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【50】継承
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神殿に残った静けさの中で、ジルディウスは視線を落とした。
そこにあったのは、ちんまりとした幼児の頭だ。
「その姿……なんなんだ? ヴォルケリオン」
ああ、とヴォルケリオンは引きずっているローブの裾を掴んだ。
「見せたことがなかったな。我の成長を人間に換算した姿だ」
「これからも物凄く生きるじゃないか……」
「お主ら弟妹全員看取れるだろうの。して、お主はガイアデイラを掌握出来そうか?」
「まだ始めたばかりなんだが……」
永劫を生きるくせに、何故今だけを急かすのか。ジルディウスは眉をしかめた。
「ネメシアが活動期に入ったからな。まずは奴を片付けなくてはならん。そこで兄上に訊きたいことがある」
「訊きたいことがあるときだけ、兄呼びしおる」
「ネメシアを魔王にせず、瘴気の蓋にしたいんだが」
「あやつも一応、姉だがな」
「さすがにあいつを姉と思ったことはない」
兄だ弟だと形式上は呼んでみても、実際彼らに血を分けたという概念は薄い。
障害になるなら排除する。それが魔族の習わしだ。
「……だが、人間と交わっていくうちに、いずれそうではなくなるだろう」
ジルディウスは、腕の中で眠るヒューを見つめ、誰にともなくぽつりと呟いた。
ヴォルケリオンはそんな弟を一瞥したが、それには答えず、言った。
「ネメシアに魔王の座は渡したくない、だが膨大な瘴気は引き受けてほしい、か。たしかにヴァルナオグが倒れ、魔公も半分が空席になった。残った者だけで引き受けられない魔瘴は、ガイアデイラだけではなく、いずれ世界のすべてを覆うであろう」
それを憂うでも嘆くでもなく、ヴォルケリオンは淡々としている。
あくまで《観測者》なのだ。
「それが終末だ。旧世界が滅びたように、この世界も滅びるときがくる。それがたまたま、今だというだけだ」
世界が滅びようとも、世界の理から外れたこの竜は、悠久の時を生きる。そしてまた新しい世界を見つめる。
人も魔族も神も、彼は憎みも嫌いもしない。
すべての生物に好意的ですらある。
だがそれは、超然たるものの目線だ。
箱庭の中で飼われる小さな生物を愛でているだけなのだ。
「俺が魔王になったとて、終末が数百年ずれるだけだ。このシステムのままでは、堂々巡りでしかない。魔王はガイアデイラを統べるが、蓋は別にあるべきだ」
「魔王はお主、ネメシアは蓋に、というわけか。都合の良い、たしかに夢見がちではある」
アレックスの言葉を借り、可笑しそうにヴォルケリオンは顔を緩めた。
「だがその甘ったれた純粋さが、お主の可愛いところよ。どれ、我もその妃に祝福をくれてやるか。――目醒めたときにでもな」
「はぐらかすな。俺の問いに答えてくれ……兄上」
「甘え上手め。ネメシアでは、蓋にならん」
「何故だ。魔王にはなり得る器だぞ」
「魔王は、正確には蓋ではない。蓋が無いからこそ、瘴気を引き受ける、代替装置だ。ネメシアは魔王にはなり得る――が、瘴気を丸ごと受け入れる器ではない」
何も可笑しくないのに、面白げに語る。
「あやつでは瘴気を内に溜めるどころか、世界に向かって吐き出すだろうよ。世界のほうが息を止める」
そして、ジルディウスに近づくと、見上げて目を細めた。
「世界の犠牲となるべきは、いつだって気高く美しいものだ。旧世界の神々がそうであったようにな」
その目が自分ではないものを見ていると気づき、ジルディウスは顔をしかめ、腕の中のヒューを硬く抱き締めた。
「……いたい……」
ぼそっと、ヒューが小さな声を漏らした。
「目覚めたのか」
ぱっとジルディウスの表情が明るくなる。
思わず抱き締めるジルディウスに、ヒューは呻きながら訴えた。
「ぎゅうぎゅう締めないでくれ……体めっちゃ痛くて……」
「まあ、世界竜が出たり入ったり、無理に刃を抜かれたりすればな」
ヴォルケリオンが労わるように言った。
「そやつの腕をベッドだと思ってくつろぐと良い」
「なんなら一生抱いていてやるぞ」
「下ろして……」
はあ、と息をつき、ヒューはそう言ったものの、とても立っていられそうにない。ジルディウスも下ろしてくれなかった。
腹に手を当てると、はっきりと脈動がした。
「……ミスト、還ってきちゃったんだな……」
前よりも、存在感が大きくなり、確かにそこにいると感じる。ヒューが手のひらを当てると、身をすり寄せてくるような感覚すらある。
「お主のことが心配なのだろう。魔毒のこともあるしの」
ヒューは癖で腹を撫でたが、今はこの身の隅々にまで、ミストの――世界竜の存在を感じる。
以前から、懐かれているような感覚はあったが、今ははっきりと、自分がこの存在に愛されているのだと分かるのだ。
「……こいつ、俺の寿命までに、出てくる?」
「どうだろうの。だがもう、以前のような赤子ではない。一部は勇者に持って行かれたが、些末なことだ」
「……ありがとう、ヴォルケリオン」
ヒューはジルディウスの腕の中で、少し体を起こし、幼い姿の竜王に礼を言った。
「礼を言うのはこちらだよ」
ヴォルケリオンが微笑んだ。
「もはや受け継ぐ者もおらんと思っていた我の記憶を、継承することが出来た。まだ赤子だが、なかなかよく育っておったな」
もうそこだけに留まっていないと分かっていても、無意識に腹を撫でてしまう。
「刃を引き抜かれたお主の、苦しむ様を見て、自ら戻りおった。優しい母たちに育てられてきたのだろうな」
サリオンの森で、ヒューに卵を託した泥竜の優しい眼差しを思い出した。ミストがどんな竜たちを渡り歩いてきたかは知らないし、その仮母たちがどんな想いでミストを託してきたのかも知らないが、大切に受け継がれてきたということは、痛いほど伝わる。
「今までの母や、お主と、旅してきた記憶――旧神たちの遺跡で得た記憶――そして我が垣間見せた世界の記憶――勇者からお主を通して得た、女神の記憶も――」
ヴォルケリオンの体が光を帯び、その光が膨らんでいく。眩しさに目を細めたのち、ヴォルケリオンは元の巨大な白銀の竜に戻っていた。
「すべて、そやつに受け継がれている。“竜”は正しく、世界を見ている――」
神々しいほどの姿に、ヒューは微笑んで頷いた。
「ああ。もう少し、こいつと生きてみるよ」
ヴォルケリオンは答える代わりに、少し目を細めた。
「しかしあいつ……ヒューを助けに来たのか、苦しめに来たのか、さっぱり分からん」
ジルディウスが苦々しげに吐き捨てる。
「アレクはいつもそうだよ。もう慣れた。離れてからは、会うたびにろくなことしていかない……」
ゆっくりと呼吸をしながら、ヒューはアレクの手のひらの感触を思い出した。苦しく喘ぐ中、呼吸の仕方を教えてくれた、あの手の優しさや、熱を、またしばらく忘れないだろう。
それでじゅうぶん、俺たちは繋がってる。
「……アレクは、ちゃんと戦ってる。剣で女神を斬ったって、何も変わらない……そのことを、アレクならちゃんと分かると思う」
「あのアホ勇者が?」
ジルディウスが信じがたいように言った。
「頭は悪いかもしれないけど、勘みたいなのはすごいんだよ」
「勘と力だけで戦いやがって……」
「ジルも、ありがとな。心配して来てくれた?」
「勇者の気配がしたから……」
ヒューが見上げると、ジルディウスは少し気まずそうに目線を逸らした。
「ちょっと無理して転移してきたから、しばらく帰れんかもしれん……」
