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第三幕 六 「貴方には私と似た匂いを感じました」
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六
広大な敷地面積の何割を占めているのか分からない庭に面した廊下に、ヒョウとリン二人の姿があった。広大な敷地の割には、雇われている使用人の数が少ないのか、敷地内ですれ違う人影は皆無だった。屋敷内に入ってからも、秘書の水島以外はお茶の用意をしていった若いメイド以外の使用人には会っていない。使用人どころか、主人以外の家人にも紹介されていなかった。
しかし、広大な庭は手入れが行き届いており、使用人の内に庭師のいるらしいことは廊下からでも確認できる。
窓の外の強すぎる夏の日差しを睨むリン。外界は、人間を拒むように環境を整えていく。
日影の中を進んでいても、容赦ない照り返しの熱は、外にいるものを襲う。庭に生えた芝生が、照り返しの熱を抑えているが、湿度の高い夏の空気は不快感を与え続けていた。
空調設備の整った室内にいたせいで、外というのはより暑く感じられるだろう。
「リン。夏は散歩に向きませんね。庭の散策は日が落ちてからにしましょうか?」
人のいない庭を見つめながら、ヒョウは呟く。
リンは肯定の鈴の音を勢いよく響かせた。
庭を見渡すために立ち止まっていた二人。建物内に落ちる影より尚黒く、空調設備から吹き付ける涼風より尚涼しく。
二人は夏を謳歌するような庭から視線を逸らすと、歩き始めた。
「あっ、凍神さん!」
そんな二人の背中に、弾んだ声が掛かる。
ヒョウは足を止めると振り返った。
「よかった。追いついた。」
息を弾ませながら、二人に笑顔を向けているのは竹川だ。二人の姿を見かけて走って追いかけてきたようで、額にうっすら汗が爽やかに光っている。
「何か?」
微笑を口元に湛えるヒョウ。
竹川は笑顔のまま、息を整え始める。
「あの、さっきは、皆さんとお話できたのに、凍神さんとはお話できなかったので。それで。」
「名探偵殿と警部殿がいらっしゃるのですから、私の出番などは有りませんよ。それに、プロファイラーの貴方もいらっしゃる。私などの愚見など聞いたところで、役に立つはずもないでしょう?」
仮面のような微笑は何人も寄せ付ける気などないようで、温度のない声音には感情が感じられない。
しかし、プロファイラーの笑顔も崩れなかった。
「凍神さんは、この事件に関心がないんですか?」
正義感や使命感ではなく知的好奇心からの質問。笑顔には隙がない。アメリカ帰りという経歴は伊達ではないらしい。人好きのする笑顔の中できらめく瞳は、抜け目なく鋭い。警戒心を緩めるための笑顔は、本人も意識している彼の武器なのだろう。
ヒョウも瞳に悪戯な輝きを加えると、肩を竦めて見せた。
「警部殿は頼もしい助っ人をお持ちのようだ。」
先程、広間で見せていた半人前プロファイラーの仮面を脱ぎ捨てた竹川は、好奇心と知識欲に突き動かされたような人間だった。推理小説に出てくる魅力的な探偵も、このタイプが多いだろう。だが、彼の知識欲と好奇心は、正義感や人道をも跳び越してしまいそうな大きさだった。
「貴方には私と似た匂いを感じました。だから、話を聞こうと思いました。ダメですか?」
不敵に笑う竹川。事件を前にしての態度としては不適切。普段は、あの半人前プロファイラーの顔で人好きのする笑顔を浮かべて隠しているのだろう。
「いいでしょう。話が合うかは分かりませんが、話をするくらいなら。」
拒絶ではなく了承。竹川の見せた表情に、ヒョウの興味はそそられたようだ。
「凍神さんとは、死の押し売り師についての話をしてみたいと思ったんですよ。凍神さんは死の押し売り師に興味がありますか?」
竹川は単刀直入に話し始める。殺人鬼の話題だというのに、実に生き生きと楽しそうに。
ヒョウの微笑は変わらない。
「興味とは?」
「単純に興味です。例えば、何故首を絞めるのか?とか、何故文字を刻むのか?とか。そういうことです。」
こんな話題を誰かに持ちかけたくてうずうずしていたのだろう。竹川は、瞳をキラキラさせながら嬉々として語っている。専門分野について語り始めたマニアの熱気を持っている。
ヒョウには熱気はない。だが、殺人鬼の話題を持ちかけられて困っているわけでも、戸惑っているわけでもなかった。
「警部にこんな話をしようものならぶん殴られそうですけど。凍神さんは、警部に告げ口したりしませんよね?」
「ええ。私などの話を聞きたくもないと思いますよ、警部殿は。」
「確かに、警部は凍神さんのことを毛嫌いしてるみたいですね。何かあったんですか?すいません、凍神さんのことは勉強不足で。霧崎さんは手がけた事件のファイルを読んだりして、名探偵として有名なことは知っているんですけど。僕、まだ日本に帰ってきて日が浅いもので。」
素直に尋ねていなければ、皮肉にも聞こえる内容だったが、竹川の口調にそんな気配は微塵も感じられなかった。知らないものについて尋ねているだけ。竹川の知的好奇心はとどまるところを知らないらしい。
「特に何もありませんよ。たまに事件でご一緒するだけです。私の関わった事件は、どうも警部のお気に召さない結末を迎えることが多いので、嫌われてしまったということです。私としては、警部殿とご一緒の事件は興味深いものが多くて退屈しませんが。」
「へえー。貴方の事件のファイルは噂とは違って、警察には少ないんですけど。僕が小耳に挟んだ噂や警部の口ぶりでは、貴方が疫病神のような死神のような言われようでしたよ。」
「そうですか。」
そこで竹川は研究対象を見るような目つきで、ヒョウを見据えた。
「個人的には、貴方という探偵にも興味がありました。まさか、こんなにも早くご一緒出来るとは思っていませんでしたけど。さっき、お名前を聞いた時に、思わず飛び上がって喜ぶところでした。警部の前なのに。」
悪戯な笑みを付け加える竹川。まるで共犯者に対する笑みだ。
ヒョウもそんな笑みを気にした様子もなかった。
広大な敷地面積の何割を占めているのか分からない庭に面した廊下に、ヒョウとリン二人の姿があった。広大な敷地の割には、雇われている使用人の数が少ないのか、敷地内ですれ違う人影は皆無だった。屋敷内に入ってからも、秘書の水島以外はお茶の用意をしていった若いメイド以外の使用人には会っていない。使用人どころか、主人以外の家人にも紹介されていなかった。
しかし、広大な庭は手入れが行き届いており、使用人の内に庭師のいるらしいことは廊下からでも確認できる。
窓の外の強すぎる夏の日差しを睨むリン。外界は、人間を拒むように環境を整えていく。
日影の中を進んでいても、容赦ない照り返しの熱は、外にいるものを襲う。庭に生えた芝生が、照り返しの熱を抑えているが、湿度の高い夏の空気は不快感を与え続けていた。
空調設備の整った室内にいたせいで、外というのはより暑く感じられるだろう。
「リン。夏は散歩に向きませんね。庭の散策は日が落ちてからにしましょうか?」
人のいない庭を見つめながら、ヒョウは呟く。
リンは肯定の鈴の音を勢いよく響かせた。
庭を見渡すために立ち止まっていた二人。建物内に落ちる影より尚黒く、空調設備から吹き付ける涼風より尚涼しく。
二人は夏を謳歌するような庭から視線を逸らすと、歩き始めた。
「あっ、凍神さん!」
そんな二人の背中に、弾んだ声が掛かる。
ヒョウは足を止めると振り返った。
「よかった。追いついた。」
息を弾ませながら、二人に笑顔を向けているのは竹川だ。二人の姿を見かけて走って追いかけてきたようで、額にうっすら汗が爽やかに光っている。
「何か?」
微笑を口元に湛えるヒョウ。
竹川は笑顔のまま、息を整え始める。
「あの、さっきは、皆さんとお話できたのに、凍神さんとはお話できなかったので。それで。」
「名探偵殿と警部殿がいらっしゃるのですから、私の出番などは有りませんよ。それに、プロファイラーの貴方もいらっしゃる。私などの愚見など聞いたところで、役に立つはずもないでしょう?」
仮面のような微笑は何人も寄せ付ける気などないようで、温度のない声音には感情が感じられない。
しかし、プロファイラーの笑顔も崩れなかった。
「凍神さんは、この事件に関心がないんですか?」
正義感や使命感ではなく知的好奇心からの質問。笑顔には隙がない。アメリカ帰りという経歴は伊達ではないらしい。人好きのする笑顔の中できらめく瞳は、抜け目なく鋭い。警戒心を緩めるための笑顔は、本人も意識している彼の武器なのだろう。
ヒョウも瞳に悪戯な輝きを加えると、肩を竦めて見せた。
「警部殿は頼もしい助っ人をお持ちのようだ。」
先程、広間で見せていた半人前プロファイラーの仮面を脱ぎ捨てた竹川は、好奇心と知識欲に突き動かされたような人間だった。推理小説に出てくる魅力的な探偵も、このタイプが多いだろう。だが、彼の知識欲と好奇心は、正義感や人道をも跳び越してしまいそうな大きさだった。
「貴方には私と似た匂いを感じました。だから、話を聞こうと思いました。ダメですか?」
不敵に笑う竹川。事件を前にしての態度としては不適切。普段は、あの半人前プロファイラーの顔で人好きのする笑顔を浮かべて隠しているのだろう。
「いいでしょう。話が合うかは分かりませんが、話をするくらいなら。」
拒絶ではなく了承。竹川の見せた表情に、ヒョウの興味はそそられたようだ。
「凍神さんとは、死の押し売り師についての話をしてみたいと思ったんですよ。凍神さんは死の押し売り師に興味がありますか?」
竹川は単刀直入に話し始める。殺人鬼の話題だというのに、実に生き生きと楽しそうに。
ヒョウの微笑は変わらない。
「興味とは?」
「単純に興味です。例えば、何故首を絞めるのか?とか、何故文字を刻むのか?とか。そういうことです。」
こんな話題を誰かに持ちかけたくてうずうずしていたのだろう。竹川は、瞳をキラキラさせながら嬉々として語っている。専門分野について語り始めたマニアの熱気を持っている。
ヒョウには熱気はない。だが、殺人鬼の話題を持ちかけられて困っているわけでも、戸惑っているわけでもなかった。
「警部にこんな話をしようものならぶん殴られそうですけど。凍神さんは、警部に告げ口したりしませんよね?」
「ええ。私などの話を聞きたくもないと思いますよ、警部殿は。」
「確かに、警部は凍神さんのことを毛嫌いしてるみたいですね。何かあったんですか?すいません、凍神さんのことは勉強不足で。霧崎さんは手がけた事件のファイルを読んだりして、名探偵として有名なことは知っているんですけど。僕、まだ日本に帰ってきて日が浅いもので。」
素直に尋ねていなければ、皮肉にも聞こえる内容だったが、竹川の口調にそんな気配は微塵も感じられなかった。知らないものについて尋ねているだけ。竹川の知的好奇心はとどまるところを知らないらしい。
「特に何もありませんよ。たまに事件でご一緒するだけです。私の関わった事件は、どうも警部のお気に召さない結末を迎えることが多いので、嫌われてしまったということです。私としては、警部殿とご一緒の事件は興味深いものが多くて退屈しませんが。」
「へえー。貴方の事件のファイルは噂とは違って、警察には少ないんですけど。僕が小耳に挟んだ噂や警部の口ぶりでは、貴方が疫病神のような死神のような言われようでしたよ。」
「そうですか。」
そこで竹川は研究対象を見るような目つきで、ヒョウを見据えた。
「個人的には、貴方という探偵にも興味がありました。まさか、こんなにも早くご一緒出来るとは思っていませんでしたけど。さっき、お名前を聞いた時に、思わず飛び上がって喜ぶところでした。警部の前なのに。」
悪戯な笑みを付け加える竹川。まるで共犯者に対する笑みだ。
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