オオカミ部長のお気に入り

日向そら

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1巻

1-2

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 猫スペースに入ると数匹の猫達が耳をぴくっとさせたり、顔を上げたりしてこちらをうかがってきた。のんびり眠っている子もいて、各々違う反応を見せてくれる。
 可愛いなぁ……
 思わず頬がゆるんで、くすぶっていた元彼への苛立ちがすぅっと消えていく。
 害はないよーと、心の中で呟きつつ、そろりそろりと動いて掃除していると、そのうちの数匹が挨拶をするように近付いてきた。ここの猫は本当に人間が好きで人懐っこい子が多いのだ。
 猫スペースにいるのは何度か見たことのある常連さんで、二人とも猫を膝に抱っこして本を読んでいた。せっかく猫カフェに来たのにもったいないと思う人もいるかもしれないけれど、常連さんは大体こんな感じだ。あくまで自然に時間を過ごしている人が多い。
 ……実は少し気になるのが、さっき入ってきた女子高生のグループだ。時折上がる甲高い笑い声に、一部の猫がソワソワしているのがわかる。
 ここは猫が自発的に膝に乗らない限り、抱っこが禁止だったりとわりと規約が厳しい。受付でフラッシュ禁止など諸々含めて伝えてあるはずだけど、あの様子だと真面目に聞いていなそうで心配になる。
 さりげなく注意事項の看板を見やすい位置に移動させていたら、来客を告げるドアベルの音がからんと鳴った。

「いらっしゃいませー」

 猫スペースから少し遠いながらも、私も挨拶をする。
 振り向いて入り口の方を見て、顔を戻し――

「――⁉」

 思わず二度見して、言葉を失った。

「あ。い、いらっしゃいませ。……あの、一名様ですか……?」

 明らかに焦っている受付の新人さんの声に、はっと我に返る。咄嗟とっさに爪研ぎを兼ねた巨大猫タワーの後ろに隠れてしゃがみ込んだ。

「一人でも大丈夫ですか」

 低いのによく響く声は、恐らく間違いない。
 直接話したことはないけれど、毎月MVPを獲得しているので、表彰された時の挨拶でその声は何度も聞いていた。素直に素敵だな、と思っていた少し低い、よく通る声。

「なんで……」

 思わずそんな呟きを零してしまう。
 なんで、あの『オオカミ部長』がこんな場所に……⁉
 そう、窮屈そうに身をかがめて扉から入ってきたのは、あの法人営業部の大神部長だったのである。
 ……ね、猫好きの彼女とデートとか?
 一番可能性の高い答えを引き出してみるけれど、大神部長なら彼女がいくら行きたいって言っても断りそうだ。……むしろ、猫好きの彼女と付き合いそうなイメージすらないんだけど!
 あれ、でも今一人でも大丈夫ですか? って聞いたよね⁉ それって大神部長が一人で猫カフェに来たってこと?

「……」

 見間違いか人違いだと自分に言い聞かせて、キャットタワーの陰からもう一度受付をうかがってみる。
 一昨日おととい見たばかりのグレーのコートに、猫カフェでは違和感しか覚えない鋭利な横顔がちゃんとそこにあった。
 ……間違いなく大神部長である。
 狼だよ狼! 猫ちゃん達大丈夫? 怖がって出てこなさそうなんだけど!
 もう頭の中はパニック状態だ。
 仕事帰りなのか、スーツ姿なので店内ではかなり浮いている。受付の新人さんはそんな大神部長に若干引き気味だ。
 しかもそんな受付の様子に、飲食スペースにいる女子高生の集団が気付き、いっそう騒ぎ始めた。

「リーマンだ」
「えー、あんな人が猫カフェとか可愛い~!」

 そんな声が聞こえたのだろう。大神部長はちょっと身体を引いて、眉間みけんしわを寄せた。
 女子高生達からは見えないのだろうけど、まるでにらんでいるように見える。すでに受付の新人さんは泣きそうだ。

「駄目ですか?」

 いつまでも返事をしない受付の女の子にれたのか、大神部長が急かすように言葉を重ねた。
 そんな余裕のない態度もどうにも彼らしくない。……とはいっても、噂でしか私は彼のことを知らないのだけど。なんとなく余裕よゆう綽々しゃくしゃくなイメージがあったのでそう思ってしまった。

「え……⁉ あ、大丈夫です……! ご利用は初めてですか? 初回は説明がありまして――」

 ようやく返事ができたのに、大神部長の迫力にすっかり萎縮いしゅくしてしまった新人さんの説明は先程以上にたどたどしい。
 私も一旦背中を向けて、考え込む。
 大神部長が猫カフェに来たなんて、誰に言っても信用してくれないだろう。……いや、そんなことを誰かに言おうものなら、喉元を食い千切られて口封じされてしまいそうだ。
 頭の中に猫を咥えた狼の姿がやけにリアルに浮かんできて、ぞっとする。
 だけどあの落ち着かない様子から察するに、大神部長だってこんな場所に来ていることをあまり人には知られたくないみたいだ。会社の同僚、しかも女子なんてその最たるものじゃない?
 気まずい以上にこの場に私がいることがバレたら、普通に脅されそう……なんて思って――私は今更ながらまったく別の、とても重要なことに気付いてしまった。
 と、その時、たすきがけにしていたスタッフ用の携帯が震えて、ドキッと心臓が跳ねる。
 慌ててタップし、耳に近付けた。
 受話口の向こうから聞こえてきたのは麻子の声だ。

『今入ってきた男の人、一人客らしいから。まぁあんなイケメンが盗撮とか考えにくいけど、一応気をつけて見ていてね』

 どうやら厨房ちゅうぼうから受付を見ていたらしい。
 小窓から受付やそれぞれのスペースが覗けるようになっているので、念のため注意喚起しようと電話をかけてきたのだろう。私は急いで携帯を抱え込み、小声で答えた。

「麻子やばい。あの人、同じ職場の人!」

 私の勢いにちょっと驚いたらしい麻子は、少し間をあけて答えた。

『そうなの? じゃあ延長料金サービスしてあげてもいいわよ』
「違う! そうじゃなくて! あの人、他の部署の部長さんなんだけど、うちの銀行、副業禁止だからバレたらまずいかも……!」

 そう。うちの銀行は副業絶対禁止なのだ。
 こんな風に、お店の名前がデカデカと印刷されたツナギ姿で見つかったら言い逃れできない。

『え、マジ⁉ やばいんじゃないのソレ! とりあえず奥に引っ込んで!』
「うん!」

 急いで電話を切り、踏み出しかけたところで、ぴたっと足を止める。
 受付を終えたらしい大神部長が、猫スペースの方へ向かってくるのが見えたのだ。
 猫スペースの出入り口は一つしかない。このまま私が出入り口に向かえば、当然鉢合わせすることになる。かといって、このままここにいても、大神部長が入ってくれば、逃げることはできなくなってしまう。
 通常なら飲食スペースでドリンクやフードを注文してから、こっちに来るお客さんが多いんだけど、あの様子だと受付で注文を済ませてしまったのだろう。
 少しでもたくさんの時間、猫達と触れ合いたいという人はそうすることも多いけど、……あの大神部長が?
 ――いや、さすがにナイナイ。
 自分でそう突っ込むものの、すぐにそんな場合じゃないと気付き、少しでも見つかりづらいように身を縮こませた。
 一呼吸の後、とうとう大神部長が扉を開けて猫スペースに入ってきた。
 突然の大男の登場に、猫達はそれぞれタワーやお客さんの背中や足元に隠れて、大神部長をうかがっている。元々、スタッフは全員女性だし、お店に来るお客さんも女性が多い。あまり男性と触れ合う機会がないので、大神部長のような大柄な男性は苦手な猫が多いのだろう。
 読書をしていた常連さん達もそんな猫達の背中を、宥めるように撫でてくれる。かくいう私も、中途半端にかがんだ膝の裏にもぐり込もうとしていた猫の頭を自然と撫でていた。
 大神部長は入り口から一歩入ったところで、立ったままである。
 仁王像並みにすごい威圧感を発しつつも、どこに行こうか迷っているように視線がさまよっている。
 その背中に小動物を捕食しにきた狼の幻が見えたその時、扉が開く音がして受付の女の子の声が聞こえてきた。

「あのぅ、こちら高級ささみです~……。コーヒーはあちらにご用意しておりますので」

 大神部長の体格が良すぎるせいで女の子の姿は見えないけれど、どうやら大神部長が注文した猫用のフードを持ってきたらしい。

「どうも」

 振り返ってそう言い、小さな器を受け取った大神部長は、ファンシーな豆皿に入ったささみの端っこをつまみ上げ、まじまじと眺めている。
 その間に受付の女の子は逃げるように出ていってしまった。ちなみに私は完全に逃げるタイミングを失っている。
 猫達もごちそうの匂いにひょいっと顔を上げたものの、身体は大神部長から一定の距離を保っている。さすがに食欲よりも防衛本能が勝つらしい。
 一番近い場所にいたオッドアイの白猫――ミルクちゃんのところに向かった大神部長だけど、残念ながら彼女はそれほど高級ささみが好きじゃない。
 ミルクちゃんは大神部長の影が差すよりも早く、キャットタワーの一番上まで駆け上がっていった。
 その次に近い場所にいた一回り小ぶりのハチワレのタロウも、ぴょーんと大きく跳んでトンネルに逃げ込んでしまう。
 ……そこはかがんで近付いて~!
 思わず口に出してしまいそうになったのは、悪気がないことがなんとなくわかったからだ。微妙に眉尻が下がったから、多分大神部長は猫達に逃げられて落ち込んでいる。些細ささいな変化だけれど、日々猫相手に会話をしていると、ちょっとした違いも見逃さなくなるものだ。……とはいえ、まさか人間に応用できるとは思っていなかった。
 溜息をついた大神部長が振り返った途端、絨毯じゅうたんの上にいた何匹かが同時に逃げていった。おかげでこっち側半分の猫密度が高い。
 自然と生まれた密度差に、大神部長の背中に哀愁あいしゅうが漂う。
 密かに見守っていた常連さん達も、そんな大神部長の様子に、とりあえず害はなさそうだと判断したのだろう。
 一人はスマホで猫の写真を撮り出し、もう一人は苦笑しながら、ちらりと私を見た。
 ――助けてあげないの? そんな声が聞こえてきそうな視線に、私はへらりと曖昧あいまいな笑みを返す。
 そうだよね。あんなコミュニケーション下手なお客さん、スタッフとして声をかけない方がおかしいよね……
 私は小さくなったまま、ずれてきた眼鏡を指で押し上げた。
 そして少しずつ冷静になってきた頭で考える。
 ……そもそも、滅多に見ない窓サの女子社員の顔なんて覚えてないんじゃない……?
 私と大神部長は、会話はおろか一メートル以内で顔を合わせたこともない。銀行の共用スペースである食堂や休憩所で彼を見かけたこともないと思う。
 くわえて今の私は靴下のみで靴を履いてないから、身長も低い。何よりすっぴんの眼鏡姿だ。
 ……毎日顔を合わせている同僚だってわからなかったんだから、大神部長相手なら絶対にバレないんじゃないだろうか。
 魔が差した――まさにこの時の私のことである。
 そのままやり過ごせば、何事もなくすんだかもしれないのに、同じ猫好きかもしれない大神部長の、あまりの避けられっぷりに少なからず同情してしまったのだ。
 ――ちょっとアドバイスするくらい、いいよね?
 うん、その後にさりげなくこの部屋を出ていけば、きっと問題は起こらないはず。
 ――よし。
 意を決して、私はキャットタワーから離れ、大神部長にそっと近付いた。

「あの、しゃがんで近付けば逃げないと思いますよ。もしくは黙って座っておやつを持っているだけでも、向こうから来てくれると思います」

 私は猫を気にしている素振りで視線を明後日あさってに向けたまま、そう声をかける。
 そう。何しろ彼が持っているのは、みんな大好き高級ささみだ。ミルクちゃんは例外として、普通なら猫ダンゴ状態になってもおかしくないハーレムアイテムなのである。
 突然湧いて出た私に、大神部長は驚いたようだ。
 沈黙が落ち、余計なお世話だったかな、と不安になった頃、大神部長はようやく「そうなのか」と返事をしてくれた。そして素直にその場に腰を下ろす。私はそれを横目で確認して、ほっとした。
 ……これで猫達も近付きやすくなっただろう。
 私の背中側から猫達がそろりと集まってくる気配がして、よしよし、と内心ほくそ笑む。
 だけど、今のこの体勢で大神部長に下から顔を覗き込まれたら、素顔が見えてしまうかもしれない。顔の高さをある程度揃えた方が、眼鏡がいい働きをするのでは?
 少し迷ったものの結局、私もその場に腰を下ろして、様子をうかがう。
 だけど思っていた以上に猫達は慎重だった。掴みは良かったのに、なかなか近付いてきてくれない。アドバイスした手前もあり、続く沈黙に居たたまれなくなった私は、若干声を高くして大神部長に質問を投げてみた。

「猫、お好きなんですか」
「ええ。男一人でこんなところに来るくらいですから」

 意外にもあっさりと肯定されて、少し驚く。
 そうか。もしかしたら罰ゲームの可能性もあると思っていたけど、大神部長、普通に猫好きでここに来たんだ……
 思いがけない同好の士の登場に盛り上がりたくなるけれど、さすがにそんな危険は冒せない。
 続ける言葉に迷っていると、大神部長は私が口を開くよりも先に、自嘲気味に笑って首をすくめた。

「だけど、どうやら猫には嫌われる性質タチみたいです」

 ……思いっきり大神部長が避けられているのを見た上で声をかけたので、今更「そんなことないですよ」なんて見え透いた否定はできない。
 確かに男の人だし、大きいから猫達が怖がるのはわかる。……だけど、それだけであんなに避けられるものだろうか。
 先程の様子を思い出して私は首を傾げた。

「……あの、ずっとあんな感じですか?」

 思わず尋ねた私を意外に思ったらしく、大神部長はわずかに目を見張ってから、少し考えるように視線を天井に向けあごを撫でた。

「まぁ、前から特別好かれる感じではなかった……が、最近は特に嫌われている気がするな」

 そうは言いつつも、大神部長はどうやら無理に猫達に触るつもりはないらしい。
 その時点でかなり好感度がアップし、どうにか触らせてあげたいと思った。周囲をうかがうけれど、まだまだ猫達の警戒心は解けておらず、一定の距離を保ったままだ。
 ……だけど、猫好きなのに嫌われるとか、かなり切ない。
 雰囲気が怖くても、よっぽど臆病な猫以外なら時間をかければ慣れてくれるし、このお店の子は大部分が人懐っこい子だ。今日は残念ながら閉店まで一時間を切っているから難しいけれど、今度来ることがあったら二時間コースを勧めてみようかな。
 そう思って、顔を上げたその時。
 ――あ。
 私は目の前の大神部長の表情に声を上げかけ、慌てて口を閉じた。
 眉はいかめしく吊り上がったままだけれど、ゆるんだ目元にしわが浮かんでいて、それがいくらか彼の雰囲気を柔らかくしていた。視線の先はトンネルで追いかけっこをしている猫に注がれていて、ちらりちらりと猫の顔や尻尾が見えるたびに、やんわりと口の端が上がる。
 ――銀行では見たことがない優しい表情に、思わず目が釘づけになってしまう。
 ……こんなレアな表情、初めて見た。
 松岡さんだったら写真を撮っていたかもしれない。
 なんだか、ちょっとゆるんでいる……というか、ぼうっとしている感じ。普段とのギャップが大きすぎてなんだか可愛く見える……と、驚いていると、大神部長はふっとうつむいて欠伸あくびを噛み殺した。
 すぐに顔を上げたけれど、その目は少しうるんでいてまぶたも若干重そうだ。
 ……あれ、ちょっとお疲れ……?
 確かに銀行にいる時とは違い、その表情は冴えない……というか、今更だけど顔色があまり良くない気がする。
 実際、スーツを着ているくらいなのだから、日曜日の今日も仕事だったのだろう。
 休日出勤をしなければならないほど、法人営業部は忙しいのだろうか。
 本社からの成績優秀賞の報奨金で、窓サである私も銀行内の飲み会の会費が少なくなったり、営業成績の目標がゆるくなったりと大神部長の恩恵を受けている自覚はあるので、なんだか申し訳なくなってきた。
 暖房が暑かったのだろうか、大神部長がコートと上着を脱いだ。シャツ一枚になったことで男らしい体躯があらわになり、きゃあっと、飲食スペースで歓声が上がった。
 歓声の主は、すっかり頭から抜け落ちていた例の女子高生グループだ。耳を澄まさなくても、声をかけようかと相談している声が聞こえてくる。
 ……どうやら、ずっと見ていたらしい。
 ここは猫カフェであって、出逢いの場ではない……と言い切るつもりはないけど、明らかに大神部長がそんな気分じゃないのはわかる。
 他のお客さん達も、若干居心地が悪そうだ。
 女子高生がこっちに来るかなーと気にしていると、大神部長が不意に口を開いた。

