69 / 82
第九幕 五 「先生、事件いつ終わるの?」
しおりを挟む
五
温室から客室に戻った二人は、いつも通りの場所でそれぞれに寛いでいた。
ベッドの上で寝転がるリンに、椅子に座って足を組んでいるヒョウ。
「先生、事件いつ終わるの?」
頭だけをヒョウに向けて、リンが尋ねる。
この屋敷に来てから、既に三日になる。この客室も少しずつ馴染み始めて、リンは自分の部屋のように寛いでいる。リンの場合は、三日前から自分の部屋のように寛いでいたのが。
「ホームシックになりましたか?」
微笑で尋ねるヒョウ。リンにホームシックという言葉ほど無縁なものはないというのに。
リンは首の鈴で否定を知らせた。
「でも、ココ、飽きた。」
つまらなそうな顔で呟くリン。娯楽とは無縁の邸内は、リンにとっては拷問のようなものなのかもしれない。
ヒョウはリンにだけ見せる柔らかな温度のある笑みを浮かべる。
「そうですか。今後の休暇のこともありますし、そろそろ依頼を片付けるべきなのでしょうか?寛ぐのならば、事務所の方が落ち着きますし。」
「やったぁ!」
ヒョウの言葉を同意と取り、リンはベッドの上で飛び跳ねる。
すぐにベッドを降りて駆け出すと、ヒョウの胸に飛び込む。
「先生、大好き。」
甘えるようにヒョウの胸に顔を埋めるリン。
ヒョウはリンの頭を手袋に覆われた手で撫でた。
「本当に貴方には敵いませんね。」
その時、室内にノックの音が響く。
コンコンコン。
聞きなれないノックの音。慌てているようで急いでいるような音。
「あっ、ご飯だ!」
嬉しそうに声を上げ、リンはヒョウから離れて扉に走り出した。
「はーい!」
勢いよくリンが扉を開けると、そこにはメイド頭のイツ子の姿があった。
「夕食のご用意が出来ました。」
少し上気した頬で、渾身の笑みで、イツ子は部屋の奥のヒョウを見つめている。扉を開けたリンは視界にすら入っていない。
ヒョウはイツ子の熱っぽい視線を平気で受け流しながら、椅子から立ち上がった。
「はい、分かりました。有難うございます、イツ子サン。」
「いえいえ。」
イツ子が先頭を行き、二人がその後ろについて歩く。
食堂までの道すがら、イツ子は思いつくままに喋り続けた。ヒョウとの会話を一方的に楽しんでいるイツ子の話題は、世間話などの実のない話が多く、ヒョウも相槌以上の返事はしていないのだが、イツ子の話はますますヒートアップしていた。
イツ子の息継ぎの合間を狙って、仮面のような微笑のヒョウが尋ねる。
「メイド頭のイツ子サンが直々に夕食にご案内してくださるとは、感謝に堪えませんね。しかし、ご迷惑なのではありませんか?夕食前はお忙しいのでしょう?」
「そうなんですよ。杏子ちゃんが、どこかに行っちゃったんですよ。でも、探偵さんのように素敵な方の案内なら、私は喜んで張り切ってしまいますけどね。」
瞳を輝かせて、軽くシナを作ってみせるイツ子。またまだ衰えを知らないバイタリティーは、どこまでも健在だ。
「杏子サンはどうしたんですか?」
イツ子の意思に反して、話題が若いメイドの杏子のことになる。イツ子は途端に不機嫌になって、文句を吐き出すように答えた。
「それは、こっちが聞きたいくらいです。こんなに忙しい時間になっても、仕事を放り出したままなんて。坊ちゃんが亡くなられて落ち込んでいるのは分かるけど。だからって、仕事を放り出していい理由にはならないわ。」
後半は独り言のようにぶつぶつと呟いている。
「いくら坊ちゃんと親しくしていたからって、それはそれ、これはこれよ。あの子は、このお屋敷のメイドなんだから。」
そこで、イツ子は言葉を止めると、ヒョウに期待するようでいて、尚且つ非難するような悲喜こもごもといった視線を向けた。可愛く見せるために、口を尖らせている。
「探偵さんも、若い子の方がいいんでしょう?」
ヒョウは微笑のまま何も答えなかった。
イツ子は、それを肯定と取っていた。
「男は皆そうよ。若い女の方がいいのよ。」
イツ子の文句は続いていく。忙しさというストレスと、事件という異常な高揚と興奮が、教育を受けていたはずのベテランメイド頭の口を軽くしていた。
「確かに、杏子ちゃんは可愛らしい子だけど。それは、分かってるわ。でも、坊ちゃんも、探偵さんも、彼女にしか興味がないなんて酷すぎる。野村君だって、勝ち目もないのに杏子ちゃんのこと好きになってたりして。もう、どうせ私はおばちゃんよ。」
ぷりぷりという擬態語が、イツ子にはぴったりだった。
そうこうしている内に、いつの間にか一行は食堂に到着する。
「野村サンは、巧サンと杏子サンのことを知っていながら、それでも彼女に心を寄せていたのですか?」
ヒョウが華やかな微笑を用意して、イツ子に尋ねる。
イツ子は微笑の魔力に抗えずに、恍惚とした笑みを浮かべた。先程までの機嫌の悪さも怒りも文句も、全てが頭から抜けていた。
「え、ええ。そうです。そういえば、告白なんかもしているのを見たことがあります。それに、事件の前の夜に、口論もしていました。私、見ました。」
滑らかに零れ落ちる秘密。職務上、家のことは口止めされているはずなのに、イツ子の口から漏れ出た秘密を止める理性は、イツ子の中から一時的に消失していた。
