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【31】輝く刃
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エルドヴァルドが何かを唱え、トン、と杖の先を床に突くと、空気が裏返るような奇妙な感覚がして、足元がふっと浮いた。
一瞬の浮遊感の後、ヒューは石の匂いの中にいた。
ひやりとした空気が肺に流れ込む。湿り気の無い、古い場所の匂い。
埃っぽさに、口布をしばし引き上げる。
「はい、着いたよ」
エルドの軽い声が反響する。
「……ここも、旧神の遺跡か?」
無自覚に腹をさすりながら、ヒューは薄暗い周囲を見回した。
エルドが杖を振ると、回廊の松明にすべてに光が灯った。
壁面に浮かび上がった浮彫に、旧時代の技術が使われているのが分かった。
「そう。現神の加護が無い、祈りを忘れられた場所さ」
「ここも、魔素の濃い場所か……」
腹の奥がかすかに震えた。最近ずっと静かだったのに、ざわめいている。
痛みとは違う。何かが――目を醒ますような感覚。
「……っ、待てって……」
宥めるように下腹部を撫でる。
そこに宿るものが、外の空気に反応している。
水神の祭壇のように、我を忘れて奥に進もうとする自分を恐れて、ヒューはエルドを見た。
「大丈夫、ここは水神の遺跡じゃない。火の神……水よりは属性の相性は控えめだから」
薄い腹を自分のものではないように、ヒューは優しく触れた。
腹だけじゃない。自分の体すべてが、何か別の物になったようだ。
そのことに不快感を覚えるどころか、守りたいという気持ちが溢れてくる。
「……“こいつ”……、時々俺を支配しようとしてる」
「そうだね。君は“それ”の外殻だから」
「夢の中でアレクにビビらされたとき、だいぶ弱ったっぽいけど」
「《勇者》は現神の加護と祝福の塊みたいなものだからね。とはいえ、乱暴された君からしたら、あまりにも荒療治だとは思うよ」
エルドは大杖を横にし、そこに腰かけ、浮かせた。軽く立てた膝の上に肘を置き、頬杖をつくのは、彼の癖だ。
ふうと息をつき、ぼんやりと壁の絵画を見つめる。といっても、そこに描かれた旧神への祈りや豊穣の様子を眺めているわけではないだろう。
「……何から話そうかな……」
「何からって、アレクのことか? それとも、魔王や、魔族のこと?」
腹に手を置いたまま、ヒューは尋ねた。
静かな回廊に、自分の声だけが反響する。
奥に装飾の剥がれた大扉がある。盗掘にでもあったのか、表面は剥がされ風化しつつある。ここは広間へと続く大回廊なのだろう。
薄暗い物陰から、今にも大型の魔獣でも飛び出してきそうだ。
薄気味悪い場所のはずなのに、妙に心地良いと感じる。それはこの身の中にいる“竜の仔”を、ヒューが愛おしいと感じているからなのか。
「――とりあえず明日は、セレストリアの祝福の神殿に」
「なに? 明日のスケジュールってやつか?」
「そう」
大国アーディナの《宗教文化都市》セレストリアには、いくつもの神の神殿がある。その中でも祝福の神殿は、セシィリアの父であるバルチスタンが司祭を務めている。
「そこで祝福の数を調べておこう」
「いいけど……」
この世界には百柱を超える神がいるが、それぞれの神が好きな人間に祝福を与えている。神から受ける祝福の数は、少なくとも十前後、多ければ多いほど、様々な才能に恵まれ、幸運値として計測される。
英雄たちはやはり神の加護が多く、《聖女》セシィリアと《勇者》アレックスは規格外の祝福を受けている。
こればかりは神々の好みとしか言いようがない。そしてその数は増えもするし、減りもする。
ヒューは《七英雄》と数えられはしているが、最後に調べた祝福値は、十柱程度だったと記憶している。ガインでさえ三十以上の神に好かれていたというのに。
「あれけっこう傷つくんだよな……まあ人並みだと思うけど」
最初に調べたとき、先にやったアレックスがとんでもない数の祝福を叩き出して、神殿内が大騒ぎになった。その後で調べたヒューは、地獄の気まずさだった。
ふふ、とエルドが笑う。
「たまには調べておいたほうが良いからね。特にいま君は、竜を宿した特殊な状態だ」
「……そうか、こいつ、現神が作った生き物じゃないんだっけ……」
旧神の愛し子である竜は、その完成された美しさから、現神にさえ愛され、この世界で繁栄していると言われている。
「――あと、君はやっぱり、アレクのことが聞きたいかな」
「え……別に……」
腹の奥がざわめくのを、ぎゅっと手のひらで押さえる。
「でも僕も、彼のことはよく分からない。君が一番分かってるだろうし」
「最近のあいつは、俺の知ってるあいつじゃねーんだけど……」
「――だってさ」
エルドが虚空に手をかざすと、柱の奥にかすかな気配を感じ、ヒューは振り返った。
暗闇が揺らめき、深い青色の外套がはためく。
金属が石床を踏むかすかな音が立った。
「僕なりに、隠形の魔術を使ってみたけど、エルドには分かっちゃうね」
ぽりぽりと頭の後ろを掻き、金髪の青年が、ばつの悪そうな顔で現れた。
――ヒューがよく知っている、アレックスの顔で。
夢では二度会ったけれど、生身の彼に会うのは、バルディオンでのあの夜以来だ。
「……ヒュー……」
少し困ったような顔で、碧眼を細める。
この前は、やっぱり本当にただの悪夢を見ただけだと思った。
「アレク……」
でも強張って、体が動かない。自分じゃない何かが足を止めているように。
アレックスは一定の距離を置いて、ヒューには近づいてこなかった。そのことに安堵しながらも、胸が酷く痛んだ。この痛みは自分のものだと分かる。
これなら強姦されているときのほうが、よっぽど触れ合っていた
「……どのツラ下げてんだよ」
悪態が口をつく。声が震えるのが腹立たしい。
「俺は、許してねーからな……」
「許してもらおうと思ってないよ」
アレックスの目が、ふと冷たくなった。ヒューは眉をしかめ、後ずさりたくなるのを堪えた。
「君が許そうと許すまいと、僕はやるべきことを果たすだけだ」
「……無理やりヤッたことも?」
「ああ」
「俺の意志は無視かよ」
「今は、必要無いかな。だって君は――弱いから」
十年間一緒にいて、ヒューが常に思っていて、アレックスが言ったことの無い言葉だった。
分かっている。だけど、アレックスは決して言わなかった。
何か言い返そうとして、言葉が思いつかないヒューを一瞥だけし、アレックスは碧い双眸を鋭く細めた。
「君の中の“竜”は、君の魔毒をとりあえずは抑えている。でも長く留めておくのは危険だと、エルドは分かっていたよね?」
眼光は、エルドヴァルドに向けられていた。
「……ヒューの胎に宿るとは思っていなかった。もしかして、と思ったのは、認めるよ。そうすることで、ヒューが助かるのなら」
エルドの血のような赤い瞳が、静かにアレックスの碧眼を見返す。
「最初にヒューを逃がしたとき、転移の石を渡した。あれはサリオン近くの国境線に飛ぶように最初から仕掛けていたよね?」
アレックスの冷たい声が、古い遺跡に通る。
「金を渡さなかったのも、そうすればヒューは冒険者ギルドに登録して、仕事を得るだろうから。ヒューぐらいの腕があれば、サリオンのあの深い森に調査依頼もくる。そこには魔瘴に蝕まれた泥竜がいて、霧竜を宿すことで命を長らえていたことも――すべて、君は分かっていた」
「エルド……」
ヒューも、エルドを見た。が、アレックスの手が、聖剣の柄にかかっていることに気づき、アレックスに向かって踏み込んだ。
「――斬るな、アレックス!」
「斬らないよ。でも、仲間じゃないエルドを前に、無防備で立つつもりはない」
「仲間だろ!」
「彼もいつだって、大魔法を放てるはずだ。ヒューも知っているだろう。本気を出せば嵐を起こし、雷を落とし、星を降らせる男だ」
大杖に腰かけ、宙からアレックスを見下ろしながら、エルドは波立たない湖のように冷静に答えた。
「僕じゃなくて、いずれも人の叡智が編み出した魔術の神髄だよ。君のように唯一無二の祝福を得た《勇者》じゃない。僕は、これでも人間だよ」
「人を――人間じゃないみたいに言うんだな」
アレックスの本気の殺気に、ヒューの全身が粟立った。自身じゃなく、体の中が冷えて、煌めく霧が漏れだした。
「……あ……」
冷たい霧だと思っていたそれは、白銀のようにも、黄金のようにも、虹色のようにも見え――ヒューを護るように小さく輝いている。
「ヒュー……!」
アレックスの腕が伸び、ヒューを引き寄せようとした。が、その光の粒に弾かれて、アレックスの手を払った。
「……っ」
僅かにでもダメージを受けて眉をしかめたアレックスを、久々に見た。
勇者のことは寄せつけず、ヒューを優しく包んでくるそれに、手のひらを向ける。小さな獣がヒューにすり寄るように、ふわりと全身を撫でてくるような感覚がした。
「……くそ」
小さくアレックスが舌打ちした。
「――思っていたより、早く育ち過ぎたか……!」
この光のせいで、どうしてかアレックスはヒューに触れられないようだ。
「この光、ミストがやってんのか……?」
「……ヒュー、そいつは“霧”なんかじゃない。いや、“霧”でもあるし、“泥”でも、“水”でも、“風”でも、“火”でも、“光”でも、“闇”でもある――すべての属性を通って、君を選んだ。本来、竜の胎だけを通り過ぎていく存在にも関わらず」
アレックスが声を震わせ、剣を強く握り締めた。ヒューは腕で腹を庇うことをやめ、咄嗟に短剣を抜いた。
少しばかりの加護はあるが、《聖剣》にも《勇者》にも敵うはずもない武器だ。その刀身に様々な色を煌めかせ、光が宿る。
背後に浮かぶエルドが、ヒューを指さした。
「《循環加速》――対象《ヒュー》」
短剣を抜いたときには、手の中でくるりと回しながら柄を握り直し、踏み込んでいた。そこにエルドの強化魔法がかかり、躊躇のないスピードで、アレックスの眼前に到達していた。
アレックスが振り上げるより先に、輝く刃が、聖剣の軌道を歪ませる。
「……くっ!」
アレックスの喉から、思わず声が漏れた。
ヒューは片手でアレックスの首を掴み、神の祝福を受けた鎧の胸に、輝く刃を突き立てた。
薄くひびが走り、アレックスの顔が歪む。
「――その刃……!」
「はっ……!」
加速の効果が切れる前に、ヒューは素早くアレックスから飛びのいた
「この、バカ勇者……っ」
肉体強化の反動が、一瞬で心臓に響く。それでもヒューは乱れる息を抑え込みながら、アレックスに向かって怒鳴りつけた。
「……仲間に、剣を向けんなって、言ってるだろ……!」
「……――仲間なんか、必要なかった……」
薄くひび割れた鎧の胸に、アレックスはそっと手を当て、離した。
「……エルドヴァルド……リオネル……セシィリア……ガイン……グレンドルフ……どいつもこいつも、僕にとっては、鬱陶しい同行者だったよ」
「嘘つけ……なにずっと、いじけてんだ……!」
平淡な瞳を、ヒューは睨みつけた。
「本当だよ。彼らはみんな、君を護るために傍に置いただけ。最初から、僕の仲間なんかじゃない」
「……は……?」
ヒューは顔をしかめ、短剣の柄を壊れそうなほどに握った。
「君の従者にいいと思っただけだ。エルドも、リオネルも、本当に腹立たしいほど強くて――安心するよ」
そう言って、アレックスは踵を返した。
夢の中のように、熱っぽい瞳はもう向けてこなかった。
一瞬の浮遊感の後、ヒューは石の匂いの中にいた。
ひやりとした空気が肺に流れ込む。湿り気の無い、古い場所の匂い。
埃っぽさに、口布をしばし引き上げる。
「はい、着いたよ」
エルドの軽い声が反響する。
「……ここも、旧神の遺跡か?」
無自覚に腹をさすりながら、ヒューは薄暗い周囲を見回した。
エルドが杖を振ると、回廊の松明にすべてに光が灯った。
壁面に浮かび上がった浮彫に、旧時代の技術が使われているのが分かった。
「そう。現神の加護が無い、祈りを忘れられた場所さ」
「ここも、魔素の濃い場所か……」
腹の奥がかすかに震えた。最近ずっと静かだったのに、ざわめいている。
痛みとは違う。何かが――目を醒ますような感覚。
「……っ、待てって……」
宥めるように下腹部を撫でる。
そこに宿るものが、外の空気に反応している。
水神の祭壇のように、我を忘れて奥に進もうとする自分を恐れて、ヒューはエルドを見た。
「大丈夫、ここは水神の遺跡じゃない。火の神……水よりは属性の相性は控えめだから」
薄い腹を自分のものではないように、ヒューは優しく触れた。
腹だけじゃない。自分の体すべてが、何か別の物になったようだ。
そのことに不快感を覚えるどころか、守りたいという気持ちが溢れてくる。
「……“こいつ”……、時々俺を支配しようとしてる」
「そうだね。君は“それ”の外殻だから」
「夢の中でアレクにビビらされたとき、だいぶ弱ったっぽいけど」
「《勇者》は現神の加護と祝福の塊みたいなものだからね。とはいえ、乱暴された君からしたら、あまりにも荒療治だとは思うよ」
エルドは大杖を横にし、そこに腰かけ、浮かせた。軽く立てた膝の上に肘を置き、頬杖をつくのは、彼の癖だ。
ふうと息をつき、ぼんやりと壁の絵画を見つめる。といっても、そこに描かれた旧神への祈りや豊穣の様子を眺めているわけではないだろう。
「……何から話そうかな……」
「何からって、アレクのことか? それとも、魔王や、魔族のこと?」
腹に手を置いたまま、ヒューは尋ねた。
静かな回廊に、自分の声だけが反響する。
奥に装飾の剥がれた大扉がある。盗掘にでもあったのか、表面は剥がされ風化しつつある。ここは広間へと続く大回廊なのだろう。
薄暗い物陰から、今にも大型の魔獣でも飛び出してきそうだ。
薄気味悪い場所のはずなのに、妙に心地良いと感じる。それはこの身の中にいる“竜の仔”を、ヒューが愛おしいと感じているからなのか。
「――とりあえず明日は、セレストリアの祝福の神殿に」
「なに? 明日のスケジュールってやつか?」
「そう」
大国アーディナの《宗教文化都市》セレストリアには、いくつもの神の神殿がある。その中でも祝福の神殿は、セシィリアの父であるバルチスタンが司祭を務めている。
「そこで祝福の数を調べておこう」
「いいけど……」
この世界には百柱を超える神がいるが、それぞれの神が好きな人間に祝福を与えている。神から受ける祝福の数は、少なくとも十前後、多ければ多いほど、様々な才能に恵まれ、幸運値として計測される。
英雄たちはやはり神の加護が多く、《聖女》セシィリアと《勇者》アレックスは規格外の祝福を受けている。
こればかりは神々の好みとしか言いようがない。そしてその数は増えもするし、減りもする。
ヒューは《七英雄》と数えられはしているが、最後に調べた祝福値は、十柱程度だったと記憶している。ガインでさえ三十以上の神に好かれていたというのに。
「あれけっこう傷つくんだよな……まあ人並みだと思うけど」
最初に調べたとき、先にやったアレックスがとんでもない数の祝福を叩き出して、神殿内が大騒ぎになった。その後で調べたヒューは、地獄の気まずさだった。
ふふ、とエルドが笑う。
「たまには調べておいたほうが良いからね。特にいま君は、竜を宿した特殊な状態だ」
「……そうか、こいつ、現神が作った生き物じゃないんだっけ……」
旧神の愛し子である竜は、その完成された美しさから、現神にさえ愛され、この世界で繁栄していると言われている。
「――あと、君はやっぱり、アレクのことが聞きたいかな」
「え……別に……」
腹の奥がざわめくのを、ぎゅっと手のひらで押さえる。
「でも僕も、彼のことはよく分からない。君が一番分かってるだろうし」
「最近のあいつは、俺の知ってるあいつじゃねーんだけど……」
「――だってさ」
エルドが虚空に手をかざすと、柱の奥にかすかな気配を感じ、ヒューは振り返った。
暗闇が揺らめき、深い青色の外套がはためく。
金属が石床を踏むかすかな音が立った。
「僕なりに、隠形の魔術を使ってみたけど、エルドには分かっちゃうね」
ぽりぽりと頭の後ろを掻き、金髪の青年が、ばつの悪そうな顔で現れた。
――ヒューがよく知っている、アレックスの顔で。
夢では二度会ったけれど、生身の彼に会うのは、バルディオンでのあの夜以来だ。
「……ヒュー……」
少し困ったような顔で、碧眼を細める。
この前は、やっぱり本当にただの悪夢を見ただけだと思った。
「アレク……」
でも強張って、体が動かない。自分じゃない何かが足を止めているように。
アレックスは一定の距離を置いて、ヒューには近づいてこなかった。そのことに安堵しながらも、胸が酷く痛んだ。この痛みは自分のものだと分かる。
これなら強姦されているときのほうが、よっぽど触れ合っていた
「……どのツラ下げてんだよ」
悪態が口をつく。声が震えるのが腹立たしい。
「俺は、許してねーからな……」
「許してもらおうと思ってないよ」
アレックスの目が、ふと冷たくなった。ヒューは眉をしかめ、後ずさりたくなるのを堪えた。
「君が許そうと許すまいと、僕はやるべきことを果たすだけだ」
「……無理やりヤッたことも?」
「ああ」
「俺の意志は無視かよ」
「今は、必要無いかな。だって君は――弱いから」
十年間一緒にいて、ヒューが常に思っていて、アレックスが言ったことの無い言葉だった。
分かっている。だけど、アレックスは決して言わなかった。
何か言い返そうとして、言葉が思いつかないヒューを一瞥だけし、アレックスは碧い双眸を鋭く細めた。
「君の中の“竜”は、君の魔毒をとりあえずは抑えている。でも長く留めておくのは危険だと、エルドは分かっていたよね?」
眼光は、エルドヴァルドに向けられていた。
「……ヒューの胎に宿るとは思っていなかった。もしかして、と思ったのは、認めるよ。そうすることで、ヒューが助かるのなら」
エルドの血のような赤い瞳が、静かにアレックスの碧眼を見返す。
「最初にヒューを逃がしたとき、転移の石を渡した。あれはサリオン近くの国境線に飛ぶように最初から仕掛けていたよね?」
アレックスの冷たい声が、古い遺跡に通る。
「金を渡さなかったのも、そうすればヒューは冒険者ギルドに登録して、仕事を得るだろうから。ヒューぐらいの腕があれば、サリオンのあの深い森に調査依頼もくる。そこには魔瘴に蝕まれた泥竜がいて、霧竜を宿すことで命を長らえていたことも――すべて、君は分かっていた」
「エルド……」
ヒューも、エルドを見た。が、アレックスの手が、聖剣の柄にかかっていることに気づき、アレックスに向かって踏み込んだ。
「――斬るな、アレックス!」
「斬らないよ。でも、仲間じゃないエルドを前に、無防備で立つつもりはない」
「仲間だろ!」
「彼もいつだって、大魔法を放てるはずだ。ヒューも知っているだろう。本気を出せば嵐を起こし、雷を落とし、星を降らせる男だ」
大杖に腰かけ、宙からアレックスを見下ろしながら、エルドは波立たない湖のように冷静に答えた。
「僕じゃなくて、いずれも人の叡智が編み出した魔術の神髄だよ。君のように唯一無二の祝福を得た《勇者》じゃない。僕は、これでも人間だよ」
「人を――人間じゃないみたいに言うんだな」
アレックスの本気の殺気に、ヒューの全身が粟立った。自身じゃなく、体の中が冷えて、煌めく霧が漏れだした。
「……あ……」
冷たい霧だと思っていたそれは、白銀のようにも、黄金のようにも、虹色のようにも見え――ヒューを護るように小さく輝いている。
「ヒュー……!」
アレックスの腕が伸び、ヒューを引き寄せようとした。が、その光の粒に弾かれて、アレックスの手を払った。
「……っ」
僅かにでもダメージを受けて眉をしかめたアレックスを、久々に見た。
勇者のことは寄せつけず、ヒューを優しく包んでくるそれに、手のひらを向ける。小さな獣がヒューにすり寄るように、ふわりと全身を撫でてくるような感覚がした。
「……くそ」
小さくアレックスが舌打ちした。
「――思っていたより、早く育ち過ぎたか……!」
この光のせいで、どうしてかアレックスはヒューに触れられないようだ。
「この光、ミストがやってんのか……?」
「……ヒュー、そいつは“霧”なんかじゃない。いや、“霧”でもあるし、“泥”でも、“水”でも、“風”でも、“火”でも、“光”でも、“闇”でもある――すべての属性を通って、君を選んだ。本来、竜の胎だけを通り過ぎていく存在にも関わらず」
アレックスが声を震わせ、剣を強く握り締めた。ヒューは腕で腹を庇うことをやめ、咄嗟に短剣を抜いた。
少しばかりの加護はあるが、《聖剣》にも《勇者》にも敵うはずもない武器だ。その刀身に様々な色を煌めかせ、光が宿る。
背後に浮かぶエルドが、ヒューを指さした。
「《循環加速》――対象《ヒュー》」
短剣を抜いたときには、手の中でくるりと回しながら柄を握り直し、踏み込んでいた。そこにエルドの強化魔法がかかり、躊躇のないスピードで、アレックスの眼前に到達していた。
アレックスが振り上げるより先に、輝く刃が、聖剣の軌道を歪ませる。
「……くっ!」
アレックスの喉から、思わず声が漏れた。
ヒューは片手でアレックスの首を掴み、神の祝福を受けた鎧の胸に、輝く刃を突き立てた。
薄くひびが走り、アレックスの顔が歪む。
「――その刃……!」
「はっ……!」
加速の効果が切れる前に、ヒューは素早くアレックスから飛びのいた
「この、バカ勇者……っ」
肉体強化の反動が、一瞬で心臓に響く。それでもヒューは乱れる息を抑え込みながら、アレックスに向かって怒鳴りつけた。
「……仲間に、剣を向けんなって、言ってるだろ……!」
「……――仲間なんか、必要なかった……」
薄くひび割れた鎧の胸に、アレックスはそっと手を当て、離した。
「……エルドヴァルド……リオネル……セシィリア……ガイン……グレンドルフ……どいつもこいつも、僕にとっては、鬱陶しい同行者だったよ」
「嘘つけ……なにずっと、いじけてんだ……!」
平淡な瞳を、ヒューは睨みつけた。
「本当だよ。彼らはみんな、君を護るために傍に置いただけ。最初から、僕の仲間なんかじゃない」
「……は……?」
ヒューは顔をしかめ、短剣の柄を壊れそうなほどに握った。
「君の従者にいいと思っただけだ。エルドも、リオネルも、本当に腹立たしいほど強くて――安心するよ」
そう言って、アレックスは踵を返した。
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