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【56】世界の果て
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戻るなり、ジルディウスに告げられた。
「疲れているところ悪いが、ヴォルケリオンに会う手筈が出来た」
「《天嶺公》?」
「魔王ヴァルナオグの最初の子――その母は、竜だ」
「竜……?」
「かつてのヴァルナオグは、性格は悪かったが、凶暴性はそこまででは無かった。四百年蓄積した魔瘴が、ヴァルナオグの性質を変えていった。とはいえ、元々利己的で性格は悪かったが――人間界侵攻するような馬鹿でもなかった」
「それが魔王の終末期か……」
そして、繰り返されてきた戦いの歴史だ。
終末期を迎えた魔王は、凶暴性を増す。
魔族は旧神に造られた種族であり、それゆえに現神から世界の隅へと追いやられ、魔王は瘴気の蓋となった。
魔瘴により魔王の力は増すが、永遠に噴き出る魔瘴を、いずれ受け止めきれなくなったとき、終末期を迎える。
終末期の魔王は、現神と、その子らである人間から、かつての世界を取り戻そうと殺戮に目覚めるのだ。
それを勇者が倒してきた。
決まりきった、この世界のシステムだ。
「かつてヴァルナオグは、すでにこの世には無い種族、竜人族の娘を愛した。その娘との子が、ヴォルケリオンだ」
「竜人族……」
「竜にも人にもなれた古き種族だ。が、繁殖力が弱かった。だから滅びた」
ヒューが無意識に腹に手を置くのを、ジルディウスの視線が追った。
「ヴォルケリオンなら、ミュルグレスのことを、俺よりは知っている。だがおそらく」
一拍間を置いて、ジルディウスは無感情に告げた。
「勇者は、すでにヴォルケリオンに会っている」
「アレクが?」
「ミュルグレスの役割を知っているなら、そうだろう。どんな文献にも残っていない。語り継がれてきただけの物語だからだ」
「ジルも、そいつから?」
「少しだがな……中々会える相手でもない。この俺でさえ」
「なんで?」
「役割の外にいる存在だからだ。現神は、竜を愛した。旧神が創造したものの中で、唯一、美しい生物として認めた。だから、竜はいまも自由に世界のどこでも羽ばたいている。地に生きるもの、空に生きるもの、人に使役されるもの――様々な形で」
「ヴォルケリオンは竜の子だから、役割の因果から外れている?」
「そのうえ魔王の子でもある。強大な力を持ち、世界に収まりきらないという点で、勇者やヴァルナオグと変わらん」
ジルディウスが、ヒューの腰を抱き寄せた。
「この体の中にいるミュルグレスもそうだ。だからお前もいま、世界の因果から半分は外れている……と、俺は思っている」
「役割の外にいると、ヴォルケリオンに会えるのか?」
「そのぐらいの存在でないと、会えないということだ。というか、会ってくれん」
ヴォルケリオンは竜人族の子で、ヴェルゼは妖精族の子だと言っていた。
ごく自然にわいた疑問を、ヒューは口にした。
「ジルのお母さんは、どんな種族だったんだ?」
「魔獣だ。俺の本性見ただろ?」
「あー……あれ好き」
アレクと戦ったときの姿を思い返す。
え? とジルディウスが目を見開いた。
「じゃあ、常時あの姿でいたほうがいいか?」
「それはジルが不便じゃない?」
「そうだな。話を逸らすな」
「ごめん」
「戻すぞ。これは……俺の考えに過ぎないが」
仮定であることを前置きして、告げる。
「魔王は、自然発生するわけではない。空位になれば、役割がスライドする。次に適正のある者へと」
「じゃあ、今は……」
「勇者だ。次に、魔王の血を引く魔公もあり得る。ヴォルケリオンはさっきの理由から外れる。ネメシアは、可能性があると言ってもいい。魔瘴蓄積の高い個体だからだ」
「ネメシアの次は、ジル?」
「かもしれん」
魔族のトップには向いていると思うが、さすがにジルに魔瘴の蓋にはなってほしくない。誰なら良いというわけではないが、彼がいつかヴァルナオグのように狂って勇者に倒される存在になるのは、嫌だった。
「次に――勇者に及ばないまでも、英雄の中から。神に愛されている聖女なども、例外ではない。現に、人間から魔王になった者も過去にはいるしな」
突き詰めるほど、《勇者》は使い回される役割だ。
神に選ばれてはいても、本当に愛されているなんて思えない。
「最善策は、ネメシアは倒さず、蓋とする。それが一番、今の世界には良いと俺は思う。人間にとっても」
「でも、元々残忍で、手に負えないんだろ? 魔王になったら、ますます強化されて、また人間と戦争が始まるんじゃないか?」
「魔王にはしない、ただ蓋にするだけだ」
「そんなこと……可能なのか?」
「分からんから、ヴォルケリオンに聞いてみたい」
魔王システムは、誰かの犠牲を必ず必要とする。
だが、世界は安定する。
――安定の名の下に。
旧神たちは、その蓋の下で、今も腐臭を放っている。
思い出すと、気分が悪くなってくる。
足許の裂け目から、巨大な目のようなものを幾つも見たような気がして、忘れたいのに、忘れられない。
「大丈夫か? ヒュー」
「……あ、ああ……」
蒼い顔でもしていたのか、ジルディウスが心配げに顔を覗き込んだ。
「大丈夫。続けて」
「ヴォルケリオンは、奴の承認が無ければ会えない。前に会ったとき、俺は魔族を率いることを決めたばかりだった。それが奴の興味に適ったんだろう。退屈を持て余しているから、世の中が面白そうなほうに動くと、関心を寄せる」
「気まぐれで、神っぽいな」
ヒューの言葉に、ジルディウスは頷いた。
「神に近いだろうな。おそらくお前を連れて行けば、会える」
「手筈って、それ?」
「そうだ。世界の端に赴く。暴風と雷鳴が絶えない場所だ。だがヴォルケリオンが一時的に道を開いてくれることがある。今がそうだ。お前を連れて来いと、奴が言っている」
ジルディウスの羽が広がり、そっとヒューごと包み込む。
――夜が落ちて来るような、心地好い感覚。
「世界最強の、竜の王が」
ジルディウスの言葉が遠くなる。
ヒューの視界が、ゆっくりと暗転した。
落ちているわけではない。
だが、浮いている感覚とも違う。
座標だけずらされているような。
気がつけば、風と雷の唸る場所にいた。
すぐ近くを雷光が走った。
「俺の羽の中から出るなよ」
ジルディウスの声はするが、目の前は暗いままだ。彼の腕の中できつく押し潰されて、出たくても出られない。
「ここは。“竜の通り道”だ。誰も辿りつけはしない世界の果てに、竜だけは渡ることを許されている。その領域に、ヴォルケリオンはいる」
話のレベルが、他の魔公とは違い過ぎる。理解の範疇をとっくに超えているし、世界の果てなんて、人が足を踏み入れる領域ではない。
「ジルの兄ちゃん……なんだよな?」
「格が違う」
あっさりとジルがそういうほどなのかと、ヒューは息を呑んだ。
「おい、音が煩い」
ジルディウスが声を通すと、暴風と雷鳴が止んだ。
「こっちは呼ばれて来ているんだぞ」
くすくすと笑うような声が近くで聴こえた。
「《巡風候》《断雷候》――ヴァルナオグの子だが、ヴォルケリオンの直属の臣下だ。力は上位魔公とひけを取らん」
吹き荒れる風と、鳴りやまない雷は、静かになった。
代わりに、可笑しそうに囁く声が辺りに反響した。
「ジルディウスが、お嫁さんを連れてきた」
「勇者のいない間に、勝手に手を出しちゃった」
「やかましい。お前たちとお喋りしたいわけじゃない」
「お嫁さんの顔、見せてくれたら、ヴァルケリオン様に会わせてやるよ」
「勇者のお嫁さん、見てみたい」
「……だそうだ」
「別にいいけど……」
苦々しげに、ジルディウスがそっと翼を開く。
誰もいない。
いないのに、はっきりと声だけが聴こえる。
「初めまして、ヒュー」
「俺の名前……言った?」
「風は、心のうちくらい簡単に見透かしてくる」
「ヴォルケリオン様は、こっちだよ」
ちかちかと目の前が白く弾けた。光が爆ぜたようだった。
「雷の光を、まともに見るな」
ジルディウスの漆黒の翼が、ヒューの姿を隠す。
そして再び開いたとき、眼前には美しい景色が広がっていた。
透き通るような高い空、足許には緑の生い茂る大地。花が咲き乱れ、柔らかな風が頬をそっと撫でた。
「綺麗……。なんだ、ここ……」
「“世界の果て”だ」
「ここが……?」
「かつて、旧世界の神々が、様々な種族と戯れていた世界。その残滓が、この世界の果てだ」
「これが、旧神世界……」
体の奥で、ゼルナンドに時を凍らされていたミストが、僅かに身じろいだ。ヒューは腹の下をそっと撫でた。
「魔素が……同じだ」
遺された遺跡群と、同じ空気を感じた。
「ゼルナンドの霜が、時を停めていて良かった。ここにいると、その竜は一気に目覚めてしまいそうだ」
ジルディウスが気遣うように、ヒューの背を支えた。
「悪いが、俺はここまでしか呼ばれていない。一人で行って来てくれ」
淡々とした口調とは裏腹に、ジルディウスは名残惜しそうに、ヒューから手を離した。
「行くって、どこに?」
「もう辿り着いている」
答えたのは、ジルディウスではなかった。
彼のほうを振り返ったつもりだったのに、そこにもうジルはいなかった。
楽園のような景色も、消えていた。
「……神殿……?」
今まで見てきた旧神の遺跡と造りの似た、神殿のような建物内にいた。天井は吹き抜けで、豪奢な石の円柱が天を支えるように立ち並んでいる。
神殿の奥――今まで見たどんな竜よりも遥かに巨大な姿で、彼は寝そべっていた。
巨竜・ヴォルケリオン。
あまりにも大きな姿だった。身じろぎでもすれば、神殿は崩落してしまうだろう。
深い白銀に見える体は、よく見れば鱗が様々な色を反射していて、色合いが固定されていない。鱗や翼膜が静かな呼吸で蠢くたび、空気が歪むように色が流れる。
神の色でも、魔の色でもない。ただただ、神秘的だった。
「……ヴォルケリオン……えっと、初めまして……」
竜は少しだけ瞼を開いた。
声にならない声が、ヒューの頭に響いた。
「勇者の伴侶にして、世界の器……だが、その姿は、“夜の弟”の好みだな」
「ああ、これ……」
苦笑いで、ドレスの裾をつまむ。
かろうじて幅広のズボンは履いているが、ほぼ女装だ。考えてみたら、初対面でしていい格好ではない。
「さっきまで、仕事をしてたから……許してほしい」
「夜の妃として魔族を統べ、勇者の伴として世界を管理するか」
「いや、そんなこと考えてないけど……どんだけ強欲なんだって話……」
魔族も、人間も、より良い形で、世界に存在出来たらいいと思う。
そのために、やれる範囲で動いてきたつもりだった。
「……結果的に、二股かけてるかんじになってるけど……」
ヒューは呻くように呟いた。口にすると、その事実が重い。
認めたくなかったが、やっぱりこれ二股だよな……と、ついに受け入れてしまった。
ふ、と笑ったような音がした。
「……このままでは話しづらいな。もっと気軽に言葉を交わしたい」
その言葉の意味をヒューが理解するより先に、巨大竜の姿がふっと消えた。
「えっ? ヴォルケリオン?」
「ここだ」
いきなり消えたので驚いていると、すぐ近くで声がした。
つん、とドレスの裾を掴まれ、ヒューは目線を下に向けた。
幼い子供がいる。竜と同じ、白銀のような、それでいてすべての色を秘めたような、不思議な色合いの髪色と、質素なローブに身を包んでいる。
まだ言葉もおぼつかないような年の頃なのに、はっきりとした口調で告げた。
「我は、《天嶺公》ヴォルケリオン。魔皇ヴァルナオグと竜妃グラディウサの子にして、最後の竜王だ」
幼子はヒューを見上げ、愉しげに微笑んだ。
「疲れているところ悪いが、ヴォルケリオンに会う手筈が出来た」
「《天嶺公》?」
「魔王ヴァルナオグの最初の子――その母は、竜だ」
「竜……?」
「かつてのヴァルナオグは、性格は悪かったが、凶暴性はそこまででは無かった。四百年蓄積した魔瘴が、ヴァルナオグの性質を変えていった。とはいえ、元々利己的で性格は悪かったが――人間界侵攻するような馬鹿でもなかった」
「それが魔王の終末期か……」
そして、繰り返されてきた戦いの歴史だ。
終末期を迎えた魔王は、凶暴性を増す。
魔族は旧神に造られた種族であり、それゆえに現神から世界の隅へと追いやられ、魔王は瘴気の蓋となった。
魔瘴により魔王の力は増すが、永遠に噴き出る魔瘴を、いずれ受け止めきれなくなったとき、終末期を迎える。
終末期の魔王は、現神と、その子らである人間から、かつての世界を取り戻そうと殺戮に目覚めるのだ。
それを勇者が倒してきた。
決まりきった、この世界のシステムだ。
「かつてヴァルナオグは、すでにこの世には無い種族、竜人族の娘を愛した。その娘との子が、ヴォルケリオンだ」
「竜人族……」
「竜にも人にもなれた古き種族だ。が、繁殖力が弱かった。だから滅びた」
ヒューが無意識に腹に手を置くのを、ジルディウスの視線が追った。
「ヴォルケリオンなら、ミュルグレスのことを、俺よりは知っている。だがおそらく」
一拍間を置いて、ジルディウスは無感情に告げた。
「勇者は、すでにヴォルケリオンに会っている」
「アレクが?」
「ミュルグレスの役割を知っているなら、そうだろう。どんな文献にも残っていない。語り継がれてきただけの物語だからだ」
「ジルも、そいつから?」
「少しだがな……中々会える相手でもない。この俺でさえ」
「なんで?」
「役割の外にいる存在だからだ。現神は、竜を愛した。旧神が創造したものの中で、唯一、美しい生物として認めた。だから、竜はいまも自由に世界のどこでも羽ばたいている。地に生きるもの、空に生きるもの、人に使役されるもの――様々な形で」
「ヴォルケリオンは竜の子だから、役割の因果から外れている?」
「そのうえ魔王の子でもある。強大な力を持ち、世界に収まりきらないという点で、勇者やヴァルナオグと変わらん」
ジルディウスが、ヒューの腰を抱き寄せた。
「この体の中にいるミュルグレスもそうだ。だからお前もいま、世界の因果から半分は外れている……と、俺は思っている」
「役割の外にいると、ヴォルケリオンに会えるのか?」
「そのぐらいの存在でないと、会えないということだ。というか、会ってくれん」
ヴォルケリオンは竜人族の子で、ヴェルゼは妖精族の子だと言っていた。
ごく自然にわいた疑問を、ヒューは口にした。
「ジルのお母さんは、どんな種族だったんだ?」
「魔獣だ。俺の本性見ただろ?」
「あー……あれ好き」
アレクと戦ったときの姿を思い返す。
え? とジルディウスが目を見開いた。
「じゃあ、常時あの姿でいたほうがいいか?」
「それはジルが不便じゃない?」
「そうだな。話を逸らすな」
「ごめん」
「戻すぞ。これは……俺の考えに過ぎないが」
仮定であることを前置きして、告げる。
「魔王は、自然発生するわけではない。空位になれば、役割がスライドする。次に適正のある者へと」
「じゃあ、今は……」
「勇者だ。次に、魔王の血を引く魔公もあり得る。ヴォルケリオンはさっきの理由から外れる。ネメシアは、可能性があると言ってもいい。魔瘴蓄積の高い個体だからだ」
「ネメシアの次は、ジル?」
「かもしれん」
魔族のトップには向いていると思うが、さすがにジルに魔瘴の蓋にはなってほしくない。誰なら良いというわけではないが、彼がいつかヴァルナオグのように狂って勇者に倒される存在になるのは、嫌だった。
「次に――勇者に及ばないまでも、英雄の中から。神に愛されている聖女なども、例外ではない。現に、人間から魔王になった者も過去にはいるしな」
突き詰めるほど、《勇者》は使い回される役割だ。
神に選ばれてはいても、本当に愛されているなんて思えない。
「最善策は、ネメシアは倒さず、蓋とする。それが一番、今の世界には良いと俺は思う。人間にとっても」
「でも、元々残忍で、手に負えないんだろ? 魔王になったら、ますます強化されて、また人間と戦争が始まるんじゃないか?」
「魔王にはしない、ただ蓋にするだけだ」
「そんなこと……可能なのか?」
「分からんから、ヴォルケリオンに聞いてみたい」
魔王システムは、誰かの犠牲を必ず必要とする。
だが、世界は安定する。
――安定の名の下に。
旧神たちは、その蓋の下で、今も腐臭を放っている。
思い出すと、気分が悪くなってくる。
足許の裂け目から、巨大な目のようなものを幾つも見たような気がして、忘れたいのに、忘れられない。
「大丈夫か? ヒュー」
「……あ、ああ……」
蒼い顔でもしていたのか、ジルディウスが心配げに顔を覗き込んだ。
「大丈夫。続けて」
「ヴォルケリオンは、奴の承認が無ければ会えない。前に会ったとき、俺は魔族を率いることを決めたばかりだった。それが奴の興味に適ったんだろう。退屈を持て余しているから、世の中が面白そうなほうに動くと、関心を寄せる」
「気まぐれで、神っぽいな」
ヒューの言葉に、ジルディウスは頷いた。
「神に近いだろうな。おそらくお前を連れて行けば、会える」
「手筈って、それ?」
「そうだ。世界の端に赴く。暴風と雷鳴が絶えない場所だ。だがヴォルケリオンが一時的に道を開いてくれることがある。今がそうだ。お前を連れて来いと、奴が言っている」
ジルディウスの羽が広がり、そっとヒューごと包み込む。
――夜が落ちて来るような、心地好い感覚。
「世界最強の、竜の王が」
ジルディウスの言葉が遠くなる。
ヒューの視界が、ゆっくりと暗転した。
落ちているわけではない。
だが、浮いている感覚とも違う。
座標だけずらされているような。
気がつけば、風と雷の唸る場所にいた。
すぐ近くを雷光が走った。
「俺の羽の中から出るなよ」
ジルディウスの声はするが、目の前は暗いままだ。彼の腕の中できつく押し潰されて、出たくても出られない。
「ここは。“竜の通り道”だ。誰も辿りつけはしない世界の果てに、竜だけは渡ることを許されている。その領域に、ヴォルケリオンはいる」
話のレベルが、他の魔公とは違い過ぎる。理解の範疇をとっくに超えているし、世界の果てなんて、人が足を踏み入れる領域ではない。
「ジルの兄ちゃん……なんだよな?」
「格が違う」
あっさりとジルがそういうほどなのかと、ヒューは息を呑んだ。
「おい、音が煩い」
ジルディウスが声を通すと、暴風と雷鳴が止んだ。
「こっちは呼ばれて来ているんだぞ」
くすくすと笑うような声が近くで聴こえた。
「《巡風候》《断雷候》――ヴァルナオグの子だが、ヴォルケリオンの直属の臣下だ。力は上位魔公とひけを取らん」
吹き荒れる風と、鳴りやまない雷は、静かになった。
代わりに、可笑しそうに囁く声が辺りに反響した。
「ジルディウスが、お嫁さんを連れてきた」
「勇者のいない間に、勝手に手を出しちゃった」
「やかましい。お前たちとお喋りしたいわけじゃない」
「お嫁さんの顔、見せてくれたら、ヴァルケリオン様に会わせてやるよ」
「勇者のお嫁さん、見てみたい」
「……だそうだ」
「別にいいけど……」
苦々しげに、ジルディウスがそっと翼を開く。
誰もいない。
いないのに、はっきりと声だけが聴こえる。
「初めまして、ヒュー」
「俺の名前……言った?」
「風は、心のうちくらい簡単に見透かしてくる」
「ヴォルケリオン様は、こっちだよ」
ちかちかと目の前が白く弾けた。光が爆ぜたようだった。
「雷の光を、まともに見るな」
ジルディウスの漆黒の翼が、ヒューの姿を隠す。
そして再び開いたとき、眼前には美しい景色が広がっていた。
透き通るような高い空、足許には緑の生い茂る大地。花が咲き乱れ、柔らかな風が頬をそっと撫でた。
「綺麗……。なんだ、ここ……」
「“世界の果て”だ」
「ここが……?」
「かつて、旧世界の神々が、様々な種族と戯れていた世界。その残滓が、この世界の果てだ」
「これが、旧神世界……」
体の奥で、ゼルナンドに時を凍らされていたミストが、僅かに身じろいだ。ヒューは腹の下をそっと撫でた。
「魔素が……同じだ」
遺された遺跡群と、同じ空気を感じた。
「ゼルナンドの霜が、時を停めていて良かった。ここにいると、その竜は一気に目覚めてしまいそうだ」
ジルディウスが気遣うように、ヒューの背を支えた。
「悪いが、俺はここまでしか呼ばれていない。一人で行って来てくれ」
淡々とした口調とは裏腹に、ジルディウスは名残惜しそうに、ヒューから手を離した。
「行くって、どこに?」
「もう辿り着いている」
答えたのは、ジルディウスではなかった。
彼のほうを振り返ったつもりだったのに、そこにもうジルはいなかった。
楽園のような景色も、消えていた。
「……神殿……?」
今まで見てきた旧神の遺跡と造りの似た、神殿のような建物内にいた。天井は吹き抜けで、豪奢な石の円柱が天を支えるように立ち並んでいる。
神殿の奥――今まで見たどんな竜よりも遥かに巨大な姿で、彼は寝そべっていた。
巨竜・ヴォルケリオン。
あまりにも大きな姿だった。身じろぎでもすれば、神殿は崩落してしまうだろう。
深い白銀に見える体は、よく見れば鱗が様々な色を反射していて、色合いが固定されていない。鱗や翼膜が静かな呼吸で蠢くたび、空気が歪むように色が流れる。
神の色でも、魔の色でもない。ただただ、神秘的だった。
「……ヴォルケリオン……えっと、初めまして……」
竜は少しだけ瞼を開いた。
声にならない声が、ヒューの頭に響いた。
「勇者の伴侶にして、世界の器……だが、その姿は、“夜の弟”の好みだな」
「ああ、これ……」
苦笑いで、ドレスの裾をつまむ。
かろうじて幅広のズボンは履いているが、ほぼ女装だ。考えてみたら、初対面でしていい格好ではない。
「さっきまで、仕事をしてたから……許してほしい」
「夜の妃として魔族を統べ、勇者の伴として世界を管理するか」
「いや、そんなこと考えてないけど……どんだけ強欲なんだって話……」
魔族も、人間も、より良い形で、世界に存在出来たらいいと思う。
そのために、やれる範囲で動いてきたつもりだった。
「……結果的に、二股かけてるかんじになってるけど……」
ヒューは呻くように呟いた。口にすると、その事実が重い。
認めたくなかったが、やっぱりこれ二股だよな……と、ついに受け入れてしまった。
ふ、と笑ったような音がした。
「……このままでは話しづらいな。もっと気軽に言葉を交わしたい」
その言葉の意味をヒューが理解するより先に、巨大竜の姿がふっと消えた。
「えっ? ヴォルケリオン?」
「ここだ」
いきなり消えたので驚いていると、すぐ近くで声がした。
つん、とドレスの裾を掴まれ、ヒューは目線を下に向けた。
幼い子供がいる。竜と同じ、白銀のような、それでいてすべての色を秘めたような、不思議な色合いの髪色と、質素なローブに身を包んでいる。
まだ言葉もおぼつかないような年の頃なのに、はっきりとした口調で告げた。
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