【完結】死神探偵 紅の事件 ~シリアルキラーと探偵遊戯~

夢追子(@電子コミック配信中)

文字の大きさ
68 / 82

第九幕 四 「人間が恐怖を感じるのは、死と罪です」

しおりを挟む
     四

 主のなくなった温室内で、バラたちは何も変わらずに咲き続けている。咲き誇るように、美しさを競い合うように。端麗な色彩は管理者が変わろうとも、管理さえ続けられていれば、文句一つ言わないだろう。虚しいまでに鮮やかな楽園は、主の不在にも喪に服したりはしない。
 主だけがぽっかりと開いた穴のようにいなくなった楽園内で、杏子はしがみつくように思い出に浸っていたのだろうか?それとも、受け入れがたい現実を否定していたのだろうか?力のない瞳が、厳しい現実を受け入れられないことを明確に物語っている。
 そういう意味では、皮肉にも、この温室というのは現実からの逃避場所として最適だった。
「杏子サン。一つお聞きしてもよろしいですか?」
 亡き主の場所だった作業スペースに、代理人のように収まっている杏子。生前、二人の密会の場所だったバラの中は、今はもう一人だけの場所となっている。孤独と辛い思い出、全ての根源でありながら、輝かしく柔らかな過去をも想起させる。
「はい。」
 ヒョウの質問に頷く杏子だが、瞳にヒョウを映してはいない。
 手近にある白いバラの花を黒い手袋で触りながら、ヒョウは続けた。
「何故、この温室には紅いバラの花がないのですか?バラの中で紅という色は、あまりにも一般的です。しかし、この膨大な数の花の中に、一つもないというのは、些か奇妙な感じがしまして。」
 淡々とした口調で、杏子に向けてというよりは白いバラに向けて尋ねるヒョウ。
 杏子も、ヒョウに視線は向けずにいた。
 二人は相手に話をしながらも、会話を成立させていないかのように互いに視線を合わせていない。
 大きなため息の後、杏子は故人を偲ぶような、夢のような幸せな過去を偲ぶような口調で口を開いた。口を開けば、故人への狂おしいまでの恋慕が溢れてしまいそうだった。
「巧様は、彼は、紅い色が苦手だったんです。紅い色が怖かったんです。」
「確かに、彼は何かに怯えているようでしたね。」
 故人を偲ぶような口調の杏子とは対照的に、ヒョウの口調は変わらない。涼しげで淡白で、感情など入り込む余地などない。それだというのに、透明で澄んだ声音。それは、酷く冷たく響く。温室の雰囲気とは不似合いなほど。
「人間が恐怖を感じるのは、死と罪です。彼の場合は後者でしたか?」
 杏子の瞳から、大粒の涙が溢れ出す。それでも、杏子は声一つ上げずに泣き続けるだけで、嗚咽すら漏らさなかった。心のどこかが麻痺したような、そんな呆然とした顔で、ただ涙を流し続ける。
「紅という色で想起するのは血です。違いますか?」
 杏子は答えない。
「巧サンの自殺の原因は、何だと思いますか?」
 反応すら見せず、杏子は魂が抜けたように、動くことすら忘れていた。
 それ以上の質問の無意味さを感じ取り、ヒョウは肩を竦めて見せる。
「失礼しました。」
 バラから視線を外し、杏子へと向けた後、仰々しく一礼してみせるヒョウ。
「リン、行きますよ。」
 リンの鈴が肯定し、二人は歩き始める。
 二人が温室を出たところで、温室内には雨が降り始めた。
 亡き主へ向けられた涙のように、温室内に雨が降る。
 そんな温室の中で、雨と涙を同化させて、杏子は佇んでいた。立ち入り禁止の楽園の中で、現実を否定しながら過去に浸り続けていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】『左遷女官は風花の離宮で自分らしく咲く』 〜田舎育ちのおっとり女官は、氷の貴公子の心を溶かす〜

天音蝶子(あまねちょうこ)
キャラ文芸
宮中の桜が散るころ、梓乃は“帝に媚びた”という濡れ衣を着せられ、都を追われた。 行き先は、誰も訪れぬ〈風花の離宮〉。 けれど梓乃は、静かな時間の中で花を愛で、香を焚き、己の心を見つめなおしていく。 そんなある日、離宮の監察(監視)を命じられた、冷徹な青年・宗雅が現れる。 氷のように無表情な彼に、梓乃はいつも通りの微笑みを向けた。 「茶をお持ちいたしましょう」 それは、春の陽だまりのように柔らかい誘いだった——。 冷たい孤独を抱く男と、誰よりも穏やかに生きる女。 遠ざけられた地で、ふたりの心は少しずつ寄り添いはじめる。 そして、帝をめぐる陰謀の影がふたたび都から伸びてきたとき、 梓乃は自分の選んだ“幸せの形”を見つけることになる——。 香と花が彩る、しっとりとした雅な恋愛譚。 濡れ衣で左遷された女官の、静かで強い再生の物語。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

~後宮のやり直し巫女~私が本当の巫女ですが、謂れのない罪で処刑されたので後宮で人生をやり直すことにしました

深水えいな
キャラ文芸
明琳は国を統べる最高位の巫女、炎巫の候補となりながらも謂れのない罪で処刑されてしまう。死の淵で「お前が本物の炎巫だ。このままだと国が乱れる」と謎の美青年・天翼に言われ人生をやり直すことに。しかし巫女として四度人生をやり直すもののうまくいかず、次の人生では女官として後宮入りすることに。そこで待っていたのは後宮で巻き起こる怪事件と女性と見まごうばかりの美貌の宦官、誠羽で――今度の人生は、いつもと違う!?

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

芙蓉は後宮で花開く

速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。 借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー カクヨムでも連載しております。

炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~

悠井すみれ
キャラ文芸
昊耀国は、天より賜った《力》を持つ者たちが統べる国。後宮である天遊林では名家から選りすぐった姫たちが競い合い、皇子に選ばれるのを待っている。 強い《遠見》の力を持つ朱華は、とある家の姫の身代わりとして天遊林に入る。そしてめでたく第四皇子・炎俊の妃に選ばれるが、皇子は彼女が偽物だと見抜いていた。しかし炎俊は咎めることなく、自身の秘密を打ち明けてきた。「皇子」を名乗って帝位を狙う「彼」は、実は「女」なのだと。 お互いに秘密を握り合う仮初の「夫婦」は、次第に信頼を深めながら陰謀渦巻く後宮を生き抜いていく。 表紙は同人誌表紙メーカーで作成しました。 第6回キャラ文芸大賞応募作品です。

処理中です...