【完結】かわいい彼氏

  *  ゆるゆ

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いちばん

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 涼真といっしょに登園した遥斗は、すぐに皆に囲まれた。

「だれ?」

「かっこいー!」

「あたらしくきた子?」

 興味津々らしい皆に囲まれても、涼真は何にも言わない。

 そのことに、ほっとした。


 涼真は、遥斗がきらいなのではなく、涼真のおかあさんの言うとおり、話すことが苦手なだけなのかもしれない。
 取り囲まれた涼真が目を伏せたので、あわてて遥斗は涼真をかばうように、前に立った。

「みんなが、きゅうに、あつまってきたら、びっくりしちゃうよ」

「えー、はるくん、ずるいー」

「ひとりじめかよ」

 そう言われると、涼真と特別なかよしな気がして、ちょっと鼻が高くなる。

 ──実際は、声も聞いたことがないけれど。

 しょんぼりする気持ちを押しこめて、遥斗は涼真のおかあさんと、あいさつしている先生を見あげる。


「はるくん、ありがとう。りょうくんを、よろしくね」

 涼真のおかあさんに、よろしくされると、遥斗の胸に赤い火が燈るようだ。

「はい!」

 元気に返事をする遥斗を、涼真はただ夜空の瞳で見つめていた。


『ほんとに遥斗と涼真は仲がいいの?』という疑いが満ちてゆくのが、5歳な遥斗にもわかる。

 ……話したこともないよ。

 しょんぼりする気持ちを振り払うように、遥斗はあいさつを終えた先生を見あげた。


「せんせー、じこしょーかい、する?」

「そうだな! じゃあ皆集まって! 今日から新しく年長さんに入ることになった、一条涼真くんです」

 お兄さんな先生に集められた皆の視線を受けた涼真は、こくりとうなずいた。


「……んん? 一条くん、皆に、あいさつしてみようか」

 こくんと涼真はうなずいた。

 皆で、しばらく待ったけれど、唇が開かれることは、なかった。


「よし、皆で仲良くしような!」

 先生がにこにこして、皆も「はーい!」よいこのお返事をした。


『遥斗と涼真は、ほんとに仲がいいの?』という疑問な空気は一瞬でなくなっていた。






 涼真の真っすぐにのびる髪も、まだ幼いのに切れあがる瞳も、無口で無表情で何を考えているのかわからないところも、ふわふわの髪で明るくてよくはしゃぐ遥斗とは、まるで真逆だ。

 凛として、やさしい涼真のおねえさんみたいなおかあさんが『よろしくね』と言ってくれたから、遥斗は幼稚園のことを一生懸命、涼真に教えた。
 毎日一緒に通園するのに涼真は、こくんとうなずくか、ふるふる首をふるくらいで、ほとんど口をきかなかった。手をにぎることも、なかった。

 それでも一緒に幼稚園にゆき、一緒にお勉強したり遊んだりするようになると、涼真のすきなことが見えてくる。

 本よりゲーム、インドアよりアウトドア、かけっこ大すきな遥斗と、ゲームより本、アウトドアよりインドア、勉強大すきな涼真が、あうわけがない。

 初対面のときに口をきいてくれなかったことも、差しだした手をにぎりかえしてくれなかったことも、一緒に幼稚園にしばらく通った今でさえ、ほとんど口をきいてくれないことも、遥斗の胸に冷たい石を落とした。

