婚約者が記憶喪失になりました。

ねーさん

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 ずっと、シルベストお兄様が好きだった。
 鋭利な美貌も、冷たい眼差しも、全て。従姉妹の私にも優しい訳ではないけれど、シルベストお兄様は他の誰に対しても同じように接しているのだから問題ないわ。
 私はお兄様の婚約者候補。いつかお兄様の「特別な女性」になれるんだもの。
 近年、我が国と他国との関係も安寧が続いていて、お兄様が他国の王女や高位貴族令嬢を娶るような状況にはならないはず。ああ、早くお兄様と婚約したいわ。
 そう思ってジリジリと時が経つのを待っていたのに、シルベストお兄様はセシリア・アボットという冴えない子爵家の娘と付き合い始めた。
 許せない。
 何であんな目立つのは赤い髪くらいの平凡な女を、お兄様は蕩けるような眼で見ているの?
 そんな幸せそうな表情、私以外の女に向けていいはずがないわ!
 お兄様!早く目を覚まして!

 マジョリカの両親がシルベストがセシリアと婚約したと伝えるとマジョリカは床にへたり込んだ。
 両親は「残念だがマジョリカとシルベストとの婚約はあくまで保険で決定していた訳ではない」「あのシルベストが見つけた相手なら間違いないわ」と言い、父は「もっといい男性ひとを見つけてやる」と言った。
 シルベストお兄様よりいい男?
 一体どこにいるのよそんな男が!!
 
 学園の廊下を歩くセシリアとディナの前にマジョリカが立ちはだかる。
「どうやってシルベストお兄様を誑かしたの?」
 目の前のシルベストお兄様の婚約者は、凡庸な女にしか見えない。
 どうして。
 シルベストお兄様と結ばれるのは、私なのに。

「そっちこそ、セシリアとシルベスト様の間に横入りしようとしてるクセに」
「うるさい!」
 マジョリカがディナに掴み掛かろうとする。
「マジョリカ様!やめてください」
 セシリアが二人の間に入った。
「馴れ馴れしく呼ばないで!!」
 マジョリカがセシリアの肩を押す───と、セシリアの足が背後の階段を踏み外した。

 落ちていくセシリアを見て、胸がすいた。
 ざまあみろ。と思った。
 私のお兄様を横取りしようとするからよ。

「セシリア!!」
 階段の下に倒れているセシリアに、ディナが駆け寄る様子を見て、ハッと気付く。
 私がこの女を害したとお兄様に知られたら…
 血の気が引いた。
 ダメだ。お兄様に嫌われる。
 わざと落とそうとした訳じゃないんだから、お兄様に知られてはいけない!

 生徒会長のアルヴェルに呼ばれ、事情を聞かれた時、マジョリカは必死で「わざとではない」と訴えた。
 
-----

「あの女がお祖母様に呼ばれた…ですって?」
 自分の侍女からの情報に、マジョリカは爪を噛む。
 お祖母様はシルベストお兄様とあの女の婚約に難色を示していたはず。なのにあの女を呼ぶという事は、きっと死期が近いんだわ。
 シルベストが三年間の記憶を失っている事は外部には秘されているが、マジョリカはマルセル家の従僕と懇意にしている自分の侍女からそれを聞いていた。
 シルベストお兄様があの女の事を忘れたのは僥倖だったわ。お兄様とあの女の距離が離れたのは確実。
 お兄様があの女を思い出さないまま、早く婚約を解消すればいい。
 でもお祖母様がもしお兄様とあの女の婚姻を許すと「最期の言葉」を残したりしたら……

 私と言い争ってる時にあの女が階段から落ちた事、アルヴェル殿下が「マジョリカに気をつけて」とクラリッサに話したせいで、せいぜいロレッタの誕生パーティーで皮肉を言った時くらいしかあの女に接触できなかったわ。
 でもいくらあの女の事を忘れているからって、クラリッサがシルベストお兄様に私があの女に危害を加えたみたいに話されて、お兄様の不興を買うのは嫌。
 だから当面大人しく婚約解消を待つ事にしていたのに。

「一刻も早くお祖母様にお会いしたいの」
 マジョリカは祖母に会いに行く予定を繰り上げるよう両親に頼んだが、両親が予定を繰り上げるのは難しく、マジョリカは一人で祖母の元へと向かう事にした。

 もうすぐ着くわ。
 まずはお祖母様に会ってあの女と何を話したのかを聞き出さなきゃ。
 それからどうにかして、あの女を、お兄様の前から、排除、しなくては。

 マジョリカが馬車の外を見ていると、一台の馬車とすれ違う。
 マルセル家の紋の入った馬車。
 すれ違いざまに、馬車の中に見えた赤い髪。
「止めて!」
 マジョリカは御者に向かって叫んだ。



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