「えっ」
「我が送ってやる」
巨体をかすかに身じろがせ、ヴォルケリオンの声が、低く響いた。
「――ヒューよ、我から夜冠公妃への贈り物をしよう。なんでも言ってみよ」
「もう、じゅうぶん助けてもらったよ。色んな話をしてくれて、ミストも成長したみたいだし……」
物や力がいくらあっても、望みが叶うわけではない。
世界会議で王たちがぶつかったように、魔境線での小さな商いのように、そこで生きるものが考え、争うことがあっても、互いを尊重し、手を取り合わなければ、安寧なんて訪れない。
それは、勇者が一人ぼっちで戦うこととも、違うのだろう。
アレクから逃げ出した俺の背を、エルドが押した理由が、少し分かった。勇者の伴ではなく、ヒュー自身が世界と向き合わないと、アレクとも向き合えないからだ。
「ヴォルケリオン……世界に縛られない、竜の王様……もし……次にあんたを頼る者がきたら、そいつを助けてやってよ。俺はもういいからさ」
「約束しよう」
ヴォルケリオンは静かに頷くと、立ち上がった。巨大な翼が広がり、神殿が崩落すると身構えたが、そこにもう建物はなかった。
風が唸り、雷が轟き、ジルディウスがヒューの体を咄嗟に自身の翼に収めた。
暴風と雷鳴に紛れ、風と雷がくすくすと笑う声が響いた。
「さあ、世界に返してやろう」
何重にも反響する声が、世界の果てにこだました。
そして、かすかに、耳許で幼い声をヒューは聴いた。
「――久々に愉しかった。またおいで」
気がつくと、《夜冠公領》のジルディウスの居城の廊下だった。
ひやりと冷たい石の城の空気に懐かしさすら覚える。耳の奥ではまだ、風と雷の音が耳鳴りのように残っている。
《世界の果て》から遠のいたのに、その余韻はたしかにあって、ヒューはまた腹の上を手のひらで探った。
「……戻った……んだよな……?」
「そのようだな」
ヒューが呟くと、ジルディウスが一度翼を大きく広げ、静かに畳んだ。
「さすがに疲れただろう。すぐに寝る支度をしよう」
「あ、市場での報告しようかと思ってたんだけど……」
そんな話もそこそこに、ヴォルケリオンのところへ連れて行かれたのだった。
「さすがに今日はもう休め」
ジルディウスはヒューを抱えたまま、厳しい声で告げた。
「……あの、もう下ろして大丈夫だよ。ごめんな、いつもジルには頼ってばっかりで」
「助けているつもりはない。夫として当然だ」
「ジル、あのさ」
「俺は生半可な覚悟で、二番目でいいと言っているわけではないからな」
ヒューの言葉を遮り、ジルディウスはふんと鼻を鳴らした。
「俺に託すとは、あのアホも中々見る目を養ったようだな」
「託す?」
アレクとジルのやり取りなど知らないヒューは、かすかに首を傾げた。
「ヒューが気にする話じゃない」
「その言い方は、気になるやつなんだけど……」
「――ジルディウス様、ヒュー様!」
聞き覚えのある声に、ヒューは顔を上げ、ジルディウスも振り返った。
貴公子と見紛わんばかりの青年が、足早に近づいてくる。
「ヴェルゼ!」
ずいぶん懐かしく感じる。ヒューは顔を綻ばせた。
ヴェルゼのほうも、目を潤ませて再会を喜んでくれた。
「ああ、ヒュー様、ずいぶんお会いしていなかった気分です……!」
「会議の後、急にいなくなってごめんな。元気だった? 人間が多いところにいて、大丈夫か?」
「ええ、まあ一応、見知った御方が傍にいてくれてますので……」
「誰? リオネル?」
「後ほどご紹介しますね」
ヴェルゼは小さく微笑み、すぐに表情を厳しく変えた。
「――ジルディウス様」
膝をつき、ヴェルゼが深々と頭を下げる。
「ご報告申し上げます。魔境線にて、カルドヴェイン帝国の駐屯地が壊滅しました」
ヴェルゼの声が、かすかに震えている。その震えが、静かな廊下に響いた。
「――《血月公》……ネメシア様が、現れました」
そこにあったのは、ちんまりとした幼児の頭だ。
「その姿……なんなんだ? ヴォルケリオン」
ああ、とヴォルケリオンは引きずっているローブの裾を掴んだ。
「見せたことがなかったな。我の成長を人間に換算した姿だ」
「これからも物凄く生きるじゃないか……」
「お主ら弟妹全員看取れるだろうの。して、お主はガイアデイラを掌握出来そうか?」
「まだ始めたばかりなんだが……」
永劫を生きるくせに、何故今だけを急かすのか。ジルディウスは眉をしかめた。
「ネメシアが活動期に入ったからな。まずは奴を片付けなくてはならん。そこで兄上に訊きたいことがある」
「訊きたいことがあるときだけ、兄呼びしおる」
「ネメシアを魔王にせず、瘴気の蓋にしたいんだが」
「あやつも一応、姉だがな」
「さすがにあいつを姉と思ったことはない」
兄だ弟だと形式上は呼んでみても、実際彼らに血を分けたという概念は薄い。
障害になるなら排除する。それが魔族の習わしだ。
「……だが、人間と交わっていくうちに、いずれそうではなくなるだろう」
ジルディウスは、腕の中で眠るヒューを見つめ、誰にともなくぽつりと呟いた。
ヴォルケリオンはそんな弟を一瞥したが、それには答えず、言った。
「ネメシアに魔王の座は渡したくない、だが膨大な瘴気は引き受けてほしい、か。たしかにヴァルナオグが倒れ、魔公も半分が空席になった。残った者だけで引き受けられない魔瘴は、ガイアデイラだけではなく、いずれ世界のすべてを覆うであろう」
それを憂うでも嘆くでもなく、ヴォルケリオンは淡々としている。
あくまで《観測者》なのだ。
「それが終末だ。旧世界が滅びたように、この世界も滅びるときがくる。それがたまたま、今だというだけだ」
世界が滅びようとも、世界の理から外れたこの竜は、悠久の時を生きる。そしてまた新しい世界を見つめる。
人も魔族も神も、彼は憎みも嫌いもしない。
すべての生物に好意的ですらある。
だがそれは、超然たるものの目線だ。
箱庭の中で飼われる小さな生物を愛でているだけなのだ。
「俺が魔王になったとて、終末が数百年ずれるだけだ。このシステムのままでは、堂々巡りでしかない。魔王はガイアデイラを統べるが、蓋は別にあるべきだ」
「魔王はお主、ネメシアは蓋に、というわけか。都合の良い、たしかに夢見がちではある」
アレックスの言葉を借り、可笑しそうにヴォルケリオンは顔を緩めた。
「だがその甘ったれた純粋さが、お主の可愛いところよ。どれ、我もその妃に祝福をくれてやるか。――目醒めたときにでもな」
「はぐらかすな。俺の問いに答えてくれ……兄上」
「甘え上手め。ネメシアでは、蓋にならん」
「何故だ。魔王にはなり得る器だぞ」
「魔王は、正確には蓋ではない。蓋が無いからこそ、瘴気を引き受ける、代替装置だ。ネメシアは魔王にはなり得る――が、瘴気を丸ごと受け入れる器ではない」
何も可笑しくないのに、面白げに語る。
「あやつでは瘴気を内に溜めるどころか、世界に向かって吐き出すだろうよ。世界のほうが息を止める」
そして、ジルディウスに近づくと、見上げて目を細めた。
「世界の犠牲となるべきは、いつだって気高く美しいものだ。旧世界の神々がそうであったようにな」
その目が自分ではないものを見ていると気づき、ジルディウスは顔をしかめ、腕の中のヒューを硬く抱き締めた。
「……いたい……」
ぼそっと、ヒューが小さな声を漏らした。
「目覚めたのか」
ぱっとジルディウスの表情が明るくなる。
思わず抱き締めるジルディウスに、ヒューは呻きながら訴えた。
「ぎゅうぎゅう締めないでくれ……体めっちゃ痛くて……」
「まあ、世界竜が出たり入ったり、無理に刃を抜かれたりすればな」
ヴォルケリオンが労わるように言った。
「そやつの腕をベッドだと思ってくつろぐと良い」
「なんなら一生抱いていてやるぞ」
「下ろして……」
はあ、と息をつき、ヒューはそう言ったものの、とても立っていられそうにない。ジルディウスも下ろしてくれなかった。
腹に手を当てると、はっきりと脈動がした。
「……ミスト、還ってきちゃったんだな……」
前よりも、存在感が大きくなり、確かにそこにいると感じる。ヒューが手のひらを当てると、身をすり寄せてくるような感覚すらある。
「お主のことが心配なのだろう。魔毒のこともあるしの」
ヒューは癖で腹を撫でたが、今はこの身の隅々にまで、ミストの――世界竜の存在を感じる。
以前から、懐かれているような感覚はあったが、今ははっきりと、自分がこの存在に愛されているのだと分かるのだ。
「……こいつ、俺の寿命までに、出てくる?」
「どうだろうの。だがもう、以前のような赤子ではない。一部は勇者に持って行かれたが、些末なことだ」
「……ありがとう、ヴォルケリオン」
ヒューはジルディウスの腕の中で、少し体を起こし、幼い姿の竜王に礼を言った。
「礼を言うのはこちらだよ」
ヴォルケリオンが微笑んだ。
「もはや受け継ぐ者もおらんと思っていた我の記憶を、継承することが出来た。まだ赤子だが、なかなかよく育っておったな」
もうそこだけに留まっていないと分かっていても、無意識に腹を撫でてしまう。
「刃を引き抜かれたお主の、苦しむ様を見て、自ら戻りおった。優しい母たちに育てられてきたのだろうな」
サリオンの森で、ヒューに卵を託した泥竜の優しい眼差しを思い出した。ミストがどんな竜たちを渡り歩いてきたかは知らないし、その仮母たちがどんな想いでミストを託してきたのかも知らないが、大切に受け継がれてきたということは、痛いほど伝わる。
「今までの母や、お主と、旅してきた記憶――旧神たちの遺跡で得た記憶――そして我が垣間見せた世界の記憶――勇者からお主を通して得た、女神の記憶も――」
ヴォルケリオンの体が光を帯び、その光が膨らんでいく。眩しさに目を細めたのち、ヴォルケリオンは元の巨大な白銀の竜に戻っていた。
「すべて、そやつに受け継がれている。“竜”は正しく、世界を見ている――」
神々しいほどの姿に、ヒューは微笑んで頷いた。
「ああ。もう少し、こいつと生きてみるよ」
ヴォルケリオンは答える代わりに、少し目を細めた。
「しかしあいつ……ヒューを助けに来たのか、苦しめに来たのか、さっぱり分からん」
ジルディウスが苦々しげに吐き捨てる。
「アレクはいつもそうだよ。もう慣れた。離れてからは、会うたびにろくなことしていかない……」
ゆっくりと呼吸をしながら、ヒューはアレクの手のひらの感触を思い出した。苦しく喘ぐ中、呼吸の仕方を教えてくれた、あの手の優しさや、熱を、またしばらく忘れないだろう。
それでじゅうぶん、俺たちは繋がってる。
「……アレクは、ちゃんと戦ってる。剣で女神を斬ったって、何も変わらない……そのことを、アレクならちゃんと分かると思う」
「あのアホ勇者が?」
ジルディウスが信じがたいように言った。
「頭は悪いかもしれないけど、勘みたいなのはすごいんだよ」
「勘と力だけで戦いやがって……」
「ジルも、ありがとな。心配して来てくれた?」
「勇者の気配がしたから……」
ヒューが見上げると、ジルディウスは少し気まずそうに目線を逸らした。
「ちょっと無理して転移してきたから、しばらく帰れんかもしれん……」
「えっ」
「我が送ってやる」
巨体をかすかに身じろがせ、ヴォルケリオンの声が、低く響いた。
「――ヒューよ、我から夜冠公妃への贈り物をしよう。なんでも言ってみよ」
「もう、じゅうぶん助けてもらったよ。色んな話をしてくれて、ミストも成長したみたいだし……」
物や力がいくらあっても、望みが叶うわけではない。
世界会議で王たちがぶつかったように、魔境線での小さな商いのように、そこで生きるものが考え、争うことがあっても、互いを尊重し、手を取り合わなければ、安寧なんて訪れない。
それは、勇者が一人ぼっちで戦うこととも、違うのだろう。
アレクから逃げ出した俺の背を、エルドが押した理由が、少し分かった。勇者の伴ではなく、ヒュー自身が世界と向き合わないと、アレクとも向き合えないからだ。
「ヴォルケリオン……世界に縛られない、竜の王様……もし……次にあんたを頼る者がきたら、そいつを助けてやってよ。俺はもういいからさ」
「約束しよう」
ヴォルケリオンは静かに頷くと、立ち上がった。巨大な翼が広がり、神殿が崩落すると身構えたが、そこにもう建物はなかった。
風が唸り、雷が轟き、ジルディウスがヒューの体を咄嗟に自身の翼に収めた。
暴風と雷鳴に紛れ、風と雷がくすくすと笑う声が響いた。
「さあ、世界に返してやろう」
何重にも反響する声が、世界の果てにこだました。
そして、かすかに、耳許で幼い声をヒューは聴いた。
「――久々に愉しかった。またおいで」
気がつくと、《夜冠公領》のジルディウスの居城の廊下だった。
ひやりと冷たい石の城の空気に懐かしさすら覚える。耳の奥ではまだ、風と雷の音が耳鳴りのように残っている。
《世界の果て》から遠のいたのに、その余韻はたしかにあって、ヒューはまた腹の上を手のひらで探った。
「……戻った……んだよな……?」
「そのようだな」
ヒューが呟くと、ジルディウスが一度翼を大きく広げ、静かに畳んだ。
「さすがに疲れただろう。すぐに寝る支度をしよう」
「あ、市場での報告しようかと思ってたんだけど……」
そんな話もそこそこに、ヴォルケリオンのところへ連れて行かれたのだった。
「さすがに今日はもう休め」
ジルディウスはヒューを抱えたまま、厳しい声で告げた。
「……あの、もう下ろして大丈夫だよ。ごめんな、いつもジルには頼ってばっかりで」
「助けているつもりはない。夫として当然だ」
「ジル、あのさ」
「俺は生半可な覚悟で、二番目でいいと言っているわけではないからな」
ヒューの言葉を遮り、ジルディウスはふんと鼻を鳴らした。
「俺に託すとは、あのアホも中々見る目を養ったようだな」
「託す?」
アレクとジルのやり取りなど知らないヒューは、かすかに首を傾げた。
「ヒューが気にする話じゃない」
「その言い方は、気になるやつなんだけど……」
「――ジルディウス様、ヒュー様!」
聞き覚えのある声に、ヒューは顔を上げ、ジルディウスも振り返った。
貴公子と見紛わんばかりの青年が、足早に近づいてくる。
「ヴェルゼ!」
ずいぶん懐かしく感じる。ヒューは顔を綻ばせた。
ヴェルゼのほうも、目を潤ませて再会を喜んでくれた。
「ああ、ヒュー様、ずいぶんお会いしていなかった気分です……!」
「会議の後、急にいなくなってごめんな。元気だった? 人間が多いところにいて、大丈夫か?」
「ええ、まあ一応、見知った御方が傍にいてくれてますので……」
「誰? リオネル?」
「後ほどご紹介しますね」
ヴェルゼは小さく微笑み、すぐに表情を厳しく変えた。
「――ジルディウス様」
膝をつき、ヴェルゼが深々と頭を下げる。
「ご報告申し上げます。魔境線にて、カルドヴェイン帝国の駐屯地が壊滅しました」
ヴェルゼの声が、かすかに震えている。その震えが、静かな廊下に響いた。
「――《血月公》……ネメシア様が、現れました」
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