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第九幕 五 「先生、事件いつ終わるの?」
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五
温室から客室に戻った二人は、いつも通りの場所でそれぞれに寛いでいた。
ベッドの上で寝転がるリンに、椅子に座って足を組んでいるヒョウ。
「先生、事件いつ終わるの?」
頭だけをヒョウに向けて、リンが尋ねる。
この屋敷に来てから、既に三日になる。この客室も少しずつ馴染み始めて、リンは自分の部屋のように寛いでいる。リンの場合は、三日前から自分の部屋のように寛いでいたのが。
「ホームシックになりましたか?」
微笑で尋ねるヒョウ。リンにホームシックという言葉ほど無縁なものはないというのに。
リンは首の鈴で否定を知らせた。
「でも、ココ、飽きた。」
つまらなそうな顔で呟くリン。娯楽とは無縁の邸内は、リンにとっては拷問のようなものなのかもしれない。
ヒョウはリンにだけ見せる柔らかな温度のある笑みを浮かべる。
「そうですか。今後の休暇のこともありますし、そろそろ依頼を片付けるべきなのでしょうか?寛ぐのならば、事務所の方が落ち着きますし。」
「やったぁ!」
ヒョウの言葉を同意と取り、リンはベッドの上で飛び跳ねる。
すぐにベッドを降りて駆け出すと、ヒョウの胸に飛び込む。
「先生、大好き。」
甘えるようにヒョウの胸に顔を埋めるリン。
ヒョウはリンの頭を手袋に覆われた手で撫でた。
「本当に貴方には敵いませんね。」
その時、室内にノックの音が響く。
コンコンコン。
聞きなれないノックの音。慌てているようで急いでいるような音。
「あっ、ご飯だ!」
嬉しそうに声を上げ、リンはヒョウから離れて扉に走り出した。
「はーい!」
勢いよくリンが扉を開けると、そこにはメイド頭のイツ子の姿があった。
「夕食のご用意が出来ました。」
少し上気した頬で、渾身の笑みで、イツ子は部屋の奥のヒョウを見つめている。扉を開けたリンは視界にすら入っていない。
ヒョウはイツ子の熱っぽい視線を平気で受け流しながら、椅子から立ち上がった。
「はい、分かりました。有難うございます、イツ子サン。」
「いえいえ。」
イツ子が先頭を行き、二人がその後ろについて歩く。
食堂までの道すがら、イツ子は思いつくままに喋り続けた。ヒョウとの会話を一方的に楽しんでいるイツ子の話題は、世間話などの実のない話が多く、ヒョウも相槌以上の返事はしていないのだが、イツ子の話はますますヒートアップしていた。
イツ子の息継ぎの合間を狙って、仮面のような微笑のヒョウが尋ねる。
「メイド頭のイツ子サンが直々に夕食にご案内してくださるとは、感謝に堪えませんね。しかし、ご迷惑なのではありませんか?夕食前はお忙しいのでしょう?」
「そうなんですよ。杏子ちゃんが、どこかに行っちゃったんですよ。でも、探偵さんのように素敵な方の案内なら、私は喜んで張り切ってしまいますけどね。」
瞳を輝かせて、軽くシナを作ってみせるイツ子。またまだ衰えを知らないバイタリティーは、どこまでも健在だ。
「杏子サンはどうしたんですか?」
イツ子の意思に反して、話題が若いメイドの杏子のことになる。イツ子は途端に不機嫌になって、文句を吐き出すように答えた。
「それは、こっちが聞きたいくらいです。こんなに忙しい時間になっても、仕事を放り出したままなんて。坊ちゃんが亡くなられて落ち込んでいるのは分かるけど。だからって、仕事を放り出していい理由にはならないわ。」
後半は独り言のようにぶつぶつと呟いている。
「いくら坊ちゃんと親しくしていたからって、それはそれ、これはこれよ。あの子は、このお屋敷のメイドなんだから。」
そこで、イツ子は言葉を止めると、ヒョウに期待するようでいて、尚且つ非難するような悲喜こもごもといった視線を向けた。可愛く見せるために、口を尖らせている。
「探偵さんも、若い子の方がいいんでしょう?」
ヒョウは微笑のまま何も答えなかった。
