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「俺は汚い男なんです」
 レイラのベッドの側、カイルの隣の椅子に座ったイアンは自虐気味に笑った。
「俺はここがゲームの世界だと気付いた時から、自分もヒロインが現れればヒロインを好きになるんだと思っていました」
「ええ」
「だから、ウィルマと付き合ったんです」
「え?」
「…俺はずっとミシェル様を好きだったんです」
「え?」
「でもミシェル様は第一王子の婚約者で…いえ、そうではなかったとしても、使用人と公爵令嬢。俺が主家のお嬢様に懸想しているだけでも罪なのに…」
 イアンは眉を顰めて俯く。
「ウィルマがイアンルートの悪役令嬢なのを知っていたので、好きになれると思って付き合い始めましたけど、本当はずっとずっと苦しくて…ゲームが始まれば、ヒロインを好きになれば、この苦しみから解放されるとずっと…」
「なのに、イアンは転生者だからヒロインを好きにはならなかったのか」
 カイルが言うと、眉を顰めたイアンは頷く。
「…ヒロインに会っても気持ちに変化がなかった時は絶望しました。それでも、今度はミシェル様が悪役令嬢としてサイラス殿下から婚約破棄されるかも知れないと言う『希望』を持ちました。最低ですよね。俺」
「イアン…」
 でもミシェルもその展開を望んでいたのよ。それはイアンを好きだから…
「ミシェル様が婚約破棄されて領地へ幽閉されれば、モーリス家を辞めてでも着いて行くつもりで…いえ、結ばれたいとか大それた事ではなく、ただ傍にいたかったんです…」
 なのに、その希望も、サイラス殿下が転生者だった事で叶わない。どれだけ皮肉な展開なんだろう。
「そんな時にミシェル様の『イアンが好き』発言です」
「…え?」
 イアンの言葉に驚くカイル。レイラはカイルに言う。
「ミシェルも私に『イアンを好きだからサイラス殿下がヒロインに惹かれて婚約破棄されるのを望んでた』って言ったの」
「そうなのか」
「はい。それからの俺は、もうウィルマの事など頭になくて、どうにかミシェル様の気持ちを確かめたくて…でもミシェル様の態度は以前とまったく変わりなくて。夏期休暇にレイラ様の家に行った時も、どうにかそう言う話にならないかと侍女を連れず二人になる状況を作りやすくしたり…」
「あ」
 なるほど。とレイラは納得する。
 あの時、ミシェルと「お互い切ないわね」と話したのを思い出す。
「それで、舞踏会でヒロインのドレスに葡萄ジュースを溢したウィルマを屋敷へ送って行くようミシェル様に促されて、ウィルマと馬車で二人になった時、ウィルマに理由も告げずに『別れてくれ』と言いました。ミシェル様にウィルマとの仲を後押しされるのが本当に嫌で…」
 あの時ウィルマは目を潤ませながらも「分かりました」と言った。
「俺は、自分の想いばかりで…ウィルマが本当に納得しているのか、確かめる事すらしなかった。そのせいでレイラ様に生死を彷徨う大怪我をさせて、本当に申し訳ありませんでした」
 椅子から立ち上がったイアンは深々と頭を下げる。
「そのせいとは…どう言う事なんだ?」
 カイルが膝の上で拳を握りしめながら言う。
 イアンは頭を下げたまま言った。
「…惚れ薬なんです」
 
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「ミシェルは…あの時惚れ薬のせいでサイラス殿下を好きになっていたの?」
「はい」
 イアンは頭を下げた姿勢のままだ。
「だから悪役令嬢としての強制力の憎しみの感情が私に向かったと言う事なの?」
「はい」
「どうしてヒロインでなく私へ?」
「おそらく、サイラス殿下があの時ヒロインからレイラ様を逃がそうとしていたからかと」
「いや、違うな」
 カイルが右手を上げる仕草をし、イアンに頭を上げるよう促す。
「カイル殿下?」
 頭を上げたイアンはカイルを見下ろす訳にはいかず、カイルが指差している椅子にまた座った。
「ミシェル嬢は知っていたんだろう。兄上がレイラを昔からずっと好きだった事を」
「え?」
 イアンは大きく目を見開いた。
「カイル、知ってたの?」
「レイラだって知ってただろ?」
「まあ…え?カイル怒ってるの?」
「…怒ってない。つまりだ、兄上がレイラを好きだった事をミシェル嬢が知っていたからこそ、強制力がレイラに向かった。と言う事だろう」
 明らかにムッとした表情でカイルは言った。

「そう言う事だったのね」
 病室の外から女性の声が聞こえて来る。
「ミシェル様!?」
 イアンがガタンッと椅子から立ち上がる。
 病室の扉がゆっくりと開いて、そこに、ミシェルが立っていた。


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