Bloody Monster

ナナメ

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「ほらぁ、やっぱりそんな顔する」

 嘘っぽいけど信じてね、と前置いて喋ったのにあからさまにドン引きされたソラは口を凸の形に尖らせる。

「……いや、だって……」

 あの男は吸血鬼です、と言われてハイそうですか、と納得する程夢見がちじゃない。
 奇病です、と言われた方がまだ納得がいった。
 命の危険は感じた。本当に殺されると思った。でもこの現代に吸血鬼なんて非科学的な生き物がいるとは思えない。
 けれど、確かにあの男は血を啜っていたし貴斗のうなじに熱い視線を注いで噛みつこうとしていたのも事実だ。しかも目の前で異形の姿になった衝撃は未だ貴斗を震わせるほどの現実感で。

 こんな話、実際目撃しなかったら絶対信じないけれど見てしまっている以上胡散臭くても信じるしかない。百歩、いや百万歩譲って信じるとして。

「……吸血鬼って、血を吸うだけじゃないんですか?」

「基本的には」

「何か……全部食べる的な事言ってましたけど」

「あぁ、そりゃ性的な意味だよ」

 頭の上に金盥が降ってきたかのような衝撃を受けた。しかも2個くらい立て続けに食らったような衝撃だ。

「……俺、男ですけど……」

「吸血鬼にはあんまり関係ないかなー。ご飯食べるのに多少の好みがあっても、絶対それしか食べない!!とかそんな事ないでしょ?」

「そうですけど、それと、……その、性的な……とか関係あるんですか」

「吸血鬼はね、獲物を逃がさないように噛んだ相手に快楽を植え付ける。そのまま犯されたら物凄い快感に動けなくて、その間に獲物は血を吸われて死んじゃうの。相手も気持ちよくてついでに自分も気持ちいいし腹もふくれる。だから、ご飯だと思ったら男も女も関係ないんだよ」

 まぁ、一番いいのは処女の生き血って言うけどねー、と笑うソラの声は右から左。
 まさか命どころか他の物もヤバかったとは。いや、命よりは失ってもマシな物ではあるが。
 じゃあ最初に目撃したあの被害者も、その……そういう事をされたのか、と考えてしまう。あの暗がりで見えたのは裂けた喉と顔だけだ。下がどんな状態だったかはわからない。
 ……わからなかったのを幸運だと思うべきなのか。

「でも、だったら俺に執着しなくたって」

 他の人が犠牲になればいい、とも取れる発言に気付いて口を噤む。
 他人を犠牲に、とは思いたくない。
 かと言って、どうぞと差し出せるほど死に急いでる訳でもない。
 そんな葛藤に気付いたか、ソラは実に申し訳なさそうな顔をした。

「言ったでしょ。アイツはまた君を狙いに来る。誰だって普段お目にかかれないような高級料理前にお預け食らったら、どうにかして食べようと思うじゃない」

「……高級料理……?」

「そう、貴斗の血は奴等にとって特別製。極上の獲物だ」

 金盥がもう2個降ってきた。

 ※ ※ ※ ※

 ソラの予測通り、その晩ついにあの男は貴斗のアパートにまで現れた。
 極上の獲物って何、何で、どういう事?としばらく言い続けていた狙われている当の本人は、答えてもらえないと悟ると早々に寝てしまった。

 流石に守るよ、と家まで来ている相手を無下に出来なかったのかソラの寝床をちゃんと用意してくれた辺り素直というか、警戒心がないというか。

(俺が悪い人だったらどうすんの)

 お友達も素直だったし、と苦笑いをしてアパートの屋上に立つ。
 すでに人型であることすらやめたらしい男は、旧倉庫で見せたよりさらに異形の姿を晒している。右手には血を吸われて真っ白になった死体が1つ。

 ぐるるるる、と獣にも似た呻きを上げながら異形の物は死体を投げ捨てた。

「無闇に捨てないでよね。誰が片付けると思ってんの」

 相手はそれに答えず、別の事を憎々しげに吼える。

『思い、出した、ぞぉ……。お前ぇ……、同胞殺しの、裏切り者ガァァァッ!!』

 言うなり突っ込んできた巨体を、おっと、と軽やかにかわし、振り上げられた爪をひらりひらりと風のようにかわしていく。

「悲しいねぇ。俺は一目見た時から気付いてたのにさ」

 顔面を狙って突き出された爪を仰け反って避け、その勢いのまま後方に2、3宙返りして距離を取る。
 相手は昼も活動できる高位の吸血鬼であるのに、異能を使う気配がないのは頭に血が上りすぎているのだろう。
 と、いうよりも。

(あの血を目の前にタガが外れたな)

 もはや魔物と呼んで差し支えない容貌のかつての同胞に哀れみすら覚えた。

『何故ェ、あれを渡さん!アレが我らに何ヲもたらすか、知ってルダろぉ!!渡せェェェッ!!』

「あはー、オツムも獣になったぁ?」

 腕を振り回すだけの相手を嘲笑うかのようにソラはくるくると避けるだけだ。しかし、その動きを追おうとして相手が巨体をもつれさせたその瞬間――その瞳が禍々しく赤い光を帯びた。
 腕が巻き付く。手の平が顔面を覆う。相手がもがく暇も与えず、伸びた犬歯は何の躊躇いもなくその首の皮膚を突き破る。

『やめ、やめろぉぉぉ……ッ!!』

 男は身動きの取れない体を何とか動かそうとした。
 しかしできない。すでに力は入らず、腹の底からうずうずとした何かが込み上げる。
 もちろん同族間でも吸血行為による快楽作用は働く。見るに堪えない異形でも、だ。

『くそ、離せぇッ!』

 ある程度血を吸って口を離したソラは、冷々とした輝く赤眼を細めた。口の周りの赤を舐めとり手を離せば、当然異形は重力に従いコンクリート床に倒れる。

『く、ぉ……っ』

「おっさんの喘ぎなんて聞きたかねぇんだけどなぁ」

 まだ強い快楽に悶えるその巨体を踏みつけ感情の抜け落ちた冷酷な赤眼で見下ろしソラは掌にテニスボール程の大きさの風を集めた。
 いつもの穏やかでどこか情けない笑顔を消せばその整った顔はまるで作り物の様。

『キサ、まぁ……っ』

「そういや、何であの子を渡さないかって訊いたか?」

 ひゅ、と鋭い音が僅かに聞こえたと同時に男の頭部は跡形もなく吹き飛んだ。
 残った体から夥しい血が飛び散って、まるで噴水のようなそれを浴びてソラの唇はうっすらと弧を描く。

「渡したくねぇから裏切りモンなんだろうが」

 何があってもあの子は渡さない。

 頭部の破壊を受け、足の下にあった男の首から下はサラサラと灰になって風に流されていった。これで復活する事はないだろう。
 そう思った視界の隅で男に血を吸われ残された死体の指がピクリ、と動きソラはため息と共に素早くその死体の心臓部に腕を突き立てた。
 メリメリと異音が響き、体に入り込んだ手は心臓を掴む。ビクン、と足を硬直させた相手の目がクワッと開くが心臓を握り潰されると数回痙攣しそのまま動かなくなった。
 その死体もまた灰となって夜空に消えていく様を眺めていると。

(ソラさん)

 囁くような声音を耳が拾い、振り返らないままわかったか、と問う。

(闇の一族が日本へ集まりつつあります。あの方の存在が知られたと思ってまず間違いないでしょう。それと、その一族の動きを東方教会が察知したようです。ハンターが送られてきます)

 背後の闇には何もいない。しかし声はそこからヒソヒソと囁く。

「規模は」

(名の知れたハンター数名、無名のハンター数名。具体的な数はまだ掴めません。内部に向かわせた者は消息を絶ちました)

「浄化されたか……。わかった、もうしばらく探ってくれ。ただし深追いはするな」

(はい)

 その声を最後に気配は消える。残ったソラは月を見上げた。
 銀色の光を帯びた月は静かに地上を照らしている。

 吸血鬼……闇の一族どころか教会まで動き出したとなると少し厄介だ。今の教会に彼の存在意味と真の価値を知る者はいないだろうが、知られたら面倒な事になる。
 それでも自分の立ち位置は変わらない。ただあの子を守るだけ。

(今度こそ、約束を守るから)


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