イツ子は、それを肯定と取っていた。
「男は皆そうよ。若い女の方がいいのよ。」
イツ子の文句は続いていく。忙しさというストレスと、事件という異常な高揚と興奮が、教育を受けていたはずのベテランメイド頭の口を軽くしていた。
「確かに、杏子ちゃんは可愛らしい子だけど。それは、分かってるわ。でも、坊ちゃんも、探偵さんも、彼女にしか興味がないなんて酷すぎる。野村君だって、勝ち目もないのに杏子ちゃんのこと好きになってたりして。もう、どうせ私はおばちゃんよ。」
ぷりぷりという擬態語が、イツ子にはぴったりだった。
そうこうしている内に、いつの間にか一行は食堂に到着する。
「野村サンは、巧サンと杏子サンのことを知っていながら、それでも彼女に心を寄せていたのですか?」
ヒョウが華やかな微笑を用意して、イツ子に尋ねる。
イツ子は微笑の魔力に抗えずに、恍惚とした笑みを浮かべた。先程までの機嫌の悪さも怒りも文句も、全てが頭から抜けていた。
「え、ええ。そうです。そういえば、告白なんかもしているのを見たことがあります。それに、事件の前の夜に、口論もしていました。私、見ました。」
滑らかに零れ落ちる秘密。職務上、家のことは口止めされているはずなのに、イツ子の口から漏れ出た秘密を止める理性は、イツ子の中から一時的に消失していた。
「有難うございます。イツ子サン。」
陶酔したような顔で立ち尽くすイツ子の横をすり抜けて、二人は食堂へと入っていく。
しばらく動けそうにもないまま廊下に立ち尽くすイツ子の耳に、すれ違いざまに囁かれたヒョウの一言が残り続けていた。
「貴女も十分魅力的ですよ。」
お世辞かどうかも判別がつかないまま、その囁きはイツ子の足を床に縛り付けていた。
女性達の口を通して、少しずつ明らかになる真実。
事件はようやくその外観に明確な線を引き始める。
果たして、最後に笑うのは誰か?
最後に泣くのは誰か?
全てを明らかにするべく、探偵は活躍を始める。
悲劇の夜は更けていく。
そして、運命の朝が開ける。
そこにあるのは、いったい・・・。
悲劇の先に待つものは?
温室から客室に戻った二人は、いつも通りの場所でそれぞれに寛いでいた。
ベッドの上で寝転がるリンに、椅子に座って足を組んでいるヒョウ。
「先生、事件いつ終わるの?」
頭だけをヒョウに向けて、リンが尋ねる。
この屋敷に来てから、既に三日になる。この客室も少しずつ馴染み始めて、リンは自分の部屋のように寛いでいる。リンの場合は、三日前から自分の部屋のように寛いでいたのが。
「ホームシックになりましたか?」
微笑で尋ねるヒョウ。リンにホームシックという言葉ほど無縁なものはないというのに。
リンは首の鈴で否定を知らせた。
「でも、ココ、飽きた。」
つまらなそうな顔で呟くリン。娯楽とは無縁の邸内は、リンにとっては拷問のようなものなのかもしれない。
ヒョウはリンにだけ見せる柔らかな温度のある笑みを浮かべる。
「そうですか。今後の休暇のこともありますし、そろそろ依頼を片付けるべきなのでしょうか?寛ぐのならば、事務所の方が落ち着きますし。」
「やったぁ!」
ヒョウの言葉を同意と取り、リンはベッドの上で飛び跳ねる。
すぐにベッドを降りて駆け出すと、ヒョウの胸に飛び込む。
「先生、大好き。」
甘えるようにヒョウの胸に顔を埋めるリン。
ヒョウはリンの頭を手袋に覆われた手で撫でた。
「本当に貴方には敵いませんね。」
その時、室内にノックの音が響く。
コンコンコン。
聞きなれないノックの音。慌てているようで急いでいるような音。
「あっ、ご飯だ!」
嬉しそうに声を上げ、リンはヒョウから離れて扉に走り出した。
「はーい!」
勢いよくリンが扉を開けると、そこにはメイド頭のイツ子の姿があった。
「夕食のご用意が出来ました。」
少し上気した頬で、渾身の笑みで、イツ子は部屋の奥のヒョウを見つめている。扉を開けたリンは視界にすら入っていない。
ヒョウはイツ子の熱っぽい視線を平気で受け流しながら、椅子から立ち上がった。
「はい、分かりました。有難うございます、イツ子サン。」
「いえいえ。」
イツ子が先頭を行き、二人がその後ろについて歩く。
食堂までの道すがら、イツ子は思いつくままに喋り続けた。ヒョウとの会話を一方的に楽しんでいるイツ子の話題は、世間話などの実のない話が多く、ヒョウも相槌以上の返事はしていないのだが、イツ子の話はますますヒートアップしていた。
イツ子の息継ぎの合間を狙って、仮面のような微笑のヒョウが尋ねる。
「メイド頭のイツ子サンが直々に夕食にご案内してくださるとは、感謝に堪えませんね。しかし、ご迷惑なのではありませんか?夕食前はお忙しいのでしょう?」
「そうなんですよ。杏子ちゃんが、どこかに行っちゃったんですよ。でも、探偵さんのように素敵な方の案内なら、私は喜んで張り切ってしまいますけどね。」
瞳を輝かせて、軽くシナを作ってみせるイツ子。またまだ衰えを知らないバイタリティーは、どこまでも健在だ。
「杏子サンはどうしたんですか?」
イツ子の意思に反して、話題が若いメイドの杏子のことになる。イツ子は途端に不機嫌になって、文句を吐き出すように答えた。
「それは、こっちが聞きたいくらいです。こんなに忙しい時間になっても、仕事を放り出したままなんて。坊ちゃんが亡くなられて落ち込んでいるのは分かるけど。だからって、仕事を放り出していい理由にはならないわ。」
後半は独り言のようにぶつぶつと呟いている。
「いくら坊ちゃんと親しくしていたからって、それはそれ、これはこれよ。あの子は、このお屋敷のメイドなんだから。」
そこで、イツ子は言葉を止めると、ヒョウに期待するようでいて、尚且つ非難するような悲喜こもごもといった視線を向けた。可愛く見せるために、口を尖らせている。
「探偵さんも、若い子の方がいいんでしょう?」
ヒョウは微笑のまま何も答えなかった。
イツ子は、それを肯定と取っていた。
「男は皆そうよ。若い女の方がいいのよ。」
イツ子の文句は続いていく。忙しさというストレスと、事件という異常な高揚と興奮が、教育を受けていたはずのベテランメイド頭の口を軽くしていた。
「確かに、杏子ちゃんは可愛らしい子だけど。それは、分かってるわ。でも、坊ちゃんも、探偵さんも、彼女にしか興味がないなんて酷すぎる。野村君だって、勝ち目もないのに杏子ちゃんのこと好きになってたりして。もう、どうせ私はおばちゃんよ。」
ぷりぷりという擬態語が、イツ子にはぴったりだった。
そうこうしている内に、いつの間にか一行は食堂に到着する。
「野村サンは、巧サンと杏子サンのことを知っていながら、それでも彼女に心を寄せていたのですか?」
ヒョウが華やかな微笑を用意して、イツ子に尋ねる。
イツ子は微笑の魔力に抗えずに、恍惚とした笑みを浮かべた。先程までの機嫌の悪さも怒りも文句も、全てが頭から抜けていた。
「え、ええ。そうです。そういえば、告白なんかもしているのを見たことがあります。それに、事件の前の夜に、口論もしていました。私、見ました。」
滑らかに零れ落ちる秘密。職務上、家のことは口止めされているはずなのに、イツ子の口から漏れ出た秘密を止める理性は、イツ子の中から一時的に消失していた。
「有難うございます。イツ子サン。」
陶酔したような顔で立ち尽くすイツ子の横をすり抜けて、二人は食堂へと入っていく。
しばらく動けそうにもないまま廊下に立ち尽くすイツ子の耳に、すれ違いざまに囁かれたヒョウの一言が残り続けていた。
「貴女も十分魅力的ですよ。」
お世辞かどうかも判別がつかないまま、その囁きはイツ子の足を床に縛り付けていた。
女性達の口を通して、少しずつ明らかになる真実。
事件はようやくその外観に明確な線を引き始める。
果たして、最後に笑うのは誰か?
最後に泣くのは誰か?
全てを明らかにするべく、探偵は活躍を始める。
悲劇の夜は更けていく。
そして、運命の朝が開ける。
そこにあるのは、いったい・・・。
悲劇の先に待つものは?
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