いきすだま奇譚

せんのあすむ

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寿命、ということ

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「これこれ、あまりはしゃぐでないよ」

毎年夏、田舎を訪れるたびに、祖父は僕へ言って苦笑したものだ。

最寄の駅からも車で一時間はかかるという山の奥。電気は辛うじて来ているものの、ガスはプロパン、水は井戸水で、しかもトイレは汲み取り式。

今でこそ、「古きよき時代の田舎」なんて思えていたけれど、当時、まだ小学生だった僕は田舎の家の全てが新鮮で、不気味で…楽しかった。

「あまりはしゃぐと判断を間違える。その一瞬がな、あとあとまで尾を引く。よう考えてな」

祖父の言っていることは、ガキの僕には少し難しくて、だけどつまり、

(はしゃぎすぎて怪我をしないように気をつけろってことだろ)

そんな風に解釈して、すぐに仲良くなった近所の子たちと毎日楽しく遊んでいたものだ。

そして祖父は縁側から、そんな僕たちをいつも目を細めて眺めていた。



「ねえ、何かお話、してよ」

僕は、その夜も祖父にねだった。祖父が語る話はいつも不思議で、楽しくて、怖くてドキドキして…

だから、これも田舎を訪ねる楽しみの一つだったのだ。

すると、僕の隣の布団に横になった祖父は大きな口を開けてアクビをして、

「なら、じいちゃんが経験した戦争の話でもしてやろうかのう。もうそろそろ、お前も聞いておいてよい頃だな」

そう言った。

戦争の話、なんて、僕も知らない。だからいまいちピンと来ないかもしれないと思ったけれど、祖父の話はなんだって聞きたい。

「うん。聞かせて」

僕が言うと、祖父はしばらく目と口を閉じて、やがて鼻の穴から大きく息を吐き出した。

「お前も知っておるように、俺は陸軍中尉だったんだ」

しんと静まり返った山の中は、クーラーなんていらない涼しさで、もちろん蚊だって寄ってこない。

豆電球だけになった明かりが、それでも妙な安心感を与えていて、僕はそれをなんとなしに見ながら耳を傾けた。

「…あれは、昭和20年8月5日のことだ。今でもはっきり覚えておる」

ぽつり、ぽつりと話す祖父の声が、妙に僕の耳に響いてくる…。



あの日、俺は、福岡へ軍の飛行機で飛んで、そこで所用を…何の用だったか忘れたんだが…足した後で、汽車に乗って広島へ向かったんだ。何、こっちへ帰ってくる途中だったもんでな。

広島は軍用都市だったから、そこの軍人さんたちともつなぎをつけておいてもよいと思うたし、おまけにその時一緒に行動しておったじいちゃんの友達がな、婚約者がおって、広島に住んでおったし。

だから俺達は、広島駅の前の旅館で一晩泊まって、友達の婚約者とも会うてから帰ろうと言い合っておった。

ああ、5日の晩、雲一つ無い晴れた星空の中、空襲警報はその晩は鳴らずに、静かに汽車は広島駅へ入っていった。

その時の時刻は午後8時。空襲下の広島にあって、その日の最終に近い列車だった。

いやしくも俺達は軍人じゃったから、駅前でもそこそこの「ホテル」へ泊まらせてもろうて、そのあくる朝に友達の婚約者に会うはずだったんだ。

だがの、俺は、ホテルの宿帳をつけていたときに、ふと胸騒ぎを覚えた。

(おかしい、このまま広島に留まっているのはよくないのではないか)

風呂に入って、通された一室でくつろぎながら、俺は何故かそう思ったんだ。

(いや、馬鹿馬鹿しい。俺は軍人だぞ)

その時の俺は、きっと怯えているんだと思うたから、じいちゃんは自分で自分を叱った。

帝国軍人たるもの、このような訳の分からん予感で故郷へ帰りたいなどと思うとは何事か、とな。

じゃが、友達と差し向かって、粗末なメシを食うて酒を飲んで…とやっているうちに、その予感は収まるどころかどんどん激しくなっていく。

だもので、

「おい、今から郷里くにへ帰ろう。今ならまだ汽車だって出てるはずだ」

いきなりじいちゃんは友達に言ったんだ。机の向こうで新聞を広げていた友達は、驚いた顔をして、

「何を言うんだ。ちえ子に会わないで、それじゃ何のために広島でわざわざ」

当たり前だが、たいそう怒ったよ。

ちえ子さんというのが、友達の婚約者でね。その時20歳だった。長い髪の毛を二つに分けた三つ編みの、色の白い顔を今でも俺は覚えてる。友達とは歳が一回り以上離れてたが、若い割にはしっかりした娘さんでお似合いだと思ってた。友達は前の婚約者を病気で亡くしててそれもあって結婚が遅れてたけど、結果としていい娘さんを紹介してもらえたと思ったものだ。

「ちえ子さんにはいつだって会えるだろう! いいから、これから一緒に帰ろう!」

だが、その時はほとんど恐怖と一緒にじいちゃんは言った。

ここにいてはいけない、自分はここにいるべきではない。何故かは分からないし、何かは分からないが、きっと大変なことが起きる。じいちゃんの心の中で、そんな風に言う誰かに、ほとんど脅迫されている感じだったね。19の時に結婚したお前のばあちゃんと、その頃はまだ15になったばかりだったお前のお母さんの顔が何度もよぎった。

「勝手にしろ。俺は明日発つ」

「ダメだ! お前も一緒に帰るんだ!」

最後には、ほとんど喧嘩になって、

「頼む。この通りだ! お願いだから、俺と一緒に帰ってくれ!」

叫ぶみたいに言いながら、じいちゃんは友達に土下座していた。

そこでやっと、

「分かったよ、分かった! 頼むからそこまでするな」

じいちゃんの友達も言ってくれて、婚約者へ電話を入れていた。電話の向こうで、ちえ子さんがぶうぶう言ってる声が俺にも聞こえてきたのを覚えてる。

こうして俺達は、その日の、最終も最終、真夜中直前の列車に乗ったんだよ。ちえ子さんも一緒に連れて行ってやりたかったが、とにかく時間がなかった。

いつ空襲が来るか分からない、そんな状況だったから、「最終」っていっても実は尾道を午後八時に出発した列車が、やっと広島に着いた、そんな風だった。

今なら最終っていったら、ガラガラに空いておるのをイメージするだろう? けれどもだな、その時は時世も時世だったから、最終にもかかわらず、その汽車はたいそう混んでおったんだ。

そして、あくる日の朝九時。

ちょうど京都を出発しようとしていたその汽車とホームは、とても騒がしくなった。

…ああ、お前も知っておるだろう。広島に、新型爆弾が落ちたという噂が伝わってきたからな。

今頃広島はどうなっているのか分からない。ほぼ壊滅状態ではないかという人さえあって、京都駅は大混乱であったぞ。

当然、広島方面への電話など通じるわけがなくて…じいちゃんの友達は、公衆電話の前の長蛇の列を見ながら、ただイライラしていただけだった。



結局、俺達は、わずか八時間そこらの差で、死からまぬがれた。死ななくてすんだ、そういうことだ。



そして終戦。戦争が終ってからも毎年、じいちゃんは広島に行っておる。

いや、独りでに広島へ向かってしまうんだなあ。

そして、平和公園を訪れるたびに、コップ一杯の水をお供えして帰ってくる…。

友達の婚約者だったちえ子さんのために、そして水をくれと言いながら亡くなってしまった、他の多くの方々のために。



「…いやいや、運命の不思議さというものを、あれほどまでにまざまざと感じたことはなかったなあ」

祖父は目を閉じたままかすかに笑い、しみじみと言った。

「てっとり早く言うなら、『寿命』ということなのかもしれんが、ただ単に、それだけで片付けてはならんような気がしたわい。だからなあ、いつも言っておるじゃろう」

その横顔を、少し恐怖さえ覚えながら見つめていた僕に向き直って、祖父は目を開け、

「一瞬一瞬の判断が、後々まで尾を引く。よう覚えておきなさい」



…死から免れた祖父の言葉を、なんとも重いものに感じながら、僕は豆電球の乏しい明かりへ目を向けた。

蚊帳を釣った天井には、いつしか大きな蛾が一匹、音もなく羽ばたいていたのを覚えてる。

どうしてそんなことを思い出しているかと言ったら、僕は今、「判断を誤ってしまった」と実感したからだ。

あいつのオフクロさんが『あの岬に行くのはやめておいた方がいいんじゃないの』と言ってくれたのに、取ったばかりの免許と買ったばかりのバイクに浮かれて、イキがって、それを聞き入れなかったという自分の判断の誤りを思い知らされてしまったからだ。

得体の知れないモノに追いかけられてパニックになって、それから必死に逃げようとスピードを出しすぎた。

自分にそれだけのウデもないのにな。

で、急カーブを曲がり切れずにガードレールに突っ込んで、今、俺の体は宙を舞ってる状態だ。視線の先には、まるであの世にでも繋がっているかのような真っ暗な空間。たぶん明るい時に見れば海が広がってるんだろう。

(これが、走馬灯ってやつか…。ごめん、じいちゃん、言いつけ守れなかった)

そして俺は、恐ろしい闇へと落ちていったのだった。



FIN~
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