婚約者が記憶喪失になりました。

ねーさん

文字の大きさ
11 / 25

10

しおりを挟む
10

 夏期休暇ってこんなに長かったかしら。
 街を歩きながらセシリアは思う。
 ディナやクラリッサが遊びに来てくれたり、ショッピング、観劇、読書、手芸、お菓子作り…色々やった気がするのに、二か月ある夏期休暇のまだ半分も過ぎてないわ。
 去年はシルとの婚約話があって、挨拶とかでお互いの家を行き来したり、書類を作ったり、もちろんデートもしたし、とにかくシルとほぼ一緒だったな…
 その前の年はまだシルとお付き合いしてなかったから、教会のバザーに参加したり、ディナの家の別荘へ招待されたり、ディナをうちの領地へ招待したりしたんだわ。
 今年は…そろそろ結婚の準備を始める筈だった。
 まあシルの記憶喪失がなかったとしても、あんな大怪我をして、今も自宅療養とリハビリをしてるんだから結婚の準備どころじゃないけど。
「…結婚…できるのかな…」
 ボソリと呟くと、セシリアの背中に冷たいものが走った。
 今のシルは私を好きじゃないどころか多分私の存在自体に困惑してる。ううんもしかしたら「知らない婚約者」なんて迷惑で…疎ましいのかも。

 セシリアの目に、丘の上の大きな木が映る。
 無意識に「いつもの場所」に来ていた。
 芝生を踏みながら大きな木に近付いて、根本に座る。いつものように。
 …隣にシルがいない。
 シルと付き合う前にはこうしてここに座って景色を眺めたり、本を読んだり、一人でも、楽しく過ごしていたのに。
「シル…」
 膝枕をして、頭を撫でて、あの銀色のサラサラした髪を指で漉きたい。
 優しい眼で私を見て、名前を呼んで欲しい。
「シル……寂しいよ……」
 俯いたセシリアの手の甲に涙がポトリと落ちた。

「セシリア嬢」
 遠くから声が聞こえて、セシリアは慌てて手の甲で目を擦る。
 声の方へ視線を向けると、近付いて来るアルヴェルの姿が見えた。
「殿下?」
 アルヴェルの後ろにはシルベスト。
 二人はシンプルなシャツにベスト、綿のボトムの庶民的な姿。アルヴェルはキャスケット型の帽子で髪を隠しているので王子の身分を隠したお忍びの外出のようだ。
 シルベストは杖もつかず、特に足を気にする素振りもなく普通に歩いていてセシリアは驚く。
 立ちあがろうとするセシリアをアルヴェルが手で制した。
「ご覧の通りお忍びだから挨拶はいいよ」
「ありがとうございます。シルベスト様、もう杖なしで歩けるんですね」
 座ったままでシルベストを見上げる。
「まだ走るのは覚束ないが、歩くのには支障はない」
「良かったです」
 リハビリがんばったんだろうな。とセシリアは微笑んだ。
「シルベストはもうすぐ仕事に復帰するんだ。だからまだ休みの間にこうして僕に付き合わせてる」
 セシリアの隣、少し離れた所にアルヴェルは腰を下ろす。シルベストはアルヴェルの隣、セシリアから更に離れるように移動した。
「何に付き合わせてるんですか?」
 シルが離れちゃった…残念。
「思い出の場所巡りに」
「え?」
「この三年間でシルベストと行った店や場所、学園の行事が行われた場所などへ行ってみたんだ」
 シルの記憶を呼び起こそうと?
「……」
 それで、少しでも何か思い出したの…?
 シルベストの表情を見ると、いつも通り無表情。しかしほんの少し眉間に皺が寄っている。
 …思い出してないんだわ。

「最後に来たのがここ。一度だけシルベストが言った事があるんだ。『あの場所は特別だ』と」
「特別…」
 セシリアが呟くと、シルベストの眉間の皺が深くなった。
「どんな些細な事でも、何か思い出さないか?シルベスト」
 アルヴェルがシルベストを見上げる。
 シルベストは首を横に振った。
「いいえ」
「そうか…」
 ため息混じりのアルヴェル。
「……」
 セシリアはシルベストの表情を見たくなくて下を向く。
 シルベストもセシリアの落胆した表情を見たくなくて視線を逸らした。

 アルヴェルはシルベストとセシリアを見た後、目を閉じる。
 そして目を開けると、意を決した様子で話し出した。
「いつ思い出すか、何かきっかけがあるのか、それともいつまでも思い出さないままのか。確定したものは何もないが…二人ともそろそろ先の事を考えた方が良いんじゃないかな?」
「先?」
「先…とは?」
 セシリアとシルベストがアルヴェルに注目する。
 アルヴェルはふっと息を吐いた。
「このまま結婚するのか、それとも婚約解消するのか、だ」



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

記憶がないなら私は……

しがと
恋愛
ずっと好きでようやく付き合えた彼が記憶を無くしてしまった。しかも私のことだけ。そして彼は以前好きだった女性に私の目の前で抱きついてしまう。もう諦めなければいけない、と彼のことを忘れる決意をしたが……。  *全4話

旦那さまは私のために嘘をつく

小蔦あおい
恋愛
声と記憶をなくしたシェリルには魔法使いの旦那さまがいる。霧が深い渓谷の間に浮かぶ小さな島でシェリルは旦那さまに愛されて幸せに暮らしていた。しかし、とある新聞記事をきっかけに旦那さまの様子がおかしくなっていっていく。彼の書斎から怪しい手紙を見つけたシェリルは、旦那さまが自分を利用していることを知ってしまって……。 記憶も声もなくした少女と、彼女を幸せにするために嘘で包み込もうとする魔法使いのお話。

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

【完結】そんなに嫌いなら婚約破棄して下さい! と口にした後、婚約者が記憶喪失になりまして

Rohdea
恋愛
──ある日、婚約者が記憶喪失になりました。 伯爵令嬢のアリーチェには、幼い頃からの想い人でもある婚約者のエドワードがいる。 幼馴染でもある彼は、ある日を境に無口で無愛想な人に変わってしまっていた。 素っ気無い態度を取られても一途にエドワードを想ってきたアリーチェだったけど、 ある日、つい心にも無い言葉……婚約破棄を口走ってしまう。 だけど、その事を謝る前にエドワードが事故にあってしまい、目を覚ました彼はこれまでの記憶を全て失っていた。 記憶を失ったエドワードは、まるで昔の彼に戻ったかのように優しく、 また婚約者のアリーチェを一途に愛してくれるようになったけど──…… そしてある日、一人の女性がエドワードを訪ねて来る。 ※婚約者をざまぁする話ではありません ※2022.1.1 “謎の女”が登場したのでタグ追加しました

【短編】記憶を失くした令嬢が、二度目の恋に落ちるまで

夕凪ゆな
恋愛
 ある雪の降る日の朝、ヴァロア伯爵家のリディアのもとに、信じられない報せが届いた。  それは、愛する婚約者、ジェイドが遠征先で負傷し、危篤であるという報せだった。 「戻ったら式を挙げよう。君の花嫁姿が、今から楽しみだ」  そう言って、結婚の誓いを残していったジェイドが、今、命を落とそうとしている。  その事実を受け入れることができないリディアは、ジェイドの命を救おうと、禁忌魔法に手を染めた。

あなたの側にいられたら、それだけで

椎名さえら
恋愛
目を覚ましたとき、すべての記憶が失われていた。 私の名前は、どうやらアデルと言うらしい。 傍らにいた男性はエリオットと名乗り、甲斐甲斐しく面倒をみてくれる。 彼は一体誰? そして私は……? アデルの記憶が戻るとき、すべての真実がわかる。 _____________________________ 私らしい作品になっているかと思います。 ご都合主義ですが、雰囲気を楽しんでいただければ嬉しいです。 ※私の商業2周年記念にネップリで配布した短編小説になります ※表紙イラストは 由乃嶋 眞亊先生に有償依頼いたしました(投稿の許可を得ています)

【完結】お荷物王女は婚約解消を願う

miniko
恋愛
王家の瞳と呼ばれる色を持たずに生まれて来た王女アンジェリーナは、一部の貴族から『お荷物王女』と蔑まれる存在だった。 それがエスカレートするのを危惧した国王は、アンジェリーナの後ろ楯を強くする為、彼女の従兄弟でもある筆頭公爵家次男との婚約を整える。 アンジェリーナは八歳年上の優しい婚約者が大好きだった。 今は妹扱いでも、自分が大人になれば年の差も気にならなくなり、少しづつ愛情が育つ事もあるだろうと思っていた。 だが、彼女はある日聞いてしまう。 「お役御免になる迄は、しっかりアンジーを守る」と言う彼の宣言を。 ───そうか、彼は私を守る為に、一時的に婚約者になってくれただけなのね。 それなら出来るだけ早く、彼を解放してあげなくちゃ・・・・・・。 そして二人は盛大にすれ違って行くのだった。 ※設定ユルユルですが、笑って許してくださると嬉しいです。 ※感想欄、ネタバレ配慮しておりません。ご了承ください。

殿下の婚約者は、記憶喪失です。

有沢真尋
恋愛
 王太子の婚約者である公爵令嬢アメリアは、いつも微笑みの影に疲労を蓄えているように見えた。  王太子リチャードは、アメリアがその献身を止めたら烈火の如く怒り狂うのは想像に難くない。自分の行動にアメリアが口を出すのも絶対に許さない。たとえば結婚前に派手な女遊びはやめて欲しい、という願いでさえも。  たとえ王太子妃になれるとしても、幸せとは無縁そうに見えたアメリア。  彼女は高熱にうなされた後、すべてを忘れてしまっていた。 ※ざまあ要素はありません。 ※表紙はかんたん表紙メーカーさま

処理中です...