶりだな、と言って理解できるのかな、リュイ」

 
 レイシさんはわたしに声をかけてから、すぐにわたしの背後に立っていたリュイに硬い声で声かけた。



「理解出来るからこそこうして貴方と対面しているのですが」


 ようやく部屋から出てきたわたしを心配したのからリュイは無言で通り過ぎるわたしの後ろをずっとついてきていたのだ。

    ついてこないでと話しかけるのも、何故か煩わしくて、放置してしまっていた。


「そうか?俺のことなんて忘れていそうだが」


    そう言ってどこか自嘲気味な表情を浮かべるレイシさん。


「記憶にない件については否定はしない。ぼくにとって貴方に関することは記録でしかない。
ただぼくと君の事情に、トウコを巻き込むのは感心しない。危害を加えるとするのならば容赦しない」


「リュイ?レイシさん?」


 何を言っているのだろうか、リュイは。それにレイシさんも。


 わたしを置いてけぼりにして、レイシさんとリュイの間に険悪な雰囲気が流れる。


「それは、トウコさんだからこうして出てきたということか?」


「まさか。ぼくが単に【管理者】だから、ですよ」

 
「……そうか。まあ、そうだろうな。可哀想なトウコさん。
貴様は、というのにな」


 レイシさんは哀れむような視線をわたしに向け、眼鏡の奥の瞳を細める。


「………トウコさん。待たせてすまないな、行こうか」


 わたしへと向けられたレイシさんの視線と言葉に、心臓に爪を立てられたような鋭い痛みが走る。


「え?え、あ、はい…っ」


 まるでリュイのもとから奪い去るように強引に肩を抱かれ、引き寄せられると、感じた痛みはすぐに消えた。

    レイシさんの男らしい鍛えられた胸板の厚さと温もり、それからくらっとするような異性の匂い。レイシさんから与えられた痛みのことも忘れ、蕩けるような気持ちでレイシさんを見上げてそっと甘えるように頬をすり寄せる。


「………ッ」


 真上からレイシさんの息を呑む気配がする。
 静かだったレイシさんの心音が、大きく跳ねる。肩に置かれた手が、強くなる。


「……へえ、見せつけてくるね。
トウコ、いってらっしゃい」


 そんなわたしたちのやり取りを見て、なぜか不穏な気配を醸し出すリュイに見送られ、わたしとレイシさんは屋敷を離れた。


「リュイのことは気にしなくていい。
それよりトウコさんは意外と甘えん坊なんだな」

 そんなリュイの様子を物珍しく思うも、レイシさんに名前を呼ばれてどうでもよくなる。そんなことよりも、レイシさんに成人しているのに甘えん坊だと言われることが恥ずかしかった。





 金色の花びらは祝福の証。

    デートのその日は、ちょうど新年の始まりだった。
 屋敷のある地域から出た瞬間、空から金色の花びらが舞い落ちる。


「トウコさん、花びらが」


「あ」


 花びらが髪にひっかかれば、これで花冠でもできてしまいそうだと言ってレイシさんが笑ってくれる。



 この世界の神様――わたしを召喚した神様――を奉る神殿に、一年の挨拶をと、初詣に来た。
 周りを見ればちらほら女性を伴った男性を見かける。

 彼らのように、わたしたちのことも見えているだろうかなどと詮無きことを考える。屋敷を出た時からずっと肩を抱かれたままなことに今更気づく。


「レイシさん、肩……」


   嬉しさと気恥ずかしさがごちゃ混ぜになった気持ちでレイシさんを期待するように見上げて、思わず固まる。


「…………」


 レイシさんはまったくの無表情だった。


「レイシ、さん?」


 ただよく見るとレイシさんは考え込むように、眉だけを少し器用に顰めている。
    

「……ああ。どうかしたか?トウコさん」


 わたしの訝しげな視線と声に気がついて、レイシさんの表情が一瞬で氷解する。



「いえ、なんでもないんです」


 いつもの優しげな笑みを浮かべて顔を寄せてくれるも、風船の空気が抜けて萎むかのようにわたしの中にあるレイシさんといられる喜びが減っていく。


 ヨロコンデクレテイル、ヨネ?

 

 リュイヨリ、レイシサンガスキ。

 ―――デモ、レイシサンモ、キット。



 輝いてたはずの黄金の花びらすら、今はどこかくすんで見える。


 心が、レイシさんから離れていく。


 どうしてだろうか。


 わたしとレイシさんを見た男女が。


「うわ、あの子―――」


 特に男性のほうが、変な顔をしてわたしを見るのは。



 微妙な空気を払拭することは出来ず。
 神殿を詣でた後、ご飯を食べたらレイシさんはあっさり屋敷に送り届けてくれた。

 食事処から出てから拳一つ分空いてしまったレイシさんとの距離。



「あ、あの、レイシさん 」


 もうその距離を詰めることはできないのか。
 そう思ったらほとんど衝動で動いていた。


「どうした?」


 前のデートの時と違って、レイシさんには次の約束をする素振りすらなかった。屋敷の中になかなか戻らないわたしに、レイシさんは何も言わないがどこか苛立ってすらいるように感じる。


「あ、あの」


「………」


 言い淀むわたしに、何も言ってくれないレイシさんから突き放さすよすような気配を感じる。


「こ、今度はどこ行きます?」


 声が上擦る。思わず、みっともなく縋るようにレイシさんのローブを掴むんでしまう。


「……」


   それでもレイシさんは無言で。



「あ、あのですね、リュイから前にいろいろ聞いたりしたんです。それに毛玉さんにお願いしてわたしも調べたりしたんです!す、好きな人と、レイシさんと一緒に行きたいところ、たくさん」


   心が折れそうになりながらも必死に言い募る。



「それで、ですね。ちょっと遠くになっちゃうんですけど。いろんな花が咲いてる庭園があるらしくて。
今日の黄金の花も綺麗でしたけど、ほかの花もレイシさんと一緒に見たいなって、それで、それで」


「…………」


 レイシさんは何も言ってくれない。

 必死になって言葉を重ねれば重ねるほど空しくなる。

 レイシさんの顔が上手く見えなくなる。

 世界から煌めきが失われていく。滲む。
    レイシさんからも輝きが失われていくように感じる。



「―――そうだな。行こう。屋敷のほかの女性も誘うか?
 俺とふたりより、そのほうがきっと楽しいだろうしな」



 ミルフィーユのように積み重なったわたしの懇願にも似た言葉は、レイシさんの一言であっさり崩される。
 わたしの恋心と一緒に容赦なくボロボロにされた。



「み、みんな?ほかの女のひと?」


 声が震える。聞き間違い?お願い、否定してほしい。

 そう思ってよりいっそう、レイシさんのローブを強く握りしめる。
 レイシさんのローブにはっきりとした皺がつく。
 

「トウコさん」


 レイシさんがそれに気づいて、不快そうに顔をしかめて、眼鏡の中央を押し上げた。

  レンズの奥の鮮やかな緑の瞳が微かに陰り、燐光を纏う。


「そうだ。ふたりきりよりもほかにも人がいたほうが絶対楽しいと思う。……あなたは、リュイにとっての、俺が思っていたような人とは違ったみたいだ。だから」


    リュイ?今、リュイになんの関係があるのか。


「【あなたは俺が好きじゃない】。
それにトウコさんだって、ただリュイの代わりに、俺を利用したんだろう?」


 レイシさんの言葉に、何かが粉々に砕ける音がした。
 思い込みでコーティングされていたわたしの心が丸裸にされ、蹂躙される。


「あ、はは。そ、そうですか。そ、そうなのかな、や、やっぱり。
わかりました。ごめんなさい。でも、わたしはレイシさんとふたりで楽しかった…です、よ?」


 図星をつかれて、自分が何を言ってるのかもうわからない。わたしはうまくしゃべれているだろうか。


 輝いてた世界が、真っ暗になる。
 不思議なことに鮮やかに輝いて見えたレイシさんの緑の瞳すら陰って見える。



「……そうか。それなら、またほかのやつも誘うときに、あなたから誘ってくれると嬉しい」



 どこまでも残酷な言葉で、レイシさんはわたしの心を傷つける。
 

「……っぅ」


 もう何も言えなくて、ただひたすらうなずくことしかできなかった。
 それ以上の別れの言葉もなにもなく、レイシさんは今にも泣き出しそうなわたしを置いてあっさり屋敷から街へと続く坂道を降りていった。その間、レイシさんは一度も振り返ることはなかった。わたしはレイシさんの後ろ姿が見えなくなるまで、ずっと立ち尽くしていた。


「トウコ?帰ってきて……ああ、きみ、泣いてるの?」


    いつまでも屋敷の中に入ってこないわたしを心配したリュイが出迎えに来た。


「ごめん、トウコ。お願い、泣かないで…トウコ…」


 泣いてるわたしに気がついてたリュイは、わざと音を立てるようにして近づいてきた。リュイらしくもない弱々しく憐れむような声で、訳もなく謝罪をされる。


「なんでリュイが謝るの?わたしの方こそ急に泣いてごめんなさい。リュイのせいじゃなくて、わたしは何をやっても無駄なんだなって思ったら泣けてきただけだよ」


「そんな………。そんなことないよ。きっと、トウコをきちんと好いてくれる誰かがいる」


「誰?」


「え」


「それって誰のことですか?リュイのこと?」


「ぼくじゃない、かな。でもどこかにいるはずで」


 ああ、嘘つき。
 リュイの嘘つき。
    レイシさんにフラれるの、見てたよね?
 今まで、色んな人に袖にされて、相手にもされなくて。
 同性にも見下されるわたしを見てきて。
 

 わたしが、誰よりも好いて欲しいあなたが、よくもそんなことを言えますよね。


「ふ、ふふ……ふふふふ」


「トウコ……?」


 もう気持ちなんて何もいらない。
 心なんて不確かで、曖昧で、見えないもの。
 月よりも移ろいやすい、不誠実なもの。
 そんなものを求めるほうが愚かだった。


 誰もわたしを愛さない。
 リュイだって、絶対に、わたしを、女を、愛さない。


 わたしには、


 だから、今、決めた。
 あなたの遺伝子だけでもいいから欲しいの、リュイ。


                                                                                
                                                                                


 懐かしい。
 レイシさん。
 思い返せば、レイシさんとの邂逅、それからエミリアの帰還。
 このふたりとタクトのおかげで、今のリュイの子どもを孕めたわたしがいる。


 リュイの心に、少しでもわたしという傷を残せた。
 リュイにとっては紛れもない汚点だろうけど。


 タクトにレイシさんとの話をしていると、あっという間に目的地に着いていた。
 タクトは話を聞きながら、うけるーとか軽薄なコメントを合間あいまで入れてくれた。怒る気持ちにはなれなかった。ホント、自分でも笑えるなって思うし。


「―――いやはや、傑作だね。愛だの恋だの気持ち悪いと吐き捨てていた男がその女にハメられるだなんて傑作だよ。
お嬢さんに落ち度など何もない、多分ね。
むしろ、レイシ・マックスウェルはあそこまで啖呵を切っていたというのに、中途半端に終わらせて雲隠れとは甘いことだ」


「!!!?」


 聞くだけで濡れてしまいそうなセクシーな声が、突然背後からした。
 驚いて振り向けば、前髪の一部分だけを長く伸ばした印象的な真っ赤な髪に、女性を甘く蕩けさせるような垂れ下がった桜色の瞳と左の目元の泣き黒子が色っぽい美丈夫が後部座席に座っていた。
 ローブにシャツが基本的なこの世界で初めてみる軍服は、黒を基調としている。白いマントの裾を敷いて、長い足を組んで肩肘をつく姿は、禁欲的な色気があった。


「な、え、だ、だれ?た、タクト、うしろに、へんなひとが…!」


 隣の席で呑気に運転するタクトのローブを掴んで、注意を引く。


「ヘンな人っつうか親父だな。こんな車に割り込むのに無駄遣いするなっつうーの。トーコが驚いてるだろ」


「親父?お、お父さん?タクトの?」


 言われてみれば、どことなくタクトの面影がある。
 桜色の瞳は珍しい気がする。タクト以外、見たことがなかった。

「これは失礼。私はガウス・アインヘルツ。タクトの父だ。
お嬢さんがトウコさんだね。私の屋敷に来るんだろう?歓迎するよ。
あのリュイをハメて、子どもを作るだなんて―――最高だ。非常にそそられる」


 ―――若い。
 どう頑張っても、40歳代にしか見えない。
 クラクラするような色気と、何より耳心地の良い声に、赤面する。
 リュイのことが好きなわたしですらクラッとくる。魅了系の<素質>ではないのだろうか。


 何も言えないわたしの様子に、ガウスさんは肩肘をついたままクスっと唇を震わせる。


「こんな初心なお嬢さんが、リュイに大胆な行動を起こせるなんて、人は見かけによらないものだ。
お嬢さんがより面白い展開を引き越してくれるのを――とてもとても楽しみにしているよ。
私とタクトを存分に利用してくれたまえ」


「ひっでぇ。実の息子のことなんだと思ってんだよ、おやじー」


「息子だろうとなんだろうと、私を楽しませてくれるほうの味方というものだ」


「はー……鬼畜だわー。ま、いーけど。トーコ、親父に気に入られてよかったじゃん。
 これから三人で面白おかしく暮らしてやろうぜ!」


「え…。えぇ……?」


 不安しかない。もうなんて言っていいのかわからなくて、わたしは前を向いて座り直す。
 タクトのローブから手を離し、自分のお腹の上に手を置く。じんわりとした温もりが、下腹部から伝わってくる気がして。リュイとわたしの子どもが、慰めてくれてるのかなと思った。


(あなたはちゃんと育てるから)


 不安は尽きないけれど、わたしがリュイを愛した結晶――子どもだけはだれからも愛される子になって欲しい。<素質なし>のわたしに似ず、誰からも愛されるようなリュイのようになって欲しいと願う。


(人を愛せる子になってね)


 きっとリュイには恨まれている。
 わかりきったことを考え、勝手に気分が落ち込む。
 振り切るように首を左右に振り、座席に力を抜いて座り直す。
 先のことは分からないけれど、タクトも、ガウスさんも、悪い人ではないと、思う。多分。
 

 タクトとガウスさんが親子で話を弾ませるのを横で聞きながら、わたしはゆっくり目を閉じた。
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