【完結】死神探偵 紅の事件 ~シリアルキラーと探偵遊戯~

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第八幕 五 「ええ、私個人の美意識の問題です」

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     五

「待って下さい、凍神さん!」
廊下に響く呼びかけ。誰に憚ることもなく、すれ違う人間達に配慮したものではなく、喧騒の中でも響くような声量。
邸内に蔓延る静寂は、到着した警察関係者によって俄に侵害されている。使用人とさえ滅多に出会わない邸内だったはずが、特別のプライベートスペースを除く場所には、人影が尽きることはなかった。
通行人を器用に避けて走りながら、プロファイラー竹川は目的の人物の背中を目指している。
「凍神さん!」
 二度目の呼びかけで、ようやく目的の人物の足を止めることが出来た。
「何でしょうか?竹川サン。」
 振り返ったヒョウの顔に浮かぶのは微笑。仮面のような微笑。殺伐とした警察関係者の表情とは一線を画す顔だ。
 急いで追いついて、竹川は弾んだ息を整える。
「いくつかお尋ねしたいことがあって。」
 人懐っこい笑顔を浮かべる竹川。愛想の良さは一級品だ。まるでおねだりでもするような顔で、相手の出方を窺っている。
 ヒョウは微笑のまま、廊下をすれ違う通行人に視線を向けた。
「いいのですか?このように公衆の面前で私のような者に話しかけたりされて。あとで警部殿に叱られますよ。警部殿は私のことを蛇蝎のように嫌っているようですから。」
「多分、大丈夫です。」
 少し首を捻って考えていたが、気楽な感じで頷く竹川。警部に叱られたとしても、ニコニコとして軽く受け流してしまうのだろう。
「凍神さんへの悪感情は、警部の個人的な問題に過ぎませんし。ほら、名探偵の霧崎さんとかが、きっとフォローしてくれますよ。凍神さんに対する認識に関してだけは、警部と霧崎さんの間に齟齬がありますから。」
 二人の間をうまく立ち回る気でいるのだろう。自信を持って竹川は断言した。
 ヒョウは肩を竦めて見せる。
「霧崎サンにも困ったものですね。何を勘違いされておられるのでしょうか?」
 深く嘆息し、困った顔で首を振るヒョウ。
 ヒョウの言葉に竹川は首を傾げた。
「霧崎さんが勘違いなんですか?警部じゃなくて?」
「はい、そうですよ。」
 竹川の質問に、ヒョウはしっかりと頷いた。困惑顔の竹川に配慮した風でもなく、質問に答えるでもなく、ただ呟くように独り言のように続ける。
「名探偵殿は、何を勘違いしておられるのか、私などを良きライバルなどと思ってらっしゃるのですよ。そのように暑苦しい関係など、必要ないというのに。警部殿から向けられる憎悪や嫌悪の方が、よほど気持ちのいいモノです。」
「凍神さんって、もしかして、マゾとか、そういう変態のケがあるんですか?」
 少しヒョウから距離を取ってから、小さな声で青ざめた顔の竹川が尋ねた。
 ヒョウは微笑を浮かべて首を振った。
「いいえ。そんなつもりはありませんよ。一般的な通常や普通という枠からは外れているかもしれませんが、性的嗜好に被虐趣味はありませんよ。どちらかというと加虐趣味です。」
 にこやかに宣言するヒョウ。
 竹川はヒョウとの距離を、もう一歩取った。
「大丈夫ですよ。博愛精神も広く持ち合わせていますので。」
 ヒョウの言葉に少し警戒しながらも、竹川は一歩近づいて元の位置に戻った。
「ただ、生温い馴れ合いの感情が嫌いなだけです。中途半端なモノを容認するくらいならば、徹底的に。ということです。」
「キレイ事で、ごちゃごちゃと飾り立てたくないということですか?」
「ええ、私個人の美意識の問題です。」
 微笑が深くなり、笑みへと変わる。
 竹川も、やっと警戒を解いた。
 ヒョウは笑みのまま滑らかな口調で続ける。
「警部殿の理論は、『私という存在があるだけで、事件は悲劇となる』というものです。私は悲劇を呼ぶ誘因となり、私という存在のせいで事件に悲劇色が加わる。そのために、彼は私を嫌悪する。彼の職業倫理からいけば、それは当然のことです。悲劇の責任は私にあり、私がいたから悲劇になった。この事に関して、私は反論しません。しかし、名探偵殿は、何故か私を弁護する。これは可笑しなことです。私が甘んじて受けると言っている批判を、何故彼が否定するのか?」
「霧崎さんはイイヒトなんですよ。」
 人懐っこい笑顔が誉め言葉を吐く。
 ヒョウは微笑を消して頷いた。
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