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真夜と孝介
68 庭園を見つめながら
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鎌倉には行ったことがなかった。厳密には7月に由比ガ浜へ行ったが、それだけだ。
真夜は総武線、中央線、東海道線とJRの路線を乗り継ぎ、1時間以上かけてJR藤沢駅に移動した。そこから江ノ島電鉄に移り、緑色の車両の中でカタカタと揺られる。
この世界のスマホというものは、本当に便利だ。目的地までの経路検索や乗換案内をしてくれる。が、真夜のスマホは江ノ電に乗って間もなく電池切れになってしまった。昨日、品山部屋で電源を貸してもらうのを忘れていた。充電ケーブルは持っているから、あとで適当な電源カフェで対処すれば問題ないが。
それに今は、誰とも連絡を取りたくない。まったくのひとりでいたい。電池切れは好都合だ。
*****
真夜は長谷寺を目指した。ここは調査任務抜きでぜひ訪れたい場所のひとつだった。
以前、孝介に紅葉シーズンの長谷寺の写真を見せてもらったことがある。目に焼き付くような赤と朱の葉が境内を彩り、まるで異世界がもうひとつあるような空間を生み出していた。これを実際に見てみたい。
真夜は長谷駅で江ノ電を降りた。ここからは他の観光客の流れに従い、長谷寺を目指す。観光地ではスマホなど無用の長物である。
今日は9月30日。まだ紅葉シーズンとは言い切れない季節だが、それでも庭園の木々が秋の装いに変わろうとしていることは真夜にも分かった。日本には四季があり、今は夏と秋の境目。ある意味で、日本の姿を観察するには絶好の時期かもしれない。
そして真夜は、日本の伝統庭園を心の底から愛している。
庭園である以上それは人工物なのだが、日本庭園は自然の要素を是としている。その空間全てを人の手で作り変えてしまう、という発想は微塵も感じられない。もしも岩に苔が生えたら、それを除去せずにそのままにしておく。経年劣化や徐々に降り積もる埃を否定しない。
それがむしろ美しい、と考えるようになったのはいつ頃だろうか。
もしも転生できるなら、私は生粋の日本人として生まれたい。正真正銘日本生まれの日本人として、ここを訪れたい。
できれば、コウと一緒に——。
……そう、何だかんだで私はコウを愛している。コウがいるから、私はこの日本で暮らしていける。そして、私の出自が明らかに足枷になっている。コウが昔のことを私に話さなかったように、私もコウに本当の出自を話していない。
結局、私もコウと同じ部類の人間じゃないか。
この10年、私はコウの傍に居続けた。私の知っているコウは、ライターの松島孝介だ。青いロードスターに乗って取材に出かける、腕と胸板が分厚いべらんめぇ口調の少しだらしない男。そんなコウの10年越しの求婚を受け入れた私は、コウが昔の婚約者と会っていたことを「不貞」と捉えてしまった。
それはあなたのせいではなくてマツが昔のことを打ち明けていなかったせいですよ、と品山親方は言ってくれた。
けれど、それなら私もコウに対して全てを打ち明けるのが筋なんじゃないか? 私はこの世界とは異なる世界からやって来た闇の魔操師ヒルダで、日本を侵略するための調査をしている。私は魔王デルガドの手下だ。この日本はいずれ、我々の軍門に下るのだ——。
そんなことをコウに告げるのか?
「心が洗われるようですな、ここは」
脳内で激しい思案を繰り広げていた真夜に、参拝客と思わしき男性が声をかけた。70歳には到達しているであろう老人である。
真夜は総武線、中央線、東海道線とJRの路線を乗り継ぎ、1時間以上かけてJR藤沢駅に移動した。そこから江ノ島電鉄に移り、緑色の車両の中でカタカタと揺られる。
この世界のスマホというものは、本当に便利だ。目的地までの経路検索や乗換案内をしてくれる。が、真夜のスマホは江ノ電に乗って間もなく電池切れになってしまった。昨日、品山部屋で電源を貸してもらうのを忘れていた。充電ケーブルは持っているから、あとで適当な電源カフェで対処すれば問題ないが。
それに今は、誰とも連絡を取りたくない。まったくのひとりでいたい。電池切れは好都合だ。
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真夜は長谷寺を目指した。ここは調査任務抜きでぜひ訪れたい場所のひとつだった。
以前、孝介に紅葉シーズンの長谷寺の写真を見せてもらったことがある。目に焼き付くような赤と朱の葉が境内を彩り、まるで異世界がもうひとつあるような空間を生み出していた。これを実際に見てみたい。
真夜は長谷駅で江ノ電を降りた。ここからは他の観光客の流れに従い、長谷寺を目指す。観光地ではスマホなど無用の長物である。
今日は9月30日。まだ紅葉シーズンとは言い切れない季節だが、それでも庭園の木々が秋の装いに変わろうとしていることは真夜にも分かった。日本には四季があり、今は夏と秋の境目。ある意味で、日本の姿を観察するには絶好の時期かもしれない。
そして真夜は、日本の伝統庭園を心の底から愛している。
庭園である以上それは人工物なのだが、日本庭園は自然の要素を是としている。その空間全てを人の手で作り変えてしまう、という発想は微塵も感じられない。もしも岩に苔が生えたら、それを除去せずにそのままにしておく。経年劣化や徐々に降り積もる埃を否定しない。
それがむしろ美しい、と考えるようになったのはいつ頃だろうか。
もしも転生できるなら、私は生粋の日本人として生まれたい。正真正銘日本生まれの日本人として、ここを訪れたい。
できれば、コウと一緒に——。
……そう、何だかんだで私はコウを愛している。コウがいるから、私はこの日本で暮らしていける。そして、私の出自が明らかに足枷になっている。コウが昔のことを私に話さなかったように、私もコウに本当の出自を話していない。
結局、私もコウと同じ部類の人間じゃないか。
この10年、私はコウの傍に居続けた。私の知っているコウは、ライターの松島孝介だ。青いロードスターに乗って取材に出かける、腕と胸板が分厚いべらんめぇ口調の少しだらしない男。そんなコウの10年越しの求婚を受け入れた私は、コウが昔の婚約者と会っていたことを「不貞」と捉えてしまった。
それはあなたのせいではなくてマツが昔のことを打ち明けていなかったせいですよ、と品山親方は言ってくれた。
けれど、それなら私もコウに対して全てを打ち明けるのが筋なんじゃないか? 私はこの世界とは異なる世界からやって来た闇の魔操師ヒルダで、日本を侵略するための調査をしている。私は魔王デルガドの手下だ。この日本はいずれ、我々の軍門に下るのだ——。
そんなことをコウに告げるのか?
「心が洗われるようですな、ここは」
脳内で激しい思案を繰り広げていた真夜に、参拝客と思わしき男性が声をかけた。70歳には到達しているであろう老人である。
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