34 / 41
冬の婚約編
第十話 祝賀会(2)
しおりを挟む
ようやく全ての支度を終えて手袋をはめ、姿見の中の自分を見返す。すると、人知れず安堵のため息が漏れた。
当初想定していた姿とはまるで違う仕上がりだけれど、なんとか見れるようにはなるものね。
妖艶さを狙って仕立てたはずの紺色のドレスは、緩く編み込んだ髪と白い小物、薄いリップが合わさると何故か清楚な雰囲気になったような気がするから不思議だわ。
「本当にお美しいです、アメリア様」
後ろに控えるアンナが感慨深げな声を出す。
私に仕えてもう五年。決して口には出さないけれど、彼女が姉のような気持ちでいてくれることはわかっていた。デビュタント当時から見守っていた立場としては、初めてお父様以外のエスコートで夜会に向かおうとする姿に感銘を受けるのは当然のことなのかもしれない。
(でも……)
私には引っ掛かることがあった。それは随分前からぼんやりと思っていたことだったけれど、今日になって急にはっきりと形になった疑問だった。
いや、正確には、アンナが蘭の花を持って部屋に入ってきた時に疑惑になったといってもいい。
蘭の花にはたくさん種類があって、今が見ごろの品種もある。ただ、今日届いたものは冬に咲く種類ではなく、この季節に目にすることはほぼない。クラークだからこそ手に入れられる、希少価値の高い花だ。
それを見たとき、ふと思い出したのだ。アンナは時折、季節外れの花を私の部屋に飾ることがあった。なんとなく不思議に眺めていたけど、今思えばあれらはどうやって手に入れたものだったのか。
まさか、まさかとは思うけど、あの花を贈っていたのはひょっとしたら――。
「クラーク様がお迎えにいらっしゃいました」
突然響き渡ったココの声に、びくりと体が震える。
びっくりした……心の中を読まれたのかと思ったわ。怯えた目つきを向ける私に、ココは首を傾げた。
「アメリア様? どうかなさいましたか?」
「なんでもないわ。もう下にいらっしゃるの?」
「はい、玄関ホールでお待ちです」
そう、来ちゃったのね。
ちょうど彼のことを考えていたところだから顔が合わせづらいけど仕方がない。大きく深呼吸をすると、部屋を出て階段へと向かう。
手すりに沿って階下へ下ると、こちらに気づいたクラークが私を見上げて優しく微笑んだ。それは前回会った時とはまるで違う、しっかりと「準備してきた」笑顔だった。穏やかな表情の裏に、今夜は仮面を崩すまいとする固い決意のようなものを感じる。
心の中で何かがもやもやと渦巻く。私たちはずっとこうやって化かし合いのようなやりとりばかりしてきて、だから私は、大切なものを見落としてきたんじゃないかしら。
(ひょっとしたら、あなたはあなたなりに私を気遣ってくれていたの?)
そう問いかけたい気持ちを押し込めて、クラークの前に立った。
「お待たせしました」
不自然に見えないようにゆっくりと唇の端を上げる。上手く笑えてるはずだ。今までだって、何度も心にもない笑顔を彼に向けてきたんだから。
クラークはまっすぐに私を見下ろして目を細めた。
「綺麗だよ、アメリア。僕の持っている言葉じゃ形容しきれないくらいだ」
「まあ、ありがとうございます。クラーク様もとても麗しいですわ」
形式ばった挨拶ではあるけれど、口にした言葉は偽りではなかった。
漆黒の燕尾服は品の良い光沢があり、彼のブルーグレーの髪色によく似合っている。襟元のラペルピンは緑の瞳と同じエメラルドがあしらわれ、その分ポケットチーフはシンプルな白いものが差し込まれていた。
私の目線が胸元のポケットチーフにあるのに気づいたクラークは、おかしげに笑いを漏らした。
「心配しなくても、お揃いの花なんか差してこないよ?」
「……そんなこと思っていません」
これは嘘だ。
蘭が届いた時から密かに、彼も同じ花を身につけてくるのではないかと危惧していた。でもさすがにその辺の良識はあるようね。
だってそれじゃまるで新郎新婦だもの。
そう考えて思わず眉間に皺が寄る。そんな私を見て、クラークはますます楽しそうに会話を続けた。
「まあ、実はちょっとだけお揃いもいいかなって思ったんだけどね」
「冗談はやめてください」
「ふふ、冗談じゃないよ。でも止めたんだ、今は反省中だから」
反省中?