「気を遣わせて悪いな」

 苦笑混じりの謝罪には、今の女子高生の反応以外にも色々含まれているのだろう。例えば受付の新人さんを怖がらせたことや、猫達や他の常連さん達の反応とか。
 咄嗟とっさに顔を上げてしまったけれど、幸いなことに大神部長はキャットタワーを見たままだった。
 慌てて、顔を見られないよう下を向いて、だけどちゃんと否定する。

「いえ、ご来店いただけて嬉しいです」

 猫好きならどなたでも、というのが、ここ猫カフェ・ノアールの基本姿勢だ。

「男一人で来るところでもないだろう、と今まで避けてきたんだが……看板を見かけて、つい、な。ふらふら入ってしまった」

 言葉の途中で大神部長は欠伸あくびを嚙み殺す。よほど疲れているのか今にも眠ってしまいそうだ。
 確かに男一人で猫カフェに来るのは、なかなかハードルが高い。
 だけどそんなに猫が好きなら、どうして飼わないんだろう。
 確か大神部長は一人暮らしだったはずだ。家で飼えばわざわざ猫カフェに来る必要もないし、何より自分の猫というものはとても可愛い。
 当然であろう私の問いに、大神部長は淡々と答えた。

「飼っても忙しくて構ってやれそうにないからな」

 返ってきた言葉に、また好感度が上がる。
 自分の生活リズムや住環境をちゃんと考えて、『好きだけど飼わない』という選択肢を選んでいる人は、責任感があっていいと思う。世の中にはペット禁止物件なのに、バレなきゃいいと思って安易に飼って、大家さんにバレて捨てる、なんて人もいるのだから。そんな風にしてもらわれてきた猫が、この中にも何匹かいるので、余計にその気持ちは強い。

「君も飼っているのか?」

 そう尋ねられて素直に頷くと、どんな猫? と質問が重ねられた。
 猫のことを聞かれると、反射的に答えるスイッチが入ってしまう。

「サビのクールな男の子と、人懐っこい茶トラの女の子です。カイとモコっていう名前の、姉弟猫なんですよ」

 そう説明すると、「いいな」と子供みたいな感想が返ってきて、ほっこり胸が温かくなる。
 それで、とつい猫話を続けようとした時、てしてしと何かが背中を叩いた。
 振り向くと、先程逃げていったタロウと目が合う。

「あ、この子! 抱っこ好きなんですよ」

 もしかして抱っこさせてくれるかな、と期待して紹介すれば、タロウはたたたっと私の背中を駆け上がって肩に乗った。小柄とはいえ成猫なのでちょっと重い。
 私の首元から顔を出し、大神部長に顔を向けて何度か鼻をうごめかす。ひげが頬に当たってくすぐったいと思った瞬間、タロウが大神部長に向かってジャンプした。
 そして膝の上に綺麗に収まると、大神部長の指をしきりにめ始める。

「今! ささみ、あげてみてください」

 突然ふところに飛び込んできたタロウに驚いている大神部長にそう伝えると、彼は慌てて絨毯じゅうたんの上に置いたままだった小皿からささみをつまみ上げた。
 タロウはじゃれるように両手を使ってそれを掴み、仰向けの体勢で勢いよくはぐはぐと食べ始める。
 それが合図だったように猫達が集まってきた。大神部長の膝の上に猫達が手を乗せたり、腕に乗ろうとしてくる。大神部長は目に見えて嬉しそうな顔をしていて、思わず私も頬がゆるんだ。
 長身の――ちょっと強面こわもての男の人が、猫に囲まれているのってなんか可愛い。
 しかも狼と猫だよ。夢の共演かも。
 さっきまでつれなかったミルクちゃんも興味を持ったらしく、そろりそろりと近付いてきた。
 慌てるでもなく大神部長の膝の上に手を置いて、にゃあ、とささみを催促する優雅な姿は、さすがこのカフェの女王様である。
 大神部長が表情をゆるませて差し出したささみにタロウが手を出そうとして、シャアッとミルクちゃんが怒る。それにも怯まずしれっと横取りしたタロウは、瞬時に身体を反転させて走り去っていった。

「許してやれよ。まだあるから」

 笑ってから大神部長は最後の一個をミルクちゃんに渡した。
 今度はしっかりささみを抱えこんだミルクちゃんは、大神部長の膝をまたぐとその場で食べ始める。
 そしてあっという間に食べ終えると、ミルクちゃんは少し浮いていた大神部長のネクタイでちょいちょいと遊び出したのだ。
 女王さまの首を傾げる可愛い仕草に、思わず携帯を掴む。
 宣伝素材用としてスタッフも猫の写真を撮ることを許可されているのだ。

「可愛いな……」
「ですよね!」

 私の心の声とあまりに同じタイミングでそう呟かれたので、思わず食い気味に同意してしまった。
 知らない間に随分距離が近くなっていたらしい。ふと気が付くと、お互いの膝はくっついており、十センチ以内に大神部長の顔があった。目が合った瞬間、大神部長の目が驚いたように丸くなったのがわかった。

「君……」

 驚いたような声に、背筋がひやりとする。
 バレた? 今、確実に驚いた顔をしてたよね⁉
 慌ててずれた眼鏡を押さえてうつむくものの、頭頂部に刺さる視線が痛い。
 そして何よりこの沈黙。何もないってことはないだろう。
 やっぱり仕事のできる人は、すれ違うレベルの人の顔でも覚えられるのだろうか。

「……」

 いつまで経っても黙ったままの大神部長に、もういっそ駆け出して逃げちゃおうか、と思う。
 だけど仮にそうしたって、会社が一緒なのだから待ち伏せされたら意味はない。いや、待ち伏せなんてする必要もない。仲がいいらしい支店長に『窓サの子が副業してる』って言うだけで、私は終了だ。
 それはマズイ! だって私には養わなければいけない猫が二匹もいるのだ!
 ……さっき話した感じでは噂よりも怖くないし、何より同じ猫好きだ。素直に頼めば今回くらい見逃してくれるんじゃないだろうか。
 それならさっさと謝った方が印象がいいかも……?
 頭の中で考えることコンマ数秒。
 私はミルクちゃんがびくっとするくらい、勢いよく頭を下げた。

「すみません……! うちの銀行が副業禁止ってことはもちろん知ってます! だけど、ここ友人の店でスタッフが足りない時だけ手伝ってるんです!」

 他のお客さんの手前小声で、でも真面目にそう説明する。けれど、大神部長は返事すらしてくれない。

「あの、だから支店長には言わないでもらえると嬉しいんですけど……!」

 ますます焦って一気にそう言い放ったものの、やっぱり返事はない。
 いったい、どうしたんだろう。
 ちらりと顔を上げると、大神部長はなぜか私をじっと見つめ、驚いてる……ッポイ?
 ……あれ、もしかして私、早まった……? 最初に思ったとおり、私が同じ銀行に勤めているのなんて全然知らなかった……?
 え、じゃあ、さっきの沈黙と驚きの表情は一体⁉
 パニック状態で次の言葉を探しているうちに、大神部長ががらりと表情を変えた。
 その表情は先程猫を見ていたものとは全く違う。
 一度だけ見た、商談をまとめている時の表情と同じものだった。ノーとは言わせない威圧感と、同時に彼に任せておけば大丈夫という頼もしさ――そしてどこかゲームを楽しむような余裕めいた瞳が印象的で。……端的に言えば、いかにも獲物を狙う狼っぽい。
 ……背中が寒くなったのは気のせいだと思いたい。
 自身のあごを親指と人さし指で撫でる大神部長を見ているうちに、なんだかいたぶられている気分になってきた。
 沈黙に耐えかねた頃、大神部長がようやく口を開いてくれた。

「そうか、うちの銀行に勤めてたのか。確かにうちの支店長、そういうところには厳しいもんな」

 やっぱり自爆していた……!
 みずから暴露してしまった間抜けさ具合にその場に突っ伏したい気分だったけれど、存外優しげな口調に、私は一筋の希望の光を見出した。
 これはイケる!

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