摩天楼の君主(His Majesty of Manhattan)

H・カザーン

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第2章 中世 フランス

婚約者を訪ねて 2

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「シャルロット……、一人で大丈夫?」
 父から受け継いだ碧い瞳を持つ王太子は、心配そうな眼差しを向けてくる。
 去年シャルロットを追い越した高身長も父親譲りの弟は、いつもはしっかりした性格だ。でも今は何となく不安げに見える。
「留守はあなたに任せるわ」
「ああ……」
 彼はたぶん、自分が城を守れるかどうか案じているのではなくて、妙に張りつめた姉の一行の雰囲気を感じ取っているのだろう。

「何やら仰々しい出で立ちですな……」
 宰相は隊列に鋭い一瞥をくれると、遠慮ない物言いをする。
「何のこと? あなたにはこれが重装備に見えるというの? この二個中隊は、わたくしの誕生祝いとして父上から大尉の位を与えられた時にいただいたのよ。しかもちゃんと減らしてあるでしょう?」
「ふむ確かに、軽装備で数も……」

 本来なら中隊が二つ全員揃えば、七〇でなく一〇〇の騎兵だ。加えて騎兵一人あたり三人の歩兵がつくので合計四〇〇にのぼる。
「歩兵がいては移動が遅くなるから、馬を与えたの。だから騎兵を減らすことになったけど……。三〇の歩兵に騎兵と馬の介助をさせるつもりよ」
「歩兵のほうが少ないのに、馬のブラッシングをさせるので? それは負担が大きそうですが……。戦時ではないし、道中滞在する屋敷には手伝いもありましょうから、まぁなんとか」
「……でしょ? 全隊が揃ったりしたらもっと大勢……コホン」
 そこで慌てて話題をすり変えた。
「ぇ……と、そんなことよりルグラン、あなたには王太子とともにこの城を守ってもらわなければ……」
 ――危うく余計なことを口走りそうになってしまったじゃない。
 爽やかな笑みを王女が顔に浮かべると、隊の間を晩秋の風が吹き抜け、マントをたなびかせていった。

「じゃ、ポール……。母上はノルマンディーに寄らず、ブルゴーニュから直接お戻りになるそうだから、それまでよろしくお願いね」
「まかせて、シャルロット」
「は、仰せの通りに……」
 素直に返事をしたポールに比べて、語尾を濁したルグランはまだ何か言いたそうだった。なるべく宰相と目を合わせないよう努めながら、シャルロットは馬車に乗り込んだ。


 城を出た一行はロワール川に架かる橋を渡る。城下町を抜け、一路街道を北へ向かった。アンボワーズからノルマンディーのカーンまでは、馬でおよそ三日の旅だ。
「もう城は見えなくなったというのに、あまり寂しそうではありませんね、王女さま」
 馬車の向かいに座るリシャールに言われて、窓の外を振り返ると、アンボワーズの佇まいは木立に隠れてしまっていた。
「あのね、わたくしが嬉々として、ノルマンディーへ向かっているように映るかもしれないけど、それは、婚約者に会うのを楽しみにしているからではなくってよ」

 王女が胸に密かに抱いていたのは、全く別のことだった。

 ――そう、そのすべては、わたくしの見た夢に端を発しているの。
 シャルロットはかねてから、とある人に会いたいと思っていた。その願いが神に届いたのか、ある日夢の中に大天使ミカエルが現れて、空のかなた遠くの果てを指差した。王女にはそれが、その人物のいる場所を示してくれたお告げに思えてならない。
 けれどお告げは、ずいぶん曖昧だった。大天使の指差した場所――それはいったいどこなのか、東西南北どの方角なのかすらわからない。
 そこでアンボワーズ城の礼拝堂を司教が訪れた際、夢について尋ねてみたのだ。

 神に祈りを捧げ伺いを立てた後で司教は、「汝の求めるものは、天を擦るほどに高くそびえ立つ尖塔の上にあらせられん」と神の代弁を告げた。
 シャルロットの表情に明らかなイラつきを見とがめた司教は、「その尖塔っていったいどこなのよ? 具体的な『場所』が示されてないでしょ」と問い詰められる前にそそくさと帰っていった。

 ――いま思えば、あの司教の言葉はミカエルさまよりは少しだけ詳しかった……のかしら。なんだか胡散臭い祈祷じみたところもあったけど……、しかたないわ。王女が伺いを立てられる人間なんて、ロワール河畔で他に誰もいないのだから。

 ところで……だ。今回の訪問の目的地には、奇遇にも聖ミカエルを祀る聖堂がある。
 ――天を擦るほどに……、そして空を引っ掻くほど高くそびえ立つ尖塔……。それこそは、ノルマンディーの……。
 どう考えてもミカエルさまの指したのは、そこに間違いないわ。けれど王女の身分であるからには、一人だけでその摩天楼の人に会いに行くことはかなわない。……でもお供をする者たちに、どこまで説明したらいいものかしら。
 馬車に揺られながらシャルロットは、向かい合わせて座っているリシャールやオーギュスト、それに隣のミレイユを気遣わしげに眺めやった。


 数時間後最初の休憩地点まで来ると、リシャールが馬車を降りる王女に手を貸しながら、侍女たちに聞こえないように小声で尋ねてきた。
「もしかして、ノルマンディーの公太子プリンスと剣の手合わせをなさるおつもりですか? ブレスト・メイルなんか持ち出して」
「まさか。未来の夫になる予定の人を、打ち負かすわけにはいかないでしょう?」
「うぅ……ん、まあそうですよね。王女さまの腕なら多分そういう結果になるでしょうね」

 リシャールにはかなわないが、王女の剣は騎士の連中をも打ち負かしてしまうだろうほどの精鋭ぶりだった。
「それにしても、今日のシャルロットさまは、まるで初陣に向かう司令官みたいに……」
 リシャールの探るような視線を受けて、いつも一緒にいるこの護衛の目だけはごまかせないと王女は悟った。
「いいわ、教えてあげる。わたくしの目的は、摩天楼の魔女に会うことなの」
「え、どこの魔女ですか? ノルマンディーの魔女……? はて、そんな噂、耳にしたことありませんが」
「当然よ。今のところ、わたくしだけしか知らないことですもの」
「う~ん、要するに魔女狩りってことですか?」
「別に……殺すつもりはないわ。ちょっと聞きたいことがあるだけ。何にもしないわよ」
「どうかなぁ、王女さまの『何にもしない』は、あまり当てにならないから……」
「リシャール、わたくしをからかうのは、まあいいとして、ノルマンディーの人たちの前では……」
「わかってます。ちゃんと口を慎みますから」
 もともとヴァイキングだったノルマン人は、敵に回すと手強い相手だ。

 ノルマンディーの歴史は、遠い昔……六百年以上も前、現在のフランス北部にノルマンディー公国を建国したのが始まりだった。やがて七代目の君主ギヨーム二世はイングランドを征服し、公国はノルマンディーとイングランド両方の広い領土を所有するようになる。
 一方ロワール河畔に点在する城に住む王族たちはかねてから、陸続きのこの土地をフランスの領土にしたいと考えていた。

 ギヨームとシャルロットの婚儀が滞りなく整えば、ノルマンディーは今後もフランス国家を裏切らない公国になるだろう。もちろん公太子ギヨームの政治を操る能力を見極めた上で、父ルイ王は彼をシャルロットの婿にふさわしい青年だと承認した。

 表向きはノルマンディー地方の視察と観光のための公爵から王室への招待、だが誰もが知っているもうひとつの目的は、その公太子とシャルロットを引き合わせるためだった。普通政略結婚のためにそんな事前の計らいなどしないものだが、この娘に甘い国王は、シャルロットがどうしても相手を好きになれなかったら、別の縁談を考えるつもりでいたのかもしれない。この時代には稀な父親だった。

 シャルロットは侍女たちと一緒に外気に触れるため馬車を降りた。
「……ったく、魔女に会うのを楽しみにしている王女さまなんて、世の中広しといえども、うちのシャルロットさまだけだろうな」
 リシャールは、その精悍な顔に苦笑を浮かべながら、彼女を見つめた。
 最も腕の立つ剣士である彼を、王太子でなくシャルロットの護衛に付けているルイ王の意向が、なんとなくわかるような気がする。もちろん世嗣ぎである王太子は大切だが、ポールには十分に警備が付いている。……というより王太子はそもそも、こういう無茶をしないのだ。

 渓谷の木立の間から差し込む朝の日差しが、兵士たちの盾に反射して光る。それが眩しくて、シャルロットは目を細め頭を斜めに逸らした。そのほんのわずかな仕草は、国王のイマージュそのものに誇り高く優雅で、王女の風格を感じさせた。

 一行からずっと遅れた遥か上空に、音もなく密かに旋回する黒い点があった。それは、一頭のガルグイユ(Gargouille)だった。

 悪魔のような……、怪物のような……、普段はただの雨樋の彫刻であるガルグイユは、建物の壁が濡れないよう守る役目として屋根に取り付けられる。突き出した口から雨を吐き出す顔は不気味だが、人はそれを建物の守護動物だと信じていた。

 ガルグイユが実は城からずっと後をつけていたことに、この時まだ誰も気づいていなかった。
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