訳のわからないことを言い出すクラークに首を傾げてみたけれど、いつも通りの完璧な笑顔を返されるだけだった。
やっぱり一筋縄ではいかないわね。ちっとも本心が見えやしない。
「そこまで聞かせておいて、何もおっしゃらないのはずるくないかしら?」
ぐっと一歩踏み込んで問いかけてみる。
私は今夜、どうしても彼に聞いてみたいことがある。こんなことくらいで引き下がっていてはいけないのだ。
しかしクラークは何気ない調子で私に矢を放った。
「アメリアには関係ないことだよ。バートに少し八つ当たりしちゃってね」
「……っ!」
突然出たアルバートの名前に、思わず息が詰まる。
なによ、それ。
ちっとも答えになってない。
アルバートに八つ当たりしたことと、花を身につけてこなかったことに何の関係があるの? そう思うのに、何も言うことができない。
本当にこの男はずるいわ。
アルバートの名前を出せば私が言葉に詰まることを知っているのよ。
そして私はまんまとその策に嵌り、口をつぐんだまま視線を落とさざるを得なかった。
「……じゃあ、行こうか。寒いから、何か羽織った方がいいよ」
クラークの声にタイミングを合わせたように、アンナが私の肩にセーブルのケープを羽織らせた。
もうこれ以上この話題は続けるつもりはないということね。
諦めて差し出された腕に手を添えると、前を向く。扉の先に待つクラーク家の馬車に向かって歩きながら、心の中でそっと祈った。
(今夜の祝賀会、どうぞ無事に終えられますように)
当初想定していた姿とはまるで違う仕上がりだけれど、なんとか見れるようにはなるものね。
妖艶さを狙って仕立てたはずの紺色のドレスは、緩く編み込んだ髪と白い小物、薄いリップが合わさると何故か清楚な雰囲気になったような気がするから不思議だわ。
「本当にお美しいです、アメリア様」
後ろに控えるアンナが感慨深げな声を出す。
私に仕えてもう五年。決して口には出さないけれど、彼女が姉のような気持ちでいてくれることはわかっていた。デビュタント当時から見守っていた立場としては、初めてお父様以外のエスコートで夜会に向かおうとする姿に感銘を受けるのは当然のことなのかもしれない。
(でも……)
私には引っ掛かることがあった。それは随分前からぼんやりと思っていたことだったけれど、今日になって急にはっきりと形になった疑問だった。
いや、正確には、アンナが蘭の花を持って部屋に入ってきた時に疑惑になったといってもいい。
蘭の花にはたくさん種類があって、今が見ごろの品種もある。ただ、今日届いたものは冬に咲く種類ではなく、この季節に目にすることはほぼない。クラークだからこそ手に入れられる、希少価値の高い花だ。
それを見たとき、ふと思い出したのだ。アンナは時折、季節外れの花を私の部屋に飾ることがあった。なんとなく不思議に眺めていたけど、今思えばあれらはどうやって手に入れたものだったのか。
まさか、まさかとは思うけど、あの花を贈っていたのはひょっとしたら――。
「クラーク様がお迎えにいらっしゃいました」
突然響き渡ったココの声に、びくりと体が震える。
びっくりした……心の中を読まれたのかと思ったわ。怯えた目つきを向ける私に、ココは首を傾げた。
「アメリア様? どうかなさいましたか?」
「なんでもないわ。もう下にいらっしゃるの?」
「はい、玄関ホールでお待ちです」
そう、来ちゃったのね。
ちょうど彼のことを考えていたところだから顔が合わせづらいけど仕方がない。大きく深呼吸をすると、部屋を出て階段へと向かう。
手すりに沿って階下へ下ると、こちらに気づいたクラークが私を見上げて優しく微笑んだ。それは前回会った時とはまるで違う、しっかりと「準備してきた」笑顔だった。穏やかな表情の裏に、今夜は仮面を崩すまいとする固い決意のようなものを感じる。
心の中で何かがもやもやと渦巻く。私たちはずっとこうやって化かし合いのようなやりとりばかりしてきて、だから私は、大切なものを見落としてきたんじゃないかしら。
(ひょっとしたら、あなたはあなたなりに私を気遣ってくれていたの?)
そう問いかけたい気持ちを押し込めて、クラークの前に立った。
「お待たせしました」
不自然に見えないようにゆっくりと唇の端を上げる。上手く笑えてるはずだ。今までだって、何度も心にもない笑顔を彼に向けてきたんだから。
クラークはまっすぐに私を見下ろして目を細めた。
「綺麗だよ、アメリア。僕の持っている言葉じゃ形容しきれないくらいだ」
「まあ、ありがとうございます。クラーク様もとても麗しいですわ」
形式ばった挨拶ではあるけれど、口にした言葉は偽りではなかった。
漆黒の燕尾服は品の良い光沢があり、彼のブルーグレーの髪色によく似合っている。襟元のラペルピンは緑の瞳と同じエメラルドがあしらわれ、その分ポケットチーフはシンプルな白いものが差し込まれていた。
私の目線が胸元のポケットチーフにあるのに気づいたクラークは、おかしげに笑いを漏らした。
「心配しなくても、お揃いの花なんか差してこないよ?」
「……そんなこと思っていません」
これは嘘だ。
蘭が届いた時から密かに、彼も同じ花を身につけてくるのではないかと危惧していた。でもさすがにその辺の良識はあるようね。
だってそれじゃまるで新郎新婦だもの。
そう考えて思わず眉間に皺が寄る。そんな私を見て、クラークはますます楽しそうに会話を続けた。
「まあ、実はちょっとだけお揃いもいいかなって思ったんだけどね」
「冗談はやめてください」
「ふふ、冗談じゃないよ。でも止めたんだ、今は反省中だから」
反省中?
訳のわからないことを言い出すクラークに首を傾げてみたけれど、いつも通りの完璧な笑顔を返されるだけだった。
やっぱり一筋縄ではいかないわね。ちっとも本心が見えやしない。
「そこまで聞かせておいて、何もおっしゃらないのはずるくないかしら?」
ぐっと一歩踏み込んで問いかけてみる。
私は今夜、どうしても彼に聞いてみたいことがある。こんなことくらいで引き下がっていてはいけないのだ。
しかしクラークは何気ない調子で私に矢を放った。
「アメリアには関係ないことだよ。バートに少し八つ当たりしちゃってね」
「……っ!」
突然出たアルバートの名前に、思わず息が詰まる。
なによ、それ。
ちっとも答えになってない。
アルバートに八つ当たりしたことと、花を身につけてこなかったことに何の関係があるの? そう思うのに、何も言うことができない。
本当にこの男はずるいわ。
アルバートの名前を出せば私が言葉に詰まることを知っているのよ。
そして私はまんまとその策に嵌り、口をつぐんだまま視線を落とさざるを得なかった。
「……じゃあ、行こうか。寒いから、何か羽織った方がいいよ」
クラークの声にタイミングを合わせたように、アンナが私の肩にセーブルのケープを羽織らせた。
もうこれ以上この話題は続けるつもりはないということね。
諦めて差し出された腕に手を添えると、前を向く。扉の先に待つクラーク家の馬車に向かって歩きながら、心の中でそっと祈った。
(今夜の祝賀会、どうぞ無事に終えられますように)
0
あなたにおすすめの小説
婚約破棄の、その後は
冬野月子
恋愛
ここが前世で遊んだ乙女ゲームの世界だと思い出したのは、婚約破棄された時だった。
身体も心も傷ついたルーチェは国を出て行くが…
全九話。
「小説家になろう」にも掲載しています。
悪役令嬢のビフォーアフター
すけさん
恋愛
婚約者に断罪され修道院に行く途中に山賊に襲われた悪役令嬢だが、何故か死ぬことはなく、気がつくと断罪から3年前の自分に逆行していた。
腹黒ヒロインと戦う逆行の転生悪役令嬢カナ!
とりあえずダイエットしなきゃ!
そんな中、
あれ?婚約者も何か昔と態度が違う気がするんだけど・・・
そんな私に新たに出会いが!!
婚約者さん何気に嫉妬してない?
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
悪役令嬢の心変わり
ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。
7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。
そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス!
カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
王子好きすぎ拗らせ転生悪役令嬢は、王子の溺愛に気づかない
エヌ
恋愛
私の前世の記憶によると、どうやら私は悪役令嬢ポジションにいるらしい
最後はもしかしたら全財産を失ってどこかに飛ばされるかもしれない。
でも大好きな王子には、幸せになってほしいと思う。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる