67 / 82
第九幕 三 「立ち入り禁止ですよね」
しおりを挟む
三
長い長い夏の日差しが、やっとの思いで傾き始めた。
強く照り続けていた光が、ようやく弱さを見せ始めて、少しずつ紅い色味を帯びていく。
明るすぎる光を嫌った黒い人影の二人連れも、庭に姿を見せる時間帯になる。
朝から忙しく立ち働いていた警察関係者も、昼下がりには引き揚げ始め、夕暮れともなると寂しいくらいに撤収を完了していた。あれだけ激しく瞬いていた赤色回転灯も、駐車スペースでごった返していた警察車両も、今は散り散りに帰ってしまった。
閑散とした邸内は、警察の喧騒の賑やかさの分だけ、さらに孤独を上乗せして感じさせているようだった。
道の途中ですれ違った庭師に軽く挨拶すると、ヒョウとリンは庭を進んでいく。当てのない散歩と言うよりは、目的地でもあるように迷いなく足を進めていくヒョウ。
二人が立ち止まったのは、黄色いテープに囲まれた温室の前だった。地上の楽園のように存在していたガラス張りの箱庭。今は、警察関係者に踏み荒らされ、結界のように立ち入り禁止の黄色いテープが張られていた。
立ち入り禁止テープの前に立ち、ヒョウは腕を組む。
「先生?」
リンはヒョウの横顔を見上げた。
だが、ヒョウから返事は返らない。温室の中を見つめたまま、ヒョウは彫刻のように立ち尽くし微動だにしなかった。
ヒョウの視線に鋭さはなく、虚空に向けられているようで焦点を結んでいるのかどうかすら分からない。憮然とした表情で立つ様子は、美術館に展示された彫刻のようにも見える。確認作業のように、儀式のように、ヒョウは巧の自殺現場である温室を見つめ続けていた。
ガラス張りの温室は、聖水のような雨に清められたようで、紅い穢れは洗われ、元の色彩を取り戻していた。宝石箱のように淡く輝き、胎内のように穏やかだ。
その時、ふと温室内の影が動いた。
ヒョウの瞳にも光が灯る。
「おや?誰かいらっしゃるようですね。立ち入り禁止と書かれているはずだというのに。」
リンは背伸びをするようにして、温室の中を覗き込もうとする。
ヒョウは長い足で張り巡らされた結界のテープを跨ぐと、温室の扉に手をかけた。
リンは慌ててヒョウの後を追うと、テープをくぐった。
「失礼します。」
中の人間に、堂々と声を掛けるヒョウ。
突然の訪問者に、人影は驚愕で肩を震わせた。
「すみません。驚かれてしまいましたか?」
微笑を浮かべ、仰々しく頭を下げるヒョウ。
人影は、ヒョウの後ろから覗き込むリンの姿に安堵を見せた。
「あっ、探偵さん。それに、リンちゃん。」
温室に一人佇んでいたのは、お仕着せ姿の杏子だった。朝、広間で会った時よりは足取りもしっかりしていたが、顔色は蒼白のままだった。可憐で清楚な雰囲気が、ショックから立ち直れずにいる彼女の儚さを際立たせている。
「こちらに、いつからいらしたんですか?」
「えっと、」
返答を返せずに口ごもる。しばらく迷った挙句、諦めたように杏子は頭を下げた。
「すいません。立ち入り禁止ですよね。分かってたんですけど、どうしてもココにいたくて。」
立ち去ろうと、杏子は歩き始めた。
だが、そんな杏子にヒョウは微笑を向けた。
「いえいえ。そういう意味ならば、私も同罪でしょう。テープを跨ぎましたから。リンもテープをくぐっていましたし。」
リンの同意の音も響く。
杏子は立ち止まると、少しだけ微笑んだ。
「そうですね。」
長い長い夏の日差しが、やっとの思いで傾き始めた。
強く照り続けていた光が、ようやく弱さを見せ始めて、少しずつ紅い色味を帯びていく。
明るすぎる光を嫌った黒い人影の二人連れも、庭に姿を見せる時間帯になる。
朝から忙しく立ち働いていた警察関係者も、昼下がりには引き揚げ始め、夕暮れともなると寂しいくらいに撤収を完了していた。あれだけ激しく瞬いていた赤色回転灯も、駐車スペースでごった返していた警察車両も、今は散り散りに帰ってしまった。
閑散とした邸内は、警察の喧騒の賑やかさの分だけ、さらに孤独を上乗せして感じさせているようだった。
道の途中ですれ違った庭師に軽く挨拶すると、ヒョウとリンは庭を進んでいく。当てのない散歩と言うよりは、目的地でもあるように迷いなく足を進めていくヒョウ。
二人が立ち止まったのは、黄色いテープに囲まれた温室の前だった。地上の楽園のように存在していたガラス張りの箱庭。今は、警察関係者に踏み荒らされ、結界のように立ち入り禁止の黄色いテープが張られていた。
立ち入り禁止テープの前に立ち、ヒョウは腕を組む。
「先生?」
リンはヒョウの横顔を見上げた。
だが、ヒョウから返事は返らない。温室の中を見つめたまま、ヒョウは彫刻のように立ち尽くし微動だにしなかった。
ヒョウの視線に鋭さはなく、虚空に向けられているようで焦点を結んでいるのかどうかすら分からない。憮然とした表情で立つ様子は、美術館に展示された彫刻のようにも見える。確認作業のように、儀式のように、ヒョウは巧の自殺現場である温室を見つめ続けていた。
ガラス張りの温室は、聖水のような雨に清められたようで、紅い穢れは洗われ、元の色彩を取り戻していた。宝石箱のように淡く輝き、胎内のように穏やかだ。
その時、ふと温室内の影が動いた。
ヒョウの瞳にも光が灯る。
「おや?誰かいらっしゃるようですね。立ち入り禁止と書かれているはずだというのに。」
リンは背伸びをするようにして、温室の中を覗き込もうとする。
ヒョウは長い足で張り巡らされた結界のテープを跨ぐと、温室の扉に手をかけた。
リンは慌ててヒョウの後を追うと、テープをくぐった。
「失礼します。」
中の人間に、堂々と声を掛けるヒョウ。
突然の訪問者に、人影は驚愕で肩を震わせた。
「すみません。驚かれてしまいましたか?」
微笑を浮かべ、仰々しく頭を下げるヒョウ。
人影は、ヒョウの後ろから覗き込むリンの姿に安堵を見せた。
「あっ、探偵さん。それに、リンちゃん。」
温室に一人佇んでいたのは、お仕着せ姿の杏子だった。朝、広間で会った時よりは足取りもしっかりしていたが、顔色は蒼白のままだった。可憐で清楚な雰囲気が、ショックから立ち直れずにいる彼女の儚さを際立たせている。
「こちらに、いつからいらしたんですか?」
「えっと、」
返答を返せずに口ごもる。しばらく迷った挙句、諦めたように杏子は頭を下げた。
「すいません。立ち入り禁止ですよね。分かってたんですけど、どうしてもココにいたくて。」
立ち去ろうと、杏子は歩き始めた。
だが、そんな杏子にヒョウは微笑を向けた。
「いえいえ。そういう意味ならば、私も同罪でしょう。テープを跨ぎましたから。リンもテープをくぐっていましたし。」
リンの同意の音も響く。
杏子は立ち止まると、少しだけ微笑んだ。
「そうですね。」
0
あなたにおすすめの小説
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
後宮なりきり夫婦録
石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」
「はあ……?」
雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。
あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。
空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。
かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。
影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。
サイトより転載になります。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
~後宮のやり直し巫女~私が本当の巫女ですが、謂れのない罪で処刑されたので後宮で人生をやり直すことにしました
深水えいな
キャラ文芸
明琳は国を統べる最高位の巫女、炎巫の候補となりながらも謂れのない罪で処刑されてしまう。死の淵で「お前が本物の炎巫だ。このままだと国が乱れる」と謎の美青年・天翼に言われ人生をやり直すことに。しかし巫女として四度人生をやり直すもののうまくいかず、次の人生では女官として後宮入りすることに。そこで待っていたのは後宮で巻き起こる怪事件と女性と見まごうばかりの美貌の宦官、誠羽で――今度の人生は、いつもと違う!?
芙蓉は後宮で花開く
速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。
借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー
カクヨムでも連載しております。
炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~
悠井すみれ
キャラ文芸
昊耀国は、天より賜った《力》を持つ者たちが統べる国。後宮である天遊林では名家から選りすぐった姫たちが競い合い、皇子に選ばれるのを待っている。
強い《遠見》の力を持つ朱華は、とある家の姫の身代わりとして天遊林に入る。そしてめでたく第四皇子・炎俊の妃に選ばれるが、皇子は彼女が偽物だと見抜いていた。しかし炎俊は咎めることなく、自身の秘密を打ち明けてきた。「皇子」を名乗って帝位を狙う「彼」は、実は「女」なのだと。
お互いに秘密を握り合う仮初の「夫婦」は、次第に信頼を深めながら陰謀渦巻く後宮を生き抜いていく。
表紙は同人誌表紙メーカーで作成しました。
第6回キャラ文芸大賞応募作品です。
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
烏の王と宵の花嫁
水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。
唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。
その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。
ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。
死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。
※初出2024年7月
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる