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三章

あの頃8

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わたしは改めて頭を下げた。

「上月くん、サックスずっと続けてたんだね……。すごかったよ」

好きなことをずっと続けていられることに、少し羨ましさも覚えた。彼は嬉しそうに頷き、
「楽しんでくれてよかったです。先輩が見に来てくれたから特別なんですよ。でも、バンドの生演奏は毎週末やっています。よかったらまた来てください」
「ありがとう! 絶対行くよ。お料理も美味しかったー!今度は、今日来れなかった友達と行くからね」

『特別』に演奏してくれたという言葉が照れくさくて、ごまかすように早口で答える。

「お友達にもよろしく伝えてください。今日はほんとうに、会えて良かったです。懐かしくて……」

彼は爽やかな仕草で、少し長めの前髪をかきあげる。
「先輩、全然変わってないですね」
彼がぽつりと呟いた。
「そ、んなことないよ……。それから、先輩っていうの、もうやめてよ。いっこしか変わらないのに」



笑いながら首を横に振るわたしに、彼は
「いや、それは無理です。こういうのって、直らないものですよ。先輩だって、上の人に会ったらきっとそうなりますよ」
「……そうかなぁ……。うん、そうかもしれない」
「でしょ」
と真面目な顔で答える。二人で思わず吹き出してしまった。ひんやりした夜の空気に、小さな笑い声が溶けていく。

名残惜しい気もしたが、わたしはバッグを持ち直した。
「ありがとう。じゃあ、帰るね」
軽く手を振りながら後ずさりする。そのまま背中を向けようとしたとき。

「先輩、いま……。しあわせ?」

突然の問いかけに、わたしは咄嗟に頷くことができなかった。それでも、笑顔を作る。せめてもの、プライドだ。この人は幸せじゃないかもしれないなんて、誰が思われたいだろう。

「……うん。それなりに」

バッグの持ち手をぎゅっと握りしめる。裕一の姿が浮かんで、口元が引き締まった。

「じゃあね……」

くるりと振り向いて、歩き出す。この顔は絶対、彼には見られたくなかった。逃げ出すような気持ちで一歩を踏み出す。背中に鋭い声音が響いた。

「俺……。あれから携帯番号もメールも変えてないから! 先輩は?」
「変えて……ないよ」

怒ってるみたいな声で答える。
無機質な街の光のなかに、『Blue』も、上月くんも置いて、わたしは家路を急いだ。

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