13 / 16
五 華一掬 8
しおりを挟む
仁宗のほうも狄青の人となりを信じていたから、
「呼び出すのは形だけである」
と思ってるらしいし、その都度、文官たちが居並ぶ前で、「不問に付す」との結論を下す。でなければ、百官が承知しないのであろう。
狄青に対する信頼はもちろんのこと、それら諸々が込められた仁宗の、ある種の悲哀ともいうべきものが、彼の発せられる声に込められているのが伝わって、
(とんだ芝居だ。これがいわゆる「茶番劇」というようなものか。陛下も大変なことだ)
思いながら、狄青が皇帝を見ると、皇帝もまた、同じような微苦笑を含んだ目で彼を見詰めていたものだ。
いつもの如く部屋の寝床へ横たわり、背への薬を塗ってもらっていた狄青は、医師と顔を見合わせて思わず苦笑しながら、
「俺が行こう。どこの酒場だ」
瀟洒な縫い取りのある衣の袖へと手を通した。
(暴動とは、大袈裟な言い方だが)
そしてよく耳を澄ませば、なるほど、今夜は町から伝わってくる喧騒が一段と大きいようにも感じられる。だが、
(これまでと同じだ。懲りないことだ)
あくまで軽く考えて、苦笑いを浮かべながら狄青はその酒場へと急いだ。すると、
「この国が平和なのは、誰のおかげだ!」
「手柄の無い文官が、大きな顔をするな。お前たちこそ手柄の無い罪で、刺青を入れられて然るべきだ!」
「そうだそうだ、何なら俺たちの手で、今すぐ刺青を入れてやろうか!」
近づくにつれ人だかりは多くなり、そのような罵声も聞こえてくる。
そして、狄青がその人垣を掻き分け掻き分け、ようやく店の前へ姿を現したのと同時に、
「かの刺青将軍であれば、お前たちや皇帝に取って代わって、この国の皇帝になってもよいはずだ!」
酒場の入り口に屯していた五、六人のうち、とある兵士が叫んだ。
その兵士は、既に一人の文官の胸倉を掴んでおり、その文官は地面に膝をついている。それへ向かって、兵士が拳を振り上げるのと、
「やめろ!」
狄青が叫ぶのとがほぼ同時だった。瞬間、骨が砕けるような音がして、文官の体は地面へ投げ出されており、
「医師を呼べ! それから、巡回使をこちらへ集合させてくれ」
狄青はその文官へ慌てて駆け寄って、てきぱきと命令を下す。
さすがに敬愛する人物が姿を現したとあって、
「刺青殿だ」「刺青宰相が来た」
興奮していた兵士たちの酔いも、一気に醒めたらしい。
「……酔った上での戯れではすまない。分かるな?」
青ざめた顔の兵士たちへ、狄青は静かに告げた。静まり返ったその場に、太いその声はいやによく響いて、
「お前たちは、軍令に違反して上官へ暴行を加えた。実際にその現場を見たから、俺も黙って見過ごすわけにはいかない。それに、お前たちは俺が皇帝に取って代わる、とまで言った。陛下に対する大変な不敬である。よって、俺はこれよりお前たちを」
続けながら、
(俺は、こんなことが出来るようになることを望んでいたわけではない)
さすがに一瞬、息を呑んだ。
そして強く結んだ唇から、ゆるゆると息を吐き出しつつ、
「お前たちを、ここで処刑せねばならない。そこへ並べ」
と、続けたのである。
「呼び出すのは形だけである」
と思ってるらしいし、その都度、文官たちが居並ぶ前で、「不問に付す」との結論を下す。でなければ、百官が承知しないのであろう。
狄青に対する信頼はもちろんのこと、それら諸々が込められた仁宗の、ある種の悲哀ともいうべきものが、彼の発せられる声に込められているのが伝わって、
(とんだ芝居だ。これがいわゆる「茶番劇」というようなものか。陛下も大変なことだ)
思いながら、狄青が皇帝を見ると、皇帝もまた、同じような微苦笑を含んだ目で彼を見詰めていたものだ。
いつもの如く部屋の寝床へ横たわり、背への薬を塗ってもらっていた狄青は、医師と顔を見合わせて思わず苦笑しながら、
「俺が行こう。どこの酒場だ」
瀟洒な縫い取りのある衣の袖へと手を通した。
(暴動とは、大袈裟な言い方だが)
そしてよく耳を澄ませば、なるほど、今夜は町から伝わってくる喧騒が一段と大きいようにも感じられる。だが、
(これまでと同じだ。懲りないことだ)
あくまで軽く考えて、苦笑いを浮かべながら狄青はその酒場へと急いだ。すると、
「この国が平和なのは、誰のおかげだ!」
「手柄の無い文官が、大きな顔をするな。お前たちこそ手柄の無い罪で、刺青を入れられて然るべきだ!」
「そうだそうだ、何なら俺たちの手で、今すぐ刺青を入れてやろうか!」
近づくにつれ人だかりは多くなり、そのような罵声も聞こえてくる。
そして、狄青がその人垣を掻き分け掻き分け、ようやく店の前へ姿を現したのと同時に、
「かの刺青将軍であれば、お前たちや皇帝に取って代わって、この国の皇帝になってもよいはずだ!」
酒場の入り口に屯していた五、六人のうち、とある兵士が叫んだ。
その兵士は、既に一人の文官の胸倉を掴んでおり、その文官は地面に膝をついている。それへ向かって、兵士が拳を振り上げるのと、
「やめろ!」
狄青が叫ぶのとがほぼ同時だった。瞬間、骨が砕けるような音がして、文官の体は地面へ投げ出されており、
「医師を呼べ! それから、巡回使をこちらへ集合させてくれ」
狄青はその文官へ慌てて駆け寄って、てきぱきと命令を下す。
さすがに敬愛する人物が姿を現したとあって、
「刺青殿だ」「刺青宰相が来た」
興奮していた兵士たちの酔いも、一気に醒めたらしい。
「……酔った上での戯れではすまない。分かるな?」
青ざめた顔の兵士たちへ、狄青は静かに告げた。静まり返ったその場に、太いその声はいやによく響いて、
「お前たちは、軍令に違反して上官へ暴行を加えた。実際にその現場を見たから、俺も黙って見過ごすわけにはいかない。それに、お前たちは俺が皇帝に取って代わる、とまで言った。陛下に対する大変な不敬である。よって、俺はこれよりお前たちを」
続けながら、
(俺は、こんなことが出来るようになることを望んでいたわけではない)
さすがに一瞬、息を呑んだ。
そして強く結んだ唇から、ゆるゆると息を吐き出しつつ、
「お前たちを、ここで処刑せねばならない。そこへ並べ」
と、続けたのである。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる