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ピュグマリオン
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僕は君を知ってしまった。
「ねえ、氷室君。この色、どうやって出してるの?」
高校に入学して一年半。美術部に入部して、敢えて誰とも話さないように努めていた僕の心の中に、
「すごいねえ、素敵だね」
君は屈託なく微笑ってするりと入り込んでくる。
「あ、え、っと、これはね」
だから僕はもつれそうになる舌を一生懸命に動かして、僕のカンパスの彩りについて説明するのだ。
「青をベースにして、白を散らす…それだけじゃなくて、もっと他に大胆に赤も少し混ぜて」
「うんうん」
拙い僕の説明を、君は肩までの髪を揺らしながら熱心に聞く。
「すごく参考になるよ、ありがとうね」
「…いや、別にこれくらい」
素直な賞賛の言葉を聞いて、胸が苦しくなるようになったのはいつからだろう。
僕はいつだって独りでいい。
そうさ、偉大な芸術家はいつだって孤独なもの。桜の花びらが渦巻く絵を描きながら、僕は思っていた。
孤独だからこそ生まれる芸術は素晴らしい。僕の考え方は間違っちゃいないはず。
「作品は素敵なんだけどね」
だからいつだって独りでいた僕の作品を見ながら、顧問の先生は苦笑する。
「もっと他に大事なこと、あるんじゃないのかしら」
言いたいことは分かる。そういうのも一つの考え方なんだろう。だけど僕は敢えて独りになることを選んだ。芸術というのは、本来は他人には理解されないもので、孤独なもののはずだから。
最初は芸術家を気取っているだけだと後ろ指刺されたこともあったけれど、僕の<実績>がそんな有象無象の戯言を黙らせた。今では馬鹿にしてた連中も手の平を返して僕を称賛する。
でも、彼女だけは違う。八木さんだけは、僕が賞を取る前から認めてくれてた。
「すごいねえ、氷室君って。高校生で二科展に入賞する人、そうそういないもの」
彼女の、僕が賞を取る前から変わらない素直な賞賛の目を見ていれば分かる。そして彼女の目が言っている。
『貴方は気取っているんじゃない、本当に、プロに匹敵する技術を持っているんだね』
って。
「ありがとう」
美術室のイーゼルにかけたカンパスヘ向かったまま、なのに僕はおざなりにお礼を述べる。
だって僕がプロに匹敵する、なんて、
(当然のことじゃないか)
だって僕はプロなんだから、そう思っていた。
だけど…。
やがて高校に入って二度目のクリスマスがやってくる。
「こうやって、花びらを散らしたんだ。光は白で」
「うん」
最初はただ鬱陶しいだけだと思っていた彼女との会話を、いつしか僕は待ち望んでいた。
桜の花びらがほころびる頃、密かに同じクラスになることを願っていて、だけどその望みは叶わなくて、がっかりしている自分自身に僕は大いに驚いたものだ。
それに、
(どうしてしまったんだろう、僕は)
彼女を「識って」しまってから、僕の心の中は空洞が出来たようにうつろになってしまった。
気がつけば学校で彼女の姿を探し、デッサンに集中しなければならない時でも彼女の笑顔を思い浮かべて。
授業を受けながらでも、休み時間でも、今頃彼女は他の奴と、僕に対するのと同じように屈託なく会話を交わしているんだと思ったら、胸が焼かれるように苦しくてたまらなくなる。
(バカな話だ)
彼女が誰を愛しているのか、その愛が誰に向けられているのか、
(それは僕じゃない)
そう。彼女にとって僕が「同じ美術部員」以上の存在じゃないことは悟っていた。僕のことを無邪気に称賛してくれていても、それは偉大な芸術家に向けられる尊敬以上のものじゃない。
なのに、彼女が素敵な人なんだとようやく気づいた僕は、むしろ今頃になるまで気づかなかった愚かな自分自身をまた嘲笑った。
いくら僕の中に湧き上がってくるものを形にすることが一番だといっても、好きになった女の子のことに気づかないほど、僕は馬鹿ではない。
同じクラスの、背の高い、笑顔の爽やかな男子生徒に向ける彼女の笑顔の意味に。
だけど苦しい。そんな彼女の笑顔を見るのが苦しい。
それなのに彼女は、当たり前のように僕にも笑顔を向けるのだ。けれどその笑顔はあの彼に向けるそれは違っている。ふわりとした朱が差したようなあたたかさを持った笑顔とは。
「ねえ、氷室君。今度の二科展、どんな絵を出展するの?」
クリスマスに合わせたように、二科展の日は24日。もしも僕の片思いでなかったら、きっと君に僕の絵を見に来てくれと堂々と誘えたろうけれど、
「…まだ考えてないんだ。おぼろげにイメージだけは見えているけれど、しっかりとしたビジョンにはなってない」
君から目を反らして真っ白なカンパスを見つめて、僕は苦しくてたまらなくなりながら返事をする。
「そうなんだ。思いついたら教えてね?」
そんな風に笑う彼女に振り向いて欲しい。その瞳に映るのが僕だけであって欲しい。
思いつめて思いつめて、やがて僕の中でおぼろげだったイメージが明確なビジョンとなって現れた。まるで天啓のように。
(ああ、そうだ)
今度の僕の「作品」は……。
「君…だよ、八木さん……」
ねえ、もうすぐクリスマスだよね。
神様がこの世界にやってくる、聖なる日だ。そして奇跡が起こる日。僕の高校の裏庭にも小さな教会はあるけれど、当然僕は祈ったことなんてない。君を識る以前なら、きっとそんなのはお伽話だと笑い飛ばしていただろう。
「何を作ってるの?」
「秘密」
「作ってる」。そう、今回の僕の「作品」は絵じゃない。二科展用の「絵」は既に描き上げた。この作品の為の前段階として、僕の中に形となったビジョンを一層確かなものにする為の、踏み台として。
そうさ。僕にとっての本命となる作品の為の「踏み台」ですら、素晴らしい芸術になる。僕の生み出すものには芸術という命が宿るのだから。
今度の作品は、石膏像。これまでと形は違っても、それは些細な差でしかない。だって僕が生み出すものなんだからね。僕が生み出すものこそが芸術なんだ。僕が生み出すものには命が宿るんだ。
美術室にこもってそれを作る僕に話しかけてくる君から、僕は庇うように作品を隠す。
「完成したら教えてあげるから」
「あはは、残念」
そんな風に屈託なく笑う君に生き写しの「像」を。キミがボクに無限の微笑を向けている像を。
そして、作りながら、まるきり信じていなかった神様にお祈りをしている。
(この像に、どうか魂を宿らせてください)
きっと君は笑うだろう。そして以前の僕も、こんな僕を笑ったに違いない。
僕が形にするだけでそれには命が宿る。だけど今回はそれだけじゃ足りない。もっと、もっと、魂が伴った濃密な「命」が必要なんだ。それを形にしなきゃいけない。
だから今は、神にだって祈る。
そんな風に祈って祈って、明後日がいよいよクリスマスイブ、二科展の日。そちらの方はもう結果が分かってるからどうでもいい。僕の絵が賞を取るのは決まってる。
それよりも今は……。
「あれ? 氷室くん」
「やあ」
教室で友達と話していた君は、
「珍しいね、どうしたの?」
珍しく自分の方から話しかけた僕を見て、大きな目をもっと丸くした君の顔も素敵だと思った。
「君にさ。どうしても頼みたいことがあるんだ」
「何かな?」
僕が言うと、僕に「尊敬の微笑」を向ける君。
その微笑みはあくまでも「尊敬する対象」に向けられるもので、一定以上の好意を持っている異性に向ける女性の微笑じゃない。
それが分かってしまう哀しさに堪えて言う。
「今日は部活は休みだけれど、放課後にさ、美術室に来てくれないかな」
「うん? いいよ」
「ありがとう。絶対だよ」
僕はそれだけを言って、君に手を振る。
そうさ。きっと君はびっくりする。その時、僕が何をしようとしているのかを知ってしまったら。
それを思うとなんだかとても楽しくなって、教室に戻りながら僕もまた、思わず口元に笑みを浮かべた。
そして放課後。誰もいない美術室は静まり返っていた。皆、二科展の準備で出払ってしまっていて、
「氷室くーん、来たよー」
カラカラ、と音を立てて、美術室の扉が開く。
「ごめんね。君も忙しいのに」
「ううん、大丈夫。先生も戻っていいって言ってくれたから」
僕が謝ると、優しい君は逆に僕を気遣って、顔の前で手を振るのだ。
「ねえ、私に用って、何かな?」
「うん…もっと中に入っておいでよ」
僕はそんな君を促す。おずおずと美術室へ入ってくる君を。
そして、完成した石膏像にかけてあった布を剥ぎ取りながら、僕は言うんだ。
「あのね…君の血が必要なんだ」
「…え?」
「冗談なんかじゃないよ」
僕は呆気に取られたような顔をする君へ、少しずつ近づいていく。
「もう少しで、僕の一番の傑作が完成する。だけど足りないものがあるって気づいたんだ。それはね。キミの血なんだよ」
そうなのだ。どんなに心を込めて完成させても、それは血の通うあたたかさを備えない。あの彼に向けている君のあたたかい微笑みの温度が決定的に足りないんだ。だってこの像には、君の血が流れてないから。僕が宿らせた命に君の血のぬくもりが加わってようやく完全なものになるんだ。それがこの像に魂を宿らせる。
僕の愛する君の魂を僕は僕の作った像に宿らせて、僕は君と愛し合いたい。
「氷室…くん?」
僕は今、どんな顔をしているんだろう。僕の中にいるもう一人の、嫌に冷静な僕が、自分のしようとしていることを
離れた場所から冷めた目で見ているような、まるで魂が遊離してしまったような、そんな感じがする。
ひどく残酷なことをしようとしてるのは頭で理解してるのに、それを止めようという心の動きは生じない。
「君が…必要なんだ」
そしてその言葉と同時に、僕はパレットナイフを君の喉に走らせる。
途端に教室に響いたのは、ひゅう、って空気が漏れる音と、ごぼごぼ言う声。
(ああ、ごめんね)
君は大きな目を一杯見開いて僕を見る。
(君に苦しい思いをさせてしまってごめん)
君を真っ直ぐに見詰めながら、僕は思う。
(だけど苦しいのほんの少しだけだよ)
ゆっくりと床に倒れていく君を見ながら、僕は微笑んでいる。
やがて君は動かなくなって、
(最後の仕上げをしなくちゃ)
喉の切り口から流れてくる赤い液体を、僕は石膏像へと塗りつける。
もう少しで、君は生まれ変わるんだ。僕を限りなく愛してくれるキミヘ。
僕は時間の経つのも忘れて、赤い血を石膏像へ運んだ。
赤い陰影に包まれていく石膏像の君はとても綺麗で、色づけしながらも僕は見とれてしまう。
やがて、
(やっと、出来た)
床に倒れたままの君の体がすっかり冷えてしまった頃に、ようやく満足の行く彩色が終わった。
僕は少しだけ後ろへ下がり、文字通り血を備えた石膏像へと生まれ変わった君の姿を、首をかしげてつくづく眺めやる。間違いなく僕の生涯最高の出来だった。
ああ、なんて素晴らしい。紛れもない命をそこに感じる。そこに君の血のぬくもりが加わり、魂となるなずだ。
…いつ、君は僕に向かって微笑んでくれるんだろうか。
…いつ、その唇が僕の名を、限りない優しさで紡ぐんだろう。
僕はドキドキしながら待って待って…そして部室の時計が真夜中を知らせる。
ああ、もうクリスマスだ。
(神様。僕に奇跡を起こしてください)
僕は祈った。
いつだったかどこかで読んだ、自分の掘った女の像に恋した男そのままに、僕は祈った。
祈って、祈って祈って……。
……だけど、
だけど「その時」はいつまで経っても訪れなかった。
(ああ、君は)
どんなに待っても、君は、僕へ微笑みかけてはくれない。話しかけてすらくれない。
いつの間にかストーブも消えていて、どんどん冷えていくことに気付いた時、取り返しのつかないことをしてしまったって、やっと分かったのだ。
奇跡は…起こらない。僕は自分で自分の恋を終わらせてしまった。
メリー・クリスマス…メリー・クリスマス。
もう僕は、狂ってしまっているのかもしれない。
クリスマスの晩、学校の裏の教会へとふらふら歩きながら、僕は笑いを堪えきれない。
施錠されていた教会の扉は、無理に力を込めるとあっけなく開く。僕はその扉を開けて、中へ入る。
正面には埃にまみれたマリア像があって、
(願わくば神よ。ボクに光の裁きを)
ひざまづいて祈るボクの耳に、パトカーの音が聞こえてくる……。
FIN~
「ねえ、氷室君。この色、どうやって出してるの?」
高校に入学して一年半。美術部に入部して、敢えて誰とも話さないように努めていた僕の心の中に、
「すごいねえ、素敵だね」
君は屈託なく微笑ってするりと入り込んでくる。
「あ、え、っと、これはね」
だから僕はもつれそうになる舌を一生懸命に動かして、僕のカンパスの彩りについて説明するのだ。
「青をベースにして、白を散らす…それだけじゃなくて、もっと他に大胆に赤も少し混ぜて」
「うんうん」
拙い僕の説明を、君は肩までの髪を揺らしながら熱心に聞く。
「すごく参考になるよ、ありがとうね」
「…いや、別にこれくらい」
素直な賞賛の言葉を聞いて、胸が苦しくなるようになったのはいつからだろう。
僕はいつだって独りでいい。
そうさ、偉大な芸術家はいつだって孤独なもの。桜の花びらが渦巻く絵を描きながら、僕は思っていた。
孤独だからこそ生まれる芸術は素晴らしい。僕の考え方は間違っちゃいないはず。
「作品は素敵なんだけどね」
だからいつだって独りでいた僕の作品を見ながら、顧問の先生は苦笑する。
「もっと他に大事なこと、あるんじゃないのかしら」
言いたいことは分かる。そういうのも一つの考え方なんだろう。だけど僕は敢えて独りになることを選んだ。芸術というのは、本来は他人には理解されないもので、孤独なもののはずだから。
最初は芸術家を気取っているだけだと後ろ指刺されたこともあったけれど、僕の<実績>がそんな有象無象の戯言を黙らせた。今では馬鹿にしてた連中も手の平を返して僕を称賛する。
でも、彼女だけは違う。八木さんだけは、僕が賞を取る前から認めてくれてた。
「すごいねえ、氷室君って。高校生で二科展に入賞する人、そうそういないもの」
彼女の、僕が賞を取る前から変わらない素直な賞賛の目を見ていれば分かる。そして彼女の目が言っている。
『貴方は気取っているんじゃない、本当に、プロに匹敵する技術を持っているんだね』
って。
「ありがとう」
美術室のイーゼルにかけたカンパスヘ向かったまま、なのに僕はおざなりにお礼を述べる。
だって僕がプロに匹敵する、なんて、
(当然のことじゃないか)
だって僕はプロなんだから、そう思っていた。
だけど…。
やがて高校に入って二度目のクリスマスがやってくる。
「こうやって、花びらを散らしたんだ。光は白で」
「うん」
最初はただ鬱陶しいだけだと思っていた彼女との会話を、いつしか僕は待ち望んでいた。
桜の花びらがほころびる頃、密かに同じクラスになることを願っていて、だけどその望みは叶わなくて、がっかりしている自分自身に僕は大いに驚いたものだ。
それに、
(どうしてしまったんだろう、僕は)
彼女を「識って」しまってから、僕の心の中は空洞が出来たようにうつろになってしまった。
気がつけば学校で彼女の姿を探し、デッサンに集中しなければならない時でも彼女の笑顔を思い浮かべて。
授業を受けながらでも、休み時間でも、今頃彼女は他の奴と、僕に対するのと同じように屈託なく会話を交わしているんだと思ったら、胸が焼かれるように苦しくてたまらなくなる。
(バカな話だ)
彼女が誰を愛しているのか、その愛が誰に向けられているのか、
(それは僕じゃない)
そう。彼女にとって僕が「同じ美術部員」以上の存在じゃないことは悟っていた。僕のことを無邪気に称賛してくれていても、それは偉大な芸術家に向けられる尊敬以上のものじゃない。
なのに、彼女が素敵な人なんだとようやく気づいた僕は、むしろ今頃になるまで気づかなかった愚かな自分自身をまた嘲笑った。
いくら僕の中に湧き上がってくるものを形にすることが一番だといっても、好きになった女の子のことに気づかないほど、僕は馬鹿ではない。
同じクラスの、背の高い、笑顔の爽やかな男子生徒に向ける彼女の笑顔の意味に。
だけど苦しい。そんな彼女の笑顔を見るのが苦しい。
それなのに彼女は、当たり前のように僕にも笑顔を向けるのだ。けれどその笑顔はあの彼に向けるそれは違っている。ふわりとした朱が差したようなあたたかさを持った笑顔とは。
「ねえ、氷室君。今度の二科展、どんな絵を出展するの?」
クリスマスに合わせたように、二科展の日は24日。もしも僕の片思いでなかったら、きっと君に僕の絵を見に来てくれと堂々と誘えたろうけれど、
「…まだ考えてないんだ。おぼろげにイメージだけは見えているけれど、しっかりとしたビジョンにはなってない」
君から目を反らして真っ白なカンパスを見つめて、僕は苦しくてたまらなくなりながら返事をする。
「そうなんだ。思いついたら教えてね?」
そんな風に笑う彼女に振り向いて欲しい。その瞳に映るのが僕だけであって欲しい。
思いつめて思いつめて、やがて僕の中でおぼろげだったイメージが明確なビジョンとなって現れた。まるで天啓のように。
(ああ、そうだ)
今度の僕の「作品」は……。
「君…だよ、八木さん……」
ねえ、もうすぐクリスマスだよね。
神様がこの世界にやってくる、聖なる日だ。そして奇跡が起こる日。僕の高校の裏庭にも小さな教会はあるけれど、当然僕は祈ったことなんてない。君を識る以前なら、きっとそんなのはお伽話だと笑い飛ばしていただろう。
「何を作ってるの?」
「秘密」
「作ってる」。そう、今回の僕の「作品」は絵じゃない。二科展用の「絵」は既に描き上げた。この作品の為の前段階として、僕の中に形となったビジョンを一層確かなものにする為の、踏み台として。
そうさ。僕にとっての本命となる作品の為の「踏み台」ですら、素晴らしい芸術になる。僕の生み出すものには芸術という命が宿るのだから。
今度の作品は、石膏像。これまでと形は違っても、それは些細な差でしかない。だって僕が生み出すものなんだからね。僕が生み出すものこそが芸術なんだ。僕が生み出すものには命が宿るんだ。
美術室にこもってそれを作る僕に話しかけてくる君から、僕は庇うように作品を隠す。
「完成したら教えてあげるから」
「あはは、残念」
そんな風に屈託なく笑う君に生き写しの「像」を。キミがボクに無限の微笑を向けている像を。
そして、作りながら、まるきり信じていなかった神様にお祈りをしている。
(この像に、どうか魂を宿らせてください)
きっと君は笑うだろう。そして以前の僕も、こんな僕を笑ったに違いない。
僕が形にするだけでそれには命が宿る。だけど今回はそれだけじゃ足りない。もっと、もっと、魂が伴った濃密な「命」が必要なんだ。それを形にしなきゃいけない。
だから今は、神にだって祈る。
そんな風に祈って祈って、明後日がいよいよクリスマスイブ、二科展の日。そちらの方はもう結果が分かってるからどうでもいい。僕の絵が賞を取るのは決まってる。
それよりも今は……。
「あれ? 氷室くん」
「やあ」
教室で友達と話していた君は、
「珍しいね、どうしたの?」
珍しく自分の方から話しかけた僕を見て、大きな目をもっと丸くした君の顔も素敵だと思った。
「君にさ。どうしても頼みたいことがあるんだ」
「何かな?」
僕が言うと、僕に「尊敬の微笑」を向ける君。
その微笑みはあくまでも「尊敬する対象」に向けられるもので、一定以上の好意を持っている異性に向ける女性の微笑じゃない。
それが分かってしまう哀しさに堪えて言う。
「今日は部活は休みだけれど、放課後にさ、美術室に来てくれないかな」
「うん? いいよ」
「ありがとう。絶対だよ」
僕はそれだけを言って、君に手を振る。
そうさ。きっと君はびっくりする。その時、僕が何をしようとしているのかを知ってしまったら。
それを思うとなんだかとても楽しくなって、教室に戻りながら僕もまた、思わず口元に笑みを浮かべた。
そして放課後。誰もいない美術室は静まり返っていた。皆、二科展の準備で出払ってしまっていて、
「氷室くーん、来たよー」
カラカラ、と音を立てて、美術室の扉が開く。
「ごめんね。君も忙しいのに」
「ううん、大丈夫。先生も戻っていいって言ってくれたから」
僕が謝ると、優しい君は逆に僕を気遣って、顔の前で手を振るのだ。
「ねえ、私に用って、何かな?」
「うん…もっと中に入っておいでよ」
僕はそんな君を促す。おずおずと美術室へ入ってくる君を。
そして、完成した石膏像にかけてあった布を剥ぎ取りながら、僕は言うんだ。
「あのね…君の血が必要なんだ」
「…え?」
「冗談なんかじゃないよ」
僕は呆気に取られたような顔をする君へ、少しずつ近づいていく。
「もう少しで、僕の一番の傑作が完成する。だけど足りないものがあるって気づいたんだ。それはね。キミの血なんだよ」
そうなのだ。どんなに心を込めて完成させても、それは血の通うあたたかさを備えない。あの彼に向けている君のあたたかい微笑みの温度が決定的に足りないんだ。だってこの像には、君の血が流れてないから。僕が宿らせた命に君の血のぬくもりが加わってようやく完全なものになるんだ。それがこの像に魂を宿らせる。
僕の愛する君の魂を僕は僕の作った像に宿らせて、僕は君と愛し合いたい。
「氷室…くん?」
僕は今、どんな顔をしているんだろう。僕の中にいるもう一人の、嫌に冷静な僕が、自分のしようとしていることを
離れた場所から冷めた目で見ているような、まるで魂が遊離してしまったような、そんな感じがする。
ひどく残酷なことをしようとしてるのは頭で理解してるのに、それを止めようという心の動きは生じない。
「君が…必要なんだ」
そしてその言葉と同時に、僕はパレットナイフを君の喉に走らせる。
途端に教室に響いたのは、ひゅう、って空気が漏れる音と、ごぼごぼ言う声。
(ああ、ごめんね)
君は大きな目を一杯見開いて僕を見る。
(君に苦しい思いをさせてしまってごめん)
君を真っ直ぐに見詰めながら、僕は思う。
(だけど苦しいのほんの少しだけだよ)
ゆっくりと床に倒れていく君を見ながら、僕は微笑んでいる。
やがて君は動かなくなって、
(最後の仕上げをしなくちゃ)
喉の切り口から流れてくる赤い液体を、僕は石膏像へと塗りつける。
もう少しで、君は生まれ変わるんだ。僕を限りなく愛してくれるキミヘ。
僕は時間の経つのも忘れて、赤い血を石膏像へ運んだ。
赤い陰影に包まれていく石膏像の君はとても綺麗で、色づけしながらも僕は見とれてしまう。
やがて、
(やっと、出来た)
床に倒れたままの君の体がすっかり冷えてしまった頃に、ようやく満足の行く彩色が終わった。
僕は少しだけ後ろへ下がり、文字通り血を備えた石膏像へと生まれ変わった君の姿を、首をかしげてつくづく眺めやる。間違いなく僕の生涯最高の出来だった。
ああ、なんて素晴らしい。紛れもない命をそこに感じる。そこに君の血のぬくもりが加わり、魂となるなずだ。
…いつ、君は僕に向かって微笑んでくれるんだろうか。
…いつ、その唇が僕の名を、限りない優しさで紡ぐんだろう。
僕はドキドキしながら待って待って…そして部室の時計が真夜中を知らせる。
ああ、もうクリスマスだ。
(神様。僕に奇跡を起こしてください)
僕は祈った。
いつだったかどこかで読んだ、自分の掘った女の像に恋した男そのままに、僕は祈った。
祈って、祈って祈って……。
……だけど、
だけど「その時」はいつまで経っても訪れなかった。
(ああ、君は)
どんなに待っても、君は、僕へ微笑みかけてはくれない。話しかけてすらくれない。
いつの間にかストーブも消えていて、どんどん冷えていくことに気付いた時、取り返しのつかないことをしてしまったって、やっと分かったのだ。
奇跡は…起こらない。僕は自分で自分の恋を終わらせてしまった。
メリー・クリスマス…メリー・クリスマス。
もう僕は、狂ってしまっているのかもしれない。
クリスマスの晩、学校の裏の教会へとふらふら歩きながら、僕は笑いを堪えきれない。
施錠されていた教会の扉は、無理に力を込めるとあっけなく開く。僕はその扉を開けて、中へ入る。
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(願わくば神よ。ボクに光の裁きを)
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FIN~
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