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動き出した馬車でベティがスカートを握りながら言う。
「どうしてリリー様がローゼのためにわざわざ…」
「ベティ。私はね、ローゼがベティの言うような悪女とはどうしても思えないのよ」
「どうしてですか?」
「公爵家に来たばかりの頃のあの子、まだ十にもならない子供なのに眼に光がなかったのよ」
自分より三歳も歳下の、暗い眼をした女の子。所在なさ気に小さな身体を縮こませていた女の子。夜、大人数の使用人部屋の隅のベッドで丸まって震えていた女の子。
「…そうでしたね」
ベティも当時を思い出して頷く。
ローゼが初めてリリーに笑顔を見せた時、少し口角を上げただけの控えめな笑顔だったけど、とてもかわいくて、リリーは嬉しく思った。
段々と打ち解けて沢山笑顔を見せてくれるようになったローゼ。リリーはローゼを妹のようにかわいく思っていたのだ。
「あの子が、男性を弄ぶような子に育つかしら?」
「…でも!本人にそのつもりがなくても無意識に男性を翻弄する性質なのかも知れないじゃないですか」
「ベティ?」
「だって…あれ程ローゼを疎んでいたクリス様までが…」
ベティの眼に涙が浮かぶ。
「ベティ、もしかしてクリスを…?」
リリーの言葉にハッとしたベティは勢い良く首を横に振った。
「いえ!いいえ。クリス様は、私にとってかわいい弟のような存在で…」
「嘘おっしゃい」
ベティはスカートをますます強く握る。
「…私はただ、見ているだけで…クリス様は幼なじみのエレノア様と結ばれてくださればそれで良かったんです。それなのに…」
ベティは両手で顔を覆って泣き出した。
-----
ゆらゆらと、青、紺、朱、黄、白と複雑な模様に光る水面が遠くに見えた。
…ああ、死ぬんだ。私。
幼い頃から身の周りには何でもあった。
自分専用の部屋、自分専用のテレビ、自分専用のパソコン。
服も靴もたくさん。携帯電話もスマホも随分早くから与えられた。欲しい物は何でも手に入った。
愛情以外は。
父からも母からも疎まれているのを感じていた。
「お前ができてなきゃあんなのと結婚なんてしてないのに」
父はそう言う。
「名家なんて中に入ってみれば堅苦しくて息苦しいだけね。お前がいなきゃすぐにでも出て行ってやるのに」
母はそう言う。
誰も私に構わなかった。
父は仕事仕事と言い、夜遅くまで家に戻らない。母は社交や習い事に忙しい。使用人が居るような大きな家で、誰とも会話をしない日さえあった。
まともな会話もない家庭で唯一許された我儘は「物」が欲しいと言う事。「欲しい」と言えば何でも買い与えられた。
同級生とは話が合わず、友達もいなかった私は学校と塾以外ではずっとゲームをしていた。友情、愛情、争闘、衝突、和解、色々な感情をゲームで体験した気持ちになった。
子供ながらも恋愛シミュレーションゲームに嵌る。ヒロインのように誰からも愛される人生を歩んでみたかった、と思う。
中学を卒業する頃、父と母が離婚する事になった。
父の愛人に男の子が生まれたから、らしい。
「……を連れて行け」
「嫌よ!子供なんて足枷にしかならないわ!」
「下品な母親の娘など置いておいても政略結婚の駒にもできん。見た目は良くてもあんな辛気臭い姉では弟の教育にも悪いだろ」
「はっ!弟!愛人の息子の癖に。どっちが下品なのよ!」
一応、私には聞こえないように交わされた夜中の言い争い。
広い家なのに微かに聞こえる父と母のどちらもが私を「いらない」と言う声。耳を塞いでゲームに没頭した。
母と共に生まれ育った家を出た日、母の車で海に連れて行かれた。
「結婚前にお父さんと来たのよ」
感傷に浸っている様子の母。
二人で埠頭を船を見ながら歩く。もうすぐ日が暮れる。
突然、背中に衝撃を感じて身体が宙に浮く。
海に落ちた。
洋服が邪魔で上手く水面に出られない。
私、死ぬんだ。ここで。
母に、突き落とされて。
「十八までの養育費より保険金よ」
薄れる意識の中、聞こえない筈の母の呟きが聞こえた気がした。
お父さん、お母さん、私はそんなにもいらない子だったの?