『なかよくしてね』『よろしくね』せっかく言ってくれたのに。

 なかよくしたくても、なかよくなれないりょーくんは、遥斗のなかでちょっと苦手なお隣さんになった。






 お勉強より、遊ぶこと大すき! な遥斗は、歌もお遊戯もお勉強も今ひとつだったが、走るのだけは速かった。

 遥斗の唯一の特技は、かけっこだ。

 一番の見せ場は、運動会だ。
 涼しくなってきた秋に行われる運動会は、佐倉家の一大イベントだ。

 おとうさんが腕によりをかけてお重のお弁当をつくってくれ、おかあさんは脚立まで持参で動画を撮ってくれるらしい。


「がんばれ、はる!」

 両親の応援を背に、遥斗は幼稚園の運動場へと出た。

 いつもの運動場が、色とりどりの三角の旗でかざられ、入場門や退場門が花飾りでそびえたつ。
 たくさんの保護者でつめかけて、幼稚園はまるでいつもと違う世界だ。

 この華やかな場で『かけっこが速い』ことは遥斗の鼻を高くした。

 世界でいちばんえらくなった気さえした。


 いちばんになって、ぴかぴかの星を胸にかけてもらう。

 おかあさんも、おとうさんも、よろこんでくれるだろう。


『よくやった、はる!』

 遥斗を誇りに思ってくれるだろう。


『いちばん、すごいね、はるくん』

 幼稚園の皆も、ほめてくれるかもしれない。


『はるくん、すごい』

 お隣のりょーくんも、もしかしたら、声を聞かせてくれるかもしれない。



 わくわくした。


 世界が、あたらしくはじまる気がした。



「位置について!」

 先生の声がする。

 皆で白い線のうえに並ぶ。
 上体を低く、脇をしめ、拳を握って、構える。


「よーい!」

 ぎゅっ、遥斗は息を止めた。


 パァン──!


 音とともに駆けだした。

 遥斗は走るとき、いつも風になる気がする。

 足から伝わる振動が指先まで揺らし、鼓動を燃やす。巡る血に力があふれ、力強く腕を振ると、飛んでゆく気さえする。


 いちばんだ。

 わかってる。


 すぐ後ろを涼真が駆けているのに、びっくりした。

 あんなにインドアで、本ばかり読んでいるのに、勉強もできるみたいなのに、かけっこも速いなんて、ひどい。あんまりだ。


 遥斗には、かけっこしか特技がない。

 かけっこまで負けたら、遥斗には何にもなくなってしまう。


 ぎゅっと奥歯を噛みしめた遥斗は、加速した。



『絶対、負けない──!』



 足を、はやく、はやく、はやく

 腕を、はやく、はやく、はやく



 もうすぐゴールだ、あの白いテープまで、あと少し──



 いちばんだ──!


 歓喜した瞬間だった。


 ズシャァアア──!



 世界が、ひっくり返った。


 何が起こったのか、わからない。
 ただ、ものすごく痛くて、血の匂いがした。

 目の前に、地面がある。
 皆が、遥斗を追い抜いてゆく。

 擦りむいた膝から、血があふれた。


 いちばんだった遥斗は、一瞬で、ビリになった。

 ぼうぜんと、皆の背中を見つめていた。


 一年に一度だけ、自分が唯一輝くことができる晴れの舞台が、無惨に砂と石と血にまみれた。


 唯一のとりえのかけっこさえ、じょうずにできない自分が、クズに思えた。



「……ぅ、あ……!」

 あふれそうな泣き声を止めてくれたのは、のびてきた手だった。


 ちいさな、涼真の手だ。


「ん」


『だいじょうぶ?』

『泣かないで』

『いっしょに走ろう』

 やさしい言葉は、ひとつもなかった。



 遥斗が一生懸命話しかけても、涼真は何にも言わないから、きらわれているのかもしれないと思っていた。

 明るくて、よくはしゃぐ遥斗と、無口でおとなしい涼真は、性格があわないのだろうと思っていたのだ。

 それは涼真もそうなはずで、お互いさまなはずだったのに。



 涼真は、戻ってきてくれた。


 遥斗が転んだら、涼真は一番になれたのに。

 ぴかぴかの星がもらえたのに。



 戻ってきて、ころんで砂と石と血まみれの遥斗に、手を差しだしてくれた。


 一度も、遥斗とつないだことのない手を。







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