「有難うございます。イツ子サン。」
陶酔したような顔で立ち尽くすイツ子の横をすり抜けて、二人は食堂へと入っていく。
しばらく動けそうにもないまま廊下に立ち尽くすイツ子の耳に、すれ違いざまに囁かれたヒョウの一言が残り続けていた。
「貴女も十分魅力的ですよ。」
お世辞かどうかも判別がつかないまま、その囁きはイツ子の足を床に縛り付けていた。
女性達の口を通して、少しずつ明らかになる真実。
事件はようやくその外観に明確な線を引き始める。
果たして、最後に笑うのは誰か?
最後に泣くのは誰か?
全てを明らかにするべく、探偵は活躍を始める。
悲劇の夜は更けていく。
そして、運命の朝が開ける。
そこにあるのは、いったい・・・。
悲劇の先に待つものは?
温室から客室に戻った二人は、いつも通りの場所でそれぞれに寛いでいた。
ベッドの上で寝転がるリンに、椅子に座って足を組んでいるヒョウ。
「先生、事件いつ終わるの?」
頭だけをヒョウに向けて、リンが尋ねる。
この屋敷に来てから、既に三日になる。この客室も少しずつ馴染み始めて、リンは自分の部屋のように寛いでいる。リンの場合は、三日前から自分の部屋のように寛いでいたのが。
「ホームシックになりましたか?」
微笑で尋ねるヒョウ。リンにホームシックという言葉ほど無縁なものはないというのに。
リンは首の鈴で否定を知らせた。
「でも、ココ、飽きた。」
つまらなそうな顔で呟くリン。娯楽とは無縁の邸内は、リンにとっては拷問のようなものなのかもしれない。
ヒョウはリンにだけ見せる柔らかな温度のある笑みを浮かべる。
「そうですか。今後の休暇のこともありますし、そろそろ依頼を片付けるべきなのでしょうか?寛ぐのならば、事務所の方が落ち着きますし。」
「やったぁ!」
ヒョウの言葉を同意と取り、リンはベッドの上で飛び跳ねる。
すぐにベッドを降りて駆け出すと、ヒョウの胸に飛び込む。
「先生、大好き。」
甘えるようにヒョウの胸に顔を埋めるリン。
ヒョウはリンの頭を手袋に覆われた手で撫でた。
「本当に貴方には敵いませんね。」
その時、室内にノックの音が響く。
コンコンコン。
聞きなれないノックの音。慌てているようで急いでいるような音。
「あっ、ご飯だ!」
嬉しそうに声を上げ、リンはヒョウから離れて扉に走り出した。
「はーい!」
勢いよくリンが扉を開けると、そこにはメイド頭のイツ子の姿があった。
「夕食のご用意が出来ました。」
少し上気した頬で、渾身の笑みで、イツ子は部屋の奥のヒョウを見つめている。扉を開けたリンは視界にすら入っていない。
ヒョウはイツ子の熱っぽい視線を平気で受け流しながら、椅子から立ち上がった。
「はい、分かりました。有難うございます、イツ子サン。」
「いえいえ。」
イツ子が先頭を行き、二人がその後ろについて歩く。
食堂までの道すがら、イツ子は思いつくままに喋り続けた。ヒョウとの会話を一方的に楽しんでいるイツ子の話題は、世間話などの実のない話が多く、ヒョウも相槌以上の返事はしていないのだが、イツ子の話はますますヒートアップしていた。
イツ子の息継ぎの合間を狙って、仮面のような微笑のヒョウが尋ねる。
「メイド頭のイツ子サンが直々に夕食にご案内してくださるとは、感謝に堪えませんね。しかし、ご迷惑なのではありませんか?夕食前はお忙しいのでしょう?」
「そうなんですよ。杏子ちゃんが、どこかに行っちゃったんですよ。でも、探偵さんのように素敵な方の案内なら、私は喜んで張り切ってしまいますけどね。」
瞳を輝かせて、軽くシナを作ってみせるイツ子。またまだ衰えを知らないバイタリティーは、どこまでも健在だ。
「杏子サンはどうしたんですか?」
イツ子の意思に反して、話題が若いメイドの杏子のことになる。イツ子は途端に不機嫌になって、文句を吐き出すように答えた。
「それは、こっちが聞きたいくらいです。こんなに忙しい時間になっても、仕事を放り出したままなんて。坊ちゃんが亡くなられて落ち込んでいるのは分かるけど。だからって、仕事を放り出していい理由にはならないわ。」
後半は独り言のようにぶつぶつと呟いている。
「いくら坊ちゃんと親しくしていたからって、それはそれ、これはこれよ。あの子は、このお屋敷のメイドなんだから。」
そこで、イツ子は言葉を止めると、ヒョウに期待するようでいて、尚且つ非難するような悲喜こもごもといった視線を向けた。可愛く見せるために、口を尖らせている。
「探偵さんも、若い子の方がいいんでしょう?」
ヒョウは微笑のまま何も答えなかった。
イツ子は、それを肯定と取っていた。
「男は皆そうよ。若い女の方がいいのよ。」
イツ子の文句は続いていく。忙しさというストレスと、事件という異常な高揚と興奮が、教育を受けていたはずのベテランメイド頭の口を軽くしていた。
「確かに、杏子ちゃんは可愛らしい子だけど。それは、分かってるわ。でも、坊ちゃんも、探偵さんも、彼女にしか興味がないなんて酷すぎる。野村君だって、勝ち目もないのに杏子ちゃんのこと好きになってたりして。もう、どうせ私はおばちゃんよ。」
