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【41】運命の外
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会議場から足早に出てきたヒューは、石畳に出た瞬間、小さく息をついた。
何時間にも及ぶ会議の熱に、服の内側が汗でじっとりと湿っている。
城に来るまでに、最低限の荷物だけはまとめてきた。
終わってすぐに経てるように。
「リオネル」
裏庭に行くと、日干しされているワーテイルの傍で、リオネルが膝を抱えていた。顔を上げると、どこか気まずい空気が滲んだ。いつも元気な少年の表情は浮かない。
「会議、終わった……?」
「終わったよ。荷物ありがと」
預けていた小さなバッグを受け取り、ヒューの気配に気づいて鼻先を上げたワーテイルの顔を撫でた。
「洗ってもらったか? 良かったな。王城の水は綺麗だ」
優しく触れる仕草が、別れの前の儀式みたいで、リオネルは息を呑んだ。
「ヒュー、ボク……」
「俺はもう出る。リオネル、お前はハーケイルの外交団と一緒に帰ってもいいぞ」
「……ううん。帰らない。まだ帰れないよ」
「そっか。ヴェルゼは、しばらく忙しそうだぜ。魔族領の条件付き現状維持。バルディオンの監視下で自治が認められた。有事の際を鑑みて、魔境線に帝国の駐屯地が出来ることになった。その間に立って、大変だろうな」
「そうなんだ……三人で中央に来たから、なんか寂しいね」
ヒューが微笑んだ。
「リオネル、また一緒に来るか?」
「ボク……」
その微笑みに、リオネルはわずかに目を逸らした。逸らした先に、ヒューがはめている指輪が見えた。
「行く……けど」
リオネルはばっと顔を上げた。
「用事が出来たから、先に行ってて!」
「用事?」
「うん!」
手の中の、秘密の石をぎゅっと握り込む。ヒューはその仕草に気づいたようだったが、何も言わず、少し寂しげに頷いた。
「そっか。お前は強いから大丈夫だろうけど、気をつけろよ」
「ヒュー、すぐ行くの?」
「世界中に、アレクの伴侶宣言しちまったからな。長居したら面倒だし、もう行く。シグルドとかラクトゥスとか絡んできそうだしな。中立宣言しといたから、とりあえずはいいだろ」
「ヒューは、ほんとにもう、アレクのお嫁さんなの?」
「嫁じゃねえけど……政治的にはそのほうがいい」
「政治のため?」
「そうだよ」
リオネルが眉根を寄せる。
「アレクに、ひどくない……?」
「……あいつだって俺に酷いことしただろ」
淡々とした言い方で、ヒューはワーテイルから手を離した。名残惜しそうにワーテイルがヒューに顔をすり寄せる。
「ヒュー、嘘あんまり上手じゃないよ」
指輪をしていたというと、アレクは少年のように頬を赤らめていた。あの顔を、ヒューに見せてあげたいと思ったが、秘密だと指を立てていたアレクを同時に思い出す。
だが、あんなにヒューを追っていたアレクが、秘密だと言ったのだから、仲間じゃなく戦士同士の約束だ。
「じゃあ俺、行くわ」
あっさりした別れを告げるヒューに、唇を引き結んでいたリオネルが、静かに尋ねた。
「これから、どうすんの?」
「こいつを育てるよ。心配すんな、死なない努力もする。調べたいこともあるしな」
ヒューは自分の腹に軽く手を当てた。ヒューの中にいるのは“神殺しの手段”だとアレクが言っていた。リオネルはそれも口にしなかった。ヒューはなんとなくもう、気づいているんじゃないかと思った。
「それはどこかに閉じこもってても、きっと分からない」
「危ない魔族に狙われたり、するんじゃないの」
「そんなの、どこにいたって同じだ」
安全な場所なんて、この世のどこにもない。一番安全だった場所を捨ててきたのだから。
「俺が行かないと、何も進まないし、終わらない。……あいつは勇者だから、今度は俺のほうが追い付いてやらないと」
「ちょっと、待ってよ。――ワーテイル」
リオネルは幼い頃から一緒だった騎竜の名を呼んだ。その顔に手を触れる。
「風を踏み、空を裂きし、飛竜よ。リオネル・アルベリク・グランデルの名において、その契りに従え。我が友ヒューを、汝の一時の主とする。従って飛べ、風の眷属」
ワーテイルの瞳が輝き、すっくと体を起こした。竜の中では小柄とはいえ、ぴたりとヒューの体に寄り添う巨体に、ヒューは目をしばたたせた。
「おい」
「すぐ鞍着けるから乗っていきなよ。これ、ワーテイルの竜笛」
「……笛?」
リオネルが鎧の下から外したのは、鎖のネックレスだった。先に小さな牙を彫ったような笛が付いていた。
「ボクは名前だけで召喚出来るけど、ヒューはこれ使って。願いながら吹くだけで大丈夫。ワーテイルはヒューが好きだから、ちゃんと応える」
「俺、竜の騎乗なんて出来ないぞ」
「しがみついてたら勝手に飛ぶから」
「なんか怖いんだけど」
「大丈夫。落ちても拾ってくれるから。――ワーテイル、ボクが行くまでヒューを頼むね。ヒューに何かあったら、世界滅びるからね」
竜の頬を撫で、リオネルが笑った。笑いごとではないが、そのくらい気楽なほうが、ヒューにしてみれば救われる。
ワーテイルに鞍を着けてもらい、リオネルにこつを教えてもらいながら、跨ってみると、思っていたより乗りやすかった。馬より不安定だが、しなやかな体でワーテイルのほうがバランスを取ってくれる。
「意外といけそう……?」
「ヒューは器用だから慣れるよ。ていうかワーテイルが頭いいから、大丈夫」
裏庭に続く回廊から、靴音が響いた。
「ヒュー殿、勝手なことは、困ります」
金糸の外套を翻らせ、帝国皇子ラクトゥスが立っていた。
「げ、帝国」
リオネルが小さく呟く。ハーケイル騎士国は、野心の強いカルドヴェイン帝国とあまり仲が良くない。
「“勇者の伴侶”を名乗った以上、責任が貴方にはある。しかるべき数の護衛をつけ、大国いずれかの保護下に身を置くべきだ。安全が保障されるまで、軽率な移動は――」
「それだと、俺は緩やかに死んでいくだけだ。だったら俺は、運命に抗う」
「一個人で決めてよい話ではないのだ、貴方はもう《勇者》アレックス・ディアと、不可分の象徴だぞ」
「――しかし、運命の女神は、超えられぬ者に試練を与えない」
柔らかく、しかしどこか氷のような声が、割って入る。
「教義に従うなら、彼の選択は実に正しい」
聖務卿シグルドが、祈りの手を胸元に添えて、笑みを浮かべていた。優しく、しかしどこか張りついたような笑みだ。
「勇者アレックス・ディアの伴侶――ヒュー・ディア様」
聞き慣れない名で呼ばれ、ヒューは小さく目を瞬かせた。
「違いますか?」
「……違わない」
「その道に、神の祝福があらんことを」
「悪いけど、運命の神の祝福は、俺には無いよ」
「ただの挨拶です」
飾りのような祝詞のあと、聖務卿は目を細めた。歩を進め、小さく告げた。
「祝福など、私にもありません。祈りはただ、象徴としてそこにあればいい。それに私は、運命の神に祈ってはいませんよ」
「え?」
シグルドがヒューだけに小さく微笑む。さっきまでより、ずっと人間らしい表情をしていた。
「ではせめて護衛を!」
ラクトゥスの苛立った声が響く。近づいてくる前に、リオネルが間に立った。
ヒューは静かに首を振った。
「要らない。俺を囲うと、誰かが死ぬ」
「馬鹿な! いまこの世界で、貴方の命より重い命があるか!」
皇子の言葉はヒューの心に重く刺さったが、聖務卿が手で制した。
「もう良いでしょう。ラクトゥス皇子。あの方は女神の教義に背いていない」
「なにが教義だ! 狂信者の国めが! かつて愛する者を失った勇者が、どうなったかは知っているはずだ!」
突如、ヒューの周りに、魔術の力が満ちた。
エルドヴァルドの魔力だ、とヒューには分かった。回廊に立ったエルドが、大杖を向けていた。
「《勇者》はまだ戦っている。その《伴侶》にも、運命の女神は、相応の役割を与える。運命の流れを止めず抗う者こそに、女神は再び祝福を与えるだろう――それが、創世と運命の女神の“性質”だ」
ヒューを乗せたワーテイルごと、空間に潤沢な魔力が満ちていく。
「飛べ! ワーテイル!」
リオネルが命じると、ワーテイルが翼をはためかせた。
「わっ」
慌ててヒューが鞍を手で掴むと、竜の巨体は瞬時に消えた。
「エルドヴァルド殿! 貴方様は……! 本当にろくなことしないな!」
ラクトゥスが、硬い口調も忘れてエルドに詰め寄る。
「そんなふうだから、栄えある帝国宮廷魔導師の座を失職したんだ! いや、どうせわざと失職されたのだろう!?」
「うん。すまないね、皇子。あのときは帝国にしかない書がどうしても読みたくて……しかし老けたね、君。可愛かったのに、目尻にちょっと皺が」
「貴方が老けな過ぎるだけだ!」
リオネルがやって来る。
「そっか、帝国でも働いたことあるんだ、エルドって。もう経歴よく分かんないや」
「まだ五十年くらいしか生きてないけどねえ」
「知識泥棒だ貴方は!」
「まあまあ、もう良いではありませんか」
いきり立つラクトゥスを、シグルドがやんわり宥める。
「一時でも英雄様が身を寄せた地など、誉あることではないですか。まあ我が国は英雄様の生誕地ですが」
「は!? そもそも卿は円卓のときから、ヒュー殿を外交に利用しようとし過ぎだ!」
「ストップストップ! 偉い人同士でやめてよ!」
リオネルが小さい体で割って入る。当のエルドははは、と笑って、少し目を細めて、神聖国の聖務卿を見やった。
「女神の国で生まれた人間ほど、不思議とその運命に抗いたがるね」
「運命神は、乱れない糸をただ紡ぎ続ける存在ではありませんから……そしてどんな優れた糸車であろうと、朽ちるときはきます。流れに任せるのではなく、時に変革せよ。それが女神の教義です」
「そうだっけか。まあ最近は病気で、抗うどころじゃなかったみたいだけど、ようやく立ち上がる元気が出たようだ」
シグルドが少し眉根を寄せた。
「病気? ……彼が?」
「そう。各国、魔毒について出来る限りの研究を進めてほしい。広がりゆく魔瘴はやがてヒューだけではなく、多くの人間を蝕むだろう」
「英雄が魔毒に? 決戦前に、聖女殿を通じ、女神の加護を受けたはずの英雄が、何故……」
ラクトゥスが愕然として言った。
「それが女神の采配なのか、事故なのか、知り得ない以上、あまり多くの国に動揺を広めないほうがいい。すでに東のバルディオン、カリステリスでは研究を進めてもらっている。魔族領・ガイアデイラでもね」
うっすらと雲のかかった空を、賢者が少し仰ぎ見た。
「さあ、やることは多いよ。世界のほうが、勇者に追いつかないとね」
何時間にも及ぶ会議の熱に、服の内側が汗でじっとりと湿っている。
城に来るまでに、最低限の荷物だけはまとめてきた。
終わってすぐに経てるように。
「リオネル」
裏庭に行くと、日干しされているワーテイルの傍で、リオネルが膝を抱えていた。顔を上げると、どこか気まずい空気が滲んだ。いつも元気な少年の表情は浮かない。
「会議、終わった……?」
「終わったよ。荷物ありがと」
預けていた小さなバッグを受け取り、ヒューの気配に気づいて鼻先を上げたワーテイルの顔を撫でた。
「洗ってもらったか? 良かったな。王城の水は綺麗だ」
優しく触れる仕草が、別れの前の儀式みたいで、リオネルは息を呑んだ。
「ヒュー、ボク……」
「俺はもう出る。リオネル、お前はハーケイルの外交団と一緒に帰ってもいいぞ」
「……ううん。帰らない。まだ帰れないよ」
「そっか。ヴェルゼは、しばらく忙しそうだぜ。魔族領の条件付き現状維持。バルディオンの監視下で自治が認められた。有事の際を鑑みて、魔境線に帝国の駐屯地が出来ることになった。その間に立って、大変だろうな」
「そうなんだ……三人で中央に来たから、なんか寂しいね」
ヒューが微笑んだ。
「リオネル、また一緒に来るか?」
「ボク……」
その微笑みに、リオネルはわずかに目を逸らした。逸らした先に、ヒューがはめている指輪が見えた。
「行く……けど」
リオネルはばっと顔を上げた。
「用事が出来たから、先に行ってて!」
「用事?」
「うん!」
手の中の、秘密の石をぎゅっと握り込む。ヒューはその仕草に気づいたようだったが、何も言わず、少し寂しげに頷いた。
「そっか。お前は強いから大丈夫だろうけど、気をつけろよ」
「ヒュー、すぐ行くの?」
「世界中に、アレクの伴侶宣言しちまったからな。長居したら面倒だし、もう行く。シグルドとかラクトゥスとか絡んできそうだしな。中立宣言しといたから、とりあえずはいいだろ」
「ヒューは、ほんとにもう、アレクのお嫁さんなの?」
「嫁じゃねえけど……政治的にはそのほうがいい」
「政治のため?」
「そうだよ」
リオネルが眉根を寄せる。
「アレクに、ひどくない……?」
「……あいつだって俺に酷いことしただろ」
淡々とした言い方で、ヒューはワーテイルから手を離した。名残惜しそうにワーテイルがヒューに顔をすり寄せる。
「ヒュー、嘘あんまり上手じゃないよ」
指輪をしていたというと、アレクは少年のように頬を赤らめていた。あの顔を、ヒューに見せてあげたいと思ったが、秘密だと指を立てていたアレクを同時に思い出す。
だが、あんなにヒューを追っていたアレクが、秘密だと言ったのだから、仲間じゃなく戦士同士の約束だ。
「じゃあ俺、行くわ」
あっさりした別れを告げるヒューに、唇を引き結んでいたリオネルが、静かに尋ねた。
「これから、どうすんの?」
「こいつを育てるよ。心配すんな、死なない努力もする。調べたいこともあるしな」
ヒューは自分の腹に軽く手を当てた。ヒューの中にいるのは“神殺しの手段”だとアレクが言っていた。リオネルはそれも口にしなかった。ヒューはなんとなくもう、気づいているんじゃないかと思った。
「それはどこかに閉じこもってても、きっと分からない」
「危ない魔族に狙われたり、するんじゃないの」
「そんなの、どこにいたって同じだ」
安全な場所なんて、この世のどこにもない。一番安全だった場所を捨ててきたのだから。
「俺が行かないと、何も進まないし、終わらない。……あいつは勇者だから、今度は俺のほうが追い付いてやらないと」
「ちょっと、待ってよ。――ワーテイル」
リオネルは幼い頃から一緒だった騎竜の名を呼んだ。その顔に手を触れる。
「風を踏み、空を裂きし、飛竜よ。リオネル・アルベリク・グランデルの名において、その契りに従え。我が友ヒューを、汝の一時の主とする。従って飛べ、風の眷属」
ワーテイルの瞳が輝き、すっくと体を起こした。竜の中では小柄とはいえ、ぴたりとヒューの体に寄り添う巨体に、ヒューは目をしばたたせた。
「おい」
「すぐ鞍着けるから乗っていきなよ。これ、ワーテイルの竜笛」
「……笛?」
リオネルが鎧の下から外したのは、鎖のネックレスだった。先に小さな牙を彫ったような笛が付いていた。
「ボクは名前だけで召喚出来るけど、ヒューはこれ使って。願いながら吹くだけで大丈夫。ワーテイルはヒューが好きだから、ちゃんと応える」
「俺、竜の騎乗なんて出来ないぞ」
「しがみついてたら勝手に飛ぶから」
「なんか怖いんだけど」
「大丈夫。落ちても拾ってくれるから。――ワーテイル、ボクが行くまでヒューを頼むね。ヒューに何かあったら、世界滅びるからね」
竜の頬を撫で、リオネルが笑った。笑いごとではないが、そのくらい気楽なほうが、ヒューにしてみれば救われる。
ワーテイルに鞍を着けてもらい、リオネルにこつを教えてもらいながら、跨ってみると、思っていたより乗りやすかった。馬より不安定だが、しなやかな体でワーテイルのほうがバランスを取ってくれる。
「意外といけそう……?」
「ヒューは器用だから慣れるよ。ていうかワーテイルが頭いいから、大丈夫」
裏庭に続く回廊から、靴音が響いた。
「ヒュー殿、勝手なことは、困ります」
金糸の外套を翻らせ、帝国皇子ラクトゥスが立っていた。
「げ、帝国」
リオネルが小さく呟く。ハーケイル騎士国は、野心の強いカルドヴェイン帝国とあまり仲が良くない。
「“勇者の伴侶”を名乗った以上、責任が貴方にはある。しかるべき数の護衛をつけ、大国いずれかの保護下に身を置くべきだ。安全が保障されるまで、軽率な移動は――」
「それだと、俺は緩やかに死んでいくだけだ。だったら俺は、運命に抗う」
「一個人で決めてよい話ではないのだ、貴方はもう《勇者》アレックス・ディアと、不可分の象徴だぞ」
「――しかし、運命の女神は、超えられぬ者に試練を与えない」
柔らかく、しかしどこか氷のような声が、割って入る。
「教義に従うなら、彼の選択は実に正しい」
聖務卿シグルドが、祈りの手を胸元に添えて、笑みを浮かべていた。優しく、しかしどこか張りついたような笑みだ。
「勇者アレックス・ディアの伴侶――ヒュー・ディア様」
聞き慣れない名で呼ばれ、ヒューは小さく目を瞬かせた。
「違いますか?」
「……違わない」
「その道に、神の祝福があらんことを」
「悪いけど、運命の神の祝福は、俺には無いよ」
「ただの挨拶です」
飾りのような祝詞のあと、聖務卿は目を細めた。歩を進め、小さく告げた。
「祝福など、私にもありません。祈りはただ、象徴としてそこにあればいい。それに私は、運命の神に祈ってはいませんよ」
「え?」
シグルドがヒューだけに小さく微笑む。さっきまでより、ずっと人間らしい表情をしていた。
「ではせめて護衛を!」
ラクトゥスの苛立った声が響く。近づいてくる前に、リオネルが間に立った。
ヒューは静かに首を振った。
「要らない。俺を囲うと、誰かが死ぬ」
「馬鹿な! いまこの世界で、貴方の命より重い命があるか!」
皇子の言葉はヒューの心に重く刺さったが、聖務卿が手で制した。
「もう良いでしょう。ラクトゥス皇子。あの方は女神の教義に背いていない」
「なにが教義だ! 狂信者の国めが! かつて愛する者を失った勇者が、どうなったかは知っているはずだ!」
突如、ヒューの周りに、魔術の力が満ちた。
エルドヴァルドの魔力だ、とヒューには分かった。回廊に立ったエルドが、大杖を向けていた。
「《勇者》はまだ戦っている。その《伴侶》にも、運命の女神は、相応の役割を与える。運命の流れを止めず抗う者こそに、女神は再び祝福を与えるだろう――それが、創世と運命の女神の“性質”だ」
ヒューを乗せたワーテイルごと、空間に潤沢な魔力が満ちていく。
「飛べ! ワーテイル!」
リオネルが命じると、ワーテイルが翼をはためかせた。
「わっ」
慌ててヒューが鞍を手で掴むと、竜の巨体は瞬時に消えた。
「エルドヴァルド殿! 貴方様は……! 本当にろくなことしないな!」
ラクトゥスが、硬い口調も忘れてエルドに詰め寄る。
「そんなふうだから、栄えある帝国宮廷魔導師の座を失職したんだ! いや、どうせわざと失職されたのだろう!?」
「うん。すまないね、皇子。あのときは帝国にしかない書がどうしても読みたくて……しかし老けたね、君。可愛かったのに、目尻にちょっと皺が」
「貴方が老けな過ぎるだけだ!」
リオネルがやって来る。
「そっか、帝国でも働いたことあるんだ、エルドって。もう経歴よく分かんないや」
「まだ五十年くらいしか生きてないけどねえ」
「知識泥棒だ貴方は!」
「まあまあ、もう良いではありませんか」
いきり立つラクトゥスを、シグルドがやんわり宥める。
「一時でも英雄様が身を寄せた地など、誉あることではないですか。まあ我が国は英雄様の生誕地ですが」
「は!? そもそも卿は円卓のときから、ヒュー殿を外交に利用しようとし過ぎだ!」
「ストップストップ! 偉い人同士でやめてよ!」
リオネルが小さい体で割って入る。当のエルドははは、と笑って、少し目を細めて、神聖国の聖務卿を見やった。
「女神の国で生まれた人間ほど、不思議とその運命に抗いたがるね」
「運命神は、乱れない糸をただ紡ぎ続ける存在ではありませんから……そしてどんな優れた糸車であろうと、朽ちるときはきます。流れに任せるのではなく、時に変革せよ。それが女神の教義です」
「そうだっけか。まあ最近は病気で、抗うどころじゃなかったみたいだけど、ようやく立ち上がる元気が出たようだ」
シグルドが少し眉根を寄せた。
「病気? ……彼が?」
「そう。各国、魔毒について出来る限りの研究を進めてほしい。広がりゆく魔瘴はやがてヒューだけではなく、多くの人間を蝕むだろう」
「英雄が魔毒に? 決戦前に、聖女殿を通じ、女神の加護を受けたはずの英雄が、何故……」
ラクトゥスが愕然として言った。
「それが女神の采配なのか、事故なのか、知り得ない以上、あまり多くの国に動揺を広めないほうがいい。すでに東のバルディオン、カリステリスでは研究を進めてもらっている。魔族領・ガイアデイラでもね」
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