【完】待っててくれと言われて10年待った恋人に嫁と子供がいた話

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ピラミッドの頂点

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 寛隆は裕也の背後数メートルの位置で止まっている。
 なのに漂う威圧感は彼がただのαではない事を雄弁に語っていた。その視線はあくまで穏やかに、凪いだ水面のように静かだ。そして静かに裕也の向こうの郁に向けられたようだった。
 だから裕也は敢えて体の位置をずらしながら、郁を隠す形で寛隆に向き直る。背後の2人は敵にもならない。今一番排除が必要なのはこの男だ。

「――ああ、郁が呼ぼうとしたのは祝の坊ちゃんか」

 電話越しにもしもし、と言ったあの声と同じく穏やかで、静かな声だった。
 裕也は、は、と小馬鹿にした笑みを浮かべた。

「そうだよなぁ、毎日のように来てたもんな?祝の坊ちゃんは郁がお気に入りってか」

 裕也の挑発にも寛隆の静かな雰囲気は欠片も崩れない。
 ただ静かに――その場を支配する。優位型αの威圧だ。絶対的な王者だからこその余裕と静けさが、今この場を支配していた。

「祝の家とは縁を切っています。――郁さんから離れてください」

 縁を切っている?
 裕也の頭は理解を拒否している。自分は地方の、しかしそれなりの会社の社長令息だった。αで、何も不自由なくここまでやって来た。それが全部崩された今、残っている物はαの自分、Ωの郁。――そう、郁だ。
 裕也はにぃ、と笑う。
 3年前のあの日、郁はハッキリ傷ついた顔をした。それは裕也の支配欲と優越感を刺激した。待っていた。10年、ずっと。
 
「離れろ、だぁ?お前知らないだろ。郁がどんな顔で俺を待ってたのか」

 あの後逃げる様に消えてしまった郁を追う必要はなかった。何故なら、郁は裕也にとって今でも“所有物”だからだ。必要があれば戻ってくる、取り戻せる。俺が言えばいくらでも、と言葉も出なくなっていた郁を思い出して笑う。
 自分はαで、郁はΩ。最初から支配する側とされる側。だからこそバース性は捨てられなくても“祝”という強大な権力を手放すなんてありえない――それが裕也の中の常識だ。

「離れてください」

 口調は丁寧だ。しかし、認めたくないけれど裕也の足を動かなくする程の威圧感は本物だ。

「流石、祝の坊ちゃんは言い方も丁寧だなぁ」

 嘲りを含ませても、ナイフをちらつかせても、ひたと見つめてくるだけの寛隆から距離を置くことも、まして向かって行くことも出来ない。
 だがそんな惨めさを、裕也は認めたくなかった。俺は選ぶ側の人間であり、切り捨てる側の人間だ、という思いだけが口を動かしていた。

「離れろ離れろって祝の坊ちゃんは他に言葉も知らねぇのか?」

 苛々とした裕也の言葉に対しても、指先どころか眉1つ動かさない寛隆は、本当にその言葉しか知らないように言う。

「離れてください」

 ――パトカーのサイレンが近付いてきていると気付いたのはその瞬間だった。
 思わず振り向いた道路の向こうに赤色灯と、そしてスマートフォンを耳に当てたままの男が映った。この為だった。今この時の為に、この男は裕也をこの場に留めていた。

「――クソが……ッ!!」

 寛隆に向かってナイフを振り上げる。
 カタカタと手が震えている事に裕也は気が付いて、――カラン、とナイフが地面に落ちた。それは本能が相手に敗北したと明確に認めた瞬間だった。
 認めると同時に怒鳴り声と衝撃と共に地面に倒される。
 目の前の男には敗北した。しかし郁は。郁にだけはまだ。
 暴れて、また押さえつけられた、自分の目の前にはへたり込んだままの郁がいる。

「あいつが祝の人間だから選んだんだろ?結局はお前も卑しいΩだったって事だな!」

 郁はまた傷つくだろう、そう愉悦を込めた叫びだった。
 しかし、郁の瞳に3年前のような揺らぎはない。ただ悲し気だった。裕也の知っている郁ではない。これは――憐憫だ。憐れまれたのだ、この俺が。
 裕也は憤ったけれど、すでに警官達に取り囲まれた状態では何も出来ない。ただその向こうで郁が隣に立った男の、寛隆の手を取って静かに立ち上がったのが見えた。パトカーのドアが閉じられて、その先を見る事はかなわなかった。


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