動き出した馬車でベティがスカートを握りながら言う。
「どうしてリリー様がローゼのためにわざわざ…」
「ベティ。私はね、ローゼがベティの言うような悪女とはどうしても思えないのよ」
「どうしてですか?」
「公爵家に来たばかりの頃のあの子、まだ十にもならない子供なのに眼に光がなかったのよ」
自分より三歳も歳下の、暗い眼をした女の子。所在なさ気に小さな身体を縮こませていた女の子。夜、大人数の使用人部屋の隅のベッドで丸まって震えていた女の子。
「…そうでしたね」
ベティも当時を思い出して頷く。
ローゼが初めてリリーに笑顔を見せた時、少し口角を上げただけの控えめな笑顔だったけど、とてもかわいくて、リリーは嬉しく思った。
段々と打ち解けて沢山笑顔を見せてくれるようになったローゼ。リリーはローゼを妹のようにかわいく思っていたのだ。
「あの子が、男性を弄ぶような子に育つかしら?」
「…でも!本人にそのつもりがなくても無意識に男性を翻弄する性質なのかも知れないじゃないですか」
「ベティ?」
「だって…あれ程ローゼを疎んでいたクリス様までが…」
ベティの眼に涙が浮かぶ。
「ベティ、もしかしてクリスを…?」
リリーの言葉にハッとしたベティは勢い良く首を横に振った。
「いえ!いいえ。クリス様は、私にとってかわいい弟のような存在で…」
「嘘おっしゃい」
ベティはスカートをますます強く握る。
「…私はただ、見ているだけで…クリス様は幼なじみのエレノア様と結ばれてくださればそれで良かったんです。それなのに…」
ベティは両手で顔を覆って泣き出した。
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ゆらゆらと、青、紺、朱、黄、白と複雑な模様に光る水面が遠くに見えた。
…ああ、死ぬんだ。私。
幼い頃から身の周りには何でもあった。
自分専用の部屋、自分専用のテレビ、自分専用のパソコン。
服も靴もたくさん。携帯電話もスマホも随分早くから与えられた。欲しい物は何でも手に入った。
愛情以外は。
父からも母からも疎まれているのを感じていた。
「お前ができてなきゃあんなのと結婚なんてしてないのに」
父はそう言う。
「名家なんて中に入ってみれば堅苦しくて息苦しいだけね。お前がいなきゃすぐにでも出て行ってやるのに」
母はそう言う。
誰も私に構わなかった。
父は仕事仕事と言い、夜遅くまで家に戻らない。母は社交や習い事に忙しい。使用人が居るような大きな家で、誰とも会話をしない日さえあった。
まともな会話もない家庭で唯一許された我儘は「物」が欲しいと言う事。「欲しい」と言えば何でも買い与えられた。
同級生とは話が合わず、友達もいなかった私は学校と塾以外ではずっとゲームをしていた。友情、愛情、争闘、衝突、和解、色々な感情をゲームで体験した気持ちになった。
子供ながらも恋愛シミュレーションゲームに嵌る。ヒロインのように誰からも愛される人生を歩んでみたかった、と思う。
中学を卒業する頃、父と母が離婚する事になった。
父の愛人に男の子が生まれたから、らしい。
「……を連れて行け」
「嫌よ!子供なんて足枷にしかならないわ!」
「下品な母親の娘など置いておいても政略結婚の駒にもできん。見た目は良くてもあんな辛気臭い姉では弟の教育にも悪いだろ」
「はっ!弟!愛人の息子の癖に。どっちが下品なのよ!」
一応、私には聞こえないように交わされた夜中の言い争い。
広い家なのに微かに聞こえる父と母のどちらもが私を「いらない」と言う声。耳を塞いでゲームに没頭した。
母と共に生まれ育った家を出た日、母の車で海に連れて行かれた。
「結婚前にお父さんと来たのよ」
感傷に浸っている様子の母。
二人で埠頭を船を見ながら歩く。もうすぐ日が暮れる。
突然、背中に衝撃を感じて身体が宙に浮く。
海に落ちた。
洋服が邪魔で上手く水面に出られない。
私、死ぬんだ。ここで。
母に、突き落とされて。
「十八までの養育費より保険金よ」
薄れる意識の中、聞こえない筈の母の呟きが聞こえた気がした。
お父さん、お母さん、私はそんなにもいらない子だったの?
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