ぷりぷりという擬態語が、イツ子にはぴったりだった。
そうこうしている内に、いつの間にか一行は食堂に到着する。
「野村サンは、巧サンと杏子サンのことを知っていながら、それでも彼女に心を寄せていたのですか?」
ヒョウが華やかな微笑を用意して、イツ子に尋ねる。
イツ子は微笑の魔力に抗えずに、恍惚とした笑みを浮かべた。先程までの機嫌の悪さも怒りも文句も、全てが頭から抜けていた。
「え、ええ。そうです。そういえば、告白なんかもしているのを見たことがあります。それに、事件の前の夜に、口論もしていました。私、見ました。」
滑らかに零れ落ちる秘密。職務上、家のことは口止めされているはずなのに、イツ子の口から漏れ出た秘密を止める理性は、イツ子の中から一時的に消失していた。
「有難うございます。イツ子サン。」
陶酔したような顔で立ち尽くすイツ子の横をすり抜けて、二人は食堂へと入っていく。
しばらく動けそうにもないまま廊下に立ち尽くすイツ子の耳に、すれ違いざまに囁かれたヒョウの一言が残り続けていた。
「貴女も十分魅力的ですよ。」
お世辞かどうかも判別がつかないまま、その囁きはイツ子の足を床に縛り付けていた。
女性達の口を通して、少しずつ明らかになる真実。
事件はようやくその外観に明確な線を引き始める。
果たして、最後に笑うのは誰か?
最後に泣くのは誰か?
全てを明らかにするべく、探偵は活躍を始める。
悲劇の夜は更けていく。
そして、運命の朝が開ける。
そこにあるのは、いったい・・・。
悲劇の先に待つものは?
0
あなたにおすすめの小説
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
白い結婚の行方
宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」
そう告げられたのは、まだ十二歳だった。
名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。
愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。
この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。
冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。
誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。
結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。
これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。
偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。
交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。
真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。
──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?
後宮なりきり夫婦録
石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」
「はあ……?」
雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。
あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。
空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。
かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。
影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。
サイトより転載になります。
わたくしがお父様に疎まれている?いいえ、目に入れても痛くない程溺愛されております。
織り子
ファンタジー
王国貴族院の卒業記念パーティーの場で、大公家の令嬢ルクレツィア・アーヴェントは王太子エドワードから突然の婚約破棄を告げられる。
父であるアーヴェント大公に疎まれている――
噂を知った王太子は、彼女を公衆の面前で侮辱する。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
三年の想いは小瓶の中に
月